タマのひとり言
2004年5月10日
『母…』
昨日は「母の日」でしたネ。
みなさんはお母さんにプレゼント、あるいは「ありがとう」と言葉をかけて差しあげましたでしょうか…?私の体験談に何度も書いてありますが、私の母は『痴呆症』で地元の特別養護老人ホームに入所しています。
もうカレコレ5年くらいになるでしょうか、、、。
数日前に、その特養から「お母様が血中酸素の飽和量が高く、微熱が出ているので施設から最寄りの病院へ入院させます…」と連絡がありました。
入所当時はマメに見舞いに通っていた私でしたが、症状は徐々に進行し、遂には私が息子いうことも解らなくなり…。
あげくは男か女かの区別さへ解らなくなってしまったのです…。そんな母は私が見舞いに行く度に、何処か一点を見つめていつも唄を口ずさんでいるのです。
その唄は決まって童謡でした。
それは私が幼い頃に母が唄って聴かせてくれた唄でした…。昔は「〇〇小町」と噂されるほどたいそう美人だった母、、、。
(ちなみに私は玉川家では唯一母方系の容貌をしています…。微笑)
私は参観日に母が来るのが自慢でした。
ダンスが好きで、唄が好きで、勉強も仕事も大好きだった母…。
私の父もリーゼントにしてダンスホールに通い詰めていたようですから、私は昔で言うところの「モガ(モダンガール)」と「モボ(モダンボーイ)」の間に出来た子供ですネ。私は地元の中学を卒業と同時に東京の『〇〇大学付属高校』に入学しましたので、16歳で母と離れて一人で生活をしていました。
学校の休みに帰省し、再び東京へ帰る私をわざわざ連絡線に同船して、岡山県の宇野港まで幼かった弟と一緒に見送ってくれたこともありました。
(その頃は、瀬戸大橋どころか、山陽新幹線もなかった時代です…)初めての「小旅行」で楽しそうに笑っている幼い弟の横で、母親がハンカチで顔を押さえていた姿は未だに私の記憶にハッキリと残っています。
そんな美人でやり手で、賢かった母の記憶…。
だからこそ、私は特養に入所してからの母を見るのが辛くて仕方がありませんでした。そんな想いからか、いつしか足は遠のき、、、。
気が付くと今日、たった今、母を見舞うまでに2年もの月日が流れていました。それに当時はほとんど同時に『脳梗塞』で倒れた父に代わって会社を引き継いだものの、その借金の多さに仰天し、私が「会社再建」を姉が「両親の面倒」をと役割を分担したことも少しは影響しているのかもしれませんが…。
それにしても、、、とんだ「親不孝者」ですネ…。(苦笑)
降りしきる大雨の中、車を走らせました。
実は、私の住まいから車で10分もかからない所に病院も特養もあるのです。
しかし、その10分が私にはどれだけ遠かったことか、、、。母は内科の6人部屋の病室に寝かされていました。
どうやらその病室には2人しか入院していないようでした。
私が近づいても、声をかけても、母はまばたきもせずに天上の一点を見つめたままなのです。そんな母のベッドの脇に腰掛け、「そっ」と母の左手を握りしめました。
それでも何の反応もしめさない母…。
母の症状が重くなってからは、私は一切のエネルギー的な調整どころか「遠トリ」すらもおこなわなくなっていました。
周りで心配し「ウロウロ」している私たち家族は辛いですが、父親が倒れ、会社の借金をその「か細い両肩」に背負わされる母の苦しみを考えると…。
今の母にしてみれば子供に戻ったようなもので、何の心配事も苦労も無く、逆に幸せなのではないかと思っていたからです。隣りに座っている私の存在にも気付かない母の左手から、「そっと」エネルギーをレスキューしてみました。
そしてユックリと「今の母に一番気持ち良いエネルギー」を送り込んでみました。
すると徐々に母親の体温が暖かくなっていくように感じるのです。「試しに…」と思って母に話しかけてみました。
「おかぁちゃん、芳伸が来たよ。わかる?息子の芳伸だよ。からだ大丈夫なの?」と…。
すると空ろに天上を見つめていた母の瞳が、どうやら私の瞳を捜しているようなのです…。そしてようやく私の瞳を見つけると、「じっ」と微動だにせず、まばたきもせず、見つめ合ったままの状態がしばらく続きました。その内に「あぁ…、うぅ…、」となにか話し出しました。
「えっ、なに…? なにか言いたいの?」
「〇△□☆◎×★◇▽〇※◎」
と結局なにを話しているのか私には理解できませんでした…。
要領を得ないので、仕方なく私は小さな声で唄を歌い出したのです。「♪ かぁ〜らぁ〜すぅ〜、、、なぜ鳴くのぉ〜、烏は山にぃ〜、、、♪」
すると母親の瞳に少し光が蘇りました。そして、、、、私の握った手の中で力無くしな垂れていた手に「ぐっ」と少し力が入り、ほんの少しですが握り返しているのです。
そして、、、母の瞳からは澄んだ一粒の涙がこぼれ落ちていました…。私の言葉は理解できない母のようですが、「唄」はどうやらわかるようです。
言葉を『言霊』と申しますが、伝わらない方もいらっしゃるようです…。
しかし、「唄」にはどうやら言葉を越えた「エネルギー」が存在しているようですネ。『サウンド・ヒーリング』とかいうものもあるようですから、「音楽」で、「唄」で癒せる方も大勢いるのかもしれません…。
しかし…、ここでも私が歌った唄は何故か「♪ からぁ〜すぅ〜 ♪」でした…。
何処までも「烏」がつきまとうようです。
「ふぅ〜む、、、」
母との2年ぶりの対面も、実は『八咫烏』のお導きだったりして・・・。「かあちゃん、ありがとうな」と、、、。
このひとことがなかなか言えなかった私でしたが、思わず心の中で母に囁いていました。
「あっ、気持ちいいのかな…?それとも昔を思い出したのかな…?」
と、それでもドンドンとエネルギーを流しながら歌いつづけると、今度は嬉しそうな顔をして声を出して笑い出したのです…。「ふぅ〜む…。意味がわからない、、、?」
それが私が流したエネルギーの作用なのか、それともただ私の唄い方がおかしかっただけなのか、、、。
わかりません…???
