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【タマのひとり言】2001年12月30日〜2002年3月14日迄

2002年3月14日 『タマの一人旅!函館湯の川温泉でのミニアルバム』
                               &『日常のタマとバニラ





湯の川プリンスホテル『渚亭』の部屋の
ベランダにある露天風呂より。
目の前は津軽海峡、右手には函館山の
夜景と、贅沢な旅でした。
「愛と勇気と缶ビール!乾杯!!」




調子に乗って、飲んでは入浴を繰り返し、こ
れで4度目の入浴です。
お酒に酔う前に、湯当たりしそうなものですが、何故か露天風呂って湯当たりしないんですよネ…。
おまけに雪まで降ってきて、これが本当の
『雪見酒』。
情緒たっぷりな時間を過ごせて、心と身体の
洗濯ができました…。





湯の川温泉にある『湯倉神社』の鳥居
です。
ここの鳥居は緑色なんですヨ。
あっ、また鳥居の右上に『たまゆら』が
写ってる…。







事務所にて、
バニラと一緒に、いつも『W遠トリ』のスケジュール作
りをしています。






2002年2月25日  ttttttttttt 『ブラザー!』

ttttttttttttttttttttttttttt
              事務所にて、ヤングブラザーと一緒に…。



それは昨夜のことでした。
9時からの『W遠トリ』を30分後に控えてソファーに横になってくつろいでいると、ゴースト・バスター木村さんから1本の電話が飛び込んできたのでした。

「あぁ、玉川さんですか? いまお話しても大丈夫ですか?」
「はい。いいですよ」
「いやぁ〜、じつはね、明日会って貰う約束をしていたお客さんですがね、それ今日じゃダメですか?」
「今日って? これからですか?」
「はい。いいですか?」
「いや、9時から仕事が入ってるので今晩は無理ですよ…」
「そうでしたか…。お仕事は何時頃に終わるんですか?出来ればその後でもいいんですが…」

と何時に無く強引である…。
“いつもの木村さんらしくもないなぁ〜”と感じた私は、それでは10時くらいにもう一度電話をくださいと伝えて、気になりながらも仕事に取り掛かったのでした。

約束の10時、仕事を終えてマンションの1階にある会社の事務室で待つこと20分。
私の携帯はウンともスンとも音をたてません…。
“いったいどうしたんだろう…”と、焦れた私はこちらから電話をかけることにしたのです。

「木村さん、どうするんですか?さっきから事務所で待ってるんですけど…」
と、焦らされた私は少し語気が荒くなっていました…。
「あぁ、ごめんよぉ〜。もう近くまで来てますから、もうちょっと待っててくださいね。すみませんねぇ〜」
という木村さんの言葉を聞いてフッと我に戻り、
“せっかくお客さんを紹介していただけるというのに、なんという言い草…”、

以前、依頼の電話でパニクっていた頃に八木橋くんから、
「玉川さん、僕らは電話で依頼を受けるのが仕事のようなものなんですから、電話の声、クライアントさんからの電話は、神さんからの声と思って、笑って取りましょうね」
と教わっていたことを思い出し、未熟な自らの態度にチョッピリ反省するのでした…。

(実はこの時の会話で反省した私は、自室の携帯電話の充電器には、『電話の声は 神の声、 ニッコリ笑って、「はい、ありがとう!」』っていう標語を書いた紙を貼り付けているのですが…。今日は事務所だったもので…。)

それから待つこと7・8分。
シ〜ンと静まり返った暗がりの中、事務所のブラインドを下ろした窓を車のヘッドランプが眩しく照らしたのに気がつきました。
先程の反省も手伝ってか、私は満面に慣れない笑みを称えて事務所の扉を開け、会社で経営している月極め駐車場へと、如何にも迷惑そうに愚図っているバニラを小脇に抱えて飛び出していったのです。

車は2台でした。
1台は木村さんのミニバン。そしてもう1台はおそらくクライアントさんのモノでしょう。
それぞれを空いている場所に誘導し終へ、車から降りて来たクライアントさんを見てビックリしてしまいました。

暗がりに止めた車から降りてきたのは、二名の青年でした。
一人は坊主頭の強面のオニイチャン、そしてもう一人は見るからに優しそうな、暗がりでは一見女性かと見間違うほどの美青年でした。

“どちらがクライアントさんなのか? それとも二人ともそうなのか?”

強面のオニイチャンと目が合った瞬間、彼は「ニコッ」と笑って、「ペコリ」と頭を下げたのでした。不思議なことに、私はその青年の顔が何故か高僧のように見えるのです…。見た目は暴走族のリーダーみたいなのに…。
何故…?
(後になって、それは彼の目の色というか、目から出ているエネルギーだと気が付くのですが…)

とにかくみんなを事務所に招きいれ、お話を聞くことになるのです。
ところが誰もしゃべらない…。

仕方なく、
「木村さん、どちらの方ですか? それでご用件は?」

「えっ? あ、あぁ〜。 ほら、オニイチャン、こちらが玉川さん…。
この人は『気功』で病気とか治してる人やからね。ちゃんとその道の学校も出てるし、お免状持ってるし、凄い先生やから何でも治して貰えるからナ」

「…。 『気功』とは違います…。気功とはエネルギーの質が・・・・・」
「まぁ〜、よう似たもんやんか…。とにかく凄いから、心配せんと何でも話してエエヨ」
「これでも木村さんとは同じ年ですから…」
「玉川さん、、、これでもって、どういう意味…」
「あっ、すいません…。こう見えても、、、同じかぁ〜…。とにかく同じ年です。ハハハ…」
と言った途端に、今まで堅かった雰囲気がパッと和んでくるのがわかった。

そんな私の金髪頭と左耳のピアスを見て強面のオニチャンが、
「かっこええ…。男前やし…」と小さく微笑みながら口を開いたのでした。

短い沈黙の後、結局木村さんの口から事情を聞かされるのでした。
この個性の全く違う両名は兄弟だということ、そして彼らが木村さんの遠い親戚にあたることも、その話の流れでわかりました。
美青年の方が兄で、強面のオニイチャンの方が弟です。
私はてっきり大学生と高校生くらいの兄弟かと勝手に想像していたのですが、兄は27才、弟は25才でした。

「要するに、精神不安症みたいなものなんだネ」
「はい。それです。自分で自分が押さえ切れないんです」
「それの改善でいいのネ」
「はい」
と、口の重い彼からなんとか一通り依頼内容を聞き出し、スケジュール表を作って手渡したのですが、どうも私の何処かが、「違うぞ!」って叫んでいるのです。

そして何を思ったのか気がついたら、
「君はその凄い能力を持て余しているんじゃないの?その有り余るパワーをコントロール出来なくて苦しいんでしょ? そして誰も俺を理解してくれないって…」
と私の口が、と言うよりも私の直感が勝手にしゃべっていました。

彼は下をうつむいたまま、「…はい」と消え入りそうな声で返事をしました。

私は正面に座っている木村さんに、
「どうして木村さんが、やってあげないんですか?彼の能力は尋常じゃないですよ。私では敵わないかもしれない…。それくらい彼に内在している存在、エネルギーって言った方がいいかな、、、は強力なはずですヨ。木村さんはわかってるでしょ?どうして私に…?」

「…うん。 玉川さん…、僕には出来ないんですよ。出来ない理由があるんです。だから玉川さんにお願いしてるんです…」
と申し訳なさそうに話す木村さんを見ていて、私にはその理由が少しづつわかってきたのです。(これは個人的な話になるので、ここでは書くことを控えます)

