| 天(雨)霧山 | 標高382m 弥谷山系の東北部にそびえる山塊であり,周囲は急崖急坂の斜面になっていることから,全山が自然の要害地形をなしている 下部から順に花崗岩,凝灰角礫岩,讃岐岩質安山岩で積層され,山体は善通寺市吉原町十五丁及び仲多度郡多度津町白方並びに大見にまたがる 山名は雨雲・山霧の掛かりやすい地形から雨霧と,また尼斬伝説のいわれから尼斬とも表すがいずれも(あまぎり)と呼び,山体南面の崖部には岩ヒバ(岩松)の群生が見られる 頂上からは丸亀平野の向こうに備讃瀬戸が展望でき,秋の晴れた日には北東方向に遠く伯耆大山の雄姿も眺望することができ,南西方向に目を転ずれば鳥坂峠越しに三豊平野はもちろん燧灘越えて伊予の国の山々をも遠望することもできる 戦国時代にはこの眺望と天険の地形を利用した天霧城が頂部一帯に広がっていた |
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| 弥 谷 山 | 標高381.5m 仲多度郡多度津町と大見との境界をなす山 山名は谷が多い山という意味で弥谷と表して(いやだに)と呼ぶ説と,山頂からは周囲八国が眺められることから八国の読み「やこく」の当て字であるとする説がある 基盤は花崗岩,その上に凝灰岩・集灰岩・讃岐岩質安山岩が乗っており,全山が松に覆われている 山系は褐色をした石榴石「別名ガーネット」(マグネシウム・鉄・マンガン・カルシウム・アルミニウムなどを含む珪酸塩鉱物,変成岩に多く,等軸晶系で、黄・褐・赤・黒色をしており硬度7,主に研磨材として使用されるが,半透明で深紅色の美しいものは飾石・宝石にする)を含んでおり,出水後の谷川からよく採取される 南西側は黒戸山を経て貴峰山に,北東側は天霧山に続き,南腹には四国霊場八十八か所第71番札所弥谷寺がある 山体は昔から死者の霊が帰り集まって住むとして信仰されてきた所で,現在でも「弥谷参り」の風俗が生きている |
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| 貴 峰 山 | 標高222.8m,古くは土峰山あるいは戸峯山とも表した 下部は花崗岩,上部は安山岩からなる典型的なビュート型(浸食残丘)の山で,山容が小型ながらも美しい円錐形をしていることから,貴峰と表して(とみね)と読む その形がトロイデ形をしていることから,別名大見冨士とも呼ばれ,地唄・音頭・小学校歌等にも歌い込まれている 山頂には中世の山城である貴峯山城址,中腹には山体を一周して計138体の地蔵菩薩が佇ずむミニ四国八十八か所がある。また麓には日枝神社を抱えるるなど南山麓一帯は貴峯山城居館に関する史蹟が散在する |
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| 火 上 山 | 標高408.9m 基盤は花崗岩,その上に凝灰岩類が乗り,最頂部には讃岐岩質安山岩が乗っている 五岳山(香色山・筆の山・我拝師山・中山・火上山)の西端に位置するビュート型の山であり大見の北東部から南東部にかけ,東部全域にまたがり,北端は鳥坂峠,南端は高瀬町に及ぶ大見の最高峰 戦国期において西山腹に鳥坂城があったと言われるが,詳細は不明 山名は武士軍団(多度軍団)が情報伝達のため狼煙を上げていた山であるからとも,後年,日照り飢饉時に村民が松明,稲藁等を持ち寄り,竜宮神に雨乞いの火を炊き上げていたためともいわれる 南東部山麓において中世の土師質土器製造窯跡(手石場)があり,今も各種器破片が発掘される |
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| 黒 戸 山 | 標高299.3m 弥谷山系の西端にある山塊 下部から順に花崗岩,凝灰角礫岩,讃岐岩質安山岩と積層され,山体は貴峰山と対峙して鞍部は天道峠を成し,大見の中心部と久保谷地区を隔てている |
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| 毘 沙 古 山 | 標高231m 貴峯山西に隣接する山塊 貴峯山との接合部に「お姫森」と称する貴峯城にまつわる伝説地がある |
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| 丸 山 | 標高50m 弥谷山系の南麓にある饅頭型の小山 西山腹に頸懸神社(聖天宮)を擁していることから聖天山とも呼ばれる 東麓に丸山池を配し,その形状から円墳,あるいはその位置から天霧城の丸(真田幸村が大阪夏の陣において大阪城の南に築いた真田丸のような砦)が存在した山ではないかとの考察がある |
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山