でも母が笑ってくれたことで、私も少し救われたような気持ちになりました。
そして、今度はちゃんと声に出して言うことが出来ました。「かあちゃん、ありがとう!!」と・・・。
こういう話を書くと決まって、
「どうして調整師なのに、ご両親をエネ調整しないんですか…?」とか、
前回の超能力レポートでも「腰痛だった」と書きましたが、
「どうしてご自分の腰痛をエネルギーで治さないのですか…?」とか、
「調整師さんでも病気や怪我をするのですか…?」
と尋ねて来る人が必ずいます。そして、
「そんなことまで書いたら、依頼に影響するんじゃないですか…?」
と心配してくださる方までいらっしゃいます。ご心配はありがたいのですが、私は「ありのまま」で良いのです。
そんな私の「遠トリ」がイイと感じてくれる人がご依頼をくだされば、それで十分なのです。
「縁は異なもの味なもの…」と申しますように、「あっ、これは男女の縁は不思議なものである」という意味でしたネ。ちょっと違うけど、まっいいか、、、。(微笑)
とにかく「ご縁」の無き方とは「ご依頼」という形を通してもつながりはしないのですから、、、。私は何度も体験談等を通して書いていますが、「調整師だろうと、ヒーラーだろうと、風邪もひけば、くしゃみもするのです。そういう点では、みなさんと何も変わりはしないのです」と…。
ただ自ら進んで言う方がいらっしゃらないだけの話で、現実に持病を抱えている方や、お身内に難病の方もいらっしゃいます。
と言って内緒にするのが別に悪い訳でもないし、それは個人の自由なのです。私は「バカ」だから、なんでもしゃべっちゃう癖があるだけのことで、私が正直でもなんでもないんです。
ただの「バカ」、、、「癖」なんです。(笑)そして、自分が怪我したり病気にかかることや、家族に病人がいることと、ご依頼を受けてエネルギーで調整することとはまったく次元の違う話なのです。
現に『痴呆症』の母と『脳梗塞』の父がいる私にでも『痴呆症』『脳梗塞』改善の依頼は来ますし、ちゃんと私は遠トリで対応していますからネ…。話を元に戻します、、、。
って、、、元に戻らなくなっちゃたよぉ〜…。(苦笑)
とにかく『親孝行、したい時には親はなし…』とか昔の格言にもありますように、「どうか1年に1回くらいは、『母の日』『父の日』に「ありがとう」って言えればいいですネ!」と言うお話でした…。
「かな・・・?」
なんだか、しんみりしちゃって申し訳ございません。
人はその人生で、何度も悲しいことや苦しい出来事に直面します。
しかし、いくら泣いても、いくら苦しみ悩もうと、何も解決はしないのです。
エネルギー的に言いますと、逆にドンドンと悪い状態になっていき、それがまた悪い流れを引き寄せるのです…。
『悪循環』というやつですネ・・・。本当は、そんな時にこそ、無理してでも「笑って唄って」いられたら素晴らしいなぁ〜っと思ったのです。
『笑い』のエネルギーには、なんぴともたりとも敵わないのです!!ある方がこんな話を私に聞かせてくれました。
「あのネ、もし神さまがいるとしたら、神様には人間の善悪や好き嫌い、幸不幸とかいう低次元のレベルのことは理解出来ないと思うのです。だからいつも上から観察し、何かある度に愚痴ばかり言ってる人を見ると、“あぁ〜この人は愚痴を言うのが好きなんだ…。それじゃぁ、もっと愚痴る材料を与えてあげなくっちゃね…。”みたいに、これでもかというくらいに愚痴る出来事ばかり起こしてくれるのではないでしょうか。
悲しんでばかりいる人には悲しくなるような出来事を、
悩んでばかりいる人には悩みたくなるような出来事を…というように、、、。それは神さまのレベルでは、人間の望んだ願いを叶えているということなのではないでしょうか。だから逆にいつも笑顔で笑っている人には、笑顔になれる材料ばかりを与えてくれる…。
きっと神さまってそういう存在なのでしょうネ。(微笑)
あなた次第で、どうにでも変わるものなのかもしれませんよ」と・・・。だから何時も笑顔で「顔晴ろう!!(がんばろう)」と、、、
私はこれが言いたかったのかな、、、。
「です・・・。」
きっと私の母も今頃は病院のベッドで、「そうだ、そうだ、、、」と微笑みながら頷いていることだと思います。みなさん、今日も一日、笑顔で顔晴りましょうネ!!(微笑)
ありがとうございました。
2004・5・10 母の日の翌日…。
Last Update : 2004/5/10