日本軍機の残骸


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日本軍機「九七式重爆2型」の残骸  ラバウル東飛行場跡からバスを降りて、松島よりの椰子園の中に踏み込んでいった。
 蛇が出てきそうな雰囲気である。蛇を怖がる妻が「ニューギニアでは、まだ一度も蛇に出会わない。」と、独り言のようにつぶやいた。
 隣を歩いていた加古川の田中さんが「蛇は、日本軍に食べ尽くされて、種が切れてしもたんじゃ。」と、冗談とも、本気とも判らない口調で答えた。みんな、笑った。
 しばらく行くと、日本軍機の残骸があった。
 ガイドブックなどでよく見る光景である。
 ガイドの方は、「一陸」と説明したが、参加者の一人、大阪の高野さんは「これは、一陸ではない。このコックピットのフレームから見ると、重爆だ。」という。
 年齢は、まだ若い人なのに、何故こんなに詳しいのか不思議に思った。
 後で、高野さんの話を聞いていると、プラモデルのマニアらしい。なるほどと、納得した。
 「一陸」とは、「一式陸上攻撃機」の略であり、山本五十六長官最後の搭乗機が、一陸であったそうである。
 板倉昌之の「写真集ラバウル」では、ここの現場写真は「九七式重爆撃機U型」とし、更に「昭和12年6月制式採用された陸軍爆撃機で、昭和18年2月から南東方面航空戦に参加した。」と説明していた。

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