第27話.ワッショイの語源

戦前も戦後も御神輿をかつぐときのかけ声は「ワッショイ、ワッショイ」だったように思います。最近の浅草の三社祭りでは、「ソイヤ、ソイヤ」のかけ声に変わっています。私だけが「ワッショイ」と全国的に統一されていると、勘違いしていたのかもしれませんが、いつのまにか「ソイヤ」に変わっているように思えてなりません。
李寧煕(イヨンヒ)さんの説によると、「ワッショイ」は韓国語だと思う、とのことです。
「ワッショイ」に似ている韓国語に「ワッショ」という言葉があり、「来ました」「着きました」の意の「ワッソ」「ワッソョ」の古形であり、語尾の「イ」は日本語の「・・・ね」に当たる、とのことです。
4世紀から7世紀の後半にかけて、おびただしい亡命集団が百済(くだら)から日本にやってきたことを考えると、この百済(くだら)風のことば「ワッショイ」と御神輿のかけ声「ワッショイ」は、何となくつながりがありそうです。 
潮に乗り、玄海灘を越えてはるばるとやってくるのですから、相当大きな船だったのでしょう。
砂浜に着いた貴族達は、「来ました」「来ました」の歓喜の声を上げ、御神輿のようにかついで上陸したと考えられます。「おみこし」は分解すると「お・み(水、海)・越し」で「海越し」をあらわす名詞で、事実、千葉県のあるお祭りは、おみこしが海からやってくるさまを豪快に再現しているそうです。
日本の神社には、韓国からやってきた貴人を御祭神としているお宮が沢山あり、一方韓国の貴人は当時「ガマ」「ガメ」と呼ばれるおみこしを乗物として使用していたので、神社のお祭りにおみこしが登場するのはこのせいかもしれないと、李寧煕さんは説明しています。私は「ソイヤ」の語源を知りません。どこから来た言葉でしょうか?調べてみたいものです。
     (1997.2.12.記) 
       












第28話.青二才

先に緑色と青色の関係について、日本独自の色彩感覚があることを、第19話で述べましたが、青二才の意味が解けるような本を読むことができましたので、ご紹介いたします。
韓国人女流作家で東京生まれ(1931年)の 李寧煕(イヨンヒ)さんの「フシギな日本語」によれば次のとうりです。
古代韓国語で「ミ」は「水」のこと。数詞の「三」を表す言葉であるとともに「水」も意味します。「ドル」は「周年」を意味しますが「石」も「ドル」です。
「ミ・ドル」は「水石」「水の中にある石」です。水の中にある石はだいたい苔むしていて緑色でしょう。この「ドル」のような単音節の韓国語は、古代においては「ドリ」などと通常二音節に発音されていました。「ミドル」は「ミドリ」と呼ばれることにもなるわけです。
平安時代では、「緑」が「青」をも指して用いられていました。
青の語源は古代韓国語の「葵」を意味する「アオク」なのです。地方によっては「アウク」「アプク」とも呼ばれました。
葵の葉の味噌汁などは韓国人の大好物の一つです。葵の葉の色は、日本語大辞典(講談社)の原色写真によれば緑そのものです。
青は「未熟」「幼い」をも意味することが、古語大辞典(小学館)に書いてあります。推測ですが「緑にも達しない青」の意味かもしれません。
日本では「子の祝い」は「七.五.三」ですが、韓国では一周年と三周年に重きを置きます。「三歳児のミドリにも達していないアオの二才」の意味ではないでしょうか?

以上の文を読んで、青一才でも青四才でもなく、青二才の意味がわかったような気がしました。
   (1997.2.15.記) 


















第29話.漢字の「棄」(き、すてる)

産業廃棄物という言葉が環境破壊問題と合わせて、昨今の新聞や、テレビでしばしば報道されています。
私が学校で習った頃は、廃棄物の「棄」は中程の「ム」の下に「世」という字を書いたものでした。しかし今は当用漢字で「世」の替わりに「丗」を書くようになりました。

この「棄」という字を古語辞典で調べましたら、意外なことを見つけました。それは生まれたての赤ん坊を、そのまま山や野に捨てるということなのです。そのときの母親の心情を思うとき、どんなに切なくやりきれない気持ちだったのだろうかと、胸をかきむしられる思いがしました。

「亠」(部首:なべぶた、けいさんかんむり、音でトウ)に「ム」を合わせた字は丁度子供の「子」を上下ひっくり返した格好の字で、赤ちゃんが頭を下にして生まれてきたときの様子です。「丗」は草籠の意味で、これで包んで山や野に捨てる風習が古代あったようです。
生活苦のため、口減らしのため、生まれてくる赤ちゃんを捨てる時代があったのです。    
  (1997.2.16.記 )
  










