防空壕の構造
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私たちは、海軍司令部跡の地下壕には入ったが、一般の防空壕を視察する機会には恵まれなかった。ラバウルの防空壕のイメージを確かなものとするため、山口高氏の著書から引用する。
九五八航空隊も、再三にわたる銃撃や爆撃による被害が出た事から、全隊員が避難できる防空壕の設置が急務となった。
工作科は、工場からあまり遠くない裏山に、防空壕を掘ることになり、緊急を要する作業員を除いた全員でこの作業にかかった。我々兵隊は、命じられるままに、ツルハシやスコップでただがむしゃらに穴を掘り、土を出し、炭坑の坑道のような穴を掘り続けた。
(中略)防空壕は高さ2m、横幅1.8m位で、入口から出口まで約100m、通路の左右に六畳敷位のポケットが5、6個所あり、ここが居住区となっていた。
通路の左右には、50cm間隔に椰子の木の丸太を鳥居状に組んだ物に、ドラム缶を切り開いて一枚の鉄板状とし、これを張って土砂の落下を防ぎ、併せて爆撃による崩壊を防いだ。
防空壕から山の頂上まで約50m位あって、1トン爆弾による直撃弾を受けても平気であった。
各兵科とも工作科同様の方法で、防空壕掘りを行い、工作科の右側に主計科、出口の右上に整備科など九五八航空隊全部の防空壕兼地下居住区が出来上がり、周辺は蜂の巣状の地下街が出来上がった。
我々兵隊にとって有り難かったのは、主計科が近かった事で飯取りに行くのに極めて便利であった。
主計科は、壕内炊事場、倉庫、居住区を持ち、特に炊事の煙を遠くに出すため、煙道を遠くまで掘り、仮に煙を目標に爆撃されても被害が出ない様に造られていた。
ただ一つの難点は、海岸線から500m位離れていた関係で、井戸を掘っても水が出ず、海岸線近くまで水を汲みに行かねばならず大変苦労したものである。
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