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− 龍のしっぽ 六−



【宇宙の内流…】


今までのことから、まずしっかりと「物質的肉体の私と、私を取り巻く空間は切り離されることはあり得ない」と、受け入れることにします。

私一人がポツンとこの世界に居るのではなくて…、

そうですね…、空の向こう側から、今ポツンと居るように思っている私も含めた世界全体を、空の向こう側から覗き込むような感覚を持ってみて下さい。

そのときに、覗き見ることのできている私も含めた世界が、私一人だけの世界と言ってもいいものです…。

今やってみたことを、みんなで行えば、一人一人が違った世界を空の向こう側から覗き込むことになります。絶対に同じであることはあり得ないですよね…。

これが一人一人の世界で、別々の世界だということになります。

私たちは、現実が連続し続けているので、その中で私が動いて生きているように思えてしまうのですが…、連続しているということは、一コマ一コマが存在するので連続していると考えることができます。

そこで「アニメーション」を例えにあげてみますと、何人ものスタッフが限界まで詳細に描き上げた一枚一枚の描画を、一コマ一コマ連続的につなぎ合わせていくことで、違和感のないアニメーションとは思えないほどの映像を実現させます。

「パラパラまんが」も同じです…(笑)…。

何が言いたいかと申しますと、「この物質的肉体が私だ!」という感覚から大胆に抜け出してみると、観察者は空の向こう側にだって移動することができます。

この私だと思っていた外に出ることができるということなのです…。

そもそも「真実の私」という存在は、今まで私だと思っていた物質的肉体の私とは、存在のあり方自体、創造された瞬間にも「完全なる成就」と「進化して成就」で全く違っています。

私のこの物質的人間感覚であっては中々理解に難しいところがあるので、あらゆる大胆なアプローチが必要になってきますが…。

決して私の言っていることが正しいと押し付けることも、信じて欲しいと思っているわけではありません…。

なんとなくわかるような…。なんとなくだけどあり得るかも…。

で充分なのです。それ以上であってはならないと、私は思っているからです。

何をバカげてるっ! ここはこうだろ! 私ならもっと上手に説明できるぞ!
・・・・・こっちでも構わないのです・・・・・・(笑)。

話を戻しますと…、更に立体的な映像の連続となると、ご存知の方も多いと思いますが「ホログラフィー」があります。

もうすでに、宇宙の情報はホログラム的に存在していると言われてきています。
ホログラムのフィルムでは、そのどんな小さな断片でも参照光さえ当たれば、全体像が出現してしまう驚くべき構造をもっているからです。

また、一般にはあまり知られていませんが、特殊なカメラを用いると、血液サンプルだけから人体内部の撮影、、、、妊婦であれば胎児の撮影まで出来てしまうという時空を超えた情報の内蔵が、私たち人間の想像を超えて存在していることが明らかになっていて、一般的に私達が受け入れられる段階に達すれば、もっと理解応用できるよう世界に現われてくると思います。

が、それにはやはり、内なる世界が実体と現実化を造り出していることが、先に理解されなければならないと思います。

頭をかなり柔軟にして、常識から外れて考えてもいいということを許し始めますと、脳は新しいことにチャレンジをしようとし始めるのかも知れません…(笑)。

もともと「真実の私(真我)」自身が、「私という思考の創造」を知るために送り出したのが観察者でした。

ところが、物資的肉体が私であるかのように、すっかり錯覚してしまいました。

小さい頃、みんなが私を見て、私の名を呼び、みんな私の周りにオモチャを持って来
て、食べ物を持って来て、「はい!」と私に渡しました。

だから、ここに居るのが「私」だと思ってしまったのです。

さらに言葉を覚え、人生が人生らしくなり始めるほどに、私はこれが私だとリアルに思い込んでいきました。
こうして仲介的存在である観察者は、目覚めることも外に出ることもできなくなってしまったのです…。

私は、動いているのは、この肉体側の私ではないと思い始めています。
かと言って、観察者が動いているという表現もナンセンスな気がします…。
動いているのは、驚愕の宇宙的技術による超リアルな立体的「パラパラまんが」です…(汗)。

人間では、一本のアニメーション映画制作に何年もかかってしまいます。しかし宇宙は、どうやら最初になんでも完全化させてしまっています…。

宇宙規模となれば、遥かに人知を超えていることくらいは予測がつきますから、一人の人間の内的あり方に応じて、何十何百バージョンもの画像を畳み込ませるくらいは可能なのではないでしょうか…?

