《母なる大地−地球》 これから地球に起こる次元上昇と人類における劇的進化…。 それは、まだまだ先のこと…と思いつつどこかで期待しつつ…しかし本当なのだろうか?という思いで 私たちはそのとき一体どうすればいいのか?それまで何ができるのか? 地球は滅亡するのか?新しい地球はどこにあるのか? 私も含めてみんなの知りたかったことだと思います。 それを知るためにも、人間とは…。宇宙とは…。死とは…。人間は何処から来て何処へ行くのか? 幸いなことに、たった10年では勉強しきれない程の著書がありました。 また、多くの方が味わってきたと思いますが、現実の葛藤だらけの世界とも関わりながらの神秘なる そして、ときには希望に燃えてワクワクし、次の瞬間、なんでこんなことやってるんだろう? しかし、特に際立って去年あたりから大きく突破口が開き出しましたように思います。 人間とは?を探求するために自己と向き合うことや心の浄化に重点を置いていたので、 何かは起きるだろうけど、1999年の時のように一般的には自覚のできない静かな変化だろう…と、 ところが、全ては、第一ポイントの2012年に向かっていることを実感せざる得ない情報ばかりに そして今までと何より違う点が、今までは、大方ひたすら本を読み探究してきたわけですが、 「ありゃ!あながち私の書いたことも外れてないんだ…(ほっ)」といった具合なのです。 さらに、そこにはまた新しい情報が付け加えられています。 こんなことを続けているうちに、「あっ!これこそ言葉のバトンリレー! と気づいたわけなのです。 その始まりはやはり、「私はすべてを知っている!」−という言葉を真の意味で理解でき受け入れた 今、多くの人々が心の入替を起こしながら、この光のネットワークに加わり拡大し人類の周波数はぐん 光のネットワークでは、言の葉が結び解かれ結び解かれしていきます。 このとき浮かんだのが「むすんで ひらいて」の唄でした。 結んで 開いて 手を打って 結んで♪ また開いて 手を打って その手を上に♪ なんて素晴しいんだろう!(拍手)(笑) それでも、最終的に地球と人間はどうなるのか?−の情報に辿りつくには数カ月を要しました。 地球のポールシフトの可能性も依然として残っていますし、2012年12月頃に大接近するといわ 地球が最悪滅亡の危機に瀕する場合でも、宇宙から救助の手は差し伸べられUFO群により 私もこの可能性に希望をもってずっと来たわけです。これだけでも待ちに待った念願の船出です。 そしてある日、ふとこう思ったのです。 私が永遠の生命で不死ならば、その日地球から逃げる必要があるだろうか? 助かる必要はない、逃げる必要もない、不死を選択するなら究極の選択「生きる」がある! ここ地球に「生き残る」ことができるのかも知れない…と。 そんな新しい可能性に気づき始めると、どんどんとそれを後押しする情報に出会いました。 アカシック・レコードのメッセンジャーとして有名なゲリー・ボーネル氏が著書の中で、その日私は地球 さらに、地球の地底都市、地球中心の空洞表面に存在する都市の話に頻繁に遭遇するようになりま 前に少し触れましたが、昔から私は地球空洞説にはワクワクしていました。常軌を逸したトンデモ話に そんなこともあってか、私は、神秘的な分野の勉強を始める少し前に、一度だけ短編の物語を書いて 最近頻繁に地球の地底や空洞都市の話に遭遇するので、前にこんな話を書いたことあったよな… すると、なんとも短編であっさり大雑把な物語であったのですが、ポイントは同じなのです。 なんだ…、私は知ってたのか…と思わず笑ってしまいました。 私は十数年前のとある日、突然、ピカっ!と光る光を空間に見たのです。 その光は、今まで見たこともない小さな美しい光でした。何かの反射でもなく、この次元の電気的な そして、その「光の天使」の物語を書いてみようと思ったのです。そのときの天使の名前が実は 思考のビジョンの中で、どんどん物語が展開していきました。私が光の玉の中に入って地球の中へと どうしてか光の玉に入らなければ私は地球の中へは入っていけなかったようです。 