魅 館 果 汁
<00年5月上旬>
5月10日(水)
好天の中でクラスマッチ、日に焼けて顔が熱い。
「とりのこ」というのをご存知だろうか。
ヒヨコのことではない。
カズノコの仲間の珍味でもない。
模造紙のことをこの地方では「とりのこ」と呼ぶのだ。
模造紙はわかるよね。
B全紙というのが正式名称だと思う。
B1サイズの白い紙のことだ。
B紙とも呼ばれている。
それが一体どういうわけで「とりのこ」などと呼ばれているのか、常々不思議に思っていた。
一方で、模造紙ってのも変な呼び方だと気になっていた。
紙には違いないのに、なぜ偽物(模造品)みたいな言い方するんだろう。
そんな疑問を解決すべく、思い立って国語辞典を引いてみた。
もぞうし[模造紙]
わが国の局紙を、オーストリアで木材パルプを使って模造したものを、さらにわが国で模して作った洋紙。
表面が滑沢で強靭。
なんじゃそら、模造品の模造品か。
そりゃ、模造といわれても仕方ないなあ。
ところで局紙ってなんだろう。
これもついでに引いてみた。
きょくし[局紙]
印刷局の紙の意。
鳥子(とりのこ)厚紙の上等なもの。
紙面につやがあり、淡黄褐色、質は堅牢。
ありゃりゃ、「とりのこ」が登場したぞ。
方言じゃなかったんか?
そしたら辞書にも載っているはずだ。
とりのこがみ[鳥の子紙]
鳥の子色の紙の意。
和紙の一種。
雁皮(がんぴ)と楮(こうぞ)との液に三椏(みつまた)をまぜて漉いた優良紙。
平滑緻密で光沢がある。
ちなみに、鳥の子色というのは鶏卵の殻のような色であり、淡黄色のことをいう。
鳥の子紙は高級原料を使って漉いた和紙だが、それを木材パルプで代用して似せて作った洋紙を模造紙というわけだ。
しかし、現在「とりのこ」と呼んでいるのは、ここでいう鳥の子紙ではなく模造紙のことである。
おそらく、鳥の子紙が模造紙に取って替わられる、つまり和紙が洋紙に駆逐される過程で、「とりのこ」という呼び方だけは愛着を込めて変わらなかったのではないだろうか。
なかなか感動的な発見であった。
身近なものの語源を探っていくのも結構面白いものだ。
5月9日(火)
天声を聞き天声を伝えるという某教団代表は人語を聞かず人語に摘発された。
I LOVE YOUが世界を席捲している。
そう、連休中にばらまかれはじめたコンピュータウイルスである。
ウイルスについては感染したらファイル破壊活動やSPAMメール発信活動を始めたりするという当たり前のこと以外はあまり詳しくない。
具体的なものもHappy99やMelissaといった有名なウイルスを聞いたことがあるくらいだ。
数日前に参加している某MLにウイルスが流れた。
初めての接近遭遇である。
添付ファイルは十分気をつけて開くことにしているので感染は免れたが、しっかり情報を集めておかないといけないと思い、ちょっと調べてみた。
そもそもコンピュータウイルスは何だろうか。
簡単に言えばコンピュータに悪さをするプログラムなのだが、これでは定義として不十分。
こういう不正プログラムにはウイルス以外にもワーム、バクテリア、トロイの木馬、ロジック爆弾などがある。
トロイの木馬とロジック爆弾は自己増殖能力のない単発で破壊活動するプログラムである。
残りが自己増殖機能をもったもので、ワームは独自の増殖ルーチンを用いてネット上で動作するプログラム、バクテリアは宿主プログラムを必要とせずに単独増殖するプログラムだという。
そしてウイルスは宿主となるプログラムに感染し、一定の条件が揃うまで潜伏した後、発病してシステムに障害を発生させるものだ。
うーん、わかったようなわからんような。
自然界に存在するウイルスやバクテリアと対比して名づけられているということがなんとなくわかるくらいだ。
生物としてのウイルス(ウイルスが生物かどうかという問題はおいといて)はバクテリアと違って細胞の中でしか活動できない。
