大方町の温泉
現在温泉として利用されている鉱泉は、伊田岬に1ケ所ある。伝え聞くところによれば古文書からの推量によるものであるらしい。中村市の大西何某が掘削に成功したものである。
昭和36年編集の大方町史第6編 諸録 二、鉱泉に次のような記載がある。

下馬荷鉱泉
字湯屋にある。弘化4年(1847)の頃川村弥三平の開始という。現在、川村繁一方のものとなっている。弥三平は上田の口から転住して来た人で、その頃は風呂桶を用いて営業し、宿泊の設備もあって、遠く渭南方面からの湯客もあり、相当繁盛したという。弥三平の後、音次、文次郎がこれを継いで明治20年頃に及んだが農事繁多のため廃業した。鉱泉は昔に変わらず流出し川村方では随時汲み取って使用するという。湯本のそばに「湯八幡」と称する小祠がある。湯本を守護する神を祀るのであろう。
御坊畑鉱泉
字古畑にある。起源は未詳であるが明治34年(1901)前後の頃に佐野弘次の父がしばらく湯屋を営業したことがあるという。当時は遠方からも相当の入湯客があり、宿泊の設備もあったという。
(弘次八才の頃)

大方町には未だ発見されていない古文書の類が多くあるのではないだろうか。古文書は一見しても内容が読めず、故事来歴の類に精通している者でないと解釈が出来がたい場合が多いため葬り去られることが多い。大方町の歴史をこれからも発掘してほしいものである。


古文書所在調査
 先人たちの生活や足跡を知ろうとするとき、その手がかりを示してくれるのが江戸時代に名主や組頭など
の村役人をつとめた家の文書が収蔵され、これも調査研究の利用に供されています。村役人の家には、今日
の土地台帳に当たる検地帳、徴税令書である年貢割付状、その受領書としての年貢皆済目録、町・村勢要覧
に当たる村明細帳、村の財政を示す村入用帳、戸籍謄本台帳である宗門人別改帳、人の移動証明通知に当た
る人別送り手形等々は、いずれも今日の市町村役場における行政遂行のための文書と同じ役割を持つもので
した。
これら歴史を紐解く紙に書かれた前近代の資料を一般的に「古文書(こもんじょ)」と呼んでいますが、
近年、こうした「古文書」は急速に散逸していく傾向にあります。
資料の劣化(カビ・虫損)や都市化の波によって保管場所を失った「古文書」が単なる紙屑として処分され
ていくケースも少なくありません。もし、皆さんの家で大掃除や新築のため家の取り壊しの際、意味不明の
ものがあった場合は大方町の教育委員会までご連絡くださいますようお願いします。

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