認知症高齢者に対する監督義務

〜 社会全体で補償しよう 〜



認知症の高齢者列車にはねられて死亡した事故により、列車が遅延して損害を被ったとしてJR東海家族損害賠償を求めていた裁判で、最高裁判所は名古屋地方裁判所や名古屋高等裁判所の判断をひっくり返し、家族側が勝訴する判決が下された

(石材店)「高齢者介護に造詣の深い幹事長としては、まずは良かったですね」
(幹事長)「徘徊老人評論家の私には身につまされる事件だったからなあ」


事故は愛知県大府市で2007年に起きたもので、認知症の91歳の男性が列車にはねられて死亡したんだけど、家族に見舞金を払うのなら分かるが、欲深いJR東海は、なんと、こともあろうに、この事故で列車の遅延による損害を被ったとして妻や長男を訴えて、720万円の損害賠償を求めていたのだ。JR東海の強欲ぶりには唖然とさせられるが、なんと一審の名古屋地方裁判所は、JR東海に迎合して、男性の妻と長男に対して全額の支払いを命じたのだ。妻は当時85才で、彼女自身も要介護1の状態だったのに。唖然というか呆然というか、信じられない判決だった。つい先日も、大津地方裁判所のキチガイ裁判官が、関西電力の高浜原子力発電所の運転を禁止する仮処分決定を出したけど、このような下級裁判所では裁判官の質の劣化が著しく、時にトンでもない判決が出たりする。しかし、上の裁判所に行くに従ってキチガイ裁判官の判決は取り消されるものだ。
ところが、この認知症事件の裁判では、二審の名古屋高等裁判所も、長年にわたって遠方に別居していた長男の責任は認めなかったが、妻に対しては360万円の賠償責任を認めた。高等裁判所ともあろうものが、地方裁判所のキチガイ裁判官と同じような判断をするなんて、日本の司法に絶望した。
ただ、さすがに最後の砦である最高裁判所だけは良識が残っていて、今回の家族の勝訴となったのだ。

JR東海の強欲どもや裁判所のキチガイ裁判官どもは、認知症高齢者の介護の実態を知っているのだろうか。もちろん、これっぽっちも知らないのだろう。知っていれば、こんなトンでもない訴訟を起こしたり、判決を出したりはしないだろう。

(幹事長)「JR東海の強欲どもや裁判所のキチガイ裁判官どもこそ、早く認知症になって電車にはねられて死ねばいいんだ」
(石材店)「相変わらず言葉が過激ですねえ。みなさん事情があるんですってば」


親族に認知症の高齢者がいると、大変な苦労をする。本当に苦労する。もう、くたびれ果てる。
体も衰えていれば良いが(良くはないけど)、体が元気な認知症高齢者は本当に手に負えない。ちょっとでも目を離すと、どこへでも行方不明になる。夜中でも何時でも、油断すると行方不明になる。想像を超えた行動をする。これを100%監督するとなると、24時間、寝ずに見張っておくしかないが、もちろん、それは不可能なので、可能な手段としては、24時間どこかへ閉じこめておくしかない。なので、介護施設に閉じこめておくという選択肢が出てくるが、体が衰えていれば良いが(良くはないけど)、体が元気な認知症高齢者は介護施設でも持てあます。元気なので暴れる。元気なので目を離すと抜け出す。なので、鍵の掛かる部屋に閉じこめておくか、動けないように拘束しておくしかない。あるいは、介護施設ではなく精神病院に閉じこめておくという選択肢もある。しかし、本当にこんなんで良いのだろうか。それが理想的な社会なんだろうか

もちろん、何が起きても認知症高齢者側に責任が無い、とするのが良いとは思わない
今回の事故は、相手が大企業のJR東海だったから、全国民の批判を浴びたものだ。JR東海と言えば、全く無用の長物であるリニアモーターカーに10兆円もの大金を投じようとしている巨大企業だ。10兆円もの大金を平気でドブに捨てようとしている巨大企業だ。それなのに、ああ、それなのに、高齢の夫が事故で死んで悲しみにうちひしがれている要介護の高齢女性に対して損害賠償を求めたのだ。人間のやる所業ではない。本当に憤りを感じる。10兆円もの大金をドブに捨てられる巨大企業にとっては720万円なんてはした金以下の誤差の範囲だろうけど、夫が事故で死んで取り残された要介護の高齢女性に取っては、人生が真っ暗になるような、とんでもない大金だ。こんなひどい仕打ちをするJR東海は絶対に許してはならない。こういう事故により鉄道の運行に支障が生じて余分なコストが発生したのは事実だが、そういうコストは過去の事故発生確率から予想被害額を適切に算出し、合理的に料金に織り込めばいいだけの話だ。そんな簡単な事も分からないのだろうか。
もちろん、例えば認知症の人が車を運転して人を殺傷したとか、損害を与えたような場合は、当然、責任を負わなければならない。そういう場合は自動車保険から賠償金が出るはずだが、もし認知症の高齢者が自動車保険に加入せずに車を運転していたとしたら、それは一種の犯罪とも言えるので、その場合は家族がいたら監督責任を問われるべきだろう。
自動車の運転ではなくて、何らかの行動によって他人に危害を加えてしまった場合は、「誰も責任を負わない」なんて事になって被害者が泣き寝入りするのは良くない。でも家族に責任があるのかと言えば、今回のケースのように、高齢の妻や遠方で別居している子供に責任があるというのも、現実を無視した暴論だろう。なので、そういう場合は、公的な制度で補償してあげるべきだと思う。そういう制度を作る必要がある。ただし、認知症高齢者の行動は、自分に危険な場合がほとんどであり、他人にとって危険なケースは少ない。そんなに心配する事はない。徘徊老人評論家の私が言うのだから嘘ではない。

予備軍も含めると、65才以上の高齢者の4人に1人が認知症であり、今回の問題は、今、認知症になっている高齢者や家族だけでなく、全ての国民が無関係とは言えないのだ。社会全体で支えなければならない問題だと思う。

(2016.3.17)



〜おしまい〜





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