終わらない遺骨収集


表紙へ戻る目次へ戻る前の頁へ戻る次の頁へ進む
 報告会では、初めて聞く色々なお話があったが、私が最も強い衝撃を受けたのは、西部ニューギニア慰霊に参加した東京都町田市の佐藤勝江さんの報告だった。
 戦後54年を経過した今年春の慰霊の際、鉄兜をかぶり、軍靴を履いた遺骨を目の当たりにしたというのである。受けた衝撃と何もすることのできない無力感を厳しく感じていたところ、参加者の1人が、「これを見た者の責任として、自分たちに出来ることをしよう。」ということになったそうである。
 佐藤さん達は、現場の写真や地図、文書を携えて、厚生省を訪ねたそうである。厚生省は、来年2月頃になるが、遺骨収集に出向く旨の約束をし、更に、時期が早まり、今年の9月に政府の遺骨収集が実現し、西部ニューギニア、ビアク島とマノクワリから71体の遺骨が帰国したという。
 しかし、佐藤さんの想いは晴れない。収集された遺骨は、東京の千鳥ヶ渕まで帰ってくるだけで、家族のもとには永久に帰らないからである。遺骨の身元が判らない以上致し方のないこととは言いながら、想いが晴れないのである。
 政府の遺骨収集の基本姿勢は、遺骨の所在について、確かな情報が得られたもののみについて行われると言う。
 私は、積極的な調査を行わない政府の姿勢は、理解できる一面はあるものの、戦後50有余年を経過しても、今尚終わらない遺骨収集の現実に、割り切れない思いを深くしたのである。

表紙へ戻る目次へ戻る前の頁へ戻る次の頁へ進む