千代が淵伝説大方町史昭和36年編集より
宮(尊良親王)の仮ご殿の跡といわれるところには五段になって石垣の崩れを残してあり、其所には数百年来さながらの落葉が積み重なり、そぞろ陰惨の気が昼なお暗い密林の間に漂っており、音する物とては渓水のせせらぎが岩をかむ響きだけであって、鬼気の迫り来るのを覚える。
(今は森林の処理により余程形相を異にする)

この王野では次のような伝説が残っている。
それは、宮に供御を差し上げるために、遠く有井川の庄司の許から食物をこの僻地まで毎日運んで来た可憐な庄司の婢千代という者があった。

千代は庄司の命によって、かよわい少女の身で毎夜深更人目をしのんで庄司の館を出て、一番どりの鳴くまでに王野の仮ご所に着いて一日の供御をささげ、往復六里あまりの険路を館に帰った。
可憐な千代は時刻を知るためにいつも鶏をふところに入れて往復したと云はれるが、或る夜供御持参の際、まだご殿に達しない中にふところの鶏が暁を告げたので、千代は自分の任務を果たされない自責の念やる方なく、哀れにも悲壮な決意をして、郷の谷川の淵に身を投じてあたら花のつぼみを散らしたといわれる。

今、王野宮の跡の東南2・3百bばかり下に「千代が淵」の名を止めたところがある。当時宮は千代のことを聞かれてご痛心になり、可憐な千代のためにその亡骸をここに葬り、毎夜その墓前にひざまづいて日頃の苦労に感謝され、冥福を祈られた。というのである。
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大方町史昭和36年編集「尊良親王と大方」より抜粋