(月刊アビエルト誌7月号、投稿済!) 超能力レポート・パート36! ― 熊野古道・中辺路を歩く…!! ― ※歩行距離:約17キロ・所要時間:約7時間(二日間合計) 会員番号10686 玉川 芳伸 【あこがれ…!】 「熊野古道を歩きたい…」エネルギーの世界に飛び込み、神社・仏閣等を旅している内に私の脳裏には何時しかその言葉が絶えず浮ぶようになり、それはまるで一種の念願のようになっていました。「何故だろう…?」と、いくら考えても当たり前ですがちっとも分からない…。「そういう時は実行あるのみ!!」私がこれまでの人生をそうして来たように…、そしてこれからの人生もそうして生きていくように…。 【滝尻王子〜近露王子…!】 4月27日(日) 「天気は快晴!!」それどころか、雲一つない日本晴れです。「こりゃぁ〜今日は日焼けしそうだ…」と思いつつバスに乗り込み出発。途中、難波の第2集合地点に立ち寄り、ここでも何名かの参加者を拾って出発です。高速に乗り約1時間、"紀ノ川サービス・エリア"にて15分間のトイレ休憩。その後は、ひたすら本日の熊野古道・中辺路ウォークの出発地点である『滝尻王子』を目指すのでした。 『滝尻王子』の正面に建っている『熊野古道館』に到着したのは10時半過ぎになっていました。『熊野古道館』を見学し、トイレを済ませて、『滝尻王子』を参拝しました。 『滝尻王子』の鳥居を潜り抜けたところは、これまでとは別世界になっていました。エネルギーが鳥居の外と内では全く違うのです。 本殿の後ろに周ってみると、そこには『熊野道』の標識が立てられており、その背後には山頂に向かって、昼なお暗い森の山道が続いているのでした。「これが熊野古道か…。これを登っていくんだな…」と意気込んでいたのですが、実はまたバスに乗り約10分。二番目の目的地である『古道の里』と呼ばれている場所へ向かうのでした。 参加者のみなさんは『熊野古道館』でスタンプ・ラリー用の帳面を貰っていましたが、一番最後にトイレに行った私はそんな物があることすら知らず、それに気がついたのはバスが既に出発した後でした…。 "そう言えばみんな、滝尻王子でスタンプみたいなものを押してたような…"。 バスの中でJTBスタッフの女性が、 「今回の熊野古道・中辺路ウォークはレベル2なので相当キツイですが、みなさんガンバッテくださいネ。とにかく最初からイキナリ30分間の急な登りが続きます。これさえ乗り切れば、後は少し楽になりますから…。このコースを制覇できたら、たいていのウォーキングコースは歩けますから…」 と説明をしていた。 どうやら"JTB旅物語"のウォーキングコースはレベル分けがあるらしく、「レベル1」が初心者向けコースで、「レベル2」は少々キツメのコース。そして「レベル3」は登山等の本格的なコースに分けられているらしい。 "そんなこと知らなかった…"。 その女性スタッフの言う通り、その30分続く登り坂は大変キツク、しかも地面は石ころだらけでした。その為に歩くのに自信がない人たちを先頭に、自信のある人を最後尾にして登り始めたのです。しかしそれでも途中の急勾配辺りで、年配の女性数名がついて来れなくなっていました。 「前を歩いている人を追い越さないでくださいネ」 と最初に注意を受けていたのですが、何度も立ち止まり休憩を取る人もいる為に全員のペースが乱れ、仕方なく追い抜いてしまう…。そんな状態が続いていました。 そして先頭が登りきった頃には、遥か後ろを送れて来る人たちとの間に長い列が出来ていました。これを昔の人は『蟻の熊野詣』と呼んでいたのでしょうネ。それでもなんとか全員登りきり『高原熊野神社』に到着です。ここでやっと昼食です。 「さぁ〜、みなさん! ここからが熊野古道ウォーキングの出発になります。これからが本格的な熊野古道の始まりですので、くれぐれも前の人を追い越さないようについて来てくださぁ〜い!!」 「…。そ、それじゃぁ〜、さっきのキツイ山道はなんだったんだ…? 足慣らしか…?」 その予感はまさに的中でした…。ここから延々と続く登り坂、それはまさに地獄の行進と呼んでも過言ではなく、ただ黙々と登り続けるだけの時間が続いていくのです。 しかも昨夜までの雨のせいで足元がぬかるんでいる場所も多くありました。 1時間後、約1.9キロ山道を歩いて、やっと次の目的地『大門王子』に到着です。しかしここは、それまでの『滝尻王子』『高原熊野王子』とは違い、神社でもなくただの目印らしき小さな"お社が建てられているだけでした。大門王子で10分休憩。その間にみんな並んでスタンプを押していました。 ここからは、もうただ「登って」「登って」「登りきる」。そうすれば「いつかは終わる…」。それのみを期待して、ただただ足元の悪い山道を登り続けるだけでした。 そして40分後、約1.5キロを登り続けて、やっと次の『十丈王子』に到着です。ここでまた10分休憩。まだまだ続く登り道。次の『大坂本王子』までは約1時間35分、距離にして約4.3キロもあるのです。 その『大坂本王子』までの山道を半ば過ぎた辺りから、今度は下り坂が始まります。ここまで3時間近く熊野古道を登りつづけていた私たちにとっては、どれほどその瞬間を待ち望んだことでしょうか。ここから下り坂が始まるというだけで気持ちが明るくなるのでした。 「がっ!!」 それは大きな大きな間違いでした。 「登り」と「下り」、どちらが肉体への負担が大きいか?そんなことは元運動のプロ、エアロビのインストラクターであった私には分かり切っていることでした。そんな常識すらも忘れさせるほど、この登りの地獄の行進はきつかったのです。 しかし、私はまだまだ"アマちゃん"でした。ここからは、今度は逆に「下って」「下って」