高校履修不足問題

〜 今さら問題にしなくても 〜



全国の高校で卒業に必要な必修科目教えられていなかった事がバレて大騒ぎになっている。
最初に問題になったのは、進学校において、理科系の生徒に、学習指導要領で必修となっている世界史などの科目の授業をせず、代わりに受験に必要な科目の授業をしていたのだ。その後、芸術分野や保健分野なんかでも授業をしてない例が続出している。

(幹事長)「いやあ、びっくり!ほんまに驚いたわ」
(石材店)「それほど驚くことでもないですよ。いかにも、ありそうな話ですよ」
(幹事長)「だから驚いてるんだよ。こんな事、全国の進学校で、大昔から行われていたことだぞ
       なんで今頃になって大騒ぎしてるんだ? 全国津々浦々の学校関係者の間じゃ、常識じゃなかったのか?

と思うのだが、どうなんだろう?僕も高校時代から理系だったけど、社会の授業で、まともに授業を受けたのは日本史くらいしか記憶に無いぞ。

(石材店)「その割には日本史の知識が乏しいですねえ。それって、いつの話ですか?」
(幹事長)「高校を卒業して30年くらいかな」
(石材店)「センター試験なんて無かった時代ですね」

センター試験も共通一次試験も何も無かった。試験は大学独自の入試だけの一発勝負の時代だ。国立大学の理系なら、ほとんどの大学で社会は1科目だけだった。文系なら、ほとんどの大学で理科は1科目だけだった。だから全国の多くの進学校で、理系なら社会は1科目だけ、文系なら理科は1科目だけ、という授業が行われていたと思う。

(幹事長)「そうじゃなかったと言うのかっ!?
       みんな急に驚いたフリなんかしてるけど、マスコミも役人も教育委員会も、そんなん昔から知ってるだろ?」
(石材店)「じゃあ幹事長は日本史しかやってないんですか?」
(幹事長)「いや、僕が行った大学は、理系でも社会2科目、文系でも理科2科目が課せられるシビアな入試だったから、世界史もしたよ」
(石材店)「一応、選択授業はあったんですね」
(幹事長)「いや、その大学を受験する生徒だけ集めて、入試の直前に、集中的に特訓した」
(石材店)「そんなんで通用するんですかっ!?」

もちろん、通用するわきゃない。でも、その入試は、あらかじめ科目を選択するのではなく、入試当日に、配られた問題を見て好きな2科目を選択できるシステムだった。一目見て世界史は駄目だと分かったので、急遽、その場で地理を選択した。

(幹事長)「世界史はいっぱい丸暗記してないと無理だけど、地理なら、新聞とか読んでりゃ常識で分かるわな。
       アフリカは暑いとか、カンガルーがいるのはオーストラリアとか」
(石材店)「そなな問題でませんっ!」


それにしても、一体いつから世界史が必修科目になったんだ?昔は社会も理科も必修科目なんて無かったぞ。世界史なんか必修にするくらいなら、数学を必修にせんかいっ!

(石材店)「数学は当然、必修でしょう?」
(幹事長)「その割には数学ができん奴が多すぎるぞ」

そう。必修にしたからと言って、理解できてる訳ではないのだ。て言うか、形だけ必修にしたって、全然使いものになってない科目が多いじゃないか。そんな中で、なんで理系の生徒に世界史を必修にするんだっ?

(石材店)「幹事長は国際情勢オタクのくせに、世界史には否定的ですねえ」

いや、グローバル化がとどまるところを知らない現代社会を生きて行くには、世界史は必要不可欠な科目だ。そういう意味では地理も必修にすべきだ。ただし、世界史なら、歴史の流れの有機的な意味を学ぶことが重要だし、地理も様々な要素の複合的な関係を学ぶことが重要なのであって、バカみたいにギリシャ時代の人名や年号を丸暗記する事に意味があるのではない。例えば、イスラエルによるレバノン侵攻の狂気を論評するには、何千年もの歴史の流れと、中東を中心にヨーロッパやアフリカを含む地理的背景を理解していなければならない。しかし高校の授業で、そういう教え方はしないだろう。歴史も地理も、ブツブツと細切れで無味乾燥な面白くない知識の断片の集合を丸暗記するだけだ

(幹事長)「そんな授業、ほんっとにクソの役にも立たんぞっ!」

なぜ、そんな授業になっているかと言えば、大学入試の問題が、そうなっているからだ。大学入試の問題が、バカみたいに年号や人名を覚えてないと答えられない愚問だからだ。高校の世界史や地理の授業は、しょせんは大学受験用の授業なのだ。それなら大学受験に世界史や地理が不要な理系の生徒が授業を受けなくてもいいじゃないか。

(石材店)「じゃあ幹事長は、理系の生徒は社会は勉強しなくてもいい、と」
(幹事長)「勉強は必要だが、学校の先生が教える受験用の社会の授業なんて不要だ。新聞読んでる方がマシだ」

ついでに言えば、英語だって、いちいち単語を覚えなければならないような受験システムは変えて欲しい。入試に辞書の持ち込みを許可して欲しい。

(石材店)「結構、大胆な意見ですね」
(幹事長)「辞書持ち込みでやってこそ、真の英語力が分かるぞ。単語のアクセントなんて、ほんと、どうでもいいことだわさ」
(石材店)「そんなもんですか?」
(幹事長)「LとRの発音やdとthの発音なんて出来なくても、前後の脈絡で完璧に通用するぞ」

辞書だけじゃなく、さらに言えば、化学だって周期表を持ち込んでもいいとか、物理や数学だって公式集を持ち込んでもいいようにしてほしい。まともな大学の試験なら、教科書を持ってたって、そう簡単には解けないだろう。

グダグダと文句を言ったけど、要約すると、

@ 理系の生徒に対しても、世界史や地理や政治経済は必修にすべきだが、それは受験用の勉強ではなく、
   現代社会を生きていくのに必要な知識と考え方が身に付くような、本当に意味のある内容にする。
   試験は不要であり、授業さえ受ければ単位を取得できるようにする。

A 文系の生徒に対しても、物理や化学や生物を必修にするべきだ。もちろん試験は不要だ。
   さらに、社会に出れば数学は絶対に必要であり、もうちょっとレベルを高めてほしい。

B 大学入試は、年表や辞書や公式集を持ち込んでもいいこととする。
   そうすれば丸暗記しなければいけないような愚問は無くなるだろう。

話が本題からだいぶそれちゃったけど、最後に、これから受験勉強の追い込みという時期になって、大騒ぎして無意味な授業を受けさせるのは、生徒が可哀相だ。今頃になって大騒ぎし始めたのは、誰かの陰謀としか思えない。今から無理に授業を受けさせる必要なんて、全くない。今まで暗黙でやってきた事なんだから、あまりにも不公平だ。せめて来年からでいいじゃないか。
ここへ来て、PTAが同じような事を訴えだした。今、この時期になって突然、問題視して、受験生に大きな負担をかけるのは、可哀相すぎると。そして、その声に押されるように政治家も同様な発言をし始めた。ところが、文部科学省は相変わらず意固地になって、原理原則で突っぱねようとしている。

しかし、よおく考えてみよう。そもそも、このような問題が発生した原因は、文部省による日本人総白痴化計画「ゆとり教育」だ。ゆとり教育は、日本人の学力急低下という惨憺たる結果を残して、廃絶が迫られているが、その反省をすることなしに、いまだに原理原則を持ち出す文部官僚の態度には呆れるばかりだ。ばかみたいに世界史必修を叫ぶ文部官僚に数学のテストでも受けさせてやりたいものだ。

(2006.10.27)



〜おしまい〜





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