魅 館 果 汁
<00年4月上旬>
4月10日(月)
始業式であった。
残念ながら雨。
クラス写真は桜の下とはいかず、体育館にて。
こんな日の雨はうらめしい。
「桜もこの雨で散ってしまうねえ」
「でも、ひと雨ごとに春が近づくっていうし、明日はまた暖かいかもしれんよ」
「この雨はやっぱり桜の樹の下に埋められている死体の涙なんかなあ」
「何、それ?」
「ん?知らんのん、梶井基次郎」
「ハギモトジロウ?」
「コント55号混成バージョンかいっ!
ちゃうよ。
カジイ、モトジロウ。
桜の樹の下には死体が埋まってるって書いた人や」
「こわっ!
ホラー作家なんや」
「知らんのんか?」
「人の生き血を吸う血桜。
普段は薄紅の花を開いているのに、人を襲うと真っ赤な花を咲かせるわけ?」
「いや、だからホラー作家やないって」
「んー、でも桜の下に死体って気持ち悪いよね。
金が埋まってるっていうんだったら掘り返したるのに」
「そんな実も蓋もないことを」
「グラウンドには金が落ちてる……」
「何ボソッっというてんの」
「夢が埋まっているってのは、どう?」
「逆にありきたりやなあ」
「グラウンドには夢がある……」
「だから、ボソボソいうなって」
「桜の木の下には根っこが埋まっている」
「当たり前や!」
「桜の木の下には蝉の幼虫が埋まっている」
「だからなんやねん!」
「桜の木の下には大根が埋まっている」
「まさか桜島大根なんていうなよ!」
「桜の木の下には木下くんが座っている」
「埋まっとんちゃうんか!」
「桜の木の下にはワシントンが立っている」
「切り倒すなよ!」
「桜の木の下にはラネーフスカヤ夫人が立っている」
「チェーホフかい!
わかりにくいわ」
「桜の木の下で鍋を囲むとおいしい」
「桜鍋か!
もう季節外れや」
「桜の木の下に黄色い実が落ちている」
「♪ほらほーら、黄色いサクランボォ〜」
「♪去年のトマトは青くて堅かったわぁ〜」
「桜田淳子やんけ!」
「桜の木の下で真山徹が叫んでいる」
「ケイゾクか?
なんやの、わからん」
「あーさーくぅーらぁぁーー!!」
最近、会話がオチなくてさ。
4月9日(日)
入学式であった。
今年一番の陽気。
ちょうど満開の桜。
希望に溢れる顔。
迎える責任感。
森 博嗣氏のMori's Floating Factoryを久々に覗くと、本日の一言に思わずニヤリとさせられた。
曰く、「「さくら」があるなら「ちるら」があっても良いような」。
オヤジギャグといってしまえばそれまでだが、意外とそんなところに語源があるのかもしれない。
3月末から4月始めにサッと咲いてパッと散る。
まるで花が枝の中にみっしりと詰って春を待ち望んでいるかのようである。
そんな「花咲く蔵」がサクラではないだろうか。
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)
「久方の光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらん」(紀 友則)
「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃」(西行法師)
どれもよいけれど、西行法師の歌は格別である。
「桜の樹の下には死体が埋まっている」と言ったのは梶井基次郎だったか、坂口安吾だったか。
桜の花が美しいのは死体の養分を吸いとるからなのだという。
そうでなければあんなに華麗な花を咲かせるはずがない。
西行法師の遺体もどこかの桜の下に埋もれているのだろうか。
それも深山分けいったミヤマザクラの下でその白い花弁に命を与えていると思うのは情緒的に過ぎるかもしれないが……。
そこここで満開に咲き誇るソメイヨシノの下にも誰か彼かの死体が埋まっているわけだ。
西行のように桜を愛で、足繁く通い、その美しさと儚さの魔力にとりつかれてしまった人の身体なのだろうか。
いやいや、桜は樹下で花を見上げる人たちの魂のエネルギーを吸いとっているのだ。
春になると人々は桜に同化し、華やぐとともに命を奪われ年老いていくのだ。
春は狂いの季節。
花が散ってしまった後には呆然と佇む自らの姿しか取り残されていない。
『女囮捜査官』(山田正紀)シリーズ『A視覚』、『B聴覚』、『C嗅覚』、『D味覚』を揃える。
