無頼漢への軌跡の部屋
ようこそ、無頼漢への軌跡の部屋へ。

この部屋は、熱帯魚飼育歴21年目にして、まさか自分自身がHPなど立ち上げるとは思ってなかったものですので殆ど画像などありませんので退屈な方や、何度もこられた方は下記の脱出ボタンを潔くクリックして脱出してください。(笑



最新更新03'/8/21
思い起こせば、熱帯魚を趣味としだしてはや21年が経ちます。
まさかこういった時代が来るとは思わなかったし、自分自身がHPを立ち上げるとも思ってなかったので画像等が無い文章だけの部屋となってますがお許し下さい。


最初は、友人の武田君(仮称・
ただ熱帯魚を飼育してるという理由だけで大型肉食魚愛好家にもかかわらず『グッピー☆武田』と女生徒から呼ばれ悩んでいましたが、なんらこの話とは関わりありませんが一応ね。)と出会い彼の家に出入りするようになり600スタンダード水槽でアストロを一度に4匹購入という暴挙でスタート!高校1年生の夏でした。
んが!故父正輝(仮称・
後にアライグマ・クジャク・ヤギ・四国犬3頭・カモ15匹・ガチョウ・など次々と飼育!近所の人から『マサゴロー王国』と呼ばれ親しまれるが、『ダチョウをガチョウと勘違い購入事件』『自作の木製の檻にてライオン飼育発言!親類一族会議により賛成2票反対多数にて否決事件』『謎の犬ミミちゃん入手飼育』等ワガママ気ままにペットライフをエンジョイ!しかし突然心筋梗塞にみまわれ、一部ペットを残しこの世を去る・・・享年66歳)に『魚が魚を食べるような魚は飼育しちゃ〜イカン!』という発言により、後に『四国のシクラソマランド!(一部過剰評価』といわれる程のシクラソマ愛好家、第一次極悪☆無頼漢ライフはわずか4時間程度で幕を降ろすのであった。(文章一部盗作)

その後は
コリドラスにはまり、普通の『縞コリ』と『コリドラス・ジュリー』(当時@¥1,500−)が同じと思いこみ、シコタマ買い込むが違和感を感じ、AL誌がある事を知り購入・・・すぐさま根本的な間違いに気付き返品、しかしコリドラス自体に興味を覚え様々なコリドラスを飼育する。

一度ショップで仲良くなったショップのお兄さんが遊びに来た時に、水槽を見せたところ悲鳴に似た驚きの声が上がりました。
水槽の真中に大きな石があるように見え、変なディスプレーだなと思っ近づいたところ、その石が音も無く崩れ去り驚いた・・・そうです600の水槽はコリドラスだらけで、ちょうどコリドラスのお食事タイムでタブレットに相当数のコリドラスが群がっていたのです。

なかなか渋いセンスで中層を『ピグミーコリドラス』を泳がし地味ながらも全てコリドラスで統一という飼育方法を取っていました。

現在もその人とは少々の付き合いがありますが、かなりその事柄がトラウマになってるようで今も尚、語り継がれているようです。




その後はAL誌を知り、毎月購入購読により熱帯魚熱が急速に加速!ポリプテルスシノドンティスにはまる。また、地元香川県のお寒い熱帯魚ショップ事情に涙し、地元の金魚屋に毛が生えたような店の親父さんに頼み込み、某ア○リカから『ローウェイ&レトロピンニス』を間接的に通販し、その年の正月のお年玉を魚と900の水槽購入で見事に使い切るという暴挙に出る。
もちろん、父怒る!

そんな事は気にせず、ウィークシー、ローウェイ、パルマス、セネガル、レトロピンニス、デルヘジーと中小型種は全て揃えて、クリル&ドロミン中心に飼育してました。

当時の憧れの店として、ウチ○熱帯魚、○林熱帯魚、○京タワー水族館、たちば○、ア○リカ、P○熱帯魚、水○熱帯魚センター等のお店に憧れてました。今も尚、何軒かは行って見たいお店ですな。

このころ、AL誌で知り合った方と熱帯魚愛好会を設立(
私の記憶が確かなら、K.A.M 香川アクアリューム・メンバーズだったような気がします。)し、2〜3ヶ月に一度、当時ジェット機が唯一近くで着く、徳島に熱帯魚を求めて大人の方々に車に乗せてもらい遠征に行ってました。
某千秋会長その節はお世話になり、ありがとうございました。


そのころの私の中のシクラソマの位置付けとしては、AL誌を見れば見るほどに、ショップで現物を見れれば見るほどに、アメリカンシクリッド&アフリカンシクリッドをどんどんキライになっていったのもこの時期です。特にアイスポットは涙が出るほどキライでしたな。
その、喧嘩っぱやさとギラギラの派手さと魚らしい形を理解できなかった、甘く切ない sweet seven teenの思い出でござんす。



時は十代真っ只中!血気盛んなころで色んな事にも興味を示し、BAND活動も始めたりしていました。当時は、RCサクセションや佐野元春のコピーをして音楽ライフも並行して楽しんでました。

このころは自室で音楽活動に勤しんでましたので、部屋に600と450の水槽をセットし、600ではドイツラム・アピストと水草、450で当時一匹500円もしてたカージナルテトラを一匹一匹購入して増やし、また当時は高価だったシノドンテス・アンジェリカスを学生の文左衛門で飼育、周囲の貧乏青年アクアリスト達を尻目に、よく遊びよく学びで受験に失敗し、童貞喪失ををへて神戸へと旅立つのであった。

ちなみに、グッピーやアピストでさえ飼育中一度も産卵繁殖には至らなかったのであった。
後にこの出来事が、私に大きな影を落す事となるとは知る由も無かった。・・・