つまり、バクテリアは栄養、水分、適当な温度などの環境がそろえば増殖していけるが、ウイルスは他の生物細胞に入り込まないと増殖できないのだ。
ただし、バクテリアから必要な環境を奪ってやると死滅するのに対して、ウイルスは細胞外に放出されても簡単には死なない。
活動しないのであたかも死んだように見えるが、細胞内に入り込めば活動を開始する。
宿主となるプログラムに感染して初めて活動できるというところからコンピュータウイルスといわれるようになったのだろう。
ところで、ウイルス進化論という考え方がある。
生物の進化にはウイルスが不可欠であるというのだ。
進化はDNAの突然変異によって起こるとされる。
しかし、これでは一つの個体が突然変異してからそれが一つの種を形成するまでに非常に長い時間を必要とする。
例えば、キリンの祖先に当たるオカピはまだ首が短い動物だったが、オカピからキリンの間にその中間の長さの首をもった動物の化石が発見されていないのだ。
これをミッシングリンクといい、従来の理論では説明できない。
この現象をウイルスの媒介として説明するのがウイルス進化論だ。
ウイルスには親子関係にない個体間で遺伝子を伝達する能力がある。
突然変異した個体から他の個体へとウイルスが感染することにより、変異遺伝子を短期間で次々と伝えていくというわけだ。
ここでふと、コンピュータウイルスによるプログラム進化論なんてものがあってもいいじゃないか、などとひらめいた。
ウイルスにはワクチンプログラムがそれぞれ作成されているが、これはあくまで対症療法である。
そうではなくて次々とウイルスに感染させてやることによって、それを取り込んで自らが進化するようなプログラム。
とはいうものの、いいアイデアが思い浮かんでいるわけではない。
もちろん、お笑いネタとしてであるが……。
実はウイルス進化論に基づく遺伝アルゴリズムの開発という研究は既に行われている。
言うまでもなく、それはちゃんとした真面目な話であることをお断りしておこう。
5月8日(月)
職場にこそ泥くんが入ったというのだよ、気をつけなくっちゃ。
連休明けの月曜日、自堕落な生活のつけで昨夜は4時頃まで寝付けなくて、でも7時前に起きて出勤、実験の関係で11時過ぎにやっと帰宅。
夜食と兼用の夕食をとりながらテレビのニュースをつらつらと眺めてから、ビール片手に昨日の読み残し分をさらえた後、パソコンを立ちあげて読書感想を書き上げる。
ちょこちょこっとネットサーフィンして、なんとなくボーッとした頭で書き込みもせずに、今ようやく日記に取り掛かっている。
ほら1時だ。
こんなことでお茶をにごすくらい今日は書くことがない。
おっと、お茶で思い出した。
この連休に帰省したり遊びに出掛けたりしていた同僚たちから土産をもらった。
ハワイとチューリヒのチョコレートと名古屋のういろうと香川のエビせんべいと神戸のお茶である。
ハワイやチューリヒというけれどその同僚が遊びにいったわけではなく、同僚の家族の土産なのだそうだ。
いやまあ、ありがたく頂戴いたしましたけどさ。
で、神戸のお茶である。
といっても神戸産の茶ではなく神戸の店で買った高級烏龍茶なのだ。
今日は時間がなかったので、明日以降ゆっくりいただこうと思う。
なんでそんなお茶をもらったのかというと、溯ること約10日、その同僚とお茶談義をしていたのだ。
お茶に限らず飲食物に関して私は好き嫌いは多いけれどこだわらない派であるのに対して、同僚は結構味に敏感でうるさい派である。
問題になったのは紅茶に砂糖を入れるか入れないか、だ。
「紅茶に砂糖って入れるの、邪道よね」
「そらわかるけど、安い紅茶は砂糖入れて甘くせんと飲めんよ」
「紅茶の味、消えてしもとるやん」
「リーフティーはええかもしれんけど、ティーバッグのってたいしたことないし」
「そんなもん入れ方やんけ。
ティーパックのでも上手いこと入れたら結構いけるらしいで」
「あれ、今、ティーパックっていうた?
ちゃうよ、ティーバッグやで」
「なんで?
