赤テープ考


「テープを含めて、私製のあらずもがなのの指導標には、私は自己顕示の臭みを感じて好きにはなれない。山は登らせてもらったことを感謝し、なにも残さずにそっとたち去るのが本当ではないだろうか。」
横山厚夫 「低山を歩く」1995年6月


最近どこの山域でも 登山道に沿って 木の枝などに 赤いビニールテープが 付けられているのをよく見かけます。
登山者が目印にしたのでしょうが、これらが 本当に 必要なのか よく考えてみる必要があります。
結論的にいえば 赤テープといえども 所詮人間の 持ち込むゴミの類であって 山へ持ち込んだものは自分で持ち帰るべきだと思います。
赤のビニールテープなどは付けた人が回収すべきものです。
もし回収が不可能ならば 原則的にテープなど付けなければいいが、どうしても付けたいというのなら、せめて自然に還元しやすい 綿の赤布ぐらい にしてほしい
のですが。
回収した赤テープ。山を汚すゴミになる。


  実際 ある山域の山里の人と 話した時、 登山者が 人の山 に来て 勝手に目印を付けてしまい 目障りだというのを 直に聞きました。 その山域では 山里の人が 常に山道を 整備してくれていました。
迷わないように しっかり道を手入れしているのに 一部の 登山者の心ない赤テープの 乱発が山里の人に 更に撤去の負担を 掛けてしまっているのでした。
山は 登山者だけでなく 山仕事の人や 山里の人など 様々な人が入り込みます。
登山者の勝手で付ける テープで 多くの人が 迷惑しているのを 直接聞いて、やはり 赤テープは残してはいけない という考えになりました。
登山者は 山へ入るときには 地図磁石位は 持参して しっかり使えるようにして 入山すべきだなのです。
もしどうしても 往復コースで 目印を付けたい のなら絶対 自分で確実に撤去すべきでしょう。

こうした一部の心ない登山者が 赤テープを付けたがる心理は 実は山頂などへ の私製山頂標識を付けたりする心理や 落書きする心理 と通じているとも思います。
槍ヶ岳の北鎌尾根に 目障りな赤ペンキなどが 多数付けられ(ここ)、中には間違った方向に 登山者を誘導して困っているらしい、のですが 最近どの山でも 各地の山域に出没する落書き癖のある登山者で悩まされています。
そもそも赤 テープの類はルートを熟知した達人が付けるよりも、ルートにやや不安にある人が付けることが多く、間違っているところ、適切でないところにつけられたもの、積雪期のルートなど、目印自身あまり信頼出来ないのも多いのが実情です。

赤テープを付けたがるのも 有名観光地で 記念物に落書きするのと 同じ自己顕示の心理がもとで、犬が自己の勢力範囲を示そうと 放尿するのと一緒に思えるのです。

適切な指導標など が完備されている 山域でも、以前に比べ 最近マーキングの類が 山道の途中など増えてきている のではないだろうか。

こうした 赤テープばかりが 多く付いている 道ばかり 登っていると、やがて 目が 赤テープに 馴れてしまって、赤テープばかりを 追いかけていく ルートファインディング になってしまい 本当に 大事な 研ぎ澄まされた 方向感覚 地形判断能力 踏み跡を 見抜く 観察力 などが 養われることがないのである。

目印の多さが 道案内になるかより、へたなテープしか見ないで 肝心な地図磁石なども 見ず テープだけを追いかけていく 習慣がついてしまうのが 実は 本当は恐ろしいことだ。

北鎌尾根のような 難しいコースでは 自分でルートファインディング できることが求められています。


同じ目印に 石を積むケルン や鉈目を付けるなどがあるが 木や枝を切る鉈目は木に傷を付けるので今では良くないとされています

石を積むのも 程々にしたいものです
この方は まだ外から ゴミを持ち込まないから せめて救えるのだが 自然に配列されている石の配置を 大きく変えるのはよくないのです。

テープや ケルンなどあれば どうしてもそれに 目が移ってしまい 変な先入観に捕らわれてしまい、地図と磁石で 現物の地形を じっくり観察し ルートを見定めていく 気持ちが薄れてしまいます。
石もテープも 何もなければ 自分で考え 自ずから慎重に判断していきます。

