枕神の疑問


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 ハルキの話。
 お正月の餅をつく準備をして、子供達に「明日の朝は早いから早く寝なさい。」と言って、私もいつもより早めに寝ました。
 もう朝になったような感じでしたが、誰かが私を呼ぶような声が聞こえました。顔を上げてみたら、菜っぱ服のようなのを着た人が、顔はよく判かりませんでしたが、誰かが枕元に立っておりました。
 そのまま、また、眠ってしまいました。そしたら、また、誰かが私を呼ぶのです。それで、また目を開けてみたら、また、誰かが枕元に立っております。その顔をよく見てみたら、どうも、お父さんの顔みたいなのです。
 「アレ。あんたどうしたの? 帰ったのなら、なぜ、帰ったと言わんの? 幽霊かと思うたよ。」
と、言ったら、顔がだんだんぼやけて、はっきりとは判らなくなり、何にも言わずに姿が見えなくなりました。
 そこで、私は、怖くなって、目がはっきりと醒めて、
 「タカァ」と言って、長女の隆子を起こしたのです。
 「アーィ」と言って起きたので、
 「今、お父さんが幽霊になって帰ってきた夢を見たよ。ここの枕元に立って居ったんよ。」
 「あれーッ、私もお父さんが帰ってきた夢を見たよ。お父さんの夢を見ていたら、お母さんに起こされたの。」
 「隆子は、どんな夢を見たの?」
 「いつものお父さんは、帰ってくると、白いお米のご飯を炊いたり、魚を買うてきて、ご馳走を作ったり、人を呼んできて、お酒を飲んだり、賑やかにするのに、今度は黙って水屋の前に座って居った。今度は、何故静かなのかなァ、と、思っていたらお母さんに起こされたの。」
 「二人が、一緒に同じ夢を見たのは、何故なのかなァ。」と、二人で話しながらまた眠りました。
 後で考えると、これが「枕神」が立ったと言うものだろうと思ったのです。
 戦死の公報が有ってから、後に、遺品が帰ってきました。懐中の中に爪と髪を塵紙に包んで入れてありました。その塵紙に鉛筆で、12月27日と書いてあったのです。戦死の公報には、25日に戦死と書いてありました。
 枕神の立ったのが27日だったのです。この2日の違いは何を意味するのか気になるのです。

 八郎平の遺体は、ケビエンの空港の傍で、荼毘に付されたと聞いた。私は、荼毘に付された日が27日だったのであろうと推定している。25日は大空襲の日でその日に荼毘に付すことはとてもできなかったであろうし、2日後に荼毘に付すことは極く自然と考えられるからである。
 また、荼毘に付す前に爪と髪を切ったのであろうから、それを包んだ塵紙にその日の日付を書くことも不自然ではない。荼毘に付されて、肉体を離れた幽体が、日本に帰ってきて枕神に立ったとすれば、これも極く自然に理解できると考えたからである。

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