第30話.退役軍人

日本は戦後「戦争をしない。自衛のための自衛隊に徹する。」との平和祈念の理念から、一人も退役軍人はいません。自衛隊を辞めた人達がいる程度であります。
海外旅行や外国人との会話から断片的に聞いたことですが、私の退役軍人観についてのべます。
十年ぐらい前ですが、韓国の民間会社で、姿勢の良い背筋のピンとした体格のいい人達に囲まれて会議をしたことがあります。彼らは眼鏡もかけていませんでした。通訳の人に聞いたら殆どの人が退役軍人だとのこと、仕事には物凄く熱心で、気迫のこもったその態度には圧倒されました。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との臨戦体制下、国民に緊張がみなぎっていました。
同じ頃ですが台湾でも、大陸との間に緊張がみなぎっていました。台北で車から降りるとき、私がカメラを車の中に置いて外から見えないように隠す工夫をしていたら、現地の商社の人が「そんなに隠す必要はありません。街中退役軍人だらけだから泥棒はすぐ捕まる。」というのです。ここも徴兵制のためか、街には退役の元軍人が多いのだと感じました。

スイスに行ったときのことです。スイスにも海軍があるのですね。レマン湖に国境があるので軍艦も潜水艦もあるとのことでした。空軍は山間の小さな飛行場での離着陸が非常に難しく、特別な訓練をするそうです。若い時の徴兵ではなく、会社に入ってからでも任意の時期にノルマを果たせば良いという制度のようです。どういうわけか会社での上司が会社の部下よりも階級が下というケースが起こるということでした。退役になる際、銃を個人持ちとして渡されるそうで、家の中に厳重に保管をするが使うチャンスは一回も無く、時には奥さんを・・・したくなる。と笑って話をしてくれました。
日本は戦後50年たちましたが、戦死者ゼロは世界の中で唯一の國だそうです。平和の有り難さと、軍縮の難しさを感じます。余談ですが、最近の若者が台湾や韓国に旅行して、現地の年配者が日本語を流暢に話すのに感心し、彼らの悲惨な過去に思いが至らない場合があるのを耳にします。海外旅行者は心すべきことでしょう。
   (1997.2.19.記 )




















第31話.村八分

村八分という言葉を聞かれたことがあるでしょう。残る二分が火事とお葬式であることを知っている方も多いと思います。
日本は元来農耕民族でしたから、生活の基盤が村という単位に置かれていました。
村全体がまるで一つの家族のように農作業から結婚、葬式にいたるまで村総動員で行われてきました。
江戸幕府の出した御定書(おさだめがき)に「十の付き合い」というのがあって、人間同士の付き合いの基本を示していたそうです。
つまり「誕生、成人、結婚、死亡、法事、火事、水害、病気、旅立ち、普請(ふしん)」という十項目があげられていました。
村の中の掟として村にとって不利益だったり、悪事を働いたりすると村八分という制裁措置が執られました。
「十の付き合い」のうち、火事と葬式以外の八つは、なにがあってもつき合わないこと、というものでした。火事はすべての財産を失ってしまう災難であり、他の家にも類が及ぶおそれがあること、葬式は人が死んで悲しく、死んだ人には罪がないという考え方からこの二つは除いたようです。
西洋などでは、日本と違って完全疎外をし、十のうち二つは許してあげるなどという仏心などは全くみられません。日本人は本当に心優しい民族なのでしょう。

増原良彦(編) 和風と工夫 を参考にしました。(1997.3.8記 )











第32話.木魚(もくぎょ)

お坊様がお経をあげるとき、木魚をポクポク叩きますね。
この木魚のいわれを調べてみました。
木魚はもともと仏教で読経のときに使われ、魚板(ぎょばん)といわれる魚の形をした木の板が起源です。いまは中空で魚が口を開けている、鈴のような形をしたモノが一般的だそうです。
殺生を禁じている仏教でお魚の登場は一寸理解し難いところです。
この木魚、なぜ読経に使われているかというと、実は、お坊さんの眠気覚ましというわけです。確かに、音を出しながら修行すれば、なんとか睡魔に打ち勝てるとは思うのですが、何も魚の形でなくてもいいのではという気がします。
その昔、魚はいつも目を開けているので、眠らない動物だと信じられていたのです。魚にあやかって眠らないで修行をしようというおまじないだったのです。
いまでは、魚はまぶたがないから、目を閉じることが出来ないだけで、目を開けたままでちゃんと眠っていることがわかっています。

増原良彦(編) 和風と工夫 を参考にしました。(1997.3.8.記)





















第33話.お箸(はし)

 外国人と日本食を一緒に食べる解き必ずお箸のことが話題になります。
このお箸のことについて調べてみました。
そもそも日本人はどうしてお箸を使って食事をするようになったのでしょうか?
これについて神崎宣武氏は、不浄な手を使わずに食べものを運ぶためという説を述べています。
神社の伝統的な儀式に、「直会(なおらい)」とよばれるものがあります。
神に献じたお神酒(みき)や御神飯(ごくつう)を氏子(うじこ)にふるまう儀式ですが、そのとき、神官(しんかん)や世話役は、お箸で御神飯を授けます。
お箸を使うのは神が授けるものを、不浄な手を使わずに運ぶためです。そういえば、神社や寺院などでは、不老長寿家庭円満の功徳などのふれこみがついたさまざまなお箸が売られています。これもお箸に宗教的な意味合いが強くこめられているからでしょう。
二本箸が一般的に広まったのは、奈良時代頃だといわれているそうです。
この頃は、今のような短いお箸ではなくお菜箸(さいばし)のような長いお箸でした。中国や韓国にもこのような長いお箸を使って食べる習慣はありますが、短いお箸を使うのは日本だけのようです。ご飯やお粥は、お椀をもって食べたほうが食べやすく、そうなると長いお箸より短いお箸のほうが使いやすいということではないでしょうか?
私が韓国に出張した昭和63年には、銀製?のお箸が縦においてありました。銀製はもしも汁ものに毒が盛られていると、色が変わるためと聞きましたが本当でしょうか?