また、『歴史街道殺人事件』(芦辺 拓)、『されど修羅ゆく君は』(打海文三)、『葦と百合』(奥泉 光)、『幻想博物誌』(渋澤龍彦)も買う。
しかし、読む方は遅々として進まず。
4月8日(土)
サッポロ黒生のCMのニューバージョンはまたまたやってくれたけれど、季節を先取りし過ぎでないかい。
今月の「ダ・ヴィンチ」の特集は"恋 エッチ 同性愛 私が目覚めたこのマンガ"である。
興味深い見出しに引かれて読み始めた。
まずは目覚めキャラクターランキング。
初めて異性を意識し、恋やセックスに目覚めるきっかけをつくったマンガのキャラクターを読者にアンケートした結果をリストアップしたものだ。
トップは安田一平『俺の空』(本宮ひろ志)である。
これは中学校のときに後輩にコミックスを借りて初めて読んだが、確かに衝撃的だった。
学校ではかなり話題になっていた。
3位にはしずかちゃん『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)が入っている。
子供心にドキッとするシーンがないわけではなかったが、まさかこんな高位につけるとは。
10位の『ふしぎなメルモ』(手塚治虫)や11位の『キューティーハニー』(永井豪)はテレビアニメの印象が強い。
私はあまりマンガを読まなかったし、読んだとしてもスポ根ものやギャグマンガが多かったので、この手の目覚めにマンガはあまり貢献していない。
『めぞん一刻』(高橋留美子)にははまったが、目覚めという時期に出会ったわけではない。
じゃあ何が私を目覚めさせたのかといえば、父親や叔父がこっそりしまっていた週刊誌だろう。
父親の買っていたのは多分週刊現代とか週刊ポストといったもので、叔父のは平凡パンチや週刊プレイボーイである。
グラビアはもちろんだが、連載小説やマンガの方が今でも記憶に残っている。
ん、マンガじゃないか。
しかも、もろエロマンガだ。
それはそれとして、隠れてこっそり見ていたというのが忘れられない要因になっているんじゃないだろうか。
ミステリへの目覚めは子供対象のシャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパンであり、少年探偵団である。
ホームズものを読んでいた小学生のとき、夜中に両親が喧嘩して母親が泣きながら出ていってしまったことがある。
頭を冷やしにバイクで近所を一回りしただけだっただけだと後で聞かされたが、そのとき密かに目を覚ましていた私の頭の中にはホームズの物語の中で庭かどこかで人が首を吊るというシーンが渦巻いていた。
そのせいで父親に泣き付いて、夜の庭を懐中電灯片手に探してもらったことをずっと覚えている。
なんだかんだ言っても人が死ぬという場面は子供の心にしっかり食い込んでいたのだろう。
ミステリにおけるエッチな目覚めは松本清張だろうか。
中学生になっていたと思うが、父親の本棚にあった『眼の壁』を読んだのが清張との出会いである。
それ以後、次々と作品を漁っていったが、何故か『ゼロの焦点』は読ませてもらえなかった。
そう言われると読みたくなるのが人情というもので、こっそり本棚から取り出してきたのだった。
なるほどちょっとエッチなシーンが描かれていたのである。
うーん、でも目覚めというほどの刺激なわけでもないな。
ミステリよりも伝奇ものでそういう場面によく出くわしたと思うが、目覚めという意味では富島健夫や赤松光夫がラインナップに挙がっていたコバルト文庫だ。
これには結構はまった。
買う時はちょっと恥ずかしかったけど。
SFの目覚めは眉村卓に間違いないだろう。
伝奇の目覚め半村良かなあ。
ホラーははっきりしないが、荒俣宏のような気がする。
『帝都物語』をホラーってことにしてもらえるのなら、であるが。
ハードボイルドには目覚めていない。
あとはどうだろう。
そしてこれからはどうだろう。
新しく目覚めさせてくれるジャンルや作家に出会えることを楽しみにしておきたい。
『修羅の終わり』(貫井徳郎)をやっと入手。
『人喰いの時代』(山田正紀)も押さえておく。
4月6日(木)
上を見上げると桜がもう八分咲き、足下を見やれば黄色い中に真っ白なタンポポが!
