魅 館 果 汁

<00年3月上旬>


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3月6日(月)

 星野とタラスコはよかったけど、試合は2-8で西武。

 今日は同和問題研究大会というのに出席した。 あまり関わりはないのだけれど、オブザーバーという立場で参加してほしいという高校からの依頼である。 そこで来日20数年というアメリカ人講師の講演を聞いた。 差別のルーツとその解決といった内容の講演である。 その中で気になったのが、教育する上で子供たちは何に影響をされるのかという話。
 他人の言葉がまず挙げられる。 赤信号では渡ったらいけない、とかいう注意である。 しかし、これは影響が比較的小さい。 次に、他人の行動である。 実際に赤信号で渡っている人を見ると、言葉の影響は弱められる。 それが注意した本人であるとなおさらだ。 しかし、これよりももっと大きな影響を与えることがある。 自分が行動したときの周囲の反応である。 赤信号で渡っているのを誰かに見られたとき、注意されるか、何も言われないか。 子供たちはこうやって社会から学んでいくのだ。
 この話は教育の原点でもあるが、ついつい忘れがちになる。 ふと初心を思い出させてくれる講演であった。
 それにしても、同和という言葉にはいまいち馴染めない。 同胞一和の略語だというが、同胞という言葉自体に仲間意識が感じられ、逆にいえば内と外を分ける意識とも受け取れる。 考え過ぎなのかもしれないし、偏見なのだという気もするが、未だに閉ざされたイメージがつきまとうのも同和という言葉の影響があるように思う。 人権という言葉があるのだからこれを使えばいいと思うのはどこか甘いのだろうか。


3月5日(日)

 昨日のお返し、阪神6-3オリックスでオープン戦初勝利、ハンセルとタラスコは使えそう。

 久々に本屋に行った。 最近は引っ越しで疲れて帰宅してから日記を書いてすぐに寝てしまうので、読書が進んでいない。 積読本を増やす結果になるのはわかっていながら、手が伸びる。 『リサイクルビン』(米田淳一)『無明の闇』(椹野道流)『モラル・ハザード』(伊野上裕伸)『ピタゴラスの時刻表』(吉村達也)、そして上遠野浩平の『ブギーポップ・イン・ザ・ミラー パンドラ』『ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王』を買う。 そういうわけで今日は日記もそこそこに読書にいそしもう。 でも、休日出勤してたのだけれどね。


3月4日(土)

 12・3・4プレステ2発売に徹夜で並ぶ人たちって……。

 オープン戦2試合目はいいところなしで、オリックス相手に2-7の大敗。 先発ラミレズは、制球力が持ち味なのに3回投げて5安打4四球4失点1ボーク1暴投。 川尻も2回を3安打2失点。 打撃陣も5安打とふるわない。 桧山と田中が2安打と奮起を見せてくれた程度で、期待の外国人は不発。 というか、タラスコは3回途中からマライア・キャリーのコンサートへお出かけしているのだ。 彼の婚約者がかつてマライアのバックダンサーをしていたそうで、来日しているマライアに挨拶するために大阪に直行したという。 野村監督は、明日の試合には出るのだから問題ないと言っているが、信じられない待遇だ。
 スポーツ紙的な噂であるが、浮気発覚で沙知代夫人に頭が上がらなくなった監督が、彼女と息子のケニーが連れてきた外国人の所業に口を出せないという話もある。 カツノリはもちろん、とあるドラフト指名選手もサッチーの口出しによるものだとか。 本当のところはどうだかわからないし、ある意味どうでもいいことなのだが、選手がやる気をなくし、ファンが嫌気をさすようなことにだけはしてほしくない。 今日みたいなゲームをしていると、何を言われるかわかったものじゃない。 頼むから、しっかりしてくれ野村阪神。


3月3日(金)