藤野 紘 著  和モノ  を参考にしました。(1997.3.15.記)










第34話.乾杯

日本は昔から共同飲食が互いの近親感を強め連帯の意識を高める効用があったようです。
ともに酌み交わすお酒には、ことのほか大きな効用があったのでしょう
外国人に日本酒の飲み方を教えるとき、おちょこを持つ手は、右手だけではなく左手も添えて、両手に武器を持っていないことを示すとともに、お酒を注いで貰ったら飲みほしてから、返杯といっておちょこを相手に渡してお酒を注ぐのがマナーであると説明していました。
私は下戸でお酒は全然飲めません。日本では困ることもありましたが、最近では無理じいする人も無くなり大変喜んでおります。
台湾では、丸いテーブルを囲んで食事をする際、中国酒が出ます。目と目が合うと、誰々さんカンペイといって互いに盃を飲み干してから底を見せあいます。何回も繰り返すので、相手の名前を覚えるのには最適な方法だと思います。
お酒を飲めないといって断るとズイイ(随意)といえば口を一寸つけるだけで良いと教わり大変助かりました。

南米チリでは乾杯のとき「サルー」(健康を祝す)といいます。欧米人はお酒は自分自身が飲みたいだけ自費で飲む習慣があり、気を使わないですむので良い習慣だと私は思います。
          (1997.3.15.記)











第35話.なぜ酒飲みを左利き

日本の酒盛りは祭りのさい、神の前で一つの儀式として厳重な秩序のもとに行われていたようです。
冷酒を飲みまわす集団的な酒宴方式には、お酒が上座から順々に下座に流されていき、一人一人が盃をまわして飲むたびに、一曲ずつ謡い(うたい)を歌いました。こうしたことを「ウタゲ」といいます。
一献・二献と厳重にすすんで五献におよぶのが本式で、室町時代(14世紀末)までは、一献ごとに盃を改めていき、五献には前の盃が五枚重ねになるというのが習わしでした。夜が明けてしまうことがしばしばであったそうです。
そこで略式がひろまりました。一献・二献・三献までを大きな盃を使い、後は無礼講で各自自由勝手に飲みました。更に略式になると、はじめから膳の上に五つの盃を並べておき、一番右端が小さく、順々に大きくなり左端が一番の大きい盃。みないっせいに小さい盃から飲み始めました。
左手前におかれた大きい盃が一番あとに用いられるわけですが、これをもっともよく飲む人にすすめるため、順序をとばして左の方からはじめることがありました。酒飲み、酒好きを「左利(ひだりきき)」というのはここから生まれた言葉でした。
芸者を左褄(ひだりづま)というのも関係がありそうです。

岩井宏美 著 民具の博物誌 を参考にしました。(1997.3.16.記)












第36話.七輪(しちりん)

戦前はよく使っていた七輪も最近では殆ど見かけなくなってしまいました。
この七輪という調理器具を見たこともなければ、全然知らないという人が増えていると思います。
魚を焼いたり、焼肉をしたりするときにガスや電気などよりもよっぽどおいしく調理できます。炭火焼きは、再注目の調理方法です。
七輪でさんまなどを焼くと煙がもうもうと出て、近所迷惑な思いをしますが、味は格別です。
昔は、煮炊きは薪をくべて竈(かまど)でおこなっており、かなり煙が出ていました。
しかし、竈は魚を焼いたり煮物をしたりとちょっとした料理には不便でした。そこで登場したのが七輪というわけです。
七輪のメリットは少ない炭で火力が強いという点です。
下に空気穴があいていて、うちわなどで風を送ると短時間で炭を起こすことが出来、少量の炭で手軽に煮炊きが出来ます。
当時一回分の炭の値段が約七厘でした。「七厘の炭で間にあう」というところから、「しちりん」の名前ができたといわれています。
今では炭はガス電気にくらべればコスト高でしょう。しかし、味の追求のため敢えて七輪を使っているのは料理屋さんだそうです。
関西では「かんてき」というそうですが、これはすぐ火がおこるということから、癇癖(かんぺき)「癇癪(かんしゃく)もちが、すぐかっかする」をもじったものだそうです。
昭和28年工場に就職したとき、5ガロン缶の下側面に穴をあけたもので焚火をして暖をとっていました。これを「かんてき」といいましたが、今までその意味を知りませんでした。

   藤野 紘著 「和モノ」、増原良彦編 「和風と工夫」 を参考にしました。
                  (1997.3.15.記)













第37話.「々」は字?

