カラオケでマイクをにぎることはあっても、みんな一緒に歌うなどということは、普段、あまり経験しないことでしょう。入会して間もないころは、例会で歌を歌う光景を目の当たりにして驚かれたかもしれません。増してや、地区大会などの折に全員で手をつないで、「手に手つないで」を歌うとなると、かなり勇気が必要だったかもしれません。
ところで、ロータリーにおいて、「歌を歌うということ」、を始めた人は、1905年にロータリーが創立したとき、最初に会員となったポール・ハリスと、シルベスタ・シール、ハイラム・ショーレー、ガスターバス・ローアの4人に次いで、5番目にロータリーに入った人、ハリー・ラグルスです。しかし、今世紀初頭の欧米では「歌を歌うこと」「コーラスすること」は、
人々のごく一般的な風潮でしたから、彼が特に変わった趣味をもっていた、というわけではありません。
産声を上げたばかり、1905年のロータリークラブの、ある秋の夜の例会について『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』には、以下のように記されています。
1905年のある秋の夜、例会で一時的な静寂が訪れた。会話のざわめきが突然止んだ。警告もなく、ハリー・ラグルスが自ら立ち上がって「おい、みんな、歌おう!」と当時流行っていた歌を何曲か音頭を取って歌った。以来、例会での合唱は、ロータリーの伝統となった。
これが、ロータリーの例会で歌を歌った最初のシーンです。このとき歌われたのは、当時の流行歌でした。
さて、ロータリー誕生後2年目には、ささいな意見の相違がだんだん大きくなり、クラブ内が割れ、出席率も低下するという事態が起こったようです。そこで、当時シカゴロータリークラブ(RC)の幹事であったウィル
R.ネッフ医師が、ハリー・ラグルスと協議しました。「これがもう1か月も続けば、クラブは解散してしまうだろう」とネッフは悲しそうにハリーに言い、続けて「私は、君が毎週立ち上がって楽しく歌うことにしたらどうか、と思う」と言った、というような記録が残っていると、笹部誠バストガバナー(1964−65年度・川崎RC)が『友』誌(初載は1971年4月号、2002年9月号に転載)に記述しています。
その結果、ハリーの指揮による歌声が、毎回クラブの例会で響くようになり、いつのまにかクラブの中の雰囲気は改善され、シカゴRCは解散の危機を脱していたそうです。歌が、人々の心を結んだのです。
日本のクラブでは、ほとんど歌を歌っているようですが、海外に行けば、例会で歌を歌う慣習のないクラブもあるようです。ガバナーエレクトがガバナー就任前に参加する国際協議会という研修会では、本会議の前にロータリーソングを歌を歌う時間があります。歌には、少しその場が和み、人々をリラックスさせる力があるのかもしれません。
さて、日本のロータリークラブでよく歌われている歌は、「奉仕の理想」「我らの生業」「それでこそロータリー」「手に手つないで」といったところでしょうか。しかし、独自の歌をつくって、例会で歌っているクラブも少なくありません。クラブの歌が、ほかのクラブからメークアップに訪れたロータリアン(ビジター)や、卓話者などのゲストを歓迎するための歌をつくっていて、例会に出席をすると歌ってくださるクラブもあります。ロータリーソング以外の歌を取り入れているクラブもあります。どのような歌が歌われているのかと言えば、会員の年齢によって違ってくるようです。
大きな声で楽しく歌を歌えば、楽しいひとときを過ごすことができるでしょう。皆さまのクラブではどのような歌を歌っていますか。