南海地震は再び起きるのか

政府の地震調査委員会が12月7日、東海から近畿、四国にかけた広い地域で震度6弱以上になるとする予測震度の試算を公表した。
東南海地震と南海地震は南海トラフから日本列島下に沈み込むフィリピン海プレートに陸側プレートが押され,はね返って発生する。東海地方から四国に掛けてマグニチュード8クラスの巨大地震が予測される。
発生する周期は100年から150年と考えられている。1707年の宝永地震は東南海地震と南海地震が同時に発生し、死者が2万人以上出ている。
 1944年の東南海地震はマグニチュード(M)7.9で、東海地方を中心に死者・行方不明者1223人、
津波の高さは熊野灘で6〜8メートルに達した。2年後の南海地震(M8.0)は1330人の犠牲者を出し、
九州南部まで津波被害を受けた。
両地震が同時発生した場合の規模はM8.5と予測され、比較的長い周期の揺れが津波とともに押し寄せる。京都大防災研究所の入倉孝次郎教授は「長周期の地震に弱い高層ビルが林立し、地盤も軟弱な大阪圏の被害が特に心配だ」という。

東南海地震の範囲の震度
知多(愛知県)、津(滋賀県)、和歌山、串本(和歌山県)、
浜松(静岡県)、五条(京都府)、震度6弱以上の揺れとなる可能性
南海地震の範囲の震度は
五条(京都府)、名古屋、津、堺(大阪府)、高知、松山市、
徳島が震度6弱以上の揺れに見舞われる可能性







有史以来記録として残っている南海地域関係の地震・津波の主なものは約18件ある。
 以下、大方町史(38年発行版)
@ 天武天皇白鳳12年10月14日(684年11月29日)
A 仁和3年7月30日(887年8月26日)
B 正平15年10月14日(1160年2月3日)
C 正平16年4月24日(1161年8月3日)
D 応永14年12月14日(1408年1月21日)
E 明応7年8月25日(1498年9月20日)
F 永正7年8月8日(1510年9月2日)
G 永正17年3月7日(1520年4月4日)
H 慶長9年12月16日(1604年1月31日)
I 貞享3年8月16日(1686年10月3日)
J 宝永元年月日無記(1704年)
K 宝永4年10月4日(1707年10月28日)
L 安政元年11月4日(1854年12月23日)
M 安政元年11月5日(1854年12月24日)
N 明治32年(1899)3月7日
O 明治42年(1909)11月10日
P 昭和19年(1944)12月7日 東南海道地震
Q 昭和21年(1946)12月21日 南海地震
海洋科学技術センター提供  南海トラフにおける海溝型巨大地震


1944東南海道地震
[発生日]昭和19年12月7日
[マグニチュード]7.9
[震源域]愛知県〜三重県沖
[被害]死者約1,300人,負傷者約3千人,建物全壊約1万6千戸,半壊約3万7千戸(出典:飯田1955による)
[記事]愛知県,静岡県,三重県の埋立地と沖積地盤で被害が多かった.三重県では津波による被害も大きかった.
以上18件が歴史的に主な地震・津波であるが、個々については説明を省き、大方地方に関係の深い白鳳・慶長・宝永・安政及び南海地震の概要について記してみる。

@ 天武天皇白鳳12年10月14日(684年11月29日)白鳳の大地震
日本書記の記するところによると
「人定まるに及んで大地震あり、挙国の男女わめき叫びて東西を知らず。山崩れ河湧き、官舎・民屋・寺塔・神社の破壊されるもの算なく、人畜の死傷おびただしく、伊予の温泉は没して出なくなり、土佐の南方の田苑五十余万頃沈んで海となった。」ある。

