徴傭の背景


表紙へ戻る目次へ戻る前の頁へ戻る次の頁へ進む
 八郎平と第1若松丸が徴傭された昭和17年12月とは、どの様な時期であったのか、その徴傭の背景を整理しておきたい。
 昭和17年12月とは、日本軍がガダルカナル島から撤退すべく議論され、準備されていた時期である。言い換えると、日本軍の負け戦が始まった時期である。
 そして、八郎平と第1若松丸が配属された第11航空艦隊とは、昭和16年1月15日基地航空部隊の最初の艦隊として新編成されたもので、連合艦隊に編入され、大東亜戦争初期には比島、馬来、蘭印など南西方面の作戦に従事したが、昭和17年12月20日南東方面艦隊に編入されているのである。
 八郎平が第1若松丸乗り組のまま徴傭されたのが昭和17年12月30日であるから、第11航空艦隊が南東方面艦隊に編入されたときの体制整備の一環と考えることができる。
 基地航空部隊とは、陸上航空基地を基地とする海軍でありながら陸上飛行機を中心とする航空部隊をいい、たかだか総トン数232トン程度の徴傭船を体制整備というのもおこがましいが、この頃の南東方面は、艦艇輸送の困難化に伴い「連綴基地利用の機帆船による補給」が発令されていたほどであるから、補給輸送の体制整備は重要な事だったであろう。
 昭和17年9月頃以降、南東方面では制空の実力を失い、輸送船による輸送が出来なくなったようである。
 この頃の輸送の困難さを表す言葉として、鼠輸送と蟻輸送がある。
 「鼠輸送」とは、敵の空中攻撃を避けるため、夜間に駆逐艦をもって人員・機材・弾薬・糧食等の軍需品を輸送した。この輸送を鼠が夜間に餌を巣に運ぶことに例えたものである。
 「蟻輸送」とは、多数の小舟艇をもって、沿岸入江、島陰などを利用し小刻みに少量ずつ連続不断に輸送した方法を云う。
 ニューギニア東部とソロモン群島の作戦では、鼠輸送と蟻輸送は併用実施されたようである。
 又、潜水艦の狭い艦内のあらゆる空間を糧食で一杯にして、潜行で輸送する方法を潜水艦乗員は「丸通」と自称していた。
 そして、凡そ1,000トン未満の汽船で局地の海上輸送に使用した船の俗称を「海上トラック」といい「海トラ」と略称していた。第1若松丸は、まさに「蟻輸送」のための「海トラ」として徴傭されたのである。

表紙へ戻る目次へ戻る前の頁へ戻る次の頁へ進む