「そうですか…。わかりました。やりましょう」

それを切っ掛けのように、今度は木村さんが彼にいろいろな質問を投げ掛け始めたのでした。どうやら遠い親戚とは言え、今までこうやって近くで言葉を交えることは滅多になかったようでした…。

「ん…? オニイチャン。
あんた身体に獣(けもの)を飼うてるナ…。それはなんや?
その獣とあんたは話が出来るんか? そうやな。 
それは、あんたの言うことをきくんやナ…」

「…うん。でもただのネコですよ…」
と相変らず下を向いたまま、消え入りそうな声である…。
質問している木村さんの語気は、こころなしか荒くなってきていた…。

「ありゃ…。あんた小さい頃に『拝み屋さん』に診てもろうてるやろ!」
「…うん…」
「しかも、その拝み屋は修行も積んどらん、素人に毛が生えた程度のモンやな?
ん…? それは女やな? そうやろ?」
「…うん」
と、矢継ぎ早に質問の嵐である。

そして木村さんが美青年の兄にいろいろ訊いている合間を盗むように、
「コレ、僕が折ったんです。折り紙…、いいでしょ。これやると落ち着くんです」
と、いったい何を折ったのか、完成したモノを想像も出来ないような複雑で幾何学的な折り目のついた折り紙を、広げて見せてくれるのでした。

「へぇ〜。それは何を折ってたの? それ折ると気持ちが落ち着くんだネ?
自分の押さえ切れないエネルギーを、そうやって折り込んでいるのかな?」

「はい。 あっ、これは花です。蓮の花みたいなの…。
それといつもコレを腕に巻いてるんです」
と手首用の数珠球をニコニコしながら見せてくれるのでした。

また木村さんが下のオニイチャンへの質問を始めたので、傍で黙って聞いてるだけの私は身体を持て余してしまって、みんなには内緒で彼にトリートメントを始めていました。
おそらく今思えば、その時彼は気がついていたのでしょう…、時々こちらを向いては「ニコッ」と微笑むのです。

それが私には、どうも彼の中の誰かが「ありがとう」って言ってるように思えてならないのです。そして彼と、彼の中の誰かも、私のことをたいそう気に入っているように感じられました。

兄の美青年はというと、そのやり取りを口も挟まず冷静に黙って眺めているだけでした。
“彼にとっては、これくらいは日常茶飯事の出来事なのかもしれないなぁ〜”と、私はその時思いました。
そして彼が弟を普段から心配し、可愛がっていること、また弟にとっても兄が唯一の理解者なのであろうと感じたのでした。

しかし、“この兄も只者ではないな!”と私には思われて仕方ないのです。

しばらく黙っていた木村さんが、

「ん…。『ゴヘイ』が見えてきた…。オニイチャンは『ゴヘイ』を持っとるんか…。
白い着物を着た小さい女の子やな。コレあんたか?
かわいそうに、泣いてるのやな…。
なぁ〜オニイチャン。あんた淋しいのやナ。友達が欲しいんやナ? そうかそうか…」

と小さい子供をあやすように、木村さんの語気は徐々に優しいものへと変わっていくのでした。
※ 『ゴヘイ』とは、後日木村さんに訊くと、仏教で言うところの『結界』のことであり、彼が幼い頃に拝み屋さんから受けた恐怖心から逃れる為に、誰に教わるわけでもなく自ら作り出したもので、それを自らの周りに張り巡らせている為に外界と接触できず、淋しいのであろうとおっしゃっておりました。
たぶん、そう言う意味だったとおもいます…。(自信ないなぁ〜)


そんな時、突然兄の携帯がけたたましく狭い事務所中に鳴り響いたのでした。
慌てて携帯を持ったまま外へ飛び出す兄…。
それを「待ってました」と言わんばかりに木村さんが、
「なぁ〜、オニイチャン。ワシにオニイチャンの脳の中を見せて貰うてもエエカ?」
と突拍子もないことを言い出すのです。

「…うん」
「よっしゃ、それじゃぁチョット見せて貰いましょうか…」
と、静かに瞼を閉じるのでした。

30秒も経たない内に、
「ん?この小さな、うずくまって泣いている女の子は誰や? 
ん?この子はあんたに何を話しかけとんのや? あんたわかるんやろ、何を話してるか言うてみて…」
と木村さんが何度も彼に声をかけるのですが、彼は、頭を左右に小さく振って、
「恥ずかしいから…」
と、消え入りそうな声で呟くだけでした。

「ん…?このあんたの周りを取り囲むように何個かあるボーっとした黒い塊はなんや?」
と訊く木村さんに応えるかのように、彼は自分の目の前の空間に手を伸ばして、
「えっ? あぁ〜、コッチ? それともコッチ」
と、まるでその黒い塊が目の前にあるかのように身体正面の左右の空間を掴むジェスチャーをするのでした…。
それを見ていた木村さん…、

「えっ!! あんたワシの見てるモンが見えてるんやな! 
うぅ〜む…、そうかぁ〜…。 うん。ソッチや、それそれ。それは何や?」
「あぁ〜、コッチはお兄ちゃん…」
「いやぁ〜、あんた、凄いなぁ〜。ワシの見てるものが見えてるんやなぁ〜…」

そんな二人のやり取りを見ていて、私はこんな光景を以前にも体験したことを思い出していました。
そう、それは私の体験談『芦別山の龍』に登場する一場面ですが…、『芦別駅』に向かう電車の中で、八木橋くんとPH会員番号4番のMさんが、飛び交うUFOを同時にビジョンとして見ていたというモノです。

あの時は一緒に行った、調整師の前田さんや三野さんもビックリしていましたが、まさか、またこのようなシーンに遭遇するとは思ってもいませんでした。
と言うことは、やはり彼も只者ではないのでしょう…。

そう思った瞬間に、
“アッ、ひょっとして、これはヤバイんじゃないの?早く八木橋くんに知らせるだけでも知らせとかねば…”
と時計を見ると、針は既に11時を20分ほど回っていました。
いつもなら、彼には小さい子供がいるので遠慮して、遅い時間の電話はかけないし、FAXもなるべく翌日に流すところなのですが、、、この日だけはそうも言っておられず、“どうか子供らが起きませんように…”と念じながらFAXを流したのでした。

電話が終わり事務所に入って来た兄に、
「あんたも普通やないな? 自分でも思い当たることがあるやろ?」
「・・・・・?」
「ん? あんた『三つ目』やな。そうか第三の目が開いてるんやナ」
「・・・・・。」
「ありゃ、コッチの弟は身体に玉が三つ入ってるワ。凄いなぁ〜…。ワシも玉が入ってるけど、ワシのは二つや…。オニイチャンは玉三つ入ってるなぁ〜。ワシの知る限り、玉を三つ持ってるのは高僧や大僧正しかおらんのやがなぁ〜。そうかぁ〜…」
と、ひとしきり感心するのでした。

木村さんの質問も終わり、美青年の兄、そして私と木村さんの3者で今後のことを話し込んでいる最中、彼は事務所に奉ってある『三面大黒天』さんをズッと拝んでいました。
そんな彼の様子を見ていて、私は彼に駐車場で「ニコッ」と微笑み掛けられてから、この3ヶ月ほど、どうやっても止まらなかった咳が出ていないことに気がついたのです。

「アレ?木村さん、私、あんなに出ていた咳が止まっちゃったんですけど…。
それに腰痛も気にならないし…。彼かなぁ〜?」
と問い掛けるのですが、
「ん? そうなの…」
と、“そんなことくらいで驚くなよ”と言わんばかりに半ば無視されてしまいましたが…。