 モモモモモモモモ桃の日だ。

 桃の節句である。 昔に比べて季節を感じることが少なくなっただけに、こういう行事は貴重である。 といっても、うちは男兄弟だけだったので3月3日はせいぜいおやつに雛あられが出る程度であった。 もちろん、雛人形もなかった。 桃の節句に雛人形を飾るという習俗は江戸時代に始まったとされているそうだ。 平安時代、貴族家庭では紙人形を使った遊び「ひいな遊び」があったが、節句とは関係なかった。 一方で、季節の変わり目に神に供物をして安泰を祈る信仰があって、3月には人の形をした形代を水に流す神送りという行事があった。 この2つが融合したのが現在の雛祭りの原形であろうとされる。
 節句には5つある。 1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき)、9月9日の重陽(ちょうよう)の五節句である。 それぞれ、七草、桃の節句、菖蒲の節句、七夕、菊の節句とも呼ばれている。 また、年初の願い、女児の幸せ、男児の幸せ、夫婦の愛、老年の寿に対応しているそうだ。 さらに、人日には七草の粥、上巳には桃花餅(草餅)、端午には五食のちまき、七夕には索餅(素麺)、重陽には栗飯・菊酒、というように何を食べるかも決まっているという。 実は、節句というのはもともと日常生活の節目となる日をいうので、各地にいろいろな節句があったそうだ。 宮廷では節会(せちえ)といい、元日節会、踏歌節会などがあった。 おせち料理もこれから来た言葉なのだ。 五節句は江戸幕府が三河の習俗を取り入れて定めたという。 この日は農作業を休む習慣があった。 これを受けてか、明治3年に祝日を定めたときに人日を除く4つも祝日とされた。 明治の初め、今日はお休みだったのだ。 ところが、旧暦から新暦に変わった明治6年に祝日も改められ、どれも採用されなかった。 まあ、このときは紀元節だの神嘗祭など、天皇主権を思わせる祝日だけになってしまったのだから仕方ない。 そして昭和になって終戦を迎え、桃の節句と端午の節句と合わせて子供の日という名称で5月5日が祝日とされた。 現在の国民の祝日の始まりである。 それにしても、結局、紀元節は建国記念日、神嘗祭は勤労感謝の日として残ったというのが釈然としない。
 季節感を味わうというのは心にゆとりがないとできない。 忙しいばかりで不景気で気持ちがささくれ立っているとそれどころではないのだ。 何かといえば金。 高価なプレゼント。 今日も雛祭りをある種のイベントとしてあちこちでプレゼント攻勢が行われているのかもしれない。 そのうちに、モノの節句と呼ばれるようになるというのも、あながち笑い話にならないような気がするのである。


3月2日(木)

 職場はLAN停止中にて情報難。

 引っ越しで疲れきっている。 化学屋なので、特に薬品の移動には神経を遣う。 毒物は水銀しか持っていないが、酸やアルカリを始めとする劇物は少なくない。 薬品庫からリストを照合しながら薬品を取り出してケースに詰め、見落としのないように運び、鍵の掛かる部屋に一時保管する。 それから薬品庫を移動して据え付けた後、再度リストを照合しながら薬品を戻して施錠する。 1本でもなくなったらえらいことだ。 数100本の薬品のすべてをこうやって移すのだから、精神的にも疲れる。 部屋のレイアウトも実際に物を入れてみると見直さないといけない。 コンセントの位置が微妙にずれていたり、配電盤が思わぬ大きさだったり。 自分のところだけではない。 会議室などの共用部分の荷物を運ぶ手配をする。 予算が思ったより足りないので、何を買って何を落とすかの折衝をする。 新しく購入した机や椅子の数が合わないので、各部屋を回って確認作業をする。 そんなときなのに、年度末に向かっていろいろと仕事も増えている。 出口の見えない会議で時間がつぶれてしまう。 悪さを仕出かした学生の説教をする。 なのに、自分が引っ越しを終えたらのんびりしてしまって、共通部分を手伝おうともしない人がいる。 会議で決めた引っ越しに関する約束事を、まあええやんかとちっとも守ってくれない人がいる。 ほかにも、ここでは書けないような新潟県警もびっくりの杜撰なことをやってる人がいる。 そんなわけで疲れとともに愚痴も溜まっている。 少年の実名報道さえ裁判で認められたのだから、ここで公開するのも悪くないが、かえって疲れそうなので今日はもう寝よう。 お陰で本もゆっくり読めないぞ。


3月1日(水)

 READ MEに参戦!