ワープロが普及し始めた頃、仮名変換入力でこの字「々」を何と打つべきか、疑問に思われた方が多くおられたと思います。私もその一人です。
この音訓を持たない漢字風の記号は、印刷・出版関係では、「漢字返し」や「漢字送り」というのだそうです。
この「漢字繰り返し記号」の成り立ちについては、以前は「同」の異体字「仝」の変化したものとする説が有力視されていましたが、実情は中国でも用いられていた二の字点「@@」の変化したものと見るべきもののようです。
「繰り返し記号」は、漢字には「々」、平仮名には「ゝ」片仮名には「ヽ」を用います。
「々」は連濁になる場合でも、「々」ですが、仮名では「ゞ」「ヾ」という濁点つきの記号を用います。

以上は倉島長正著「日本語101話」からの引用です。
この本を読んでいて、あれ!と思ったことがあるので序でに紹介します。

戸籍法関係では、「々」を人名に用いてよいことになっています。
「ゝ」も「ゞ」同様に認められています。ただし片仮名の「ヽ」「ヾ」についての言及はありません。
そこで「寿々子」「すゞ子」「スズコ」はいいが「ナヽコ」「スヾコ」はだめということになるらしい。とのことなので、人名については充分注意をしましょう。
          (1997.3.23.記)










第38話.「ん」の次にあるもの

「あいうえお」の五十音図は「ん」で終わりますが、その次の空欄□□□□四駒が何か埋めて貰いたいと、いっているように私は前から感じていました。
あるとき、日本の漢字に関する本を図書館で何気なく立ち読みしたとき、この空欄に見なれない記号が入っていました。
今回、談話室を書くにあたって図書館に行き、係の人に説明して関連する資料を探して貰いました。出して貰った資料の中に、坪井玄益著「筆ずかい」の習字の本の写真版(明治11年習字のはじめ)がありました。「」の字まがいのものは見つかったのですが、何と読むか説明がありません。今回、「漢字講座=8、近代日本語と漢字」佐藤喜代治編 明治書院発行に出会い、漸く読み方がわかりました。
:コトとよむ、使用例では〜する事の意
:トモと読む、使用例が書いてない
:トキと読む、使用例が書いてない
:シテと読む、使用例が書いてない(私はシメだろうと想像していました。
    封書の封に使う〆に似ています。
    シテ⇒仕舞い=終い、参照乞 39話 お仕舞い)
この本によれば明治の初め頃は、儒学は漢音、国学は呉音、訓読み、混交読み、更に字音の交替現象(漢音⇔呉音)、江戸では正字、京都では異体字、新聞でも読む人の能力に応じた、漢字・ひらがな・カタカナ交じり文などが存在し、そこへ外国語が入ってくるものですから、教科書作りには大変な苦労があったようです。
それにしても「」と「」とが漢字というか記号というか、よく知りませんが現在も使われているのは面白いものです。
      (1997.3.23.記 1997.4.6.訂正)











第39話.お仕舞(しま)い

お仕舞いの意味を調べていましたら、思いがけないことにぶつかりました。
お仕舞い・・・今までやっていたことにかたを付けてやめることで、ある行為におけるひと区切りについていう。仕舞い=終(しま)い
   例「店を仕舞いにする。」 「映画を仕舞いまで見る。」
別の本に仕舞いを使った江戸の川柳を見つけました。
  「金(かね)吹きはふりになるのが仕舞いなり」
  [金吹き・・・鉱山で鉱石を吹き分ける(選別する)作業員のこと。]
金山では作業員がひそかに金を持ち出すことをおそれて、毎日、作業が終わると厳密な身体検査をした。男の場合は「ふり」になるだけでよかったが、女の場合は「ふり」になった上で股の高さぐらいに竹を横に渡した柵(さく)をまたがせたという。
  [ふり・・・ふんどし・腰巻きの類を着けないこと。]
「仕舞いなり」というのは、それが一日の仕事のお終(しま)いだという意味であることは勿論ですが、同時に「仕舞い」とは能楽で仕手(シテ)一人が装束をつけずに、囃子(はやし)なしで舞う略式の舞のことをいうことから、金吹きの女たちが一日の仕事のおしまいに「ふり」になって竹またぎをすることを、彼女らの舞に見立ててもいるのです。
これを読んで私はびっくりしました。
先に[談話室 38話 「ん」の次にあるもの]で「DD」を「シテ」と読むと書きましたが、上記の仕舞いをシテが舞うことから、「DD」はお仕舞い、お終(しま)いの意味だろうと推測致します。

 類語研究会編「似た言葉 使い分け辞典」、駒田信二著「言葉と鋏(はさみ)」
 小学館発行 「万有百科大事典3音楽・演劇」を参考にしました。
      (1997.4.6.記)
















第40話.醍醐味(だいごみ)