明日の朝一番の『W遠トリ』を約束して3人を送り出すのですが、別れ際に強面のオニイチャンが私に手を差し出して、
「お願いします」
と、見た目では想像できないくらいの人懐っこい笑顔で微笑みかけてくるのでした。
私も負けじと微笑み返すのですが、なんせ私は『遠隔専門調整師』…。
そういう対応には慣れていないせいか、その笑顔はおそらく強張っていたことでしょう…。

彼らが帰ったその時から、私の咳と腰痛は、以前と同じようにぶり返していました…。
ホッっとした瞬間、急に尿意をもようした私は慌ててトイレに駆け込むのでした。そして、用を終えて手洗いの鏡に写った自分の顔を見ると、耳まで真っ赤に変色し、顔面が熱っていることにようやく気が付いたのでした…。

 2月26日  『神あそび!』

朝、昨夜のことが気になり、私は一刻も早く『W遠トリ』がやりたくて仕方ありませんでした。
やっと予定の時間が来て、急いで八木橋くんに電話をかけ、昨夜の事務所での出来事を次々と話すのでした。

一通り聞いた後で、
「玉川さん、実は、僕まだ昨日FAXしてもらったカルテ、見ていないんだワ」
「えっ?どうして?」
「イヤ、なんとなく今は見ないほうがいいって…、そう感じたから…」
「そうか…」
「ところで、この人、本当にやるんですか? 出来れば僕は遠慮したいなぁ〜」
と彼には珍しい言葉を聞かされた。

その、予想もしていなかった答えに、
「うん。どうも俺一人じゃ危ないような気がしてならないんだ…」
「確かに…。でも試しに玉川さん一人でやってみたらどうですか?」

「試しにやってみて倒れたら、誰も気が付いてくれなくて、、、何ヵ月後に部屋で干からびたミイラになって発見されたんじゃ洒落にもならないでしょ…」
「そうですね。金髪のミイラじゃねぇ〜…。依頼を受けた以上はやるしかないですか…」

と二人で話しているのですが、その間に八木橋くんは、どうやら話しながらそのクライアントさんをスキャンしていたようでした。

そして、いろいろと彼についての驚くような情報を話してくれるのでした。
ひょっとしたら、彼は木村さんの能力を既に超えているのではないかとか…。
神の話。折り紙神事の話。獣の話。陰陽道の話等々…。

「玉川さん、この人が昨夜来ている時に内緒でトリートメントやったでしょ?」
「えっ? あぁ…うん。 どうして…?」
「この人の神さんが、“レスキューも、やってもらった”って、そう言ってました。
“ありがとう”って…」
「・・・・・・・・・・・・。」
「うん!それにこの神さん、私達を探してましたね」
「えっ?それって八木橋くんを探してたんじゃないの?」
「いえ、玉川さんもです。そう言ってます」
「そう言ってるって…。あっそう…」
「はい!」

本当は、それら全てをここに書ければいいのでしょうが、八木橋くんから、
「玉川さん、ここでの話は、これ以上は詳しく書かないで下さい。その方がいいでしょう…」
と口止めされていますので、申し訳ございません。

そしてひとしきり話し終えた後で、『W遠トリ』が始まるのです。
終了後のお互いの感想、、、、スミマセンがこれも書けません。

ただひと言、八木橋くんが、これだけなら書いてもいいですと言ったのは、
『神あそび!』
このひと言でした。

そして、予定していた全てのクライアントさんの『W遠トリ』が終わった後で、
「玉川さん、エネルギー変わったワ。 それアップでしょ…」
と言うのでした…。

この日の昼前、さっそく美青年の兄から携帯に電話が入り、
「実は、昨夜玉川さんと別れた後、本人は気分は良いらしいのですが、車の中で呂律が回らなくなってしまって、いまでもその状態です。
それに帰ってからも、“家の中に鬼がいるから…”って、“鬼は外、福は内”をやっているんです。
そして、もう一つ意味のわからない言葉を何度も口走っているのですが大丈夫でしょうか?」
「えっ?意味のわからない言葉って?」
「はい。『エム』って、ずっと言い続けているんです」
「えっ?」
「アルファベットの『エム』だと思うんですが…」
「うぅぅ〜む…。わからん…。後で八木橋くんに訊いてみるから、もう一度電話して…」
と携帯を切りました。

八木橋くんの調整の昼休みを見計らって、電話でその事を告げると、間髪を入れずに即答でした。
「あぁ〜、それは『みず』です」
「へ…?」
「水のMです。だからコップにでも水を入れて、エネルギー入れて飲ませれば大丈夫って伝えてください。それだけです、はい」
「・・・・・・・・・・。」
相変らず、私には何のことだか検討もつきませんが、言われた通りに電話で告げました。

夜、木村さんからも電話があり、
「どうでしたか?」
と尋ねられたので、この一連の出来事を話すと、

「やはりそうでしたか…。いやぁ〜、僕の感じたことと同じでしたネ。やはり八木橋さんは凄い人ですね…。よろしくお伝え下さい。玉川さんもありがとうございました」

「木村さん、この人はもの凄いエネルギーですネ。只者ではないですよ。
大事に育てれば、きっと大変な人物になりますよ…。
しかし下手をすれば…」

「はい。承知しています。彼は昨夜の玉川さんの所でも、本来は口伝でしか教えない秘法の文言を口走っていましたし、彼の動作も然りでしたから…。
そうですか…、八木橋さんも“折り紙神事”の話をされていましたか…。
しかし、私は事情があって出来ないのです。だから玉川さんにお願いしているのですから…。今後ともよろしくお願いしますね」

「はい…。ところで彼は、ひょっとしたら木村さんをも超えているんじゃないですか?」
「・・・・・・・・・・・。かもしれませんね」
「それなら、尚更ちゃんとした人の下で育てないと…。変な奴に利用されちゃう可能性だってある訳ですし…。周りの、訳のわからない人たちに病院送りにされちゃう可能性もあるんですから…」
「はい。しかし私の救いは、彼の中の存在が強大ではあるが、とても優しいモノであるということです。お話してそれがわかりましたから…。それが救いです」

「そうですね…」
「はい。お二人で、よろしくお願いしますね」
「はい…」

 2月27日  『鼻血…』

今朝の『W遠トリ』の前も、彼の話をしました。

八木橋くんから、いろいろと話を聞かせてもらいました。
特に“訳のわからない世界”について…。
そして話の最後に、
「玉川さん、昨日彼をやった後、エネルギー変わってるって言ってたでしょ」
「うん」
「実は僕もアップしているんだワ。その証拠に今朝“鼻血”出したんだワ…」
「へっ、そうなの…。それ凄いじゃん…」
「うん。玉川さんも、その咳止まると、凄いことになってますよ、きっと…」
「ふぅ〜ん…そう〜?」
「こういう流れになっちゃってるんですね…」
「うぅぅ〜む…。これだから、この世界やめられないんだよなぁ〜…」
「はい…」

この時期、特に青森の『十二湖ツアー』を控えた時期に、この依頼を受けることの意味。
“偶然は無い”と言いながらも、“意味も無い”ことなのかもしれません。
しかし、この事が、この先どういう流れに発展していくのか…。
そして、これは私たち二人だけに起きているわけではありません。
今これを読んでいるあなたにも、、、きっとネ…。

私は楽しみにしています。

2002年1月12日

     1月3日、函館の「船魂神社」拝殿で、ご祈祷を受ける前に撮らせて
     頂いた写真です・・・。
tttttttttttttttttttt

     船魂神社拝殿でのご祈祷後、福禄寿さまの前で撮った写真・・・。
ttttttttt貼り付けた写真では、あまりよく分からないのですが・・・、
     実際の写真では、大きないくつかの『たまゆら』は眩しいくらいに
     光を放っています。
ttttttttttttttttttttttttt