*1頃は地籍の単位で
50万頃は250万坪(寺石正路説)或いは50万頃は50万町(15万坪)(中山巌水の土佐編年記事略)もある

とにかく広大な地域に渡っての異変であ。
その日の夕景には遥か東方に鼓の音のような鳴動があったが、それは伊豆島の北・西二面に三百余丈の土地が隆起して一つの島となったと伝え、さらに11月3日には土佐の海辺に大津波が寄せ、多くの運調船が失われたとも記されている。
陥没した地面は、高岡郡須崎の南方で、黒田郡と呼ばれたとの伝説があり、またそれは桂浜の南方であったとか或いは室戸崎の沖だとも言い、更に、東室戸崎から西足摺崎に及ぶ今の土佐湾一帯で黒田・黒土・上鴨・下鴨の四郡26万石に及ぶものだったとも伝えられる。
これ等の伝説の押し広めていくと、大方町の南方の海湾もその時の陥没によって出来たものとなり、「長泉寺記」にあったと云われるこの寺が、ずっと西南方から避難して入野本村に移動してきたと言う話にまで発展する事にもなるが確証がなく、ついに一つの口碑に終わりそうである。

H 慶長9年12月16日(1604年1月31日) 慶長の大地震
慶長9年12月16日本島南部から四国にかけて大地震があったという。当時は山内一豊が入国して間もない頃で記録が備わらず、後年谷秦山・奥宮正明などの筆記によるものが存するに過ぎない。それ等によると、その年には7月と8月、うるう8月に猛烈な風雨洪水があって、12月16日の夜急激な大地震が起こり、夜半に至って大潮が入り、浦々に被害が多く、中でも安芸郡方面に甚しく、死人も数百人に上ったとある。
大方に関する記録の著しいものがなく詳細を知る由もないが、そうとう激しかったろうと想像される。

K 宝永4年10月4日(1707年10月28日) 宝永の大地震
この大地震は,西国・中国・畿内・東海の30余國に及び、日本の南部は殆ど大小の関係があった。
震源地は本島南部の太平洋海底と想像され、「この日白昼正午過ぎ、諸人広場に走り出ずるに、五人、七人手に手を取り組むといえども、うつ向けに倒れて、四間の内を転がり、あるいは仰向けになり、逃げることも容易ならず」と万変記に記されてある。
藩から幕府へ提出した記録には、藩内での死者1844人、負傷者526人、流失家屋11170軒、倒壊家屋4866軒、田畠の損害45170石、などとある。この他牛168頭、馬374頭、流失破損した船舶768艘、米穀の流失2万4千2百42石、などが挙げられている。

L 安政元年11月4日(1854年12月23日) 安政の大地震
11月4日関東地方に強震があり、土佐でもこの日の朝方振動を感じ、翌5日午後4時過ぎになって突如激震が起こり、ついで大津波が来襲した。
前者の震源地は東海道沖であり、後者の震源地は南海道沖で、あったとされたので、学者はこれを二つとして扱っている。大方地方に著しい関係を持ったものは後者である。
ただ、前日にもいわゆる鈴浪として沿岸に異常のあったことは事実で、小野桃斎(大方町伊田)の書に「嘉永7甲寅年11月4日午前7時極々微小の地震ありて漣(本義はさざなみ。ここでは「すずなみ」の意に用いたらしい。)と云ふもの入来り、磯辺に干したる物など流るるとて騒ぎたり」とあり、又、池内寿之助(大方町鞭)の記したものにも「11月4日、川の水大分狂い附き候へども何の気もつき申さず、只不思議なるは海の汐早朝より沖へ引いては又浜半ばより上へ迄参り候事幾度となく、諸人不審に思い、是は鈴浪とやら申す者と申候」とある。
しかしこの時の鈴浪は東海道中心の大地震に伴って起った津浪の余波が、大方地方の沿岸に波及したものであって、別な原因で翌5日に土佐を中心として起こった大地震に伴う大津浪の余波は、逆に遠く東海道にも及んでいる。
さてこの地震の経過はと云うと、老助七(大方町蜷川)の手記に
7年寅の11月5日昼七ツの下刻、大地震ゆり出し山川もくづるるやうなる物音致し、石かけ・山のくづるる音実に言語にに述べ難き有様なり。夫より直ちに大潮入来り、半時程之間に潮の差し引き5・6度有り。初の潮少く弥増ふとり、しまいの大潮こざき(蜷川の下ばなれの地)のすそきせがいち(同)井手中迄来る。(中略)地震はその夜五ツ時、又初のゆりより少しほそきゆり一度有りてより後、ほそきゆり幾度と数を知らず。又三日目同月7日昼昼四ツの下刻に二度目のゆり程のゆり有之。
そりより昼夜25度、四日目には22度、五日目には9度と申すやうに次第々々ににゆり遠くなり、卯の正月頃には日々一度又は二日に一度と申すやうになり候。然るに右大ゆりより家の内に居る者一人なもく、所々の田畑に、下にはしご抔を置き、その上へ雨戸を敷き、家は物干しざわ又はおうくさすなどにて作り、その上へむしろを張り、7・8日之程矢番(のじくと振りがなあり)致し、如何様物さびしき事言ひ尽しがたき次第也。(中略、避難の諸家人名等)都合14軒の家内一小屋になり、人高60余人、九死に一生は此の時なりと恐れぬ者は無御座候」と記されてある。

