死刑囚の再審無罪判決

〜 上級審の判断を待とう 〜



58年前に静岡県で一家4人が殺害された事件死刑が確定した袴田死刑囚再審裁判で、静岡地方裁判所は「捜査機関によって証拠が捏造された」として、袴田死刑囚に無罪を言い渡した
裁判長は袴田死刑囚の姉に「ものすごく時間がかかっていて、裁判所として本当に申し訳なく思っています」と謝罪した。

最大の争点は、現場近くのみそタンクから見つかった、有罪の決め手とされた衣類に付いていた血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかだった。
静岡地方裁判所は「1年以上みそに漬けられた場合に血痕に赤みが残るとは認められず、衣類は事件から相当な期間がたった後、捜査機関によって血痕を付けるなど加工され、タンクの中に隠されたものだ」とした。

この無罪判決に対してマスコミは例によってキチガイみたいに大騒ぎのバカ騒ぎをしている。事件当時はマスコミだって袴田死刑囚を犯人だと決めつけて、大騒ぎしていたくせに、手のひらを返したような脳天気なバカ騒ぎぶりだ。

ただ、今回の無罪判決には疑問が残る。あまりにも荒っぽい杜撰な判決だからだ。
判決では捜査機関が証拠を捏造したと決めつけているが、実は、捏造に関する具体的な裏付けは無い。捏造した事に対する証拠は何も無い
「袴田死刑囚の犯行だとする証拠は捏造されたものだ」と決めつける一方で、その捏造については何の証拠も無いのだ。これは矛盾しているのではないか?
本当にこれだけ大掛かりな捏造をしたのであれば、何かしらの目撃情報とか証拠があってしかるべきだが、そんなものは一切無い。
自白がメインの証拠だった過去の再審無罪判決事件と異なり、今回の事件は、自白の他にも数多くの有罪の証拠がある。
それらを無視して一方的に出された無罪判決は信頼できない。

そもそも、一度は最高裁判所で死刑判決が出たのであるから、それを覆すのであれば、それなりの理由が必要だ。そうでなければ日本の司法制度の信頼性を根幹から否定する事態になる。
マスコミはバカ騒ぎしながら、検察に対して「控訴するな」と騒がしいが、少なくとも上級審の判断は必要だろう。
なぜなら、裁判官ってのは恣意的でトンでもない判決を出す事も多いからだ。
原子力発電所の運転差し止めのようなトンでもない判決を出した裁判官は、もれなく定年間近の裁判官で、彼らは最後の最後に、目立った実績を作りたいために、そのようなトンでもない判決を出す。
良識的な決定をしたのではマスコミも相手にしてくれず、そのままひっそりと退官するだけだが、そのようなトンでもない判決を出せば、マスコミどもが大騒ぎして取り扱ってくれるからだ。卑しい裁判官による最後の売名行為なのだ。
なぜ裁判官が売名行為をする必要があるのかと言えば、彼らは退官後に弁護士になるからだ。弁護士になった時、知名度があれば、客が増えて大もうけできるからだ。

今回の判決でも、日本の司法を代表する責任者のごとく振る舞って、死刑囚の姉に謝罪するような身勝手な売名行為をする裁判官の信頼性は乏しい。

いつも冤罪事件の報道では、偽善の塊であるマスコミは自分こそが正義のような面をしてバカ騒ぎする。
「善良な市民に対する国家権力による弾圧」みたいな報道の仕方だ。犯人が他にも極悪非道な犯罪を犯しており、明らかに怪しい奴の場合でも、冤罪となると一躍ヒーロー扱いだ
私が死刑囚の再審無罪判決に不信感を抱いたのは、地元香川県で起きた財田川事件の判決が最初だ。
財田川事件でも、偽善の塊であるマスコミは自分こそが正義のような面をしてバカ騒ぎして「善良な市民に対する国家権力による弾圧」みたいな報道をしていた。
しかし、財田川事件の谷口死刑囚は決して善良な市民ではない。彼は近くで起きた農協強盗事件の犯人として逮捕されていた男で、地元では札付きの悪党だった。決して善良な市民ではない。

今回の事件の袴田死刑囚が谷口死刑囚と同じような悪党だったのかどうかは分からない。
だが、日本の司法制度の信頼性を確保するのであれば、少なくとも上級審の判断が必要だろう。

(2024.9.26)



〜おしまい〜





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