    船魂神社参拝後、『山上大神宮』本殿前にて撮影したもの・・・。
    私の胸に…、ポッカリと『たまゆら』が写っていました。(ドッキン)
ttttttttttttttttttt t

2001・12・30 
tttttttttttttttttttttttttttt『 I am a ゴースト・バスター!
ttttttttttttttttttttttttttt



今回、この話を書くにあたって、当事者であるお坊さん(木村 徳元さん)に相談しました。

「あのぉ〜、木村さん…。ゴースト・バスターの話…、書いてもいいですか? 読みたいって人が結構いるみたいで…」

「あぁ〜、こんな僕の話でよかったら全部書いて…。実名でえぇヨ。隠す事はなぁ〜んにもないから…。書いて書いて、ドンドン書いて…」

と拍子抜けするくらいに開けっぴろげに返答されてしまい、ドンドンご自分の経歴等を話し出すので、かえって私は困惑したのですが、当の本人が「イイヨ!」と言うのならば遠慮なく書かせていただきます。
この話をする為には、まずはこの方との出会いから始めないと…。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

おにぃちゃん、ワシ本当は“ゴースト・バスター”なんや…。 ワシと一緒にやる?
そのひと言から始まった、この人との出会い。
それは遡る事3年前の年の瀬も押し迫った頃でした…。

ここで話は、それよりも1ヶ月ほど更に過去に戻ります。

その頃の私は『TDE式調整師養成学校』卒業を目前にして、「さて、これからどうしよう…」と迷っていた頃でした。
しかし時期は11月中旬、当時『ファンシーショップ』なるものを営んでいた私は、目の前に迫ったクリスマス商戦に備えて、景気の悪い中をプレゼント用の商品を仕入れ、店内の飾りつけもそろそろクリスマス用にしなければと準備をしていたのでした。

そんな11月12日の朝、いつものように開店時間までの間、マンション6階の自室でコーヒーを飲んでいるとドアのチャイムが一際忙しなく鳴り響く。

「ピ〜ン、ポ〜ン〜」
「はぁ〜い」

ドアを開けてみると、そこには会社の印刷工場で働いている工員さんが立っていました。

「どうしたん…、こんな時間に…?」
「社長が倒れたらしい…。取りあえず今は横にしているけど、病院へ連れて行った方がエエヨ…」
「わかった…」

と父の様子を見に行くと、すでに父はフラフラしながらも立ち上がり、会社の事務所へ向かおうとしていたのでした。

「大丈夫…?病院、行こうか…?」
「ん…?あぁ…、大丈夫や!」

と、まるで五月蝿い者を追っ払うかのように発したその言葉は、すでに私の耳には聞き取り難いものに変わっていました…。

一刻も早く病院へと気持ちは焦るのですが、父が面倒をみていた“痴ほう症”の母がいるため、母親一人だけを置いてもいけず、姉が出勤するのを待ってから病院へ連れて行ったのでした。

検査の結果、糖尿病のせいなのか血圧が異常に高く、『脳梗塞』の恐れがあるということでそのまま入院して、精密検査をすると医師から通告されました。
しかし、「痴ほう症のおかぁちゃんを置いては入院しない」と言い張る父…。
しかたなく父の意思を尊重して、母親も検査入院という形で、同じ病院に入院させて貰う事になるのでした。

しかし運悪くと言うか両親は同室だった為に、知らない病室で混乱したのか母親の痴ほうは、あっという間に進行したようで、入院したその日からおねしょ…、そして夜中の徘徊が始まってしまったのです。

ただでさえ安静が必要だった父にとっては、それはもう致命傷でした…。
入院の三日後の夜中に、徘徊しようとする母を止めようとして、父はベッドから下に落ちて頭を床に打ち付け、完全に右下半身付随、そして言語障害になってしまいました。

残された私たち兄弟にとってはそれからの方が大変でした。
まずは両親をこれからどうするか…?
そして会社をどうしていくか…?
両親の件については介護保険が始まる直前だったことと、私の知り合いに看護婦さんと介護師さんがいたことも幸いして、なんとか老人養護施設に入居させることが出来ました。

しかし会社は…、もう限界でした…。
出てくるのは借金ばかり…。おまけに両親の個人資産もほとんど残されてはいませんでした…。
姉と相談の結果、44年間続いてきた商いを閉じ、業態を変えて返済計画を立て、姉を新会社の社長にして長期間かけて借金を返済する計画を立てました。そうしなければ明日から食べていけない状態だったのです。

ところが会社を新しい業態にする為には新たに借り入れをしなくてはならず、金融機関が姉が社長というのを承諾しないのです。
しかたなく私が新社長となり、新たなものも含めて全ての借金を背負うことになるのでした。

そうしようと決めた翌日から会社で所有していた土地・車・商品等を全部売り払い、私がそれまで乗っていた愛車のポルシュエも二束三文で現金化しました。私個人の保険も全て解約し、会社に回さなくてはいけないほど窮地に立たされていたのでした。

そんなこんなで忙しく毎日を送っている時です、姉がある話を持ってくるのでした。

「よしのぶ、面白い人がいるから、会ってみない?」
と訊くのです。

「えっ?どんな人…?」

「天台宗のお坊さんらしいんやけど、、、。憑き物を取ったり、病気を治したりしているらしいんや…。あんたのやろうとしていたことと、なんか関係あるんと違うの…?」

「へぇ〜…。会ってもえぇけど…」

「実はな、その人は比叡山の『三面大黒』さんをお奉りしている人で、ウチも次々と色んなことがあったやろ…。だから会社の事務所に『大黒さん』でもお奉りしようかなぁ〜て思うてるんや…」

「ふぅ〜ん…」

という話から、私はその天台宗のお坊さんに会うことになってしまうのでした。

両親が入院した時から、私なりに遠隔でのトリートメントを毎日やってはいたのですが、結果的にはどうすることも出来なかった歯がゆさから、実を言うと私はその時には調整師への道は半ば諦めかけていたのでした…。

学校で同期だった八木橋君に電話で相談しても、
「玉川さん…。何故かこのエネルギー…、身内にはなかなか効果が出ないんだワ…」
と当時は言ってたし…。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

11月の下旬だっただろうか、その人は奥さんと一緒に私のマンションの部屋へやってきました。
姉から、弟はこんなエネルギーの学校を出ていると聞かされていたらしく、その坊さん夫妻も興味津々のようでした。

リビングの椅子に腰掛けるなり、
「おにぃちゃん、あんたテレパシー使えますか?」とか、
「オーラの色は見えますか?」とか、
「遠くのものを触らずに、自在に動かす事できる?」
なんて、突拍子もないことを次々と訊ねてくるのです。

と言うことは、この人にはそういう、私が一番興味があること…、そう!私が『超能力』という言葉に憧れた幼い頃のロマン…、それらを全て使えると言う事なのか…?