お茶をパックしてるからティーパックなんちゃうん」
「ええっ、最近はお茶っ葉を顔にまぶしてるんかいな」
「そのパックちゃうって」
「いやいや、お茶をバッグに詰めてるからティーバッグが正しいねやって」
「お茶に背中向けてティーバック?」
「そら、ティーがちゃうやろ」
「それはともかく、砂糖はおかしいって。
緑茶に砂糖いれんやろ」
「同じお茶でも発酵してるのとしてないのとはちゃうやん」
「烏龍茶は発酵してるで」
「半発酵やろ。
半分不幸せなんよね」
「なんじゃそら」
「半薄幸」
「そんなもん、なんでもありやんか。
偶数ページだけ出版できました。
半発行とかね」
「日差しのいい日はカツラをしていることがばれちゃいます。
半発光ってのは」
「もうええって!」
「まあ、なんにしてもおいしいお茶を飲めばわかるってことやね」
「ええお茶って結構高いで。
ええ紅茶やったら、50gで3000円くらいするからね」
「まあ、そのくらいのグレードのやつを丁寧に入れてくれたら、砂糖なしで飲めるかもな」
「何をねだってんねん」
「別にねだってないよ。
そういう茶葉を売ってる店を知ってるみたいやったからね」
「ま、今度、覚えてたら買ってきてやるわ」
というわけでおいしい紅茶が……。
あれ?なんで烏龍茶やねん!
これやったら砂糖なしでいけるっちゅうねん!
『千里眼』(松岡圭祐)を読了。
今日からまた読書ペースは落ちそうだ。
そしてついに『美濃牛』(殊能将之)と『垂里冴子のお見合いと推理』(山口雅也)を入手。
5月7日(日)
連休最終日、長いといえば長かったけれど、終わってみればやっぱり短い5日間だった。
今日は一日オールディーズソングを聞いて過ごした。
Stand By Me、Only You、Be My Baby、Love Letters In The Sand、One Way Ticket、Jail House Rock、Jhonny B Goode、Long Tall Sallyなど。
3枚のCDをときどき替えながら、本を片手に布団のうえに寝っ転がって音楽に身を委ねる。
コンポが故障中なので、パソコンで聞いていた。
さすがに音質は望むべくもないし、曲と本の内容がマッチしてはいなかったけれど、至福の時間である。
外は昨日までの陽気をなんとかもう一日持たせようとして頑張ってるなあ、という感じの微妙な空模様。
でも、家の中だから関係ないや、洗濯も済ませたし、と思って読書に浸っていた。
と、昼過ぎからゴロゴロという無気味な音が……。
確かに布団のうえでゴロゴロしていたけれども腹の調子は悪くないし、道で誰かが荷車を押しているわけでも、猫がのどを鳴らしているわけでもない。
もちろん、丸々と太ってしまったわけでもない。
ん?それはコロコロか。
そう、雷である。
結構、大きな音がしているが、部屋の中から稲光は見えない。
窓のあるのと反対側なんだろうか。
近いかもしれんなあ、という感じの微妙な音の距離感。
でも、家の中だから関係ないや、ちゃんとヘソは隠してるし、と思って読書に更けっていた。
と、突然、グォンログァンラ、グワッシャーン!という音とともに明かりが消え、CDの音がふっつりと途切れた。
うわっ、落雷か?停電や!
げっ、まずい、パソコン落ちてもうた!
やばいなあと思うけれどどうしようもない。
なかなか停電も復帰しない。
雷鳴はまだ続いているうえに、強く降りはじめた俄か雨。
でも、家の中だから関係ないや、慌ててもしゃあないし、と思うがなんとなく落ち着かなくて読書も進まない。
と、1時間くらいたったろうか、ようやく電気が通じた。
こわごわとパソコンを起動する。
ディスクスキャンが始まる。
おおっ、立ち上がった。
ソフトは……ちゃんと動くぞ。
よかったあ。
なんとかハードディスクは生き残ってくれた。
雷が鳴ったらパソコンは電源を落としておくべきだなあ、と不注意に恥じ入った次第。
パソコンにとってもこわいものは「地震、雷、火事、親父」なんだなあ。
え、なんで親父がこわいんだって?