醍醐味とはどんな味なのでしょうか?わかっているようで、わかっていない味だと思うのは私だけでしょうか?これを説明している本がありましたので、ご紹介いたします。
奈良時代や平安時代の貴族は牛乳を飲んだり、乳製品を食べたりしていたようです。
乳牛が日本に初めて入ってきたのは飛鳥時代といわれていて、奈良時代になると、牛牧と呼ばれる官有牧場も各地に作られ、乳牛の飼育がさかんに行われていたのです。
その頃作られていたのが酪(らく)・酥(そ)・醍醐(だいご)というものです。酪というのは、牛乳を煮詰めた練乳、コンデンスミルクのようなもので、酥はこれを更に固めて固形にしたもの、つまりバター、そして醍醐はバターとヨーグルトの中間のようなもの、だそうです。
そもそも仏教で醍醐といえば、仏の最高の教えをたとえることばです。
むかしは乳製品には、乳味、酪味、生酥味、熟酥味、醍醐味の五味があるといわれ、醍醐味は五味のなかで最高の味という意味でした。修行中に倒れたお釈迦様を一口のヨーグルトが救ったという伝説に基づいているという説もあります。
醍醐味というと、いまでは「何事にもかえられない楽しさ、ほんとうのおもしろさ」の事ですが、昔はバターやヨーグルトのような味をさしていたのです。
しかしこの習慣はその後長くは続きませんでした。日本の風土に牧畜がなじまず、貴族社会の崩壊によって各地の牛牧が荒らされてしまったからです。何度か出された肉食禁止令も大きな影響を与えました。
八代将軍吉宗は白牛を輸入し牧場を開きました。これが家斉の時代には60頭にも増え、薬用として白牛酪を作っていました。当時牛乳は非常に高価なものでしたが、水戸光圀公は牛乳の大ファンであったといわれています。

 フリーランス雑学ライターズ編 「雑学のタネ本」を参考にしました。(1997.4.6.記 )











第41話.芸者の名前が染太郎

女なのに芸者の名前が染太郎などと男名前を使っているので不思議だなと思っていました。
このことを説明している本を見つけましたのでご紹介します。
貞奴、久松、市丸、染太郎、など男名前をつけたのは、江戸時代の売色業者が、法の網くぐりとして行っていたことの名残だそうです。
江戸時代は、今では想像もつかないくらい、士農工商の身分制度がはっきりしていました。身分による差別は当たり前だったのです。
しかし、その江戸幕府でさえ厳禁していたのが奴隷制度でした。とくに婦女子の人身売買は、極刑に処せられていました。
禁止されても行われるのが売色という制度。江戸時代にも、法はあってもなきがごとし。吉原では女性を売った、買ったと物のようにやり取りしていました。
もちろんおおぴらではなく、あの手この手で法の網をくぐり抜けていたのです。
たとえば、年期奉公の形なら、人身売買にはなりません。手続き上、養女にすれば全く問題ないのです。
このように、カムフラージュの方法はいくらでもあったのです。その中に、女性を証文上、男として扱うという方法がありました。
これが、芸者に男名前がついている理由です。
深川では、男名前だけでなく、当時の女性は着ることがなかった羽織を着て、男性として見せることまでしたとか。そのため、俗に「羽織り」といえば、深川芸者を指すようになりました。

 増原良彦 編 「和風と工夫」を参考にしました。
      (1997.4.12.記)

















第42話.将棋の駒は何故五角形

将棋のルーツはアジア各地にあり、中国では32枚の丸い駒を使って勝負を争い、また韓国では駒の形が八角形であり、蒙古では駒に獣の名前が書かれているそうです。
そしてビルマやタイなどの東南アジアでは、チェスのような立体的な駒を使っているそうです。
将棋は日本で作り出されたものではないとはいえ、日本のように五角形の駒はどこにもないのです。
ではいったい、この五角形には、どんな意味があったのでしょうか?

将棋が日本に入ってきたのは、奈良時代から平安時代です。
当時、文を記録したり文書を検索するインデックスは木製のものが使われていてその形は、すべて先のとがった五角形でした。文書を記録する紙のかわりですから大型にできていました。しかし木でできていたので、用済みになっても削り直して使っていたといわれています。
何度も削ると、もう記録することができない小さなものになってしまいます。
将棋の駒は、この使えなくなった木札から作られていました。五角形の意味はこのリサイクルにあったのでした。
「モノを大切にする心」から生まれたもので、現代人が見ならわねばならない知恵でしょう。

   藤野 紘 著 「和モノの知恵に何を学ぶか」を参考にしました。 
             (1997.4.13.記)



