地球の中は、とても凝縮されていて、すべてが大きく、水晶のような太陽があったことが書いて そして最後にジコリは、もう当分の間姿を現すことはできないから自分一人でお勉強するようにね! しかし、まさしく、そのとおりに私はひたすら勉強してきてしまっていたのです…(汗)。 このことは、本当にもしかすると、想念で異次元だろうと地球の中だろうと何処へでも旅や冒険ができ 私の夢となったことの数々が本当に現実化しようとしています。地球空洞説への夢。ある夜UFOの 夢を実現させていくという創造…これが永遠の生命でのチャレンジ。 チャレンジと冒険には終わりがなく無限である。 これが私たちがただ在り続けるということ…。 一人一人の夢へのチャレンジに違いがあっても、宇宙や地球規模の夢であれば、 それは一つに結ばれていたのです。 地球は、母なる大地−女神であるガイアです。 母なる大地が人間に種をまき育てさせ栄養の実を与えてくれます。それは野菜や果物・穀物などで これと同じように、人間に霊という種をうえ付け育て霊性を実らせようとしている…と考えることができ 地球は、母の子宮です。 私たちの帰る場所は、地球の温かい穏やかな母の子宮の中だったのです。 もちろんこれは一つの選択肢です。 ラプチャー(空中携挙)されるという救出劇が無くなるという意味でもそれが駄目だということでも、 いずれにしても地球上に一時的にであってもいられなくなることは想定されています。そのために このどちらの場合も一人一人の心の浄化・純化を果たし光の周波数にまで自分自身を上昇させて このような話を聞いた場合に大きく分けると二つの反応が考えられます。 ある人にとってこの話は希望の道であり待ちに待ったチャンスと感じ準備を始めます。またある人に 自らが自分の信じた道を最善としてみんな歩いているわけです。 幸せになりたいあまり不幸な道を選んでしまう場合はあり得ても、不幸になりたくて不幸を選んでいる また、今まで介入できなかった天地の異次元の存在たちが、もうまもなく私たちに現れると伝えられ 今一人でも多くの人が一日も早く目覚めて準備を始めることが必要とされています。 《神への祈り》 現代では、あらゆる情報が簡単に手に入ります。 色々な話も聞けます、教えてもらえます。しかし、いかに重要な情報を得たにしても自分自身の中で 内なる私たちの姿は、思考であり言葉であり光です。自分自身で考えを巡らすほどにその情報が 自分の内で、その情報やビジョンが普通の思考となったときに、自分自身の中に刻まれます。 私たちは、三次元の肉体に宿っています。宿らなければ人間は言葉をもつことができません。 寝ているとき、大きな口を開いていびきをグゥグゥかきヨダレを垂れている姿を考えてみてください しかし逆に、霊(思考)は物質的な肉体があるからこそ宿れるわけで、 本来、お互いに守り合い力を合わせ一つになることができるのが肉体と真我なのです。 私たちはよく、守護霊に守られている、守護神がついているという言い方をしますが、 幽界の守護となり長いこと生きてきてしまったのが現代の多くの人間のようです。 そして、この守護神の正体とは、自分の内なる思考−心のことでもあります。 守護神とは、主語であり、守語であり、守護してくれている神(言葉)のことで、 このことが理解できると、幽界の守護はもういいから神霊の守護に変えなくては!と思うようになりま 幽界とは、心をエゴが占有してしまったために邪しき考えに自動的に操縦されていて、 心の凹凸により直々の神との交流が断たれている状態で、妄幻の世界ともいえます。 神との直々の交流に、この世界での疑似教育による知識や理屈は必要ありません。 また、ある意味では、人間自体には言論の自由はないといっていいかも知れません。 それを私たちは脳で処理して言葉を発するという自由はあるといえますが…(複雑な汗)。 ムッとするとエゴがしゃべり出し、喜べば神が心に現れる…(笑) エゴで生きていると自動操縦されているも同然なのです。喜びや調和をうむ感情は真我とつながりま 私たちは、古代から神に祈りを捧げてきました。ところがいつの間にか偶像崇拝という形に変化して 神に呼びかけ、問いかけ、祈る…これは、自分の内なる神への呼びかけです。