当然わたしは、
「そんなん、出来るわけありません。木村さんは出来るんですか?」
と訪ね返したのでした。

「うん。簡単」
「えぇ――――っ!! それなら私にも教えて下さいませんか?」
「なんや、急にあらたまって…。まっ、ええか。それなら色紙と白い大き目の紙を用意してちょうだい」
と、まずはオーラの色の見方から教わるのでした。

しかし、この人どういう人なのだろうか?
偉い坊さんには見えないし、と言って、イカサマ師のようでもないし、奥さんは「トクちゃん」って、呼んでるし…、年齢を訊くと私と同じ年だって言うし…?
と、謎は深まる一方でした。

一通りお互いのエネルギーの話をし(その坊さんは『気』と言っていましたが…)、一休みしようとコーヒーを入れている私の背中に向かって、

「おにぃちゃん、ワシ本当は、“ゴースト・バスター”なんや…。ワシと一緒にやるか?お金になるで…。 なっ、アキちゃん(奥さんのことらしい…)、このおにぃちゃんならええやろ」

「えっ…?わたしでも出来るんですか?」

「よっしゃ!その気があるようやから、明日から一緒に行こう!」

「えっ?何処へ…?」

「お化け退治に決まってるやろ…」

「・・・・・・・・は、はい…」

「あんた、その学校で習ったエネルギーとやらで、治療もできるんやろ?」

「いちおうは出来るということにはなってますが…」

「なんや…、自信なさそうやなぁ〜。よっしゃ、それじゃ、ついでに治療もやってもらおうか」

「はぁ〜・・・・・・・・」
と早々と話が決まってしまったのでした。

翌日、坊さんの運転する車で、『気』の悪い場所(自殺者の多い地区とか事件の多発する地区等)を何箇所か訪ね、その土地のエネルギーを感じてみるのですが、…わたしぜんぜんわかりません…。

「おにぃちゃん…、ホンマに感じんの? よっしゃ、それじゃちょっと休憩しよ…」
と山道の途中にある池の脇に車を止め、二人並んで立ちションをしていると、

「おにぃちゃん…、今度はどうや?」

「へっ?なにがですか…?

「屁っ、じゃないがな…。オシッコや、あんたが今オシッコかけてる場所で以前自殺があってな、その人があんたを真下から睨みつけてるけど…それでも感じんか? ホラ、恨めしそうな顔した男性が睨んでるやろ…。 どうやら頭からオシッコかけられて怒ったんかナ」

「ひぇ〜…」
「おっ、感じたやんか…。鳥肌が出てるワ」

「はぁ〜…」
と答えながらも、そんな話をオシッコの最中にされれば誰だって感じるじゃん…と一人心で愚痴るのでした…。

その後、そのエネルギーの悪い地区内にある1軒の家へと車を走らせるのであった。

「おにぃちゃん、次の家で治療してもらいたい人が待ってるからナ。頼むで…」

「えっ…。あ、はい…。一人ですネ」

「なに言うとんの、3人や…」

といきなり3人の調整をやる羽目になってしまう。

たどり着いた家は、会社兼住宅のようなお家であった。
ここでの状況…。木村さんは、何でも書いてえぇヨって言うけど、やはり守秘義務というものがあり、詳しくは書けません…。
しかしこれが、私が学校卒業後、調整をやって他人から貰う初めてのお金になったのでした。
“こんなんで、お金貰うてもエエのんやろか…? まっ、ええか…”
(この時期は、こんなもんでした…)

その家を出て、しばらくしてから先程訪問した家にまつわる因縁話や、不思議な怪奇現象を話し出すのでした。
そして、
「おにぃちゃんも、今晩気ぃ付けてヤァ〜。ちゃんと家帰ったら、お塩で清めてナ」
と、言うのでした…。
“ぴぇ〜、、、。もう〜、先に言ってよネェ〜!!”(全身チキン肌)

この後、あまりに私が空腹そうに見えたのか、
「おにぃちゃん、お昼食べようか?」
「はい、イエ、私はいいです…」
「えっ?お腹空いてないの?」
「…。とにかくいいです」
と、実はこの時、私お金を持っていなかったのです。

倹約しなくては生活が厳しくなった私は、この頃から家計簿なんかを付けるようになってしまい、ますますサイフの口が堅くなっていたのでした。
当然食事は日に1、2回にしていたし、必要の無い時にはそのサイフすら持ち歩かなくなっていたのです。

そんなことは先刻お見通しと言うかのように、
「ワシの奢り!それならお腹空いたやろ…」
「はい…。なんだか急に空腹に…」
「ハハハ、よっしゃ、なんでもえぇから注文してや」
とグリーン・ハウス(地元のファミレス)に到着。
なんでもいいと言う言葉に甘えて、ステーキを食べました。

このことが、そしてこの時のステーキの味が私の記憶には深く刻み込まれ、未だにこのご恩に感謝しているのです。

人間も動物…。やはり喰い物には弱いものですネ…。(トホホ…)

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そんな事をしている12月の下旬に、『三面大黒天』が比叡山から届くという連絡が入るのでした。

「よかったなぁ〜。こんなに早く来るなんて…。普通はなぁ〜、頼んでから彫り師が数日間の水垢離のお清めをして、依頼者の祈願を込めて一心に彫り上げて、その後に比叡山延暦寺の『大黒堂』で、さらに何十日か祈願するから、こんなに早くは来ないんやけど…。 ちょうど今なら比叡山に一体あるって…。 ホント、ラッキーやなぁ〜」

「ラッキーって…。 それって、余ってたやつでしょ、、、もしかして…。誰かが頼んで、キャンセルか何かで余っちゃったやつとかじゃ…。 彫り師が水垢離し、祈願を込めて一心に、、、って話と、大黒堂での数十日間におよぶ祈願の話はどこへ行っちゃったんですか?」

「ん、、、、。そんな話した…。いらんこと話ちゃったナ…。 まぁ、とにかく早く来たということは、ご利益も早く来ると言うことや。 考え方次第でどうにでも良い方向に気持ちを持っていければええのんや」

「・・・・・・・はぁ〜。そういうもんですか…」
「うぅ〜む。 そういうもんやナ」

と訳のわかったような、わからないような経緯で、我が会社に現在の『三面大黒天』をお迎えすることになったのでした。

お迎えした日が大黒さんの『月祭り』となり、それから毎月『月祭り』の日に坊さんに来てもらって、お経をあげてもらうことになるのです。
だから当然、ゴーストー・バスターだが、お坊さんでもある木村さんは、毎月我が会社にお経をあげに来ることになるのです。
“あぁ〜、ありがたや、ありがたや…。”
「がっ!」
これって、世間でよく言う、“坊主丸儲け”って話じゃないの…?。

そんな訳で月に一度、この方をお呼びしてお経をあげてもらうのですが、これからがこの話は益々面白くなっていくのでした。

この方、その辺でウロチョロしている(ウロチョロしていない坊さんもいますが…)ただの坊さんではないのです。
自称“ゴースト・バスター”だし、テレパシーはできると言うし、念動力もあると豪語するし、挙句の果ては、「おにぃちゃん、空中SEXしたことある?」、なんて言い出す始末…。
そういう一風変わった方なので、お経をあげている最中も急に中断して、喋る喋る…。

この頃には、私も友人の調整に出張に行ったり、坊さんの紹介で結構たくさんの方を調整するようになっていました。
私の体験談に登場している“オーラの見える少年”や“陰陽師の金髪女性”等もこの方のご紹介でした。

そして、年が明けた3月頃からは八木橋君との『札幌W調整』・『W遠トリ』と、次々と企画を立てて実行し、それが実を結んで依頼が徐々に来るようになっていたのです。
遂にはそちらの方が忙しくなってしまい、ゴーストー・バスターの話は宙ぶらりん状態のままだったのですが…。

話を元に戻して、、、、。
このお坊さんその頃から、お経を突然中断してこんな話を喋り出すようになったのです。

「おにぃちゃん、今あんた癌の人を治療してないかい?」
「へっ?どうしてですか…?」
「うん、、、癌の女性…。これはお婆ちゃんかな…? が、あんたに助けてくれって出てきてるワ」
と話してくれるのです。
実はその時、我々の『W遠トリ』にとっては最初の癌のクライアントさん、しかも相手はお婆さん…、を『W遠トリ』している最中だったのです…。