第43話.一富士、二鷹、三茄子

初夢のベスト3といえば「一富士、二鷹、三茄子」でしょう。
その夢によって、一年の運勢を占う人も多いようです。
しかしその根拠は、徳川家康が駿河(するが)にいた時、ナスの値段が高かったので「この土地で一番高いのは富士、次は愛鷹(あしたか)山。三は茄子だ」といったことから起こったものだとか。全く夢とは関係がない根拠なので、ちょっとがっかりしてしまいます。
家康にあやかればきっとご利益もあるということなのでしょう。
今、東名高速道路で東京から御殿場に向かうと右手に富士山が見え、左手に愛鷹山が見えます。なかなか良い景色です。
いい初夢を見るためには、枕の下に宝船の絵を敷いて寝るという習慣もあります。
こちらは室町時代からのもので、当時は宝船の夢が最もいい夢だったようです。宝船の絵には、米俵や宝物を積んだ帆かけ船に七福神、そして「なかきよのとをのねふりのみなめさめなみのりふねのをとのよきかな」(長き世のとをのねふりのみなめざめ波乗り船の音のよきかな)という、上から読んでも、下から読んでも同音の廻文(かいぶん)を書きます。この廻文を三度読んで寝ると、よい夢が見られて幸運が訪れるといわれてきました。
ところで、いつ見る夢が初夢なのか。これには、大晦日の夜、元旦の夜、二日の夜と諸説ありますが、東京では二日の夜の夢のこと。まあ、この三日のうちで、いい夢が見られたらラッキーだと思っていいでしょう。昔から人々は占いが好きだったことがよくわかります。

  増原良彦 編 「和風と工夫」日本らしさの知恵拝見 を参考にしました。
      (1997.4.13.記)

















第44話.沖縄と左側通行

昭和46年沖縄が日本に復帰するまでの戦後26年間、沖縄は占領軍の軍政がひかれ道路の通行は右側であったことを知っている人が少なくなってきました。
何故こんな事を言い出したかというと、私は今年7月1日に返還が予定されている香港の場合、イギリス統治時代の左側通行がそのまま残るのか、或いは中国本土と同じ右側通行になるのかに非常に興味をもっているからです。
多分未だにどこからもニュースとなって報道されないところから、今のまま左側通行なのだろうと推測しています。
話を沖縄にもどします。
沖縄では、日本に復帰が即ち左側通行でしたから、トラックは影響がなかったのですが、バスは乗り降りの出入り口が右から左になるのですから、総入れ替えとなりました。
国内製新車や、本土のバスが移されました。
では、左ハンドルのバスは何処へ行ったのでしょう。大部分は中国へ安く売られたとの話を聞いたことがあります。
バス停の前のタバコ屋さんが、バス停が道の反対側に移ったため、タバコが売れなくなったとか、交差点で右折や左折の際、反対車線にはいってしまったとか、慣れるまで大変だったようです。
ところで、日本で左ハンドルの車は、郵便車と特殊車(道路左側線引き車や道路左側草刈り車など)が許可されますが、左ハンドル郵便車が運転手さんに嫌われて、今ではなくなってしまいました。理由は通勤に乗る右ハンドルと違う左ハンドルに乗ると、違和感があって危ないとのことでした。時代は変わるものです。
          (1997.4.12.記)

















第45話.菅原天神の天神とは

天神さまとは単に天の神様ぐらいに思っていましたが、これには深い意味があることを書いてある本を見つけましたのでご紹介します。
天神さまといえば、京都の北野神社、九州の太宰府の天満宮にお祀りしてある菅原道真公のことであることは良く知られています。
「天神」という言葉は中国古代の言葉であり、その語の古義がわからなくてはいけません。
「神」の字の「示」の偏は、一般的に祭りをする対象を表す象形字であり、右側の旁(つくり)に意味があります。
「申」は電気の電の雨を除いた部分で、雷の稲妻の原始象形文字です。
つまり「神」「天神」とは、「雷」の意味です。
菅原道真公を天神さまというのは、菅原道真公が「神なり」になったという伝説に基づくといって間違いがないと断言しています。
中国の昔の周公が雷となって怨みを表したという伝説があります。
周公といえば、聖人と仰がれる孔子が憧れた聖人中の聖人です。彼は殷(いん)を討伐した兄の武王の死後周王廷を支配したのですが、兄弟争いが起こって東国に避難しましたが、周王廷を恨んで雷となって、大風を起こして周王廷を震え上がらせたことになっています。
菅原道真が九州に左遷されて望京の念に燃えて、憤死した境遇から、雷伝説を付会するにうってつけであったと思います。周公は周の諸制度を制定した大聖人ということになっているから、菅原道真も文の神様に納まることになったと推論を下しています。
この本を読んでよく理由がわかりました。

  加藤常賢 著 「漢字の発掘」 を参考にしました。
      (1997.4.19.記)
























第46話.四苦八苦

どんな社会でも人間関係は複雑で、いろいろ苦しんだりします。そういうふうに人間関係や、仕事、生活などでたいへんな苦労をすることを「四苦八苦する」といいます。
この「四苦」は、人間が生きていくうえで味わわなければならない、すべての苦しみをさした仏教用語の、基本の四つを意味しています。
そのうちの二つは「病」と「死」であります。残りの二つは何でしょうか?
一寸考えつかないのですが「老」と「生」だということだそうです。「この世に生まれ生きることは苦しみである」が基本の一つなのですね。「人生が楽しい」という人は余程の人物ということになるのでしょうか?
「八苦」はそれに
   「愛別離苦(あいべつりく):愛する人と別れる苦しみ」
   「怨憎会苦(おんぞうえく):うらみ憎んでいる者に会う苦しみ」
   「求不得苦(ぐふとくく):求めても得られない苦しみ」
   「五陰盛苦(ごおんじょうく):人間の心身や環境を形成する五陰によって生ずる
      苦しみを加えたものだそうです。
更に「五陰」とは、
   「色(しき):物質、肉体」
   「受(じゅ):感覚、知覚」
   「想(そう):概念構成」
   「行(ぎょう):意識、記憶」
   「識(しき):純粋意識」
のことだそうで、これを理解するのは大変難しく、四苦八苦してしまいます。

