海霊由来記

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 さきの大戦において国に殉じた船員の数は、実に六万余名にも達している。
 能楽「海霊」は、これら戦没船員の霊を慰め、その徳をあきらかにし、併せて平和を祈るために作られたもの。
 その元の歌詞は、明治37年、ときの国際情勢を憂慮され、世界平和を祈念された明治天皇の御製「四方の海みなはらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を配して平和への指標としたものである。
 昭和46年3月、横須賀市の観音崎公園内に「戦没船員の碑」が建立され、同年5月6日、皇太子同妃両殿下の行啓のもとに第1回戦没船員追悼式が挙行された際、宮越賢治船長の作詞、25世観世左近師の作曲による能楽「海霊」が奉納された。
 それ以来、追悼式典には必ず「海霊」が宮越賢治船長をシテとして観世一門によって奉納されることになった。
 宮越船長は、昭和61年に亡くなられたが、その後は観世一門によって絶えることなく奉納されている。

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