KAWAIDE夢ムックの文藝別冊『Jミステリー』を読んだ。
といっても、精読したわけではなく、ざっと斜め読みしただけだが。
ぱっと目に入ったのが始めにある「Jミステリー・MAP ver.00」である。
これは上下に実験−伝統、左右に論理−情感を軸にとった平面座標上にミステリ作家たちを配置した図である。
縦軸の実験に近い位置を文学コア、伝統に近い位置を冒険・ハードボイルドコア、また横軸の論理よりを本格コア、情感よりをニュージャンル(SF、ホラー)コアとして整理しているのだ。
このマップ上で自分がよく読んでいる作家はどこにいるのかと探してみたところが、なかなか奇妙な結果になった。
なんと横軸上にブロードに広がった分布をしているのだ。
つまり、ひとつは本格コアのやや伝統より(マップの左下)にあたる二階堂黎人や有栖川有栖らから、やや実験より(マップの左上)の島田荘司や山口雅也に至る論理中心ミステリ。
ひとつはニュージャンル・コアのやや実験より(右上)になる小野不由美や井上夢人の情感中心ミステリ。
そして論理と情感をつなぐ線上に位置する京極夏彦、森博嗣、貴志祐介ら。
このあたりをほとんど分け隔てなく読んでいるのだ。
そりゃあミステリ乱読が趣味というのだからジャンルがバラバラにもなるだろう。
逆に読んでいないのが文学コアと冒険ハードボイルドコアに近い領域である。
唯一の例外が真保裕一だ。
さて、これを見て改めて自分はいわゆる本格物を好んで読んできたことがはっきりわかる。
ニュージャンルと呼ばれるところも読んでいるが、その名の通り比較的新しいジャンルなのでこれらを読み始めたのは最近である。
とはいえかつてはSFもよく読んでいたのだからその傾向はあったとみるべきか。
ただかつては女性作家を苦手としていたが、最近はわりと手に取るようになったというのもこちらの方面で活躍している作家を読むようになったからだ。
いや、逆に論理軸に近いところの女性作家は若竹七海ひとりしかいない。
つまり、論理中心の本格ミステリに偏っていた読書傾向が、次第に情感を前面に出したSFやホラーにも手を出すように変わってきたということだろう。
これを一言、年齢を重ねたからといってしまえばそれまでだが、ミステリそのものも次第に変容を遂げてきているのでその両方が絡んでのことだろう。
ミステリとともに過ごし、ミステリとともに変わり、ミステリに育てられているといってもあながち間違いではないのかもしれない。
ふと、ミステリに出会えた喜びを噛み締めてみたくなったのであった。
昨日、合宿所で『眠れぬ夜の報復』(岡嶋二人)を、今日『化身』(愛川 晶)を読む。
何を読んでも面白い、といったら失礼だろうなあ。
でも、面白かったのは、精神状態のよさにもあると思うのであった。
4月4日(火)
よっしゃ、1勝や、ようやった福原。
今日は浸ってみよう。
そう、勝利の余韻にである。
ただ、惜しむらくはスポーツニュースでしか経過がわからないというところにある。
先発は福原である。
プロ入り2年目にして初先発。
昨年、新人ながら10勝をあげてチームの勝ち頭。
今年はリリーフから先発に転向して若きエースとしての活躍が期待されている。
開幕4戦目。
左の星野伸と湯舟、外国人ハンセルに続いての先発であり、薮や怪我あがりとはいえ川尻を押さえて登場するわけで、右の柱にという野村監督の思いが感じられる。
聞けば今日、球場に出掛ける間際に先発を聞かされたという。
初回、表の攻撃。
福原を援護すべくヤクルトの右腕 川崎に対して左打線が火を噴く。
トップの坪井がいきなりツーベース。
この坪井もプロ3年目ながら不動のトップバッター。
昨年、チームのリーディングヒッター。
若き切り込み隊長である。
その坪井を和田が送って、タラスコがタイムリーヒット。
先取点である。
見事な先制攻撃だ。
しかし、古田パスボール、岩村エラーで1アウト1、3塁とさらに攻め込みながら、新庄が盗塁失敗、大豊三振で追加点が取れない。
川崎が立ち上がりもたもたしていただけに、惜しいチャンスを逃してしまった。
福原は去年の対ヤクルト戦は防御率1.38と非常に相性がいい。
その印象があるからだろうか、初先発とは思えない落ち着きで初回を3者凡退に打ちとる。
2回、ペタジーニにツーベース、古田にシングルと連打、ノーアウト1、3塁とされるが、後続をきっちり抑えて得点を与えない。
なかなかいい調子のようである。
3回から7回まで、ヒット1本、フォアボール1個、デッドボール1個と完璧に押え込む。
川崎も調子を取り戻したか、あるいは相変わらずの貧打線のせいなのか、2回から5回までで散発2安打、1四球。
さすがにもうそろそろ追加点がほしい6回、タラスコがヒットで出塁したものの盗塁死でチャンスが潰えたかと思った直後、大豊の今期1号ソロ。
待望の中押し点である。
福原は8回、ノーアウトからヒットを打たれ、ワンアウトを取って打順がトップの左打者に戻ったところで降板。
打者27人に4安打2四死球3奪三振、失点ゼロ。
見事である。
この流れはリリーフの遠山、ミラーにも引き継がれて完封リレー。
2対0。
ようやく勝った。
いうまでもなく今日のヒーローは福原。
まだ24歳。
若きエースの誕生である。
一方、打撃陣は4番新庄のエンジンがかからないことにはつながらない。
初回に1点しか取れなかったのはなぜなのか反省して明日の試合に臨んでほしい。
とはいうものの、ともかく勝利である。
しっかり幸せな気分に浸ってビールを飲もう!