なんだか、この肉体が私だと思って今も生きているこの私が、とっても愛しく思えてきます。同じくらいに切なさもあり…、ここから離れる日は、もうすぐなんだね・・・と・・・、言葉にできない感覚が現われ始めています…。

異次元生命体(いわゆる宇宙人と呼ばれている存在)は、私たち人間が一方向からの視野しか持っていないことにとても驚くそうです。

この意味がやっと今、分かり始めています…。


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私は前に千羽鶴の話を書きましたが、あれを千羽鶴ではなく球体で囲むことのできる超立方体的風船を折り紙で作ったと考えてみます。

火葬の時に起きた圧縮縮小現象がどんどん起きていき、点になってしまったとします。次になんとかその点に空気を送り込み、超立方体的風船を大きく大きく膨らませていったとします。

更に、次に物質は、外の空間とは離れられないことを考え合わせていきます。超立方体的風船が、圧縮縮小されていくとき、空間も同時にその現象に含まれていきます。
極小の点になった時に、その点の中には、風船と風船の周りの全ての空間も畳み込まれてしまうと考えるのです。

そうしますと、再度、点まで圧縮された風船を膨らませた時に、風船は周囲の空間(全ての状況)とともに現出することが出来てしまうのです。

これで、ほんの少し私の幼稚なレベルでも「点に内包された宇宙」が存在することを垣間見られたような気がしています・・・(汗)・・・。

私たちの視界には必ず盲点が存在しています。
しかし、脳は、その盲点を、盲点の周りと同じ背景で見事に埋め合わせてしまうために、日常的に盲点に気づくことはありません…。

盲点は、私が見ようとしている知覚視野の中で必ず私につきまとう一点です。
それは、私が見ようとしている対象であり、見せられている対象と言ってもいいものに、つきまとっていることになります。

この肉体が、私の本来の位置でないとすれば、その盲点が私を含んだ世界の中心に関わっていると考えてもよさそうです…。

もしも今まで、私の妄想が妄幻的現実の妄点を生み出していたとしたら、このレベルから観察者レベルへと進んだ場合、あらたな盲点のある対象へと私の瞳孔を向けさせている原因が当然必要になってきます。それが「真実の私(真我)」ではないかと考え始めているところなのです…。

私たちの肉眼は、最初に目の前にある光景を逆さに取り込んでいるそうです。それを今見えているように上下が正しくなるように脳が処理しているそうです。

しかし、どうしてこんなことが起きているのでしょうか?
本当に、私達が見ている上と下で正しいのでしょうか?
元々、逆さな外象を私達物質的人間の為だけに上下反転させているだけなのかも知れないじゃないですか…?

天空から私が覗き込むとすれば、最初の逆さなままの方が見やすくはないでしょうか…?(笑)

中学生の頃、読んでいた『ムー』という雑誌に、『地球空洞説』という内容がよく掲載されていました。
私は、この話が大好きでした!興味深々、好奇心ワクワクでした!

最近読んだ本にも、なぜだか頻繁に地球は空洞だという言葉が出てくるのです。
さらに他の天体の多くも、内側は空洞になっているということまで知りました。
本当の話かどうかは別にして、私にはとても興味深く思えるのです。

空洞説にも色々とパターンがあるのですが、私が一番イメージしやすかったのは、地球の内側にもう一つの世界があって、上次元生命体が存在しているという内容のものです。

だとすると、大雑把に言ってしまうと、私が地球の土の上に立っている時、地球の内側(裏側)には、他の生命体の足の裏があるということなのです…(笑)。

また大胆なイメージになりますが、今は地球の内側ということになっていますが、人間の内側と同じくして、反転が起きて内と外が逆さになってしまったらどうなるのでしょうか…。

地球の内側の世界で存在している上次元の知的生命体は、私達の内側(内面)世界に存在する世界が上次元にあたることと同じなのです。

もしもそうだとするなら、上次元の地球内側の存在と私達とは密接なつながりがありそうではありませんか?