P 昭和19年(1944)12月7日 東南海道地震 (M7.9)
紀伊半島東部を中心に強い地振動が生じ、三重県の津市などで震度6が観測された。また伊豆半島から紀伊半島にかけて太平洋沿岸で津波が発生、熊野灘沿岸で6〜9メートルの高さ、尾鷲市で最大9メートルの津波が襲い掛かった。津波の被害は三重県・和歌山県にに集中した。地振動による被害を含めて、近畿地方では三重県が特に被害が大きく、周辺の滋賀県・奈良県・和歌山県・大阪府・兵庫県にも被害が生じている。又、震源域から離れていても、沖積地や埋立地などの地盤の柔らかな地域(名古屋市)では大きな被害が生じている。
M6以上の余震は12月12日までの5日間に4回観測されており、最大の余震は12日に発生したM6.4で、それ以後M6以上の余震は観測されていない。地殻変動観測によると東南海地震に伴って紀伊半島東部の海岸は30から40センチ沈降した。

Q 昭和21年(1946)12月21日 南海地震(M8)
安政地震以来92年目の大地震といわれ、その發震時刻は正確に言うと同日午前4時19分、紀伊半島南西部から四国の太平洋沿岸を含む南海トラフ沿いの地域を震源域として発生したプレート間地震である。
津波は静岡県から九州にかけての太平洋沿岸を襲い、三重県や和歌山県の沿岸では、津波の高さ4〜6メートルに達した。
余震活動を見てみると、M6以上の余震は翌年2月までの二ヶ月間に5回観測され、最大の余震は、本震の約1年4ヶ月後の1948年4月18日に発生したM7.0であった。地殻変動観測によると、南海地震に伴って、紀伊半島や室戸岬では地面が隆起した。1944年の東南海地震と1946年の南海地震とを合わせた隆起の量は潮岬付近では約70センチであった。
この地域では、過去何回も繰り返し地震が発生してきたので、それらの地震と区別して、昭和の東南海地震及び昭和の南海地震と呼ぶこともある。
被害状況
地区死亡行方不明負傷倒壊家半壊家流失家浸水家焼失家道路決壊田畑被害船舶流失被災者
安芸郡
30
96
330
1214
700
9719
16
7712
香美郡
15
54
290
60
92
1070
19
1166
長岡郡
15
42
93
383
1473
1425
土佐郡
高知市
231
334
1689
2822
3286
18
3722
33
42500
吾川郡
23
75
273
33
350
1157
高岡郡
61
155
438
1622
550
2267
271
6857
232
19851
幡多郡
320
1171
2739
3032
700
185
288
16803
23
19446
合計
670
1836
5418
9906
566
7013
196
716
39994
323
93257