4月3日(月)
有珠山噴火、自由党分裂、小渕首相緊急入院。
新年度が始まった。
3月が別れの季節なら、4月は出会いの季節。
入学、入社、クラス換え、転校、職場異動、昇進、降格、予備校入校、職安通い始め、入所(どこへや!)……。
新しい環境に期待が広がる。
希望、初心、決意、すこしの不安と緊張。
新しい巡り合いに胸が膨らむ。
同僚、上司、部下、先生、同級生、先輩、後輩、パシリ、新入り、牢名主……。
初めての場所で慣れない仕事を見知らぬ仲間と知らず知らず気疲れを積もらせながら、それでも時折新たな発見をし、しばしば人の温もりに触れ、頻繁にその人の名前を間違えつつ、日々を過ごしていく。
そんな出発の月ではあるけれど、やがて馴染みはじめるとその時の新鮮な気持ちを忘れてしまうものである。
溢れんばかりの今の希望に燃える初心を常に保っていってもらいたいものである。
しかしまあ、あっという間にそんな期待や楽しみを奪ってしまう奴もいる。
タイガース、お前のこっちゃ。
ほんま、しっかりせえよなあ。
初戦こそ粘ったものの、あとはボロボロでええとこなし。
かつては横浜銀行ちゅうてカモにしてたのに、去年あたりからさっぱり勝てんと思とったら、早速3連敗。
バファローズもガンバもまだ勝ちなしやし、大阪は元気ないんよねえ。
勝ちなしといえば、まさかまさかのグランパス。
あかんあかん。
折角スタートラインに立ったっちゅう話をしよるのに暗うなってもうた。
全然オチてないし、さすがに何の方針もなく書き始めると悲しいくらいグダグダである。
ところで、出会いがあるということは顔と名前を覚えないといけないわけである。
毎年、新入生を迎え何10人も覚える必要のあるこの仕事についていながら、必ずしも顔と名前を一致させるのが得意ではない。
特徴のある場合はともかく、平凡な顔立ち、おとなしい性格、成績も中程度、これといって特技もないというときはなおさら。
覚えるポイントになるのがそういった部分になるものだから仕方ない。
こういうのが得意な人というのは人間観察に優れているのだろうなあ。
そういえば知り合いに髪型で覚えるという人がいた。
髪型って、変わったらどないすんねんと思うのだが、それが一番覚えやすいらしい。
しかも、似顔絵を描いてメモしておくというのだから念が入っている。
といっても髪型だけだから似髪絵である。
一度見せてもらいたいものである。
自分の分は見たくないけど……。
え、意味深?
いやいや、うちの血筋はア○ランスとかには縁が薄い……
薄い?
あ、べっ、別に気にしてないぞ!
アート○イチャーにも関係がない……
けぇがない?
ん、だっ、だから違うって。
ふさふさよ、ふ・さ・ふ・さ。
ほら、ちゃんとこの辺に書いてあるでしょ、「ふさふさ」って!
