皆さんは、自分の可能性について考えたことがあると思いますが、それはいつ頃のことですか。思い出してみてください。
可能性の話をする時、度々引き合いに出されるシューズメーカーの二人のセールスマンのエピソードを聞いたことがありますか。
○○年南アフリカのとある空港に二人のセールスマンが降り立った。
二人は部落を見て回ることにした。
訪れた何処の部落の人々も愛想良く彼等を受け容れてくれたが、大人から子供まで全て裸足の生活をしていた。
「裸足で歩くと足が痛くないですか」と問うと「ハリネズミをフットボール替わりに蹴った時少し痛かった」と白い歯見せながら笑って答えてくれた。
彼ら二人は宿に帰ると本社宛に早速メールした。
一人のセールスマンは「この地方では靴を履く習慣がありません。販売の見込みはありません」
もう一人のセールスマンは「この地方では靴を履く習慣がありません。彼等が靴を履き足を大切にする事を知った時、どれだけ販売できるか予想がつきません」と

第1章 あなたは自分についてどれだけ知っていますか
あなたの肉体は健全ですか と聞かれた時、即座に「YES」と答えられますか
ほとんどの方が「YES」と答えると思います
実際そんなに深く考えないで答えていると思います
何故なら自分の肉体に病魔が潜んでいないと言う証明をしていないからなんです。
見かけ上は健康に思えるあなたの肉体も、実は病魔が蝕んでいる事だってあるんですから。この逆の場合だってあります。
病弱なために医師とは不可欠な関係の境遇に ありながら健康な毎日を過ごしている人々だって居るのです。

あなたは両方の足と手を持っていますか と聞かれた時 「YES」と答えられますか
「何か意味のあることを聞かれているんじゃないか」と普通は考えてしまいますよね。
YESと答えて良いんです。但し、小指がないんです。右足は義足なんです。
それで良いんです。たとえ小指がなくても、親指かなくても手がある、その手や足に命が通っているそれは手があることなんです。
足があることなんです。

肉体に対する可能性を考えたことがありますか。
あなたの手の指は10本とも動かすことが出来るとしましょう。では、ピアニストやキーパンチャーのように速く動かすことが出来ますか。
今現在は出来なくても、訓練すれば出来るようになりますと言われても信じ難い事だと思っていませんか。信じられないことが現実の世界では起きているのです。
例えばマジシャンと呼ばれている彼らの世界では摩訶不思議な現象をいとも簡単にやってのけてる。
カードさばきの素晴らしさ、コインの流れるような動き。彼らは何か特別の仕掛けをした指を持っているわけではありません。
あなたと全く同じ手や指なんです。

かずちゃんの詩庭 私は身体障害者 疑う??
でも紹介しているように、自分では気がついていない可能性が、自分自身の中に無限に存在していることを先ず信じてください。


第2章 あなたは自分と約束することが出来ますか
「第2章」は私にとって非常に書きづらいものでした。なぜなら、私自身が私自身との約束を何百回いや何千回破ったか数知れないからです。
年頭によくあるパターン「今年こそ」は、今月こそはタバコを止めよう、飲み会を控えて二次会までに家に帰ろう。自分への誓いが立てられては消え、消えては立てられている。

なぜ、自分自身に対する約束がこれ程まで易いか、いや易いか。それはその約束がなされた事も、約束の内容については誰も知らないから。それに加えてその約束を破った時、世の中に被害も損害も与えないし、誰も私に制裁を加えないからです。
しかし、良く考えてみれば他人との約束を破ることよりも、長年に渡って自分自身との約束を破って来たことのほうが、自分自身を向上させなかったか考えて見てください。

自分自身に対して約束をする、誓いを立てようとする行為は、誰も日常的にしていると思いますが、何故そのようなことをしようとするのでしょうか。
答えは簡単なことです。
人間の心の奥底には、他の人よりも優位な立場に立ちたい、他の人には出来ない事をしたい、他の人よりも幸福な生活がしたいという無意識的な闘争本能が存在します。
この無意識的な闘争本能は、自分自身の向上心を生む原動力となります。心の中に潜んでいる願望が私は将来こんな事をしてみたい或いはこういう生活を送りたいという約束を口をしていとも簡単に出てしまうのです。

では,心の叫びとして出た約束或いは誓いをどうすれば継続させ、成就させることが出来るのでしょうか。

例えば自分は、自分自身に対する約束しても、その約束を先延ばしてしまう習慣があるとすれば、先延ばししようとする原因に対して断固と立ち向かい、最初の決意を繰返し口に出して「これは約束だ」「これは約束だ」「これは約束だ」と叫び、最初の約束事にしがみつくことから始めてください。

とても辛い苦しい方法の1つですが、約束の守れなかった自分自身に嫌悪感を持つべきです。
但しこの方法は度が過ぎると精神的な病気を引き起こす原因にもなりますので以下のことを守ってください。
約束の守れなかった自分自身を見つめる場合、先ず心をリラックスさせてください。
そして「馬鹿野郎」と怒鳴ってから直ちに約束に取りかかってください。