そりゃあ、ウイルスの方がこわいのは間違いないし、親父の方こそパソコンをこわがってると思われがちだけど、パソコンも親父をいやがってると思うぞ。
だって、新品で登場したのにすぐに無用の長物扱いされることになるんだもの。
『無明の闇』(椹野道流)を読み終える。
5月6日(土)
何度見ても「ローマの休日」はいいねえ。
通信教育講座というのがある。
私の年代で真っ先に思い浮かべるのは日ペンの美子ちゃんではないだろうか。
雑誌の広告には必ずといっていいくらい載っていたペン字のヒロインである。
そういえば、最近は見ないなあ。
絶滅しちゃったんだろうか。
それはともかく、昨日、本を買った時にもその手の広告が入っていたので眺めてみた。
資格取得、技能検定、外国語習得、趣味などいろいろな講座がある。
公務員、簿記、危険物取扱者、俳句、油絵、囲碁・将棋などはなるほどと思うものだが、これはどういうことかと首をかしげたくなるものもある。
例えば、調理師。
資格としてはまともだが、通信で何ができるんだろう。
料理教室っていうのならまだしも、調理師だよ、調理師。
通信で味をどうやって伝えるのさ。
毎月クール宅配便で自分で作った料理を送れとかいうのだろうか。
そのためだけに、きっと瞬間冷凍ができる高価なフリーザーを買わされるのだ。
気をつけないと、騙されるぞ。
でもよく考えてみたら、調理師免許って実技試験なしで学科だけでもらえるらしいから、構わないのだった。
歯科助手ってのもある。
つまりこれも実習なしで取れる資格なのか。
歯医者ってただでも気が重いのに、そんな助手に口の中をいじられるのかと思うと、なおさら行きたくなくなるじゃないか。
いやいや、資格試験には実技が課せられているに違いない、と信じよう。
だとすると、通信とはいえ実際に歯を見ながら学ぶ方がためになるのは間違いない。
毎月クール宅配便でいろんな入れ歯が送られてくるんだったりして。
嫌だろうなあ。
介護福祉士もあるぞ。
これは間違いなく実技試験もある。
そりゃそうだろう。
当然、学科に加えてビデオ教材などで実技に備えているに違いない。
しかし、ビデオだけでは心もとないという人のためのサービスがあってもいいんじゃないか。
毎月クール宅配便でモデルのマネキン人形が……。
変わったところでは、奥の細道や幕末維新の謎なんてのもある。
やけに限定した講座である。
それならいくらでもできるじゃないか。
源氏物語、徒然草、宇治拾遺物語、浜松中納言物語、桃尻語訳 枕草子……。
あるいは、邪馬台国の謎、南朝北朝の謎、明智光秀の謎、森蘭丸の謎、森坊丸・力丸の謎……。
なんじゃそらって、蘭丸の弟たちのことである(本当)。
また、常識に挑戦なんていう講座もある。
これは逆に幅広すぎる。
冠婚葬祭の常識、家庭医学の常識、漢字の常識、エスペラント語の常識、邪馬台国の常識、南朝北朝の常識、カルトの常識……。
あ、カルトは非常識っていった方が常識になるんだっけ。
さて、そうなるといろんな通信講座が考えられる。
例えば「ピンクレディ入門」というのはどうだろう。
古いかなあ。
今ならスピードかモーニング娘。だよな。
曲や振り付けはもちろん、ステージ衣裳の作り方からメンバーの人数調整法や解散の仕方まで懇切丁寧に教えてくれそうだ。
「めざせ、スクールメイツ」ってのもあっていい。
え、これも古い?
やっぱり「めざせ!沖縄アクターズスクール」だろうか。
まず、方言講座「うちなんちゅになろう」から始めて料理講座「ミミガー大好き」に続き、やっと音楽講座初級「ハイサイおじさん」を受けることができるという厳しいものに違いない。
通信講座っていうのは近くに適切な講師がいないときに役立つのだが、あまり人に知られたくない場合にも有効である。
そういう意味ではこんなのも十分ありだ。
「男だけの刺繍講座」、「自宅で出来るカツラ講座」、「誰もが美しくなれるニューハーフ講座」、「ひとりでできるおつかい講座」
あれ?
『風の万里 黎明の空』(小野不由美)を読了。
5月5日(金)
♪柱の傷はおととしの5月5日のこいのぼり――ん、違うか?