4月2日(日)
わはははは、もう笑うしかない大敗だぞタイガース。
今日はちょっと遠出して書店巡り。
ネットで仕入れた古本屋、というか今やリサイクルショップと呼んだ方がいい店を訪れてみるのだ。
ひとつ町を挟んだ近隣の市に、昨秋1軒できたらしい。
車を走らせて見たら国道沿いに結構大きな店ができていた。
おかしい。
隣のトンカツ屋には今年になってから行ったはずなのに、気がつかなかった。
入ってみると結構広い。
もちろん、コミックスやCDが多いけれど思ったより文庫本が多い。
出版社に関係なく作家別に並んでいて、普段よく行っている本屋と違っているので戸惑った。
やはり人気作家である赤川次郎や西村京太郎は山のようにある。
ここで見つけたのが赤江 瀑。
ついこの前読んだばかりの『活字探偵団 増補版』(本の雑誌編集部)によれば、品切・絶版だらけで手に入りにくいカルト作家とされている。
その著作が3冊もあったのだ。
むふふ、侮りがたし。
しかし、自分に合っているかどうかはわからない。
迷った末に『オイディプスの刃』だけを購入する。
次にもうひとつ隣の市にまでぶらりと当てもなく足を伸ばす。
と、目に留まったのが同じような構えの店。
系列は違うが、同じく本のリサイクルショップだ。
さっきよりはひとまわり小さいが、そこそこの広さ。
ここでは『ガラダの豚』(中島らも)がTからVまでそろっていたので思わず買ってしまった。
これだけ近くにできているんだから地元にもどこかあるはずだ、と思って探してみたが、やはりコミックス中心のところしかない。
残念である。
その後、普通の本屋で『プルトニウムと半月』(沙藤一樹)と『媚薬』(図子 慧)の角川ホラー文庫2冊と小野不由美の『東の海神 西の滄海』と『図南の翼』の十二国記シリーズ2冊を入手する。
読了本は『眠れぬ夜の殺人』(岡嶋二人)。
4月1日(土)
今日は世界中に嘘が飛び交っているのだろうか、タイガース連敗も嘘であってほしい。
エープリル・フールは秩序を乱すような嘘でない限り、他人を担いで無駄足を踏ませたり悪戯をしてもよい日とされている。
正確にはApril fool dayまたはAll fools' day、日本語では万愚節ともいい、April foolいわゆる四月馬鹿とはその日に騙された人のことを指す。
ちなみにフランスでは、4月になると多量に捕獲されて食用に供される馬鹿な魚 サバになぞらえて、ポアソン・ダブリル(4月の魚)というらしい。
しかし、その嘘をついていいのは午前中に限られていることを知っている人は少ないだろう。
そういう不文律があるのだ。
そんなわけで、もう夜になってしまった今から書くのは嘘ではなくまじめな話である。
いわゆる、エープリル・フールの起源というやつだ。
とはいうものの、こういうものの例としてその起源は明確ではない。
当然、西洋で始まったと思われるだろうし、私もそう思っていたけれども、必ずしもそうではないらしい。
一番有名なのはキリスト命日説だろう。
4月1日はキリストの命日だそうだ。
生誕の日がクリスマス、すなわち12月25日というのはいうまでもない……
と思っていたら実はかつては1月6日とされていたのを、太陽神生誕を祝う冬至の日である12月25日に宗教会議で決めたというのだからわからないものである。
そんなわけで厳密には4月7日という説があるなど確定してはいないけれども、今日をキリストの命日とするのが一般的なようだ。
さて、その日を迎えるにあたってキリストが十二使徒の一人ユダに裏切られたのを忘れないため、あるいはユダヤ人の愚弄を忘れないために、11月1日の万聖節All saints' dayに対して設けられたという。
しかし、これでは嘘をついてもいい日というのとは逆のような気がする。
信頼性の高いのは旧暦説である。
2月29日の日記でも紹介したように、かつて新年は春分から始まっていた。
当時、現在の3月25日から4月1日が新年の祭であり、その最後の日に贈り物をし合う風習があった。
ところが新暦が採用されることになって、それを喜ばなかった人たちが4月1日にふざけて新年の祝いを催し、でたらめな贈り物をし合うようになったのが始まりだという。
インドを起源とする説もある。
やはり春分を起点とする。
仏教徒は春分から7日間、つまり3月25日から31日までは説法を聴聞したり座禅をして悟りを開くための修行をする。
しかし、それを過ぎると再び迷いの世界に戻ってしまうため、4月1日を揶揄節と呼んでからかいの行事をしたとされる。
それが西洋に伝わって現在のエープリル・フールになったというのだ。
他にも、トルストイの「イワンの馬鹿」のように正直で幸運に恵まれる生き方を願う人々が年に一度くらいは人に騙されるくらい善良に過ごそうとしたのが始まりという説、
シェークスピアの戯曲「から騒ぎ(Much Ado about Nothing)」をMuch Aho about Nothingと勘違いした翻訳者が喜劇「ばか騒ぎ」として日本に紹介したのが広まったという説、
中国で孟浩然の「春暁」いわゆる「春眠暁を覚えず」で始まる唐詩の続編「春眠何も覚えられず」の中に出てくる「四月衆愚」という言葉が起源という説などなど、諸説紛々である。
いずれにしろ今日一日は静かに過ごしておくのが無難である。
余計なことをして人に騙されても文句が言えないのだ。
私も今日はおとなしくしていた。
休日だったので読書とスポーツ観戦で過ごし、人ともほとんど話をしていない。
あ、そういえばお昼前にエープリル・フールの起源について教えてくれた親切な人がいたなあ。
お陰で今日の日記が書けたのだ。
感謝しなければ……。
『女囮捜査官@触覚』(山田正紀)を読み終える。