私とニューギニアとの関わり


表紙へ戻る目次へ戻る次の頁へ進む
義父 阿部八郎平  私とニューギニアとの関わりは、妻文子の父阿部八郎平がニューギニアで戦死しており、妻がその土地を一度見てみたいと言ったことに始まる。
 当初は、厚生省の委託事業として日本遺族会が実施する慰霊事業に応募した。しかし、この事業に参加できるのは、遺族に限られるとのことである。経費は自己負担しても駄目かとの問いに、答えはノーであった。
 即ち、配偶者の同伴は認められないから、妻一人で行かなくてはならない訳である。妻には、一人でも行くという決断はできなかった。
 そこから私の調査活動が始まったわけである。調査課題の一つは、義父のニューギニアにおける行動の範囲とその背景である。
 これは慰霊旅行に行くとすれば、どこに行けばよいのかはっきりさせておく必要があるからである。ニューギニアでは広すぎると考えたのである。
 二つ目の課題は、自分の力だけでは行けないので、連れていってくれる人とチャンスを探すことである。調査の手がかりは、なかなか掴めないまま日にちだけが過ぎていった。
伊方町遺族会が終戦五十年の記念誌を発行することとなり、私は、その原稿を書くという名目で、妻の母ハルキに出来るだけ多くのことを喋らせて録音した。この録音は、「自分史『阿部ハルキ』」として文書化した。この仕事は、義母の記憶を文書化しただけではあるが、後々の調査に大きく役立つこととなった。

表紙へ戻る目次へ戻る次の頁へ進む