その他にもいろいろな事が考えられますが、大切なことはどの方法を取るにして
「約束は義務から来たものではない」「約束は私から出た出来るという熱意だ」
だから私には出来るという。
「自分自身への約束」それを成し遂げたときの自分自身への感動と快適感や自己満足感を覚えた時、その約束は継続されます。
マラソン選手の誰かが「私自身を誉めてやりたい」と言ったのを思い出した。


第3章 あなたの人生はそれで良いんですか
私達は生活するうえで不幸を感じたり、困らない限り、自分の人生はこれで良いのかと考えたり自分自身を別の人生に置換えようとはしない。それは、そこに到達する為にはかなりな犠牲と努力を強いられるからです。例えば愛煙家が、タバコのない人生を考えたにしても、タバコによる健康に対する害を自分自身が感じたり受けていないから、また、タバコを止める努力が並大抵でないことを知っているからです。

「私がしたいと思うことを出来ないのは何故なんだろう」
私達にはしたいと思う事が沢山ありすぎる。本当にしたい事は何なんだろう。
本当にしたいと思う事の順番にリスト(他人が聞いたら笑ってしまうような願望でも、不可能と思うような事でも結構です。)を手帳に作成し、手帳は机の引出に入れっぱなしにせず必ず携帯することから始めてください。
リストを一日3回は読んでください。その時、単にリストを読むのではなく、「私は出来る」そして、したいと思っていた事が出来た自分を想像しながら観てください。
リストは書き換えられることも有るだろうし、付け加えることも有るが、気にしないで観てください。
もっと楽に生きてみないかというホームページがある。作者は心理学者でもないが多分「私の趣味は人生」生きていくことの面白さと苦しさを楽しんでいるのでないかと思える。一度開いてみる価値は十分にある。


第4章 安らぎの中で私は生まれ変わる
オウム真理教が新聞紙上を賑わせていた当時「マインドコントロールmind control」
と言う言葉をしばしば耳にしたことがあると思います。
以下の文章はホームページ「心理学サイト心の散歩道」からの引用です
マインドコントロールとは何か

人の心や行動を変えようとする方法には、いろいろあります。家庭の躾、学校教育やコマーシャルもそうです。
私たちの普段の生活でも、人に何かの影響を与えようとして、いろいろなことをします。

挨拶したり、手紙を書いたり、プレゼントを贈ったり。説教、依頼、説得、脅し、愛の告白、泣き落とし。その人のために、また自分のために、
人を動かそうと思うことは自然なことですし、悪いことではありません。

しかし、どんな方法を使ってもよいわけではありません。脅迫や詐欺は、犯罪になります。倫理的にゆるされない方法もあります。

マインドコントロールは、人を動かす方法の中でもとても悪質で巧妙な方法です。
そのワナにはまれば、本当の自分らしさや自分自身の意志を失い、マインドコントロールを使う組織(破壊的カルト)に思いのままに操られてしまうのです。

ここでは特に、破壊的な宗教カルトを中心に考えたいと思います。

マインドコントロールで使われる4つのコントロール
◎. 行動のコントロール
マインドコントロールを使っている組織に入れば、そのメンバーの行動は徹底的に賞賛されるか、罰せられるかのどちらかです。組織の命令に従えば、みんなから今まで受けたことがないようなすばらしい賞賛を受けます。組織の命令に反すれば罰です。
これは、心理学的な報酬と罰の効果の悪用です。

そして細かい行動の指示をします。あれをしなさい、これをしなさい、あれはしてはいけない、これはしてはいけない、といった具合です。たとえばかなりはやい時期から布教活動をするようにいわれ、月に何時間宣教活動をするか、誰とつきあうか、どこに住むか、何時間寝るか、夫婦間のセックスの仕方まで指示されることがあります。
ただし本人たちは、良心に従って自発的に行動していると感じています。

. 思想のコントロール
徹底した教え込みを行います。彼らは、組織のリーダーたちだけが真理を知っていると主張します。
今までのどの宗教でも学問でもわからなかった真理が、今わかったと主張します。
神のみぞ知るとか、人類永遠の謎といったものが、今やすべてわかったなどと言うこともあります。

その教えに疑問をはさみ込ませずに、頭にたたき込むのです。時には、寝る時間もなくなったり、他の本や新聞を読む時間もなくなります。
ある団体では、聖書と別の教理の本と、両方を使いますが、実際には教理本を読んだり、そこで引用されている聖書の箇所を開くだけで、
自分で自由に聖書を読む時間などは、とてもありません。

筆者の友人である、ある脱会者は、夜中に必死になって新約聖書を自分で3回通読したときに、組織の教えの間違いに気づいたと語っています。

. 感情のコントロール
恐怖と不安の感情を中心にコントロールされます。すぐにハルマゲドンが来て、組織に従わない者は滅んでしまうなどと言います。
組織の命令に反した場合には、他のメンバーに叱られるだけではなく、恐ろしいことになると教えられます。

特に脱会した場合には、最も恐ろしい罰が待っているわけです。サタンと呼ばれ、口をきいてもいけないと言われることもあります。
破壊的カルトに限らず、どの組織でも、そこをやめようとする人にどんな態度をとるかで、その組織の質がわかるかもしれません。

