ポール・ハリス  
 
 

 ポール・ハリスという名前を耳にすることがあると思いますが、「いったいどんな人?」と疑問に思っている新会員は少なくないと思います。ロータリーの中であまりにも有名なので、先輩会員はうっかり説明し忘れる場合も少なくないからです。
 ポール・ハリスは、ロータリーの創始者です。1868年4月19日、アメリカ・ウィスコンシン州の小さな町、ラシーンで生まれました。ロータリーの文献に載っている彼の写真を見るととてもおとなしそうな印象を受けるのですが、子ども時代は、かなりのわんばくだったようです。
 「ポールにとつて一番好い遊び場所は町の中央であつた。當時は未だ道路規則などは必要でなかつた時代であつたので、ポールは自分勝手に、車馬の通行よりも子供の遊びの方が大事だと極め込んで居た。セシルはこの小さい弟の判断が間違つて居ることを認めて、走つて行く馬の蹄の下から、腕白な弟を攫(つか)み出さなければならないこともあつたので、さうした時のセシルが大抵酷く引掻かれて痛い目を見せられたといふこと
は、ポールたるもの今日に於て大いに恐縮せざるを得ない所である」と、自身の著書に書いています(『ロータリーの創設者ポール・ハリス』翻訳 米山梅吉)。
 1871年、彼は父に連れられて、兄とともにバーモント州ウォーリングフォードの祖父母の家に行きます。この日から、兄弟は祖父母に育てられることになるのです。
 1891年、ポール・ハリスは、アイオワ大学を卒業。その後、5年間の放浪の旅に出ます。放浪の旅を終えた彼は、シカゴに小さな事務所を借りて弁護士事務所を開きます。仕事は順調に進んでいたものの、個人的な友人を見つけるのは難しかったようです。
 「ウィークデーにはがっかりさせられるようなこともたくさん起こりましたが、それでもまあ、よかったのです――というのは、仕事が忙しくて、自分のことなどを考えている暇がなかったからです。これに反し、日曜や休日はもの悲しい日でした。日曜の朝は下町の教会へゆけばよかったのですが、長い日曜の午後はどうにもならないほど孤独でした。あの故郷のニューイングランドの谷間の緑の原や、心優しい昔の友人たちを、どんなに恋こがれたことでしょう……」と、その胸の内を語っています(『ロータリーへの私の道』ポール・ハリス著)。

 


 この孤独な思いがロータリーの創立の源になったようです。同書に「ある晩、私は同業の友人に連れられて、郊外の彼の家を訪れました。夕食後、近所を散歩していると、友人は、店の前を通るごとに、店の主人と名を呼んで挨拶するのです。これを見ていて私は、ニューイングランドの私の村を思い出しました。そのとき浮かんだ考えは、どうにかしてこの大きなシカゴで、さまざまな職業からひとりずつ、政治や宗教に関係なく、お互いの意見をひろく許しあえるような人を選び出して、ひとつの親睦関係をつくれないものだろうか、ということでした。こういう親睦関係ができれば、必ずお互いに助け合うことになるはずです」と書いています。
 1905年2月23日、ポール・ハリスは、石炭商のシルベスター・シール、鉱山技師のガスターバス・ローア、仕立て屋のハイラム・ショーレーの3人と会合を持ちました。これが、現在200以上の国と地域に、約3万4,000のクラブ、約122万人のロータリアンを有する国際ロータリーと発展していく組織の始まりです。
 1935年、ポール・ハリスは、日本に立ち寄っています。その時、彼が東京の帝国ホテルに植えた月桂樹は、株分けをされ、日本全国にその2世、3世が元気に育っています。
 1947年1月27日、ポール・ハリスは逝去しましたが、彼の志は多くのロータリアンに引き継がれています。   編集長 二神 典子
(ロータリーの友 2011年12月号より)

 

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