大発洞窟


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大発洞窟の標識  我々は、ラバウル3日目の朝食を最後に、セラントラベルの一行と別れて、ケビエンへ移動するため、ニューラバウル空港(トクア)に向かって出発した。途中、大発洞窟に立ち寄った。
 「大発」とは、日本海軍の大型発動機艇の略で、大発洞窟は、その防空用格納庫である。陸軍の艀(ハシケ)は木製であったが、海軍の艀は鋼鉄製であったという。ここでも、陸軍と海軍の違いを聞かされる。
 義父がケビエンで大発に乗っていたところを空爆によって戦死したと言うことなので、大発は、私には関心があり、是非、見学したい物だった。
 道端に、コカコーラの宣伝と並び、「JAPANESE BARGES TUNNELS」の大きな看板がたてられていた。そこから道を折れて、山際に入ったところに、「大発洞窟 ラバウル政府建之」との標識があった。
洞窟内の大発  ラバウルの属する州は、東ニューブリテン州なので、「ラバウル政府建之」という言葉に抵抗を感じ、原文をよく見ると 「Constructed by the Rabaul Town Community Government」 とある。「ラバウル町役場建之」と訳すべき誤訳だと思った。
 大発洞窟では、海までトロッコのレールを敷いて大発の出し入れをしていたという。
 現在の洞窟の位置は、海岸線からかなり離れている。50年を超える歳月の間に、海岸線が移動したのかも知れない。
 昔の軍がしたことを、今の我々の常識で推し量るのが無理なのかも知れない。
 大発洞窟の入口周辺には、フェンスが張られ、施錠されている。管理人の奥さんらしい人が出て来て、鍵を持ったままどこかに出かけたから探しに行くという。間もなくして帰ってきて、どこにも居ないと言い、ターザンのような大声を出している。鍵を持っている主人を呼んでいるようである。2〜3回呼ぶと、諦めたのか、フェンスの横から入れるという。
 よく聞いてみると、フェンスより高い位置まで山をよじ登れば、フェンスを越えることが出来るという意味である。
 源田さんが「ここまで来て、入れないでは帰れない。」と言って山を登り始める。
 山田さんのお父さんも登ろうとする。みんなで止めるが聞かない。年寄りが入るのに、若い者が手を拱くわけにも行かない。結局男性は、みんな入った。
 我々が山をよじ登ってフェンスの中に入ると、現地の子供達は、軽々とフェンスを乗り越えて入ってきた。裸足で有刺鉄線をどうやって乗り越えたのかは確認できなかった。
 洞窟の中には、見学用通路が設けられているものの、照明はない。懐中電灯では心許ない。3隻は確認できたが、それ以上中に入る勇気はなかった。
 それ以上見る必要がなかったのかも知れない。
 現地のガイドは、全部で5隻あると言っている。添乗員の千々輪さんは、5隻目の1番奥はカヌーだと聞いていると言った。
 いずれにしても、50年を超す歳月は、かなりの損傷をもたらしていた。

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