瀬戸内の海賊に想う       野口義隆 


  伊予の大三島はその立地条件を別とすれば、瀬戸内海にある約3,000の島の中の極くありふれた一つの島に過ぎない。
だが、この島にある大山祇神社には、わが国に現存する国宝重要文化財の8割に達する刀剣甲冑があると聞けば,驚嘆の他はない。
古来朝廷や源氏等の崇敬篤く、河野水軍の氏神であったとも云われるこの社は、武将や兵士が出陣に際しての戦勝祈願に、また凱旋の謝恩のためにこの社に詣でて、これらの武具を寄進したのだという。神域の中央にある樹齢3,000 年とかいう楠の大木が、この社の歴史の重みを実感させてくれる。確かに源平時代以降の西日本に於ける覇権争奪の歴史は、河野水軍の活躍を抜きには語れない。彼らの実力の源泉は潮の干満による海流を巧みに利用した航海術であるが、それは遠く海賊時代の経験から修得したものに違いない。
 はじめてわが国の文献に海賊の被害記事が登場するのは、730年(天平2年)だというが、洋の東西を問わず海賊の発生はおそらく有史以前のことであろうと思われる。その頃の内陸部は道路がないため、人々の交流や物流は極めて不自由であった。しかし海は船さえあれば容易に、しかも大量な物の運搬が可能な事から海上の交通が早くから発達していた。
くり船や筏を操って島にたどり着いた古代人は、魚介類を捕獲したり食草を採ったり、獲物の一部は他で収穫された穀物や果実と交換したりしながら、平和な生活を営んでいたことであろう。殊に瀬戸内海のように気候温暖で、波浪が少なく豊富な海産物に恵まれた地域は早くから人々が住み着くところとなった筈だ。
島という閉鎖的な環境に住む人々には、人間同士の生存競争はない。共存共栄こそが彼らの生きる知恵である。四季それぞれに趣を変える穏やかな海と島々の絶妙なコントラストは、そこに住む人々の心をなごませ、人情に厚い人間形成に寄与したはずだ。
だが、普段は波静かな内海といえども、時折の荒天は避けられない。ひとたび暴風雨が襲えば、咆哮する大波は容赦なく地上の物体を浚う。岸壁に激突して白い飛沫となった海水は、畑の作物に致命的な塩害を与える。当然家族全員の食料が不足する。海が鎮まっても交換すべき漁獲がない。時には島外と交流するときの唯一の手段である船さえ、流出したり壊れたりしていることもあるだろう。途方にくれて天を恨んでいると、近くの海岸に難破船が漂着したとする。「衣食足りて礼節を知る」というが、生きるが為に彼らが何をするかは、容易に想像できる。
略奪強盗が「濡れ手に粟の成果」であることを知った彼らが、漁をやめて魚の代わりに付近を航行する船を襲い、積み荷を強奪するようになれば、それはもう立派な海賊である。海賊行為は力づくの略奪ばかりでなく、放免を条件に金品を強要する所謂「ゆすり・たかり」もあったことだろう。彼らは海の無法者になった。
  彼らは出没するに好都合な島陰の多い群島の一角を根拠地とした。そして、実力のある首魁を族長とする部落国家を形成し、より強力な船をつくり、武術を磨き、戦略戦術を練って獲物の到来に備えた。こうして海賊行為は次第に集団化し、組織化された。海賊全盛期と思われる7〜8世紀は文化的には成熟の兆しが芽生え、漸く朝廷の勢力が地方に及びはじめた時期で、沿岸はもちろん遠くは大陸文化との交流の道としての瀬戸内海の船の往来は頻繁であったから、彼らの獲物には不自由がなかった筈だ。
936年に藤原純友が近辺の海賊衆を結集して、反乱(承平の乱)し得たのは、当時の海賊が強力な軍事的組織集団であったことの証左である。紀貫之の土佐日記に海賊の恐怖が記されていることを考えると、海賊の存在は広く全国に喧伝されていたのだろう。朝廷の命を受けた河野通信は配下を率いて純友征伐に軍功をたて、群小海賊衆を統率して、瀬戸内海の海上支配権を握った。
水軍と呼ばれるほどに組織化され、無頼の海賊衆を取り締まる事によって、内海の航行の安全を保障した彼らは、もはや「海賊」というより「海族」となった。彼らは、付近を航行する船の安全を保障する「警固料」という名目で、天下公認の通航料を徴収するようになって、安定収入を保障された。そして1588年に豊臣秀吉から「海賊禁止令」が出されるまで、戦国時代には地方の有力大名に肩を並べる「海の大名」として勢力を振った。
大山祇神社に宝蔵される膨大な武具のコレクションが、河野水軍全盛期の隆盛を物語っている。今、波静かで平和な瀬戸内海は、毎日大小数百隻の船が通過する海の銀座である。
昔、遣唐船や北前船、金比羅参りの船々が行き交っていた歴史の記憶は、壮大なロマンを感じさせてくれる。点在する島々を根拠地にして海賊が跋扈したり、源平合戦などの血腥い海戦の史実さえも、平和で穏やかな風景の中に溶解してしまって、かえってメルヘンの世界をすら想像させてくれる。(了) 


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