地震は突然襲ってきます。
地震が起きたとき、どう行動したらよいか
地震の心得 10ヶ条

1.グラッときた時 家にいたら
 (1)わが身と家族の身の安全!
テーブルなどの下に身をふせよ
大揺れの時間は1分程度です。この間の自分と家族の身の安全を図ることです。
まず、重心の低いじょうぶなテーブルの下などに身をふせます。
テーブルの場合はその脚をしっかりつかまえておきます。
テーブルなどがないときは、とにかく頭をざぶとんなどで保護することです。

 (2)すぐ火の始末! 火が出たらすばやく消火!
小さな地震でも火を消す習慣 声かけあって初期消火

大地震時には、消防車による消火が期待できない場合もあります。
そのため、一人ひとりの火を消そうという努力が、地震による被害を最小限にくい止められるかどうかの重要なポイントとなります。

普段から小さな地震でも火を消す習慣を身につけておきましょう。
家族はもちろん、隣近所の人びとと協力しあって初期消火を行うことは、大火災にしないために極めて大切なことです。
地震の時、火を消すチャンスは、3度あります。
1度目のチャンス
大きな揺れがくる前の小さな揺れの時です。
その小さな揺れを感じた瞬間、直ちに「地震、火を消せ!」と声をかけ合い、使用中のストーブやガスコンロなどの火を消します。

2度目のチャンス
大きな揺れがおさまった時です。
大きな揺れの時に火を消しに行くと、コンロやストーブの上のやかんなどが滑り出して大変危険です。
大揺れがおさまったら、もう一度「火を消せ!」と声をかけ火を消します。

3度目のチャンス
出火した直後です。
たとえ出火しても1〜2分くらいなら、消火は十分に可能です。すぐに消火できるよう、
消化器や三角バケツを火を使用する場所の近くにいつも置いておきましょう。

 (3)あわてて外に飛びだすな!
家の外は危険がいっぱい 安全を確かめて
日本の建物は、耐震性が配慮されているので、倒壊する心配は極めて少ないと考えてよいでしょう。
地震が起きたからといって、あわてて外に飛びだすとガラスや屋根がわら、看板などが落ちてくるので大変危険です。
また、ブロックべいや自動販売機などが転倒するおそれがあるので、これらのそばに近寄ってはいけません。

 (4)戸を開けて出口の確保!
考えておこう非常の際の脱出方法
鉄筋コンクリート造りのマンションなどで、地震の揺れによってドアがゆがみ開かなくなって、部屋に閉じ込められるという例がありました。
戸を開けて出口を確保しましょう。
万一、閉じ込められたときのことも予想して、脱出方法についても日ごろから考え、はしごやロープなどを用意しておきましょう。

2.グラッときた時 外にいたら
屋外では頭を保護し危険なものから身をさけよ! 注意しよう、落下物やブロックべい

大地が大揺れに揺れ、立っていられなくなると、何かにすがっていたくなる心理がはたらきます。
手近にある門柱やへいがその対象になるでしょう。しかし、一見丈夫そうなこれらのものが実は危険なのです。
宮城県沖地震(1978年)では、ブロックべいや門柱の倒壊により、多数の死傷者が発生しました。

ブロックべいや門柱には近寄らないようにしましょう。

繁華街やビル街では、最も危険なのが、窓ガラスや看板などの落下です。

手やカバンなどの持ち物で頭を保護することが肝心です。

また、自動販売機が転倒することもあるので気をつけましょう。
ビル街などにいるときは、状況に応じて、建物のなかへ入ってしまう方が安全です。

3.グラッときた時 デパートや劇場、地下街などにいたら
係員の指示にしたがって行動を! パニックを起こすな、まきこまれるな

デパートや地下街など、大勢の人が集まるところで、何よりもこわいのは、パニックです。こういう場所にいる時は、従業員や警備員など係員の指示に従って行動しましょう。
地下街は、地震に対しては比較的安全だといわれています。また、停電してもすぐ非常灯がつくようになっているので、落ちついて行動しましょう。
火災が発生すると、すぐに煙が充満します。