仲介者も偶像崇拝も 自分の内なる神に呼びかけ問いかけ祈る、そうすれば神は自分の内を通して現れ、自分で自分を 《龍の息吹》 『霊界物語』の著者であり大本教の聖師出口王仁三郎氏は、龍は耳が聞こえないと伝えています また、「ひふみ神示」には、 地からの竜神は進化していくのであるぞ。天からの竜神は退化していくのであるぞ。 と示されています。 これからいよいよ交差(交叉)−天地人の融合が果たされると思われます。 天気は、私たちの生活に大きな影響を及ぼします。 天気とは、まさに天の気なのです。いつもそばにありいつも変化していて常に地上の人間や生活や 天気は人間の心の影響を受けて変化していますから、昨今の異常気象は、人間の心の乱れに他 日本は龍体であり世界のひな型であるといわれてきました。 日本人は、もっと素晴らしい本質を持っているのです。 《掃除・洗濯》 「ひふみ神示」には、頻繁に心の掃除せよ、心の洗濯せよ、改心せよ、と示されています。 私は、朝起きたら、まず歯を磨き身だしなみを整えたら、お部屋のお掃除とトイレ掃除をします。 毎日すると毎日ホコリがたまるのがよく分かります。毎日汚れるのがよく分かるのです。 どこかに汚れがあるとすぐに見つけられるようにもなります。 先日、知人の家を訪れたときに、玄関に蜘蛛の巣が二か所もあるのを見つけたので教えてあげると、 どうして同じ目がついているのに、こんなにも見えるものが違うのかと思ってしまいます。 散らかった部屋に平気で住んでいる人を信じられないと思ってしまいますが、当の本人にしてみると このように、人間は目に映るものを自分で選ぶことができるのです。 実は、心の掃除・洗濯もこれと同じなのです。 環境とは自分そのものです。自分の身の回りを綺麗にすることは自分の心を綺麗にするのと同じなの 汚れもホコリも溜まってしまうと、どれほどのものか見当もつかなくなり手をつけるのも面倒になります。 心の掃除も同じで、ホコリが溜まりっぱなしだとそれが一面化して、綺麗な部分も汚れた部分も見分 自分の心や内なる活動も見ようと思わなければ見えてくることはないのでしょう…。 いくら心のお掃除をして観察していても古いエゴの思考は、ちょぼちょぼと隙あらば顔を出してくれ 「ひふみ神示」には、悪を殺すでないぞ、悪を抱き参るのぞ。と示されています。 私は去年まで、この「抱き参る」という言葉を「だきまいる」と読んでたのですが(汗)、ふとある日これ また、喜びの裏の苦に捉われるから判らんことに苦しむのぢゃ。苦と楽共に見てよと申してあろう。 要するに、喜んでいるとき苦は裏に隠れ、苦しんでいるとき喜びは裏に隠れてしまう。 だから時が来るまでは、そのままでどちらも共に見て参りなさいということだったのです。 今、このエゴが表面化してしまうことは、光にさらされているがゆえに起きています。これは大切な 《愛と誠》 与えたものだけが自分に返ってきます。 これで誰に不満をぶつけますか?…すべては自分次第ということなのですね。 これが、本当にすべては自分のもの…ということの意味です(笑)。 逆から言いますと、すべてが自分になったときにエゴの自我は消えるということになります。 前にも書いたかも知れませんが、心配とは、自分の心を相手に渡すことになります。 相手に配ることのできないものは自分のものにはならないのです。このことを真に理解できたとき、 自分がエゴから話すと相手もエゴで返してきます。自分が渡したもので返ってくるからです。 同じく、エゴで明日やこれからのことを予測していると、そのままのことが起きます。 是非、日常の中でできることですのでチャレンジしてみて欲しいと思います。 驚くほど効果があります(笑)。カウンセラーや相談所に駆け込む必要もなくなります、 例えば、相手に苛々・ムッとして、心の中で又は面と向かって裁きたくなるところをぐっと堪え素早く 自分がすべて次の瞬間を作り上げていることが実感できます。 これもすべては自分であるという謙虚さがただ自分を幸せにしてしまうのです。 愛は、すべてを結び付ける役割を果たします。