マヌスでの個別慰霊


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マヌスでの個別慰霊  山田さん父子の個別慰霊は、ロスネグロス島マヌス(モモテ)空港の近く「戦没日本人の碑」で行われた。一行中最高齢87歳の山田庄八さんの弟昇三郎さんが戦死しているのである。

 昭和19年2月29日、マッカーサー大将自らが率いる総勢4万5千の大部隊が、マヌス島に押し寄せた。マヌス島の日本軍守備隊2,500は、3月半ばには壊滅、玉砕を遂げる。
 マッカーサーは、ここをフィリピン奪回の基地としたのである。
 この作戦は、「スキップ戦略」あるいは「蛙跳び作戦」と呼ばれ、日本軍の大きな拠点を飛ばし、その先の地点に進攻する方法が採られた。
 この連合軍マヌス島上陸の場合、2月17日にラバウル大空襲を行い、日本軍ラバウル基地は、270機を失うまでに叩かれたが、ラバウルを置き去りにして、一挙にマヌス島にスキップしたのである。
マッカーサー上陸記念碑  マヌス空港の近く、小さい岬の外海側に「戦没日本人の碑」があり、内海側に「マッカーサー上陸記念碑」があった。
 戦没日本人の碑は、車がまるで道無き道をかき分けるように走ってやっと到着したが、マッカーサー上陸記念碑は手入れの行き届いた芝生の中にあり、際だって対照的であった。
 「戦没日本人の碑」が建てられているのは、多数の日本軍兵士遺骨収集の地であるという。

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