多次元は重畳して存在しています…だとすれば…やっぱり…、
私たちに対して、その上次元生命体は逆さになった世界です。
もしかしたら、これは驚くべきドラマチックな再会なのではないでしょうか・・・・・・・。

上次元生命体ですから、私達人間のような物質的肉体ではないはずです。


精妙なる高次元の宇宙エネルギーというのは、天体それぞれにより天体内部から湧き出しているそうです。
地球には地球オリジナルの宇宙エネルギーがある…、それは地球内部から流れ出している…、それを送り込む力は内部に存在している…だとすれば…やっぱり…、
・・・・・・・・・表裏一体…?
《地球内部は硬い層やマグマで埋め尽くされていて、空洞なはずはないと言われる方もいらっしゃると思いますが、未だに地球の地層をそんなに深くまで掘って調べた人は、まだ誰もいないそうです。》



地球の北極と南極には、水の壁でできた穴が開いていて、そこから地球内部へ入り込んでしまい、南極にもある水の壁穴から又脱出して来たという話も二・三話残されているそうです。
もしそうだとすれば、太陽が東から西の順路を取っていることも何かの意図さへ感じるほどですね…。

私たちの常識においても、何度も大きな変化が起きています。
コロンブスが地球は丸かったと証明するまで、誰しも地球は平らなのだと思っていたのですから…。
しかし、コロンブスが地球は丸かったことを発見する遥か前にも、地球が丸かったことを証明できる人はいませんよね…。

地球は丸いのではないか?とコロンブスが船を出船させたから地球は丸くなったのかも知れないですし…(笑)。
コロンブスに「地球は丸いのでは?」と思わせた原因や働きかけが何かあったということになると思うのです。

私たちが信じている常識というのは、不変ではなくて、大きな時代の幅をもって変化
するものだと私は考えています。

今現在、地動説が常識として通用していますが、私たちの認識段階が進めば、また天動説が通じるようになるだろうと言っている方も何人かいらっしゃるようです…。
地球の中って空洞だったのねっ!? と地球人類を驚かせる日が訪れることだってあり得るということです…(笑)。

でも、そう分かって常識となってしまえば、ほとんどの人達が受け入れてしまえるところが、私達の従順さですね…。

従順という言葉で、潜在意識のことを思い出しました。
(潜在意識とは、無意識化されていた変性自我のことではありません…。)

潜在意識は、爬虫類脳といわれている小脳に存在しているようです。以前、テレビの番組で観たこともあるのですが、人間は大きく分けて、爬虫類脳と大脳皮質によって分かれる傾向が何かあるというような内容だったと思います…。

潜在意識というのは、非常に従順であるそうです。これは私たちが動物界に属する類人猿と同じ種族から突然変異で誕生したホモサピエンスであるからだと思うのですが、このホモサピエンスに進化できたのには、宇宙の異次元知的生命体の遺伝子操作上の関与があったことは、宇宙情報関連の書籍には書かれていますし、私としても、ここのところは事実であっただろうと今では理解しています。

他の文献でも時代性から、はっきり公言はできなかったものの、その事実と一致する示唆が多いのを私は認めています。

いずれ事実であれば、私たちの理解できる認識段階へ進んだときに、このことも明らかになっていくことだろうと思っています。

哺乳類−類人猿にみられる非常な従順さと服従心、記憶の遺伝性が、私たちが宿る体として、この種を選んだ理由だろうと考えています。

潜在意識は、肉体細胞全体のエネルギーと本能的知恵の集合であると言われており、爬虫類脳(小脳)と心臓下部の神経嚢との独自の回路をもっているようです。

この細胞は、一切取捨選択することなく、貯えていたものをただひたすら、見つめているもの、聞いていること、感覚していること、考えていること、伝えたいこと、感情に反応して従順に繰り返すそうです。

ですから、私たちが今までのように、外界だけを現実としてリアルな体験を積み上げる場合においても、また内的(霊的)世界に気づき、新たな転換を起こし、進化していく場合においても、非常に重要な鍵をにぎっていることは間違いないように思います。

私たちが、神聖なる善のみの思考、または発話、態度を喜んで受け入れるようになっていくほどに、肉体細胞全体も神性さと調和して働くようになり、私たちの行く手を安定した楽なものにさせてくれるのもまた、この潜在意識なのだと考えています。

今はまだ、相当貯えてしまた変性自我の想念に…(汗)…、従順に反応していてくれるわけですが…、自らあきらめることはなく、根気強く内的努力を続けていけば、いずれは神聖なるものに沿って、正しい時と場所に反応し、正しいことだけを努力なく繰り返していける日も訪れると思います。

そのためにも今できることは、今までのような相対的・論争的・推論的思考…不足・苦痛・怒り・恐れに沿った思考を、もうしゃべることも考えることもできないほどに、どんどん忘れていくことと、それと同時に、私は完全なる成就にすでになっているという考えを常にもって、全ての人にものに現象に完全さ完璧さを見ようと努めること…、またその中で、リラックスしたり、くつろいだり、安らいだりしている自分に気づいていけるようにすることや、心がザワめく時は、神聖なる言葉で置き換えること、内なる静けさを観じようとすること…など、いろいろとチャレンジしてみることではないかと思います。