愛とは、合い合わせることであるからです。 男女の愛というのもそこからきていると思います。しかし、男女の愛が悲しみやいさかいや苦しみを この世もどの次元においても、善と悪に、または善的(善のはららき)と悪的(悪のはたらき)に分けら 誠となるには、善と悪の知識と学びをどちらも知り体験する必要があったのだと思います。 例えば、一人の女性が、夫のことがいつも心から離れなくて今何してるか何考えてるのかと もしも後者の女性が、そのような女性のスタンスに憧れていてそう装ってはいるけれど、内心では、 前者の方が一見すると夫を信頼していないウジウジした女性に見えてしまいますが、 エゴは、嘘をつくのが上手で、取り繕うのが巧みで、偽善を装います。自分自身に都合よくすべてを 自分を見極めること中々なほどエゴの振舞いは高度に成長してしまったのです。 地球の地上世界は、愛と誠に生きることを学ぶための非常に厳しい実地の場所でした。 地球の地上世界がそうなってしまったのは、何かの宇宙的な事故によるのか、 五次元の光の周波数へ上昇できない人々は、改めて三次元のレベルの惑星へと転生することになり まわりの状況や他者を相手にして混乱に巻き込まれるのではなく、 そして、このことを真に理解し実行できると、自然とまわりに影響を及ぼすようになっていきます。 輝石(きせき)なのは、たった一人の自分なのです…(笑)。 《希望の光》 どんなときでも、どんな状況でも希望の光はあるものです。それを見つけることです。 その希望が、自分に希望の光の道を切り開いていくのだと思います。 フォトンベルトや、太陽フレアの影響で、地上の電気やコンピューターシステムが停止する可能性が それでも慌てることはないのです。今私たちがやらなければならないことは、 何も恐れる必要はなく、希望の光を心に保つことを常に選択することができます。 こんなときには焦るべきだとか恐れて助かることにしがみ付くなどのエゴ特有の反応や常識に合わ 光に限界はなく無限であることをいつも思い出し、常に無限の思考−永遠なる生命で肉体と共に夢 挑戦に終わりはありません。人間が自分を守ろうとすることには限界がありますから、 人間にできることは、感情を喜びや調和にフォーカスして、 すべてのあらゆることは、やはり紙一重(神一重)なのです。 裏と表があります。それを見極めるのは自分のことでさえ中々なのが本当のところなのです。 すべてを体験的に現実として味わえるのが、ここ三次元の特徴といえますから、 今はいわば、地球上での長い長い時間のかかった学び舎での卒業試験を受けていると思ってみる いついかなるときも、自分と向き合っている相手が問題なのではなく、自分の在り方や処理の仕方を また、相手がいなく、自分自身だけの想念の課程においても、いつもと違う反応への切り換えも抵抗 どちらにしても、古いパターンを手放すと喜びの方が多いのは間違いないようです。やはりすべては 限られ囚われたエゴの世界で苦痛を味わうことに際限がありませんでしたが(汗)、限りない喜びの 今、私がこうして文章を作成しているのも自分への自分でのチャレンジです。読書も同じく自分への 自分でものを書いているときも、本を読んでいるときも同じように自分を知るためのチャンスであり、 すべてを、自分自身の希望の光と見ることが可能なのです。 すべてを自分自身に向けたときそれは光となるのです。思考や言葉が光だからです。 すべての思考や言葉を自分に向けることができるということは、自分が光になるということです…。 自分の内なる声を持続的に観察できるようになる程に、直接的に同時的に観察できるようになる これが益々達成されるほどに光へと自らを近づけていきます。思考とは光だからです。 真我の思考との距離・時間がどんどん狭まっていき、いつも離れることがなくなります、 先日、親戚の伯母さんと電話で話をしていました。 呆気なく本質を見抜いた伯母さんにも驚きましたが、そうなのです、誰でも簡単に分かることなのです。 思考が私であるとは…永遠にやること見つけてしまったことなのです…(笑)。 2008年5月 ジコリ |
Last Update : 2008/5/18