弥 谷 寺
 仲多度郡多度津町と大見との境界をなす弥谷山(標高381.8m)の中腹に位置する真言宗の寺

 正式名は真言宗善通寺派剣五山千手院弥谷寺,本尊は千手観音菩薩,四国霊場八十八か所第71番札所である

 弥谷山は,昔から山体自体が死者の霊が帰り集まって住む山として信仰されてきた所で,寺信仰のはるか昔から岩崖に刻んだ五輪塔内に遺骨・遺髪等を葬むるという「弥谷参り」の風俗発祥の地である

 奈良時代,諸国布教行脚中の行基が立ち寄り,弥谷山系を諸仏利生の地と感じ,弥陀・釈迦の尊仏像を造立し東西の峰にそれぞれ七間の堂を建立安置し,山頂から南海・中国の八州を眺望できることから蓮花山八国寺と号した

 その後の大同2年(807),僧空海(弘法大師)がまだ幼少の頃来山し,虚空蔵王権求聞持法を修行していたおり,空中から5本の宝剣が降るとともに,金剛蔵王権現が出現し,そのお告げに従い自ら千手観音像を造立し,中央の峰に精舎を建立して5本の宝剣を安鎮したうえ,山名と併せて剣五山弥谷寺(けんごさんいやだにじ)と寺号を改めたと伝わる

 弥谷寺の盛衰は天霧城とともにあり,全盛記の応永年間から天正年間(1400〜1580)当時の寺は広い境内と大小幾つもの堂塔伽藍を備えた3院(東院・中尊院・西院)6坊という県下有数の規模を備えた寺院であった

 江戸時代の弥谷詣の風景を描いた金比羅参詣図絵の弥谷寺の頁を見ると,参道は現在の位置を大きく外れる部分があったり,階段も露岩を削っただけのものであり,堂塔も今とは異なっていることがわかるが,当時の遍路旅の過酷さは,現在においても路傍の無縁仏が哀れを醸している

 無縁仏に手を合わせながら葛籠折れの参道を上り詰め,息が上がり始めるころ,左手茂みの中にひっそりと建つのが仰ぎ堂,更に坂道を登り切り,最初の階段が現れる付近が札の辻と呼ばれるかつての高札場であり,右手の岩の中に食い込むように建てられているのが穴薬師堂,そこを過ぎたところが俳句茶屋であり,冷たい心太で汗ばんだ体を冷ました後,いよいよこれから500mにわたって連続する本格的な階段を登り始めることになる

 階段を登り始めると直ぐにの金剛力士が寺の入り口を守る仁王門(これは二天門であり,本来の仁王門は,現在大門集落にある石柱のある位置にあったと思われる)が待ちかまえる

 この門をくぐると石段脇に賽の河原と呼ばれる場所があり,谷縁には小さい石積みが無数に見られ,湿気と霊気が身にまとわりつく深山霊谷の気配を感じさせられる

 賽の河原を過ぎ,小さい石橋(法雲橋)を渡ると,突然にヒンヤリとした空気に包まれた空間が現れ,地元の人から(かなぶっつぁん)と畏敬されるほど見上げるように大きい金剛拳菩薩蔵が現れる

 そこから更に右奥へ進むと気が遠くなるような朱色の直線階段が左手に現れ,その段の一つ一つに煩悩を捨てつつ,108段登り切るとやっと弘法大師が月明かりで勉学修行をしていたとされる岩窟のある大師堂(求聞持堂)に至るが,古い参道はこの階段を登らず,左方(現在の有料駐車場付近)から時計回りに孤を描きつつ,岩に刻んだ階段を登っていたようである

 この大師堂入口には,昭和の中期まで「弥谷参り」の風俗どおり,遺髪・医療具(松葉杖・コルセット等)が納められ,それらが壁に掛けられていたため,一種鬼気迫る雰囲気を漂わせていた

 大師堂の裏には住職が日牌・月牌の供養をする位牌を安置した位牌堂があるが表からは見えない

 大師堂下を左に進むと,今は新しいものに建て替えられ,その姿は見えないが,桃山時代の客殿があった

 逆に右に進むと直ぐに広場が現れ,左手上に多宝塔を仰ぎつつ進むと,広場の左中央に天霧城主の五輪塔が多数安置されているが,これは本来の位置から移設したものである

 広場右手奥にある鐘楼を見ながら左に折れ,風化した岩階段を登り始めると右に観音堂,左に十王堂,上り詰めた所で半ば岩窟に埋もれた感じの建物が護摩堂,ここを右に行くと遙か左上に鎮守権現堂,少し進と弥谷寺住職の墓所に行き着く,この辺りはその昔,天神社が建っていた所であり,更に進むと池窪と呼ばれる湿地に至るが,この付近がかつて東院のあった場所,もっと進むと天霧城のあった天霧山に至る

 今度は護摩堂前を左に折れて進と左に通夜堂(「お籠もり堂」ともいう),その横を進むと左手に貴峯山城主であったといわれる藤田四郎入道宗遍の墓所,更に進み,右に折れて階段を登ったところが本尊千手観音を奉る本堂,ここまでの階段は合計515段になる

 本堂の後面の岩肌には無数の五輪塔が彫み込まれており,目に付く四角の穴は全て五輪塔下部の納骨窟であって,今でこそ賽銭の硬貨が供えられているが,かつては遺骨等が葬られていた穴なのである

 本堂左側の白塀で囲まれた墓所は丸亀城主山崎氏の墓,更にその左にある小道を進むと,かつて西院のあった場所に至り,前述した天霧城主の五輪塔があった場所であり,もっと進むと,やがて黒戸山を経て貴峯城のあった貴峯山に至る

 本堂右手横の階段を下り始めると直ぐ,左側の岸壁に南無阿弥陀仏の六字名号と阿弥陀三尊を彫んだ磨崖仏が現れ,これらを眺めつつ更に下ると,右手に讃岐城主生駒氏の巨大な五輪塔,更に階段を下ると左手奥のうす薄暗い所に俗に水場といわれる納骨堂が現れるが,そして,ここは通夜堂の丁度横になる
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