現実的な対応 段階的に徐々に


しかし、大勢の登山者が 入山している 実態を考えると、山域とかルートとか にもよりますが、理想的な考えだけで、テープ問題は すぐ解決できないでしょう。 段階的な現実対応策を 進めていくこと しかありません。
大勢の 登山者がいても その 経験も 技術レベルも 上から下まで 色々でしょうから まず 全くテープも 私設指導標もない状態など 一気にはできないでしょう。

現実に即して 考えられる対策としては、山域とルートに 段階的な差を付けて、コースの 整備状況や ルートの難易度に 応じた対応が 必要でしょう。 
そしてその上で、テープとか 私設標示類は撤去していいものと、当面は有ってもいいだろうという二通りに分類して、みる必要があるでしょう。

当面直ちに撤去していいのは、明らかに人々を 誤った方向や危険な方へ導いていまうもの。
すでに地面に落ちているもの、外れかかているもの。
立派な指導標があるにもかかわらず、ひつこく、ひつこく落書きの様に表示されているもの、自己顕示的な広告的標示の類、目障りな、ある時は数メートル間隔のような標示、これらは明らかに撤去しても誰からも文句はでません。
それら以外は、まあ当分は深く息を吸って、黙っておくことにしておきます。

コースの整備状況やルートの難易度に応じては、それでも大分経るでしょうが、それでも いくつかのは当面残って行くでしょう。
またルートの難易度に応じては 一気に減ってしまう ところもあるでしょう。
そして登山者全体が ゴミを残さないルールが 徹底するまでは、ビニールでなく 自然に還元しやすい純綿などの 赤布マーキングを 仮に使用していくことが 推奨されていくことになります。
徐々にゴミを少なくするよう 浸透させていくことになります。


ところで、申すまでもなく、自然の力は物凄いものがあります。人間の手による、一時の登山道の刈り払いなどは、その後、人が通らなかったり、その後の適切なメンテナンスがなければすぐに荒れ放題の道になります。
色あせたテープ、粘着力のなくなったテープなどみると、マーキングの寿命など すぐなくなってしまうものだと思われます。
山頂の標識も 何年かして 同じ山頂へ行くと 看板とか指導標は 実によく変わってしまっています。風雨雪に耐え長い間、同じ看板などありません。山頂への私設看板は ゴミを増やすだけで、止めるべきです。
不用意なマーキングは人を却って 深い深い迷路へ導いてしまうのです。 
人がどう言おうと、歩むのはあなたです。自ら道を考え 探し出すのが 自己責任での山での行動というものです。


そもそも 山の楽しみの一つにルートファインディングがあるのです。
その楽しみは 奥深いもので、歩いたところが道になるところもありますが、じっくり地形を観察しルートを 見つけながら行くことで 山登りが人生にたとえられることにもなります。
赤テープ 赤ペンキ 石積みケルン などのマーキングは あとからくる登山者にそのルートファインディングの楽しみを奪う結果になるのです。

地図磁石だけでなく 最近は高度計 やGPSなども 普及し、現在地確定は そんなに難しくありません。
雪山のルートは 夏道では危険なところがあります。冬期に付けたテープが夏には人を迷わします。夏付けたテープは冬期には使えません。どちらも本当は撤去すべきものなのです。
ミニマムインパクトで自然に親しむのは痕跡を残さない基本です


GPSの活用

赤テープなど 目印を付ける 心理の一つは 帰り道の不安感があります。

その山域を 熟知している人は テープなど付けません。
大抵 不安感がある人が 付けるケースが 殆どではない でしょうか。

最近特に普及してきた GPSの活用は 赤テープより 遙かに 有益な 情報を 常に与えてくれます。

GPSの取り扱い に習熟すれば テープとは比較にならない 安心感が 常に えられます。

万が一のことを考えて 赤テープを使うのでしょうが、 その代わりに GPS を積極的に 使うようにすれば 赤テープなど の目印は 大いに減ってしまうと思います。
赤テープ 付けるぐらいなら GPS を 使え というのが 私の主張です。


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2002年10月10日 第1版制作
2003年11月25日  改訂増補

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