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ある時から、「私−観察者」の立場で本を読むことで、観察者の視点で物事を捉えていた事、又、観察者としての「私」を伝えようとしていた事などが理解できるようになっていました…。

「私−観察者」が目覚めるまで、相当な量の本を読んできました。確かにほとんどの本に感動しましたし、多くの学びがありましたが、しかし、私は肉体側を私だと思い込んでいる私で読んでいた為に、著者が伝えたかったことの、おそらく三分の一ほども受け取ることができずにいたのでした。

私の愛読者だった本を含めて、あまりパァっとしないなと思った本、全く難しくて投げ出した本などが、今は面白いように理解できるのです。

今までは、本当に何に使用されていくのか知らないのに、「あいうえお・・・」「1・2・3・・・」「りんご」「おかあさん」「どうぶつ」と、ただただ黒板に先生が書いているのを真似て繰り返すだけの幼稚園児のようだったのです。


ですから、現在の人間には、2つの視点が常に提供されていたのです。

ある時期が来たら、必ず救世主が現われて人類は救われると言われてきました。
地球人類全体を救い導く存在も現われるでしょうが、個人においては、この「私−観察者」の出現が自分自身の救い主であることは間違いないだろうと私は思っています。

まだ観察者が眠ったままの方は、「考えることと聞くことが同時になる!」とは、どうゆうことか、しばらくの間、または、時々思い出して考えてみることをお勧めします…。どうしても観察者を出現させてもらいたいので、もう目覚めている方には、申し訳ありませんが、くり返し説明させて下さい…。

肉体側に私は居ると思っているうちは、いつもしゃべっているのが当然のように私自身だと思っているので、自分のしゃべっている声を聞こうとする、または、聞けるという状態を知りません…。

これは前にも書きましたように、あとで私の考えを反復したり反省したりするのとは違います…。
常に自分の声、自分の思考を、追聴や追想ではなく、同時に聞くということなのです。常に観察者は自分の中のおしゃべりや思考を同時進行的に見聞きすることができます。「観察者−私」とは、まさしく観察だけを実行する存在なのだろうと考えています。

肉体側の私の内面霊的(内的)な真実の私の、どちらにおいても、全く同時にその情報を見聞きできます。

観察者である私とは、こうしてペンをにぎって書かなければならないということはなく、お腹が空いたら食事をとることもなく、洋服を着る必要もない・・・私です・・・(笑)。

『私たちは、考えていることそのもの、思っていることそのものになる(又はなっていく)!! という原理に基づいて存在しています。』

私たちは、今まで、肉体側が私自身だと思っていました。

私の顔に何かついていないかな…、化粧が崩れていないかな…、いつものように可愛いかな…、顔は整っているかな…???
私の手がドアノブを開ける…、私の指が目をこする…、私の口にパンを放り込む…、私は出かける…、私は電話をしている…、私は眠っている…、、、、

これが今まで、私たちがどの瞬間も行ってきたことの一例です。
ですから、いつも、私が何かをしてしました、考えていること、思っていること、そのものになる!のですから…。

ところが、観察者がわたしであるということになっていきますと、このパターンが崩れていきます。

私は、今度は、「真実の私(真我)」の情報を直接見聞きするようになっていくからです。
内的感覚においては、肉体が私だと思っていた時と同じです。

今の私の状態を説明しますと、この「原稿を書いている」が私そのものであるのです。

もう少ししたらお昼になり食事をしますが、その時には、
「ご飯を食べる」が私している…、
ということになります。

職人さんは、たましいを込めて○○を作ったとか、
この作品には、たましいが籠もってるね…と、よく言いますよね。
これは人間側から見た場合に発する言葉で、
霊的な側からすると、「○○を作った」「この作品」が、私そのものなわけです。
ですから、それにたましいが入っていると観ずることが本当にあるわけなのです…。

こうして「私の思考の創造」から、どんどん顕現されていくわけです。

今までは、常に肉体側の私が私だと思っていましたから、それにいつもなっていましたが、もう、肉体側が私だと思わなくなるほどに、今までの私になるという状態が成立しなくなっていくのです。

今までのように、私が私として努力して動く必要がなくなるのです…。
もちろんそれでもこの肉体は、私を顕現していくのに必要です。
主人公のいない、静かぁ〜な景色だけが永遠と流れていくのなら、この肉体に宿る必要がなかったわけですし、人類も創造されなかったでしょうから…。