「おにぃちゃん、あんたしんどくない?」
「へっ? どうしてですか?」
「こんなに助けてってしがみ付かれると、普通ならしんどくて、何処か具合わるくするんやけどなぁ〜…」
「あっ、イェ、べつに…」
「そうか…、そんならエエけど…」

と、この不思議な話を八木橋君にすると、彼も興味を持ったようで、
「へぇ〜面白い…。その坊さん、どうやら只者じゃないネ!」
と、言っていました。

それからは来る度に、その時に遠トリしているクライアントさんの“心(魂)の叫び”のような言葉を聞かせてるれるのでした。それは時々によって子供であったり、後家さんであったり、老人であったり、時には動物ということもありました。
しかし、どうも私は女性のクライアントさんが多いせいか、そのしがみ付いてくるほとんどの方は女性だったようですが…。(笑)

驚いたのはクライアントさんの話だけではなく、、北海道に住むPH会会員番号4番のMさんのことまで話し出すことさへありました。ちょうどその頃はMさんと親しく遊ばせて頂いている時期で、毎日の様に電話がかかってきていた頃だったのです。
そして、その頃から、
「おにぃちゃん、あんた能力アップしてきたなぁ〜」
と、しきりに言うようになったのです。

“うぅ〜む…。この人、偽者じゃないな…”と、その時ハッキリ思いました。
えっ、それまでは偽者だと思っていたのかですって…。
イェ、そんなことはないのですが、限りなく怪しい人でしたので…。
でも誉められちゃったし…、やっぱり本物でした。

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そんな風に1年が過ぎ、毎日の『W遠トリ』もなんとか起動に乗り、調整だけでも食べていけるようになっていた頃のある月の『月祭り』、、、

「おにぃちゃん、この部屋にブラック・ホールが出来てるワ」
と突然言い出すのです。

「へっ? ブラック・ホールって、あのブラック・ホールですか?」
と、まさか、お坊さんの口から、そんな化学雑誌に出てくるような名詞が飛び出すとは夢にも思っていなかった私は、問い返したのでした。

「うん、そう。あのブラック・ホール」
「それって、あのブラック・ホールでしょ?」
「何回訊いとんのヤ!」

「はい。それはわかりましたが、どうしてそんな宇宙にあるモンが、こんなちっぽけな事務所に出来るんですか?」

「ワシに訊くなヨ…。 でもこれは、私たちは別名“霊の道”、“気の道”とも言って、玉川さんがこういう『気』の世界で人を癒すことを仕事に選んだ以上は、大変良い事なんですヨ。ここからはイロイロな情報が出入りするから…。これで玉川さんも少しは一人前になって来たという証かナ?」

「へぇ〜…、そんなモンですか?」
「はい。そんなモンですヨ!」
(二人、顔を見合わせて笑う)

「それにココは磁場がゼロになってますよ」
「へっ?それ何のことですか?」

「磁場がゼロっていう土地は大変珍しくて。たいていそういう場所は神社かお寺が建っています。地中に水晶玉を沢山埋めて、無理矢理ゼロにすることもありますがネ。ココのように途中から、しかもこんな短期間で見事に磁場がゼロになるなんて現象はボクは初めての経験ですヨ」

「へぇ〜…」
「これも玉川さんの能力が上がってきたということですかネ…」

何故かこの頃を境に、ゴーストー・バスター木村さんは私のことを“おにぃちゃん”から、“たまがわさん”と呼ぶように変わっていったのでした…。

その後は、北海道に毎月のように行くようになっていた私は、この木村さんとの月に一度のお話を心待ちするようになるのでした。
木村さんも私と話をするのが楽しみのようでした。

それからは、
「玉川さん、神さんが入ったネ」とか、
「今回は神さんが二体入ってる。一人は男性の神さんで卑弥呼の時代の武士のような格好をしている神さんで、もう一人は女性の神さんやネ」
とか、いろいろと話てくれるのでした。
そして、

「いやぁ〜、よかったネ。これで玉川さんも、もう恐いもの無しやネ。もうあんたをどうこうしようなんて誰も思わないだろうし、きっと出来ないと思いますよ。よくぞここまでたどり着きましたネ。」
「僕は玉川さんと知り合えてヨカッタわ。玉川さん…、本当によくここまで頑張りましたネ。たいしたモンやわ。いつ挫けるかと想っていたけど…。ヨカッタ、ヨカッタ!」
「僕は最近自分のお客さんにも、“玉川さんっていう凄い能力者が知り合いにいて、その人が僕の先生なんです。”って言っているんですヨ」

「ちょ、ちょっとぉ〜…。なんてことを言うんですか?みんな信じちゃうでしょ…。やめてくださいよネ」

「いえネ。僕は本当に知り合えてよかったと、、、。二人を合わせていただいた大黒さんに感謝しているんですよ。 それまでの僕は重宝がられることはあっても、こんな風に心を開いて『気の世界』の話が出来る相手が誰もいなかったから…。みんなお客さんですからネ。困った時にしか用の無い仕事ですから、用の無い時は逆に気味悪がられていることも重々知っていますからネ…」

と、淋しそうに話される木村さんの横顔には、こういう類の仕事を選んだことが如何に大変であったか、そして現在のように人から先生と呼ばれるようになるまでに、どれだけ多くの辛酸を舐めたかを物語っているかのようでした…。

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それからも、イロイロなことがありました。
壁に女性の顔のシミが浮き出たり、座敷わらしのような子供がお経を上げている最中に遊びに来たり…。
しかし、それらが全て私に見える訳も無く、木村さんの話として聞かせてもらった現象なのですが…。

ある時には、私の尾骨に女性のエネルギーが入り込み、一時的に生殖機能が不能になったり…。(笑)
これらの話は八木橋くんにも、その都度話してあるので彼も良く知っている話ですがネ。

それとは逆に、私は八木橋君のこともよく話していたので、木村さんも彼には興味があったようです。

そんな頃のある日、お経をあげようとするのですが咳き込んでしまい、苦しそうでまったくお経をあげられなくなったのでした。

「玉川さん、今日、僕がお経をあげに来ることを誰かに話しましたか?」
と訊くのです。

「えっ?どうしたんですか?」
「誰かが私のことを探っている…」
「それって男性ですか?」
「男性もいるけど、もう一人女性も…。上から下まで全身を探られました。相手は、そうとうの使い手ですよ…」

「ふぅ〜ん、、、男性だけなら八木橋君かなって思ったんだけど、女性はちょっとわからないなぁ〜…」
「違う! 八木橋さんではないですネ!『気』の種類が彼のものとは違う…」
「それじゃあ〜、わからないなぁ〜…」

と、その時はそう答えたのですが、八木橋君ともこの話をし、だいたいは誰であるかは検討は付いているのですがネ。
それは“言わぬが花”ってやつで、ここでは明かせません。

実はこの以前にもそういうことがあり、その時に来ていたのは本当に八木橋君だったのですが、そう言うことがあってから、木村さんも八木橋くんの能力の高さにビックリしているようでした。

そして最近、この木村さんから我々に『W遠トリ』の依頼をいただく事になったのです。

「玉川さん、僕の依頼も受けてもらえますか?」
「えぇ――――っ!! 木村さん、自分で治せばいいじゃないですか…」
「いえ、治して貰いたいんじゃなくて、見て貰いたいんです」
「何を見るんですか?」
「どうも玉川さんから、その北海道の八木橋さんのお話を聞いている内に、懐かしいもの…、そう、懐かしい『気』と言うか、匂いと言った方がいいのかな、それが凄くしてきたんです。昔から知り合いのような…」
「へっ…?」
と、またまた奇妙な話になって行くのでした。