 宇野義方 監修「日本語、どっちがホント?」を参考にしました。 (1997.5.20.記)













第47話.こじつけ

どんな話にもそれらしい故事をくっつけて、強引に筋を通そうとすることを「こじつけ」といいます。
博学を武器に相手を圧倒しようという人間はどこにでもいるらしく、むかし、中国の孫楚(そんそ)という男は、「石に枕し流れに漱(くちすす)ぐ」(三国蜀史)という故事を「石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す」といい間違えてしまいました。
素直に訂正すれば普通に人ですが、そこは孫楚もタダ者ではありませんでした。
「石に漱ぐのは歯を丈夫にするため、流れに枕するのは俗事を聞いた耳を洗うため」と、強弁で押し通してしまいまた。
それ以来、「石に漱ぎ流れに枕す」という言葉も、こじつけていい逃れる、負け惜しみが強いという意味の故事として世間に知られるところとなりました。
夏目漱石は、頑固な変わり者の意味で「漱石」の名をつけたそうです。(本名;金之助)

     宇野義方 監修 「日本語、どっちがホント?」
     小学館     「万有百科大事典」
     を参考にしました。   (1997.5.24.記)




















第48話.乙な味

乙な味は今では落語家や下町のおじさんくらいしか使わない言葉になってしまいました。
乙な味という言葉は、外国人には説明不可能な日本語の一つではないでしょうか?
たしかに、いい味わいであることには、変わりがありませんが、しかし一番優れているわけでもないようです。
優れているなら甲乙丙丁(こう、おつ、へい、てい)の甲な味でもよさそうですが、そうはいいません。かといっても、面白いとか変わったとかいう味でもありません。微妙なニュアンスをもつ言葉なのです。
もともと、甲や乙は、音の調子を表わす言葉でもありました。
三味線に合わせて唄う場合、高い声の出る子供などは、「甲で唄う」といい、「甲高(かんだか)い声」という言葉があるように「甲」は耳につくような高い調子のことをいいました。
それに対して、年を取った人などは低い声が出るので、「乙で唄う」といったりしました。老人は低い声でも長い間の経験などで、とても味のある、渋い声で聞かせるので、派手さはないが、どこか趣があって、おもしろい味わいがあることを、「乙な味」といったのです。
しかし、最近、よく使われる「渋い」とも、ちょっとちがいます。

     宇野義方 監修 「日本語、どっちがホント?」
     日本語倶楽部  「[語源]の謎にこだわる本」
     を参考にしました。    (1997.5.24.記)












第49話.英語が何故世界語に

ケ小平氏が亡くなる前に言われた言葉の紹介が、TVで流れてきたことがありました。
中国が日本に与えた影響で、「悪かったな」と思うことが次の2点だというのです。
1つは、儒教で男女不平等の思想を伝えたこと、2つ目は、複雑な漢字を伝えたことだとのことでした。
漢字は形から意味を伝える便利さはありますが、ローマ字に比べて、文章を書いたりする場合には、時間がかかる特色があります。
欧米諸国での横文字をタイプライターで軽快な連続音をたてて打つスピードと和文タイプライターでがちゃがちゃチーンというスピードを比べれば、漢字が世界語になりにくいのは理解できます。(ワープロ、パソコンのなかった時代のことです。)
世界の言語で縦書きは、中国の漢字とそこから派生した西夏文字や日本の仮名文字、朝鮮半島のハングル、ウイグル字とその流れをくむ蒙古字だけで、はなはだ寂しい限りです。
永い英語の歴史のなかで、伝統的な英語の文法は、ますます崩れていかざるを得なかったと本(脚注)に書いてありました。このようにして、英語は世界の公用語という地位を獲得しました。しかしその代償として「格調高い」英語をあきらめなければならなかったというわけです。
ところでフランス語やドイツ語が何故世界の公用語にならないのかというのに次のような見方もあるようです。
名詞に男性、女性、という性があり、そのため形容詞の語尾が変化するのは、文法上の制約が多すぎるというのです。
例 ≪英語≫      my son and daughter
              myがsonとdaughterにかかる
  ≪フランス語≫   mon fils et ma fille
              mon(男性単数形)がfilsにかかり、
              ma(女性単数形)がfilleにかかる。
   ≪ドイツ語≫    mein Son und meine Daughter
              mein (男性単数形)がSonにかかり、
              meine(女性単数形)がDaughterにかかる。
日本語に大文字と小文字の区別がないのは、漢字と仮名の組合せだからそれで充分だということも書いてありました。
ワープロ、パソコンの発達で日本語も文章を書くスピードが上がってきました。
将来、アジアの公用語としての日本語を目指すなら、文法上の多少の犠牲は覚悟しておかなければならないでしょう。
韓国の現代自動車では、課長職への昇進テストに日本語の習得が課せられています。