煙を絶対に吸わないように姿勢を低くして避難します

4.グラッときた時 エレベータに乗っていたら
安全を確認して最寄りの階ですぐ避難! 閉じ込められても冷静に

地震や火災の発生時には、エレベータを使用してはいけません。

もしエレベータに乗っているとき地震を感じたら、操作盤の行き先階ボタンを全部押し、止まったら、すばやく降りて、安全を確認して避難しましょう。
高層ビルや近所の建物のエレベータには、管制運転装置がついています。地震発生時には、それが自動的に作動し、エレベータは最寄りの階に止まるようになっています。
万一閉じ込められたら、インターホンで管理室に連絡して救助を求めます。

5.グラッときた時 電車に乗っていたら
パニックに注意 まず身の安全を! ショックで倒れないよう固定したあるものをつかめ

大きな衝撃がおそってくるので、握り棒などをしっかりつかんで倒れないようにしましょう。その後は、車内放送にしたがって冷静に行動しましょう。勝手な行動はパニックのもとです。

震度5の地震になると電車は一時運転を見あわせます。停車したからといってあわてて外に出るのはケガのもとです。
地下鉄の駅では、停電になっても、非常灯がつくようになっています。あわてて出口に殺到するようなことは、最も危険でパニックの原因になります。構内放送にしたがって落ち着いて行動してください。

6.グラッときた時 自動車を運転していたら
左に寄せて停車 規制区域では運転禁止! 勝手な運転は混乱のもと カーラジオの情報で正しい行動

大地震が起きると、パンクしたような状態になり、ハンドルをとられ運転は困難になります。十分注意しながら交差点をさけて道路の左側に寄せて停車します。

避難する人や、緊急自動車が通行できるよう、道路の中央をあけておきます。

都心部のほどんどの道路は、全面通行止となります。カーラジオの情報に十分注意し、付近に警察官がいれば、その指示に従います。
避難が必要なときは、火災をひきこまないように窓を閉めて、エンジンキーはつけてまま、ドアロックしないで、その地域の人々と行動をともにしてください。

7.グラッときた時 山や海にいたら
山くずれ、がけくずれ。津波に注意! 危険地域ではすばやく避難

山際や急傾斜地では、山くずれや崖くずれが起きるおそれがあるので、ただちに安全な場所に避難しましょう。
海岸では津波のおそれがあります。地震を感じたり、津波警報が出されたら、区市町村やラジオ・テレビなどの情報に注意して、速やかに安全な場所に避難しましょう。

8.ケガをした人がいたら
みんなで助け合い 必要なら応急救護  身につけておこう応急手当の知識

大地震が発生した場合、多数のケガ人が発生することが予想されます。
停電や交通渋滞などにより救急隊、医療機関も通常どおりの活動はできません。
災害時には、ケガ人などの身近にいる人が適切な応急手当てを行う必要があります。日ごろから応急救護の知識を身につけておきましょう。

9.避難は最後の手段
避難は徒歩で、持ち物は最小限度に! 避難勧告が出たら協力しあって避難しよう

都や区市町村では、避難場所を指定しています。
地震による火事が大きく燃え広がって、人命に危険が迫る場合などに避難します。避難の方法は、防災市民組織や町会などの単位でリーダーや警察官などの誘導のもと、持ち物は最小限度に徒歩で行うのが原則です。自動車や自転車で避難するのは絶対いけません。
病気の人などの避難には、地域の人々の協力が不可欠です。日ごろから近所の人々と、避難の仕方など、あらかじめ話しあって決めておくことが必要です。

10.正しい情報で正しい行動
デマで動くな! ラジオや防災機関からの正しい情報にしたがって行動を

大地震時には、人々は心理的に動揺しています。パニックを防ぐには、一人ひとりが正しい情報によって冷静に行動することが、極めて大切です。
携帯ラジオなどで正しい情報を把握します。
区市町村や警察、消防などの防災機関から直接得た情報を信頼し、決して無責任な人のうわさなどにのって行動してはいけません。
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