「玉川さん、実は僕は大昔、どうやら中国かモンゴル、あるいはチベットあたりに住んでいたようで、その辺の石窟の中に石像として並んでいるようなんですね。バーミヤンの石像みたく…。 そして、その並んでいる石像の中にはあきらかに、その八木橋さんも並んでいるのがわかるんですよ。しかも八木橋さんは私よりもかなり上位の位置に奉られていることも…」

「えっ、それで私たちに何をどうしろと言うのですか?」

「どうして僕にはこんな力が備わったのか、自分は何者なのか? そしてこれは玉川さんにも話したけど、僕は最終手段として『鳥』を飛ばすんですヨ。そして相手を治しちゃうんだけど、以前玉川さんから八木橋さんは『蝶』を飛ばすと言う話を聞いていたから、“へぇ〜、自分と同じようなことが出来る人がいるんだ…。”ということを知り、それなら何故僕は鳥なのかを知りたい…」
と、突拍子も無い依頼を受けることになるのでした。

さっそく八木橋君に電話で依頼内容を話すと、

「面白い!わかりました、やりましょう」
と驚きもせず答えるのでした。

こんな二人と関わっている私はなんなのでしょう…?
あぁ――――っ、わたしも見て貰いたい。(ホントはね…)

と思っていたら、つい先週、八木橋君から、「玉川さんも遂に使えるようになりましたネ」と言われたのでした。
「なになに?なんのこと…?」
「ほら僕が蝶でお坊さんが鳥を使役する話があったでしょ。もう玉川さんも使えますヨ」
「ふぅ〜ん。…で、俺は何を使えるの?」
「そりゃぁタマちゃんと言えば、・・・・・でしょ」
と言われたのでした。
「・・・・・・・・・・」の中は秘密です。
私の最終兵器(リーサル・ウェポン)ですので…、ご想像くださいませ。

そして木村さんの『W遠トリ』の予定日がやってくる。
この時は八木橋君が木村さんの依頼したものを探り、私は木村さんを遠隔調整することになりました。
第1回目の『W遠トリ』後の、彼の話では…、

「ふぅ〜む…、わかったよ。 この人は『八仙』の一人だわ。日本では、お寺の入口に左右別々に立ってる『金剛力士像』。そのどっち側だったかな、まぁいいや。とにかくその力士像、『あうん』の像の『うんぎょう』の方だわ.。だからいつも『あぎょう』を探しているんだわ。 玉川さん、どう…。『あぎょう』になってあげれば…? えっ、チョット待ってよ!・・・・・・・・・・。 うん、いいわ。玉川さんなら『あぎょう』になれるって…」

「なれるって…って、誰に聞いてるの?」
「なんだか、探ろうとすると声が聞こえてくるんだわ。聞いてると、そう言ってた…」
「八仙ってなぁ〜に?」
「僕にもよくわからないけど、仙はおそらく仙人の仙だろうから、八人の仙人の一人っていうことかな…」
「ふぅ〜ん…。で、鳥の件は?」
「あぁ〜、あれは『崑崙山(こんろんさん)』です」
「へっ? なんだそりゃ? 中国の山じゃん…」
「はい。そう言ってもらえればこの人には通じますから」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」

いったいどうなってるの…。

ところが、次の朝の『W遠トリ』の時に八木橋君が、
「いやぁ〜、玉川さん、、、。 あのお坊さんが昨夜の夢に出てきちゃって、私が案内しますからって次々と不思議な所へ連れて行ってくれるんだワ。それがもう今まで見たことも無いような所ばかりで…。やっぱりあのお坊さん、そうとうのモンですよ!」
と話してくれる。 (私も連れてけっ、ちゅ〜の!!)

後日、木村さんにこのことを告げると、
「やっぱり、、、そうだったのか。ありがとう、八木橋さんにもお礼を言っておいてください」
と…。

「えっ、やぱりって…、それじゃぁ〜知ってたんですか?」
「はい。以前に見える人に見てもらったモノと全く同じお話でした…」
「・・・・・・・・・・・・・・。」

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

最近では、この木村さんの力を頼ってくる方々の中に、自分もそういう『気の世界』を習いたい、勉強したいという人が何人も出てきているようで、

「玉川さん、僕は『気』の学校を作ろうかと考えているんです」
と話してくれました。
「玉川さん、僕が学校作ったら講師をやってもらえんやろうか?」
「えっ、僕がですか? で、何人くらい集まりそうなんですか?」

「今のところは20名弱くらいかな。30人くらいになったら、やってみようかなって思ってるんやけどなぁ〜。週1回か2回くらいのペースで…、どうやろ…?」

「やりましょ、やりましょう。それで飲み会とか、小旅行とかみんなで一緒に行ったりして…」
「玉川さんは、遊ぶ話と飲む話を先に決めんとやりそうもないなぁ〜。それで、どうですか?引き受けて貰える?」

「どうですかってナニ? 本当に私が講師をやるんですか? わたし、高いですヨ」
「あぁ…、もちろんわかってる。いくら位なら引き受けてもらえるやろ? いちおう希望を聞かせといて…」

「冗談ですヨ。それじゃぁ〜、一人5,000円ではどうですか?」
「・・・・・・・・・・。 一人5,000円って、一人1回あたりってことですか?」
「いえいえ、そんな滅相もない。一人教えると一月で5,000円のことです」

「アホちゃうか…。 近所のオッちゃんやおばちゃん集めてカラオケ教室開くのとは訳が違うんやで、 1回ごとに一人5,000円でも安すぎるのに…。 これやから、元お坊ちゃまはアカンなぁ〜…」
「・・・・・・すいません、元お坊ちゃまで…。それなら、いくらいただけばいいんですか?」
「そうやなぁ〜、一人一月○万円くらいが、相場かな…」

「シェ――――っ!…」って、私はいつのまにか赤塚不二夫のイヤミになっていました…。
(超、古い…)

こんな楽しい話も進行しているようです。

ここで話は冒頭に戻ります。

そして、今月22日に私のところへ『大黒さんの月祭り』に来た、木村さんに、冒頭の話をし、OKを頂いた訳です。

どうせなら写真入りでもいいですかとお願いして、昨日改めて来ていただき、写真撮影と木村さんの履歴を詳しく聞きだしたのです。

聞けば聞くほど、、、、凄い!!
こんな話、、、みんな信じて貰えるだろうか?
でも、チョコットだけ書きますネ。

この木村さん、実は身障者なのです。
この『気』の世界で本格的に仕事をやりだす前は、車椅子の生活をしていたと教えて頂きました。今では車の運転等もご自分でやっていますが…。
なんでも『骨不全症』だとかいう病気らしく、骨に空洞ができてしまい大変もろくなり、遂には体重すら支えられなくなってしまう難病らしく、“僕の身体には何本も金属の棒が入っているんですよ”と、話して頂きました。

もともとは会社を営んでいたらしいのですが、イロイロあって倒産したか、乗っ取られ(スミマセン。この辺はわたしもうまくは訊けないのです)てしまい、世を果敢なんで一時は自殺まで考えていたそうでした。
そんな時、なにを思ったのか不意に一心不乱に『般若心経』を写経するようになったそうです。