端午の節句である。
端午とは午の初めを意味し、午の月の最初の午の日ということで5月5日を節日としたそうだ。
端午の節句は菖蒲の節句ともいい、菖蒲や蓬など香りの強い植物を魔除けとして軒先に挿したり身につけたりした。
また、菖蒲=尚武であるとして江戸時代には武家階級でこの日の行事が重要視されたという。
そのため、家紋を記したのぼりや吹流しを玄関前に立てることが流行した。
これに対して町人の間では登竜門伝説の故事にちなんで鮭を描いたのぼりを立てる風習が生まれたという。
ん、鮭とちゃうって?
登竜門って、鮭が産卵しに急流上りしていくうちに竜になってしまったわけ……じゃないよね。
そうそう、鯉です鯉。
また板の上の鯉。
くさっても鯉。
え、違う?
まあ、ええわ。
ともあれ、こいのぼりの季節である。
都会では庭もなくベランダなどに小さなものを飾るのが精一杯のところが多いだろうが、田舎では今も元気に空を泳いでいる。
このあたりでは武家階級でされていたというような家紋や家名の入ってた吹流しも結構見られる。
各家自慢のこいのぼりなのだろう。
真鯉はお父さん、緋鯉はお母さん、青や赤の小さな鯉がこどもたち。
やがて竜になろうと風にのっている。
しかし、鯉は滝登りをしないと竜になれないのじゃなかったか。
ずっと鯉のままというのも夢追い人の空しさをふと感じさせる。
いつか、竜になれるのだろうか。
それもわからない。
先のことはわからない。
全く見えないのだ。
そう、鯉は盲目というではないか。
『毒猿 新宿鮫U』(大沢在昌)読了。
傑作である。
小野不由美の十二国記シリーズ『風の万里 黎明の空』、上遠野浩平のブギーポップシリーズ『夜明けのブギーポップ』と『ブギーポップ・ミッシング ペパーミントの魔術師』を購入。
また、『妖異金瓶梅』(山田風太郎)、『恋』(小池真理子)、『海は涸いていた』(白川 道)も手に入れる。
5月4日(木)
ずっと家にいるとついついテレビを見る時間が増える。
7時から「クイズ$ミリオネア」。
まず、10人ほどの参加者の中から早押しで挑戦者を1人決める。
挑戦者は4択問題に正解するごとに賞金額がアップする。
5問で10万円、10問で100万円、15問で1000万円となる。
答えられない時は、回答を2択にまで絞ることのできるフィフティ・フィフティ、電話で仲間に連絡して応援を仰ぐテレフォン、スタジオの聴衆の意見を聞けるオーディエンスというそれぞれ1回ずつ限りのチャンスがある。
そんなシステムなのだが、そんなことよりどうにも参加者のレベルが低すぎるのが気になって仕方ない。
最初の5問は常識中の常識で10万円は確実に取れる。
その先から急に難しくなる。
といっても出来ない問題ではない。
1問でも間違えばそこで終わりというプレッシャーはあるのだろうが、それにしたって情けない。
1000万円を狙おうっていうのだから、凄いと思わせてくれ。
クイズ番組の参加者に親近感なんか求めてないぞ、と思うのであった。
9時からの「にんげんドキュメント」では、アニメ映画監督 宮崎 駿のもとスタジオジブリで原画を書く若者を取り上げていた。
2時間の映画1本を仕上げるためには多くのスタッフが関わっている。
アニメ映画では特に作画作業が大きな部分を占めている。
放送では、今度の新作「千と千尋の神隠し」で初めて原画を担当する若いスタッフに焦点を当てて紹介しているのだ。
担当するといってもほんの数秒の場面である。
しかし、そのわずかな時間の「見る」あるいは「食べる」といった行為を如何に描くか。
ただ漫然とその動作を描くのではない。
何が起こったんだろうという不審な思いで周囲を「見る」。
腹をすかせてがつがつと春巻を「食べる」。
その描写へのこだわり。
何度も何度も書き直しを命じられながら、彼らは何を掴んでいくのか。
プロフェッショナルの仕事とは何かをまざまざと見せられた。
「ストレスなんか発散しなくていい。
プレッシャーの中に身を置かないで仕事なんかできない」
ラスト近くの宮崎監督の言葉が心に残る。
10時から「ZONE」。
今回はジャイアンツの2軍選手に注目している。
阪神の2軍なら興味あるんだけどなあと思いつつ途中から見てしまった。
ドラフト上位指名入団者、怪我で2軍落ちした1軍活躍経験者など、1軍に近いところにいながら2軍から上がれずにいる選手たちの苦悩。
あるいはすでに退団し、スカウトに転身したり、まったく別の職業に就職した男たちの新たな挑戦。
実力主義の最たるスポーツ界においては言い分けも泣き言も通用しない。
先のスタジオジブリのスタッフたちと姿がダブり、一方で1000万円を狙う挑戦者の姿が去来する。