 引越しなどで冷蔵庫を移動した後は、1日は電源を入れずに置いておく方がよい、という話を聞いたことがあるだろうか。 今日、新しい部屋に冷蔵庫が届いたのだが、そのときに納入にきた業者が言っていたそうなのだ。 直接聞いたわけではないので、騙されてるんちゃうんか、と思ったが、どうやら本当らしい。 以前にそんな話を聞いたことがあるという同僚もいて、なぜなんだ、ということになった。
 そもそも冷蔵庫はどうして冷えるのだろうか。 最近の冷蔵庫はどうなのかよくわからないが、ドアを開けて奥を見ると金属製の冷却板がある。 その板の内部にはうねうねと管が通っている。 この管は背面の放熱板を経由してコンプレッサに通じている。 コンプレッサは圧縮機ともいい、冷蔵庫がときおりウィーンとうなりをあげる音源でもある。 この管の中には冷媒が入っている。 霊媒ではない。 どっちも周囲を冷やす点では似たようなものだが、もし霊媒だったらコンプレッサの音もウラメシヤーとなるところだ……。 あ、冷えてもうた。
 冷媒としてはこれまではフロンガスがよく用いられてきた。 オゾン層破壊問題で代替フロンにかわりつつあるが、役割は同じである。 気体状態の冷媒をコンプレッサで圧縮すると温度が高くなり、背面の放熱板に流れて外部に熱を放出し、液化する。 これを冷却板に送ると気化するため、熱を奪って冷蔵庫内を冷やすのである。 注射の時、消毒用アルコールで腕を拭くとアルコールが蒸発して熱を奪い、冷ややかに感じるのと同じである。 冷媒は再びコンプレッサに送られ、循環するわけだ。 このしくみを押さえた上で、なぜ動かした冷蔵庫は1日放置しておく必要があるのかを考えてみた。
 「一番怪しいのは冷媒やろ」
 「霊媒の方がもっと怪しいで」
 「それは違うって、さっき言うたやろ」
 「似たようなもんやって言うたくせに。 とにかく、冷蔵庫を運んどる間に揺れたら霊媒の機嫌も悪うなるやろ。 それを落ち着かせてやらな霊も呼べんもんな」
 「そやから霊媒は入ってないって」
 「霊媒も1日寝かせといたら、熟成されてええ感じになるやろからな」
 「ん? 冷媒を熟成したら……。 あかん、あかん。 一瞬、そっち方面に引き込まれそうになった」
 「でも、霊媒って帰化するんやね。 冷蔵庫の中でどこの国の人になってんのやろ」
 「気化や、気化。 気体になるの!」
 「北井になるってことは、元は日本人やなかったわけ?」
 「苗字やないって」
 「循環するんやから、何べんも帰化することになるで。 そのうち、今自分が何国人かわからんようになるはずや」
 「わかった、わかった。 冷媒は関係ないわ。 きっとコンプレッサの問題や」
 「コンプレッサって、要するにモーターやろ」
 「そやね。 モーターでピストンを動かして気体を圧縮するわけや」
 「昔よう、モーターがもうたぁ、って言いよったよね」
 「関西弁でしか通じんやろ。 モーターがまわった、じゃ洒落にもならん」
 「多分、引越しなんかで電源を切られたら、自分がもう用なしみたいに思い込んでしまうからちゃうんかなあ」
 「冷蔵庫がコンプレックス持つかい」
 「あ、言われてもうた」
 「それに、もしそうやったら、丸1日も放っとかんとすぐ電源入れたりぃや。 ますますいじけるやん」
 「…… 大体、コンプレッサで引っ張るんに無理があるんや。 その辺、読んでから振ってくれな、ボケられへん。 ツッコミ失格や」
 「ボケんでええねん!」
 そんなわけで理由は結局わからずじまいである。 多分こうじゃないか、という想像がひとつだけある。 冷媒の圧縮中はコンプレッサの入口は低圧で、出口は高圧になっているはずである。 コンプレッサのモーターは、この圧力差に逆らって冷媒を送り出そうとするのだから、かなりの負荷がかかる。 冷蔵庫の電源を切ると、この大きな圧力差がついたままの状態になる。 モーターの起動時には普段よりも大きな電流が流れるため、このような大きな圧力差がある状態で電源を入れると大電流が流れてモーターが焼損してしまう怖れがあるのだ。 圧力差を小さくするためには、しばらく放置しておくよりないので、1日電源を入れずにおいておけという話につながったのではないだろうか。 新しく買ったときと、引越しなどで移動したときとは、同じ話にならないということにもなる。 果たして、この推察はあってるのか?



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