そして、その写経した紙を毎日空中に飛ばして遊んでいたのだそうです。
(この辺は、実際に飛ばしたのではなくて、どうやら気の世界、次元の違う世界の話のようなのですが…)
そんなある日、飛ばした筈の写経の写しが空中で『大日如来』の紫の経典に「パっ!」と変化し、空いっぱいに広がり光り輝いたと言うのです。

それからが大変で、その後『大日如来』につづき『大黒天』ともお会いするようになったと、ここまで一気に話して頂きました。

しかしこの時、毎日写経を空に飛ばして遊んでいるのを、遠く比叡山の地で見ている一人の人物がいたのでした。

“このようなことが出来る人物とは、いったいどのような人物…?”と、興味を持たれたその方は、この後、木村さんと連絡を取り(この辺が実際に会いに来たのか、テレパシーを使ったのかが、お話を聞くだけではどうも私にはわかりかねるのですが…)、会う事となり、僧侶の道が切り開かれることになっていくのです。

この時、遠く比叡山からその行いを見ていた人物こそ、天台宗比叡山延暦寺の大阿闍梨“寺沢 良元(てらさわ りょうげん)さんという、大変偉いお坊さんだそうです。
だいたい『阿闍梨(あじゃり)』というだけでも僧侶の地位としては天空の人のようであるのに、『大阿闍梨』となると、これはもう神に限りなく近い位置なのではないでしょうか…?
私にはよくわかりませんが…。

(わからないので、調べました:
僧の階級 → 律令体制下で僧侶に与えられた官位の代表的なものは、『僧網(そうごう)』・『有職(うしき)』といい、それ以外の僧は全てをまとめて『凡僧(ぼんそう)』という。大阿闍梨・阿闍梨は、『僧網』に次ぐ官位である、この『有職』に入る。

大阿闍梨(だいあじゃり) → 阿闍梨(あじゃり)という官名は密教秘法伝授の師の意味であり、元来は梵語で「教授」「規範師」などど訳される。これには差別があり、7つの特別に選ばれた山寺の阿闍梨を指す『七高山阿闍梨』。 “比叡山、金峰山、葛城山など”、天台・真言の大法を伝える『伝法阿闍梨(そのトップが大阿闍梨)』などの別があった。)

この寺沢 良元さんと言う方、大阿闍梨としてよりも日本画家としてのお名前の方が有名らしくて、沢山のお弟子さんを世に輩出しており、その道に通じている人ならばご存知でしょうと木村さんが話していました。

この方に能力を認められ、世を果敢なんで毎日を無為に過ごすのでは勿体無いと、僧侶になることを勧められるのですが、先程も書きましたように身障者であるが為に『比叡山』での厳しい密教の行を踏むことは不可能なのです。

そこで、その備わった能力を今後は人の為に尽くすという約束で、行を踏まずとも弟子になり僧侶となれる為の『試し』をうけることになったらしいのです。

この辺もよくわからないのですが、どうやら神からの『天命』を受けた試験のことらしく、それに合格すれば僧侶の資格を与えられるということのようでした。

そのいくつもの『試し』を全てクリアし、みごと大阿闍梨、寺沢 良元さんの直弟子となり、密教の秘法を口伝で伝授されたそうなのですが。直弟子とは、修行をせず、寺も持たないが僧侶を名乗る事を許された者のことだそうです。有名なところでは、作家の瀬戸内寂聴さんも宗派は違うが、ある有名な僧侶の直弟子だと教えて頂きました。

そして、その大阿闍梨の『試し』に合格した者は、こんにちまででも、この木村さんただ一人だけだそうです。

「僕ネ、実は映画のモデルにもなってるんヨ。僕の小説も書かれてるし、香川県で最初に運転免許センターの試験に身障者で合格したのもボクなの…。これも書いてネ、忘れずに…」と、自らを語る木村さんはスッカリ普通の人に戻っていましたが、…とにかく本当は凄い人なのらしいです。

私なんて、この話を聞くまでは、そんなに偉い人だなんて小指の先ほども知らなかった訳で、そんな方にご依頼を頂いたり、タメ口をきいたりと随分失礼なお付き合いをさせていただいていますが、この木村さんが私に話すところによると、

「ボクなぁ〜実は不思議で仕方なかったんヤ。どうしてボクにはこんな能力が使えるんだろぅ〜って、ずっと不思議だったの。どうやらボクのは生れつきのモノのようやからなぁ〜。他人にはある程度までしか真似が出来ないみたいナンヤ。考えてみれば、きっと母親に貰った力なんやろなぁ〜…」

「へっ? お母さんて、何かやってた人なんですか?」
「うん。修験者だったんヤ。だからボクも小さい時から、知らぬ間にイロイロなことを見よう見真似でやってたみたいやナ。」

「へぇ〜…。 ところでいつから車椅子なしで歩けるようになったのですか?」

「うん。実は夢に鬼が出てきて、イヤ、実際は鬼じゃなくて神さんだったのかもしれないけど、八栗寺の奥の院の神さん(修験道系)が出てきて、“お前を歩けるようにしてやろう”って言われた翌日から車椅子なしの生活になったんヤ。不思議やけど、これも母親のお陰かなぁ〜と今では思ってる…。だから人の為に、人が喜ぶ為にこの力を使おうと思ったわけ…」

「へぇ〜…。 修験者を母に持ち、生まれながらに天性の素質を供え持っている…。まてよ、、何処かで聞いたような話…。あっ、そうだ! それって八木橋君と同じではないですか…。彼もたしかお婆ちゃんが修験道系の修験者だったような…」

そういう私も、もう29年ほど昔の話であるが、先達に連れられて、真冬の夜中に滝修行をしていた時期があったのです…。私の場合は、ただそれだけの話で終わってしまいましたがネ。(トホホ…)

やはり天性の素質と言うものは、母から子・孫へと受け継がれて行くものらしい…。

その話を聞いた木村さんは、ますます八木橋君に興味を持ったようでした。

「玉川さん、来年の6月に北海道へ一緒に行きませんか? ボクのお客さんたちにも話して、北海道へ八木橋さんに会いに行くツアーを今計画中ですから…。行きましょう」

と言い出す始末…。
『気』の学校やら、八木橋ツアーやら、、、
さてさて、来年は今年以上にイロイロと忙しくなりそうである。
これも流れ、、、。

私は、もうしばらく流されていようかナ…。

《あとがき》
本当は、もっともっと身の毛も弥立つような恐い話や不思議な話、面白い話やちょっとHな話もいっぱいあるのです。
しかし、いくら木村さんが、「全部書いていいヨ。実名でもいいヨ」とおっしゃっても、木村さんのお客さまもこのHPをご覧になっている以上、わたしにはこれ以上は書けませんでした。
それは木村さんのお客さまへの守秘義務という意味合いもありますし、香川県はまだまだ田舎の小さな県ですので、噂が広がるのも早いので、、、その辺も考慮して書くのを控えました。。
そんなことすらゼンゼン気にも止めていない…。
この人もやはり八木橋君同様に、“大胆にして 無神経”な人なのかもしれませんネ。
大物(本物)は、みんなそうなのかな…?

しかしそれ以上に、やはりこの『タマのひとり言』もドキュメンタリーである以上は、自分でその場にいて、経験した事以外はなるべく書かないように努めています。
『真実は無い!』とよく我々は言いますが、そういう意味では、これは私にとっての真実の実体験でした。

この素敵なゴースト・バスター、木村 徳元さんのお話のつづきは、わたしがエネルギーの世界にかかわっている内は、いつかまたみなさんにお伝えする日が来ると信じています。
その日をお楽しみにぃ〜…。

――――――完―――――


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2001年8月21日〜2001年12月18日迄

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Last Update : 2002/3/14