なんといったらいいのか……ため息が漏れる。
『大年神の彷徨う島』(藤木 稟)を読了。
着々と読書進行中である。
5月3日(水)
憲法記念日であるが、憲法調査会ではまともな議論がなされているのだろうか。
今日はこれに触れずにはおれないだろう。
バスジャック事件である。
午後、サッカー放送を見た後、野球放送に切り替えたところでニュースが流れた。
刃物をもった若い男が佐賀発、福岡行きの高速バスを乗っ取って山口から広島に向かって走行中というのだ。
再び野球放送になってしまったが、チャンネルを変えてニュース番組を探した。
ライブで走行中のバスが放映され、刻々と状況が伝えられる。
海外映像のカーチェイスを流している特番がなんどかあったけれども、リアルタイムで起こっていると単調だが緊張感が伝わってきて見続けてしまう。
どこかマラソン中継に似ていると思うのは不謹慎だろうか。
一昨日の「人を殺す経験をしたかった」と言って65歳の女性を刺殺した高校生に続いて、この事件もどうやら17歳の少年の犯行であるという。
子供を側において人質とするという卑怯さに怒りを覚えずにおれないし、何を求めているのかわからない場当たりさに苛立ちも感じる。
そしてついに死者が出てしまった。
正確なことがわかっていないので何ともコメントしがたいが、何にしろ一刻も早く解決することを願うばかりである。
久々に映画を見た。
「グリーンマイル」である。
アカデミー賞にもノミネートされた作品なので期待していったのだが、ちょっと違うなという感じが先に立ってそれほどいいとは思えなかった。
悪くはない。
ただ、価値観の違いというのだろうか、欧米のキリスト教社会の感覚で綴られているところが相容れないのだ。
その最大の点が神の使者というところだ。
奇跡を起こせること=神の使い=絶対善という図式が受け入れられないのだ。
そんなわけでどうにも偽善めいたものを感じてしまって残念ながら素直に感動できなかった。
『ブギーポップ・イン・ザ・ミラー 「パンドラ」』(上遠野浩平)読了。
5月2日(火)
今日も卒業生たちがやってきて、だべり倒してしまった。
昨夜、金縛りにあった。
すでに忘れてしまったが妙な夢をみていて、ふと気づくと身体が動かなくなっていた。
全身が緊張したようになって固まってしまった。
目は開けるかもしれないのだが、何だか恐くて瞑ったままだ。
金縛りは睡眠生活の乱れとストレスの重なりで起こるという。
肉体的、精神的な疲れが原因なのであって、決して心霊的なものではない。
頭ではわかっているのだが、身体の動かない恐怖感は嫌な想像を掻き立てる。
この時も変な夢の続きということもあって何かが側にいるような、瞼を開けたらそれと目が合ってしまいそうな、一体これから何をされるのだろうか、といった感覚に捕われていた。
最初に動いたのは口だった。
思いっきり顎に力を入れたらやっと口が開いたのだ。
これで金縛りから解けた。
しかし、しばらくはそのままじっと動かなかった。
落ち着いてよく自分の状態を見てみると、ものすごく窮屈な格好をしていることがわかった。
これが金縛りの原因のひとつだったのかもしれない。
そのとき、さっきまだ見ていた夢のことを思い返した。
すでに記憶から遠ざかっていきつつあったが、久しぶりに見た嫌な夢だった。
そういえば嫌な夢というのは大人になってからあまり見なくなった。
子供の頃は悪夢とまではいかないけれど、寝るのが恐くなるような夢を何度も見ていたものだ。
それもまったく同じ夢を何回もである。
今でも記憶に残っており、思い出すとそのときの感触まで蘇るのが、果てしない砂漠のような砂地に身体半分埋まりながら前へ前へと歩いていこうとする夢である。
砂に埋もれてしまう恐怖感があるわけではない。
ただ、いくら足を踏ん張ろうとしても砂の中で手応えがなく、妙な浮揚感があって、しかし、歩を進めないでいるといけないような不安感に襲われるのだ。
当時、小学生から中学生にかけてくらいだったろうか、恐ろしい何者かに追いかけられる夢とともに頻繁に見ていたのである。
一体、あれは何だったのだろうか。
素人夢判断でいえば、将来に対する漠然とした不安や焦燥感を表わしていたのかもしれない。
いつの間にかその将来が具体化するにつれてその種の夢を見なくなったのではないだろうか。
だとすれば、ある意味でさびしい話である。
不安の裏側にある期待までも失ってしまったようであるからだ。
未来に対して持ち続けている夢は、きっと実際に見る夢ともどこか関連しているに違いない。
あなたはどんな夢を見ていますか?