  城生佰太郎 著「ことばの科学」雑学辞典を参考にしました。
             (1997.5.31.記)















第50話.とどのつまり

「紆余曲折、二転三転、ありましたが、とどのつまりはこういうわけでさ」などというときの「とど」とは、何でしょうか?
とどはアシカ科のトドではなく、「ぼら」という魚の成長したものをいうのです。
幼魚のときは「おぼこ」、あるいは「くちなめ」と呼ばれ、以後「すばしり」、「いな」、海に出て「ぼら」更に大きくなって「とど」と呼称が変わります。
要するに、色々あったが「とど」でおしまいということから、結局のところ最後には、という意味で「とどのつまり」と使われるようになりました。
そして、これが最後というときの「止(とど)め」「止(とど)まり」のように、古くから「とど」という言葉自体にも、最後、おしまいという意味があったらしいといわれています。
魚の名を考えた者が、「ころころ何度も名前を変えおって、もういいかげんにこのへんで打ち止めにしようじゃないか」と「とど」とつけたのではないでしょうか?

     宇野義方 監修 「日本語、どっちがホント?」
     板坂 元 編  「語源と謎解き」
     を参考にしました。    (1997.5.31.記)
















第51話.打ち合わせと打ち上げ

どんな業界でも、仕事のはじめには、「打ち合わせ」がつきものです。
打ち合わせばかり多くて、いっこうに仕事が進まないような時もありますが、打ち合わせ通り仕事がうまく運んで区切りがついたら、お疲れ様の「打ち上げ」が待っています。
グーッと一杯、打ち上げで飲むビールの味をえさにして、つらい仕事を何とかやりこなすサラリーマンも多いかも知れません。
この「打ち合わせ」や「打ち上げ」はどの業界の言葉でしょうか?
「打ち合わせ」は、雅楽の合奏の前に、笛、笙(しょう)、ひちりき、鉦(かね)、太鼓が、さく拍子(さくほうし)[打ち合わせて拍子を取る楽器]に合わせて音合わせをするところからきた言葉です。本番で音が外れないように、五人囃子が前もって調子を合わせていました。
「打ち上げ」は、長唄囃子で太鼓を中心とした囃子を一段と高めてひと区切りをつけることです。
いずれも奏者の呼吸がぴったり合っていないとうまくいきません。
「打ち合わせ」も「打ち上げ」もチームワークが肝心です。
打ち上げで、スタッフ同士いっそう「打ち解けて」「打ち明け」話も飛びだしたりしますが、うまくいかない仕事だと、クライアントのひとことで「打ち切り」になったりします。

     宇野義方 監修 「日本語、どっちがホント?」
     を参考にしました。    (1997.6.8.記)















第52話.目からウロコ

ふとしたきっかけでつかめる事をよく「目からウロコが落ちた」などといいます。
ごく普通に使われる言葉なので、古くから日本にあったいいまわしのような気もしますが、もともとは「新約聖書」の使徒行伝第九章十八節に書いてある、scales fell from his eyes.という部分からきているとのことです。
scalesというのが「ウロコ」という意味だというのです。
失明している人がイエスの奇跡によって突然視力を回復するという挿話で、英語の慣用句としてもそのまま、The scales fall from (a person)’s eyes.というかたちで通用するようです。意味も「誤りを覚(さと)って迷いから覚(さ)める」で殆ど同じです。
私は聖書を読んだ事はありませんが、何故目の中にウロコがあるのかは聖書を読んでもよくわからないそうです。
ウロコとは角膜のことでしょうか?失明とは角膜が濁る事をいい、それが落ちる(きれいになる)と回復したと当時は考えたのでしょうか?


     宇野義方 監修 「日本語、どっちがホント?」
     を参考にしました。    (1997.6.14.記)















第53話.おっくうなこと

面倒くさいとか、わずらわしいという意味で日常の会話にもよく使われる「おっくう」という言葉は、もともとは仏教の教えのなかから引き出された仏教用語でした。
「おっくう」は漢字で書くと「億劫」であり、仏教用語ではオッコウと読みます。
「劫(こう)」はたとえば宇宙の誕生から終焉までのように、きわめて長い時間を表すときに用いられる時間の単位で、「億劫」はその劫の一億倍ですから、その長さを考えるのも「おっくう」になるくらい、きわめて長い時間を意味しています。
囲碁で、際限なく取ったり取られたりを繰り返すことを「劫」と呼んでいますが、これも同じ語源です。
「一劫の間続けても終わらない」からきています。
一日頑張れば終わるような仕事を、「おっくう」がってはいけません。

  宇野義方 監修 「日本語、どっちがホント?」を参考にしました。    (1997.6.14.記)