良心的な一般の宗教は、人に平安を与えますが、破壊的カルトは人を不安にして、組織のために働かせ続けます。

. 情報のコントロール
 組織に対する批判的情報の禁止です。
私達は、聖書を読むこともあれば、仏教の本を読むことあれば、宗教に批判的な本を読むこともあります。
いくつかの特定の宗教団体が出版している本やパンフレットを読むこともあります。

しかし、破壊的カルトでは、そのような自由を許しません。特に、脱会者の文書に触れることを強く禁止します。
対抗する伝統的宗教の本を厳しく禁止することもあります。
マスコミの、第三者的な文書を禁じることもあります。

まとめ
 思想や感情が行動を生みますが、行動することが、また思想や感情を生みます。そして、自分の考えや行動が正しいかどうかを判断する客観的情報はありません。このようにして、人はマインドコントロールされ、組織の奴隷になっていくのです。
以上
マインドコントロールが他人による組織的な強制的な操作で心を変えることが出来る方法であるとすれば、
自己の変革は自分自身で出来ないだろうか。

風小僧はこう考える
私の心は私のものであって「私が,したくないと思っていることが例え誤っていたとしても、私はしない」。自分自信に対する執着心が希薄な場合は、他人から支配されるだろうと。それは妥協ではない、単に他人に心を支配されただけだと。

マインドコントロール 追記
私達は義務教育を受けて育ちますよね。その中で、人間としての基礎や色々な事を学び、次に高校から大学へと人間形成されていくわけですが、教育も実はマインドコントロールの一翼を担っていると考えた場合、あなたはどんな気持ちがしますか。幸なことに日本の教育は今の所一方的な色彩色(国がある一定方向に引き込もうとする)がないことでしょう。ところがである今の社会的事象を新聞やテレビで見たり聞いたりする限り大変な状況になっている。虐め・幼児虐待・人殺し・詐欺・職業意識の欠落・政治不信・・挙げれば切りがないが、どうも現代教育とこれまでの社会を支えてきた様々な仕組み,つまり「システム」が変化の激しい社会に対して時代対応性を失いつつあるように思う。
マインドコントロールされた教育であれ経験的に修得した知識、何れにしても、これらを駆使して自分自身について【私はどう在るべきか】も考えることは出来る筈です。自分が学習してきた事柄を単に「文字列の羅列」と考えるか否かは今後のあなた自身の人間形成を方向付ける大切な条件となってくることだけは確かです。

5.穏な心・安らぎの心は自分を大きくする
穏かな心とは、どんな状態の心なんだろうか。これを書いている本人さえも、戸惑う事がしばしばでもある。
「穏やかな心とは」ついつい定義したくなるのは私だけだろうか。得てして、日本人は特に役人は最初に定義をしたくなる種族らしい。概念として「のんびりとした状態」ということで書いてみることにした。

のんびりする事は良いことであり、心の休養になり、心身をリラックス出来る効用があることは誰でも知っている処であるが、のんびりした状態へ「心を意のままに導く」ことはかなり術を必要とする。

人は鉱物的な機械ではないのだから、余程強靱な精神力と肉体を備えていない限り24時間を間断なく働くことは出来ない。例えば、職場である商品の販売に関する企画についてのデスクワークに没頭しているがアイディアが浮かばず時間だけが経過しているとしよう。

彼の頭の中は【売る・売るためには・売れる・売らなければ】という単語が乱れ飛んでいるに違いない。過熱状態・パニック状態の頭脳を正常な思考が出来る状態へ戻す方法には色々ある。風小僧がよく使う手法の一つに【音の手法】がある。

誰でも実験的に経験出来ることであるが、例えばテレビコマーシャルは【映像と音】の組み合わせで放映されている知っていると思います。時に音は音楽であったり言葉であったりしますので幼児がコマーシャルの音が聞こえた瞬間に振り向いて反応することはよくあります。

そこで、音を消してみてください幼児はもっと聞かせて欲しい或いは無反応状態になります。我々大人も音を消したコマーシャルを見ると色彩・形状・今まで気付かなかったこと等を発見する事が多くあります。つまり音という刺激から解放された瞬間、ホッとした【のんびりした】状態を確保することで次への思考エネルギーが回復したのです。【音の手法】の一つに次のような方法もあります。

CDプレーヤーで連続性のあるモダンジャズを大音量(周囲の話し声や雑音が全く聞こえなくなる音量)で1分以上ヘッドフォンを通して聞く。
そして、スイッチを切った瞬間、今までパニック状態の頭脳はシーンと静まり、過熱状態から脱することが出来ることが多い。くつろぎ(のんびりした)状態を一時的に創り出すことによって、次へステップするエネルギーを回復する事が出来る。

くつろいだ(のんびりした)状態はエネルギーを充電する事が出来るというわけです。新しい思考能力が生じるということは、今まで気付かなかった新しい問題解決方法を見出すことにも繋がってくる。
つまり思考能力を増大させ、問題を受け入れる窓口【人間の幅】を広げることになる。


続きます