肉体(物質的)にしても、霊的なものにしても、唯一創造主より誕生したのであって、どちらが劣っているとか優れているとか差別されるものではなく、同じものの違った側面をもつもの同志なのだと思います。

形体として物質的に現われたのは、それの言葉と思考があったからで、どちらがなくても存在していないわけなのです。
しかし、「はじめに言葉ありき…」ですので、優劣はありませんが、順はあるわけです。

これからは、この正しい順に戻していこうということなのです…。


ですから、差し当たっては、外象上では変化がありません。
「あなたどうしたのぉっ?!
あなたの中にあなたが居なくなったじゃないのぉ?!」
と、大声で叫ばれてしまうなんてことも起きません…(笑)。

また…、
「あなた誰に体を乗っ取られてしまったのよっ!?
どんな奴に支配されて動いてんのさぁっ!?」
と、誤解を受けることもないはずです…(笑)。

私たちが正しい順に戻ると、宇宙の営みの正しい順の流れの方に道を移して進んでいくことになります…。
ひとり、また一人と道に流れ込んで行くほどに、その道は、明るく照らされて、後に続く人々が光源を目指してなだれ込みやすいようにしてあげることが出来ます…(微笑)。



人間だけが順を乱しています…。ここ大自然のニセコで過ごしていると、自然界の完璧な順の美しさに心が洗われるようです…。










【貴重な星−地球−】



以前、地球は宇宙の中でも大変貴重な場所となっていると書きましたが、、、

「地」というのは、「地上」と「地下」を分ける境界線です。
この地球に、「地球」という名が付けられたのは、地上層と地下層とを立ち分ける場所だからではないかと考えたのです。

確かに他のどの次元レベルの天体においても、善悪にいずれ分けられていくという段階が消えることはないようですが…、ここ地球の場所の役割というのは、実地の場所だということなのです。

善をされに極めたい場合、悪をさらに極めたい場合の見せられる次元での実地の場所となっているのだと思うのです。

私たちは、創造のはじまりの瞬間に、一人一人が同じではない「完全なる理想の成就」として誕生しています。本来は、それに沿って存在するしかないわけです。

ある意味では、現情の混乱した変性自我によって本来の理想をことごとく裏切ってしまっていることに比べれば、私のオリジナルな完全なる理想の成就に沿うわけですから、はるかに想像を超えて、祝福された人生に切り換わることは間違いないだろうと思います。

しかし、一人一人がそれぞれ同じではない「完全なる理想の成就」として決定された定義以上のことはできないわけです。

ですから、どうしても創造のはじまりの自分自身の枠を超えた役割を果たしたい!と望んだ場合に、例え、すんなりと進化の上昇に乗り、上次元レベルへと進める場合でも、ここ地上界で存在していくことを選択するということが起きてくるのです…。

ここ地球という実地の場所に関わり、成果を見せられる次元で顕現させることで、唯一、創造のはじまりに「成就」された定義を書き換えることができるのだと思うのです。

その場合、善を極めたいか、悪を極めたいか、どっちの望みも存在し得ると思うので、どちらも許されるのではないか…?と、今のところは考えています。

『地球は、唯一「たましい」の書き換えのできる場所…。』
こう考えると、とても辻褄が合い、理解できることが増えるのです。

これから起こる、一大転換のサイクルにおいて、この地球は滅亡してしましますが、宇宙から消えてしまうわけではなくて、又、地球として現われ、地球の役割において存在していくのだろうと思うのです…。

ですから今は、一大転換のとき私も次元上昇させて、ここ地球から脱出し、新しい星で、新しいレベルで、また更なる再建と成長を共にし、進んでいこうと考えているわけです。

だから今は、二度と地球に戻って来たくはありません…(汗)。

でも、もしも自分自身の「たましい」の書き換えの必要を感じたなら、ここ地球に自分から望んで戻ってくることもあるのかも知れないなぁ〜と、少し思えるようになっていました。



私たちが、完全なる次元から、わざわざ降りて来た理由もそこにはあります。
まだ、地上へ一度も降りたことのない存在たちもいるそうです。

でも一度は、最低ここ実地の世界へ降りてくることが絶対基本原理で、統一法則で、例外は絶対に認められませんが、自由意志が個人においては最優先される為に、いつまでも見送ることは許されているようです…。

逆にまた、帰還の旅をいつまでも見送ることも許されているのだと思います…。

こうして、創造・破壊・守護の三つの面において、無限なる可能性が、いつまでも永遠に存続していくのですね…。




















         








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Last Update : 2008/2/12