■ 自己紹介

略 歴



■1945年(S20年)4月2日 生まれ

 高松市立 古高松小学校 卒業
 高松市立 屋島中学校 卒業(野球部)
 香川県立高松工芸高校 電気科[4期生]卒業(野球部)

大倉工業株式会社入社(香川県丸亀市)

 合成製造部(工務課・福岡工場・丸亀第四工場)
 
オークラホテル事業部(高松・丸亀)

1991年(H3年)高松市議会議員 初当選!
 (以来、連続4期)
●ニックネーム:ガッツマン、ももたろう




サンポート高松

屋島

サンクリスタル


役 歴

監査委員

総務消防常任委員会・建設水道常任委員会 (各委員長)
決算審査特別委員会 委員長 ・ 合併問題特別委員会 副委員長
建設水道常任委員会・都市再開発特別委員会・観光開発特別委員会(各副委員長)


現 香川県立 高松工芸高校同窓会 電気部会 副会長
現 古高松ブルースターズ(少年野球)会長
現 公明党 香川県本部 県幹事 県副代表 県組織局長


取得免許

・第三種電検、第一種電気工事士、木造建築士
・公害防止管理者(大気・水質・騒音)
・消防設備士(火災報知器・消火栓・消火器)
・防火管理者、危険物、第二種ボイラー技士
・自動車免許(大型・普通・自動二輪)



桧山浩治物語


ガッツマン物語

昭和20年4月2日生まれ、終戦直前に香川県高松市の隣町、木田郡庵治町鎌野で産湯を使い、以後、終戦迄、父親(旧海軍潜水艦ロ号の無線長)の帰国待ちのため乳児期を舞鶴港及び父の実家、山形県余目町で過ごし、終戦後、高松市屋島のふもとでわんぱく坊主の幼児期をすくすく育つ。

小・中・高校生の時は、ねっからのスポーツ万能と体格の良さを活かし野球部に所属していました。不動の4番打者として活躍するも、父の事業の経営破綻で高校2年生で野球部をやめ、アルバイトをしながらの高校を卒業した、真面目一本の努力家である。

昭和39年3月 大倉工業(株)入社後は合成製造部工務課に籍を置き、電気主任技術者として、又、出先工場(埼玉・東京・静岡・滋賀・丸亀・福岡・熊本)の設備管理、並びに特別高圧受電設備の導入。滋賀工場・丸亀第四工場の新築時には建物・電気・給排水衛生設備等の設計施工管理。ホテル事業部においても総ての設備管理等の業務にたずさわり、当時の苦労・努力の結果で「ガッツマン」の名称も頂き、現在の市議会議員職において過去の経験が大いに役立ち市政に貢献できている事、当時の先輩の皆様に深く感謝しております。



ガッツマン・エピソード

中学1年の時は野球部の先輩が柵越えした野球ボールを練習後ヘドロの相引川に腿まで浸かりながらのボール拾いでありました。ところがひときわ体格が良いガッツマン桧山はすぐに頭角を表し、柵越えホームランを連発!!そして時には道を隔てた香川大学農学部の敷地までボールを打ちこんでいました!! また、れっきとした野球部員にもかかわらず、陸上部の高松市の大会に借り出され、400m走では見事、第4位を勝ち取ったりしたこともありました! (^-^ ) V


屋 島 遠 景





支援者M氏の弁

私は居酒屋を経営していますが、梅雨時のある日、店舗の大型クーラーが壊れてしまいました。不景気の最中の100万円を超える急な出費が余儀なくなり呆然としていました。そこで桧山議員に相談したところ、急な問い合わせにも関わらずこころよく対応していただき、そして高松市の「中小企業者融資制度」がある事を教えてもらいました。そして直ちに手続きを進めていただきました。急場の時に本当に助かりました。その後も顔を合わすたびに声をかけてもらい、本当に頼りになるたのもしい存在だなと思っています。


友人S氏の弁

柔軟な発想と技術力を基にした卓越した政策立案能力者、人情厚く、真面目で行動力にたけた人がこの人の持ち味であり、「桃太郎さん」のニックネームにふさわしい男であります。 

阪神淡路大震災の一週間後には水と花鉢を持って長田区内へ慰問に、高知水害では直ちに現地に駆けつけての救援活動。北海道奥尻島・鳥取県西部地震に際しても、いち早く募金活動を展開。渇水・災害時にも即、現場にかけつけ、激励を惜しまないなど、抜群の行動力を発揮する男である。

高度情報通信分野にも強く、市行政の情報都市構築にも尽力。命と財産を守る危機管理、将来を担う子供達の教育、並びに高齢者の生涯学習活動、環境問題・市民問題等々、時代を先取りした新世紀の「市民のための市政活動」に全力で取り組んでいる頼もしい男「ガッツマンひやま」の今後の活躍を大いに期待しております。


阪神淡路大震災

 


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