『女囮捜査官A視覚』(山田正紀)読了である。
明日からの連休は、一部出勤もするけれど、本を読み倒してやりたい。
5月1日(月)
世間は9連休だそうで、卒業生たちが遊びにきてくれた。
昨日読了した本の著者 古処誠二氏のホームページが裏書きに載っていたので訪れてみた。
古処誠二〜当たって砕けるがそれである。
トップページに最新の日記が掲載されている……ようなのだが、何だか様子がおかしい。
「はじめに」を読んでみるとこのページの作者は古処氏のアパートを見張れるところに住んでいる主婦のママさんが古処氏を観察している、という設定になっているらしい。
いや「観察日記」によれば古処氏のホームページは潰れたとあるから、本当に第三者が書いているのかも……なんてことはないと思うが。
そんなわけでシンプルな中に妙なこだわりをもったページである。
ところで作家のホームページっていったいどれくらいあるのだろうか。
魅館粒にリンクが張ってあるページには森博嗣、我孫子武丸、太田忠司、貫井徳郎の各氏。
ブックマークには近藤史恵、柴田よしき、二階堂黎人、津原泰水、小森健太朗、殊能将之、湯川薫、浅暮三文など。
これらは作家本人がページの更新をしているようだ。
また、ミステリ以外にもたくさんあるだろうし、公式サイトではあるけれど作家が主だって更新していないページもある。
そのうちに自分のウェブページも持っていない作家なんて遅れてるぅ、などという時代になるのかもしれない。
こうなったら大変だろうなあ。
作品を書く時間以外に、ページ更新のことも考えないといけないし、掲示板なんかつけた日にはいちいち応答もしないといけない。
世の作家先生方がどのくらい忙しいのかわからないが、煮詰まっているときのストレス解消になればこそ、さらにストレスをため込むことになるのではないかと他人事ながら心配である。
PRやファンサービスも大事だろうけれど、次の作品を待ち望んでいる身としては早くそちらを実現してほしいと思ってしまうのである。
とはいえ、作家の日記や掲示板の言葉は嬉しいものでちょくちょく見に行っている。
なかなか複雑な心境である。
一方、インターネットの整備に伴って書籍も形態を変えようかという時代の入口に立っている。
黎明期からずっと続いている井上夢人氏のハイパーテキスト小説がどの程度成功しているのかよくわからないが(当然ある程度以上の成果を収めてはいるのだろうけれど)、ネット上での作家の表現実験として画期的だったことは間違いない。
また、プロ小説家による産地直送ネットという触れ込みのe-NOVELSもなかなか面白い取り組みである。
しかし、ネットを駆け巡ってはいるものの、紙のメディアに固執する本好きとしてはデジタルメディアの小説に違和感があるのが正直なところだ。
ネットと小説、作家、そして読者。
その新しい関係が急速に出来上がりつつある時代についていけるのだろうか、と一抹の不安を覚えるのも、少し年をとった証拠なのだろうか。