日本軍機の残骸
表紙へ戻る/
目次へ戻る/
前の頁へ戻る/
次の頁へ進む
ラバウル東飛行場跡からバスを降りて、松島よりの椰子園の中に踏み込んでいった。
蛇が出てきそうな雰囲気である。蛇を怖がる妻が「ニューギニアでは、まだ一度も蛇に出会わない。」と、独り言のようにつぶやいた。
隣を歩いていた加古川の田中さんが「蛇は、日本軍に食べ尽くされて、種が切れてしもたんじゃ。」と、冗談とも、本気とも判らない口調で答えた。みんな、笑った。
しばらく行くと、日本軍機の残骸があった。
ガイドブックなどでよく見る光景である。
ガイドの方は、「一陸」と説明したが、参加者の一人、大阪の高野さんは「これは、一陸ではない。このコックピットのフレームから見ると、重爆だ。」という。
年齢は、まだ若い人なのに、何故こんなに詳しいのか不思議に思った。
後で、高野さんの話を聞いていると、プラモデルのマニアらしい。なるほどと、納得した。
「一陸」とは、「一式陸上攻撃機」の略であり、山本五十六長官最後の搭乗機が、一陸であったそうである。
板倉昌之の「写真集ラバウル」では、ここの現場写真は「九七式重爆撃機U型」とし、更に「昭和12年6月制式採用された陸軍爆撃機で、昭和18年2月から南東方面航空戦に参加した。」と説明していた。
表紙へ戻る/
目次へ戻る/
前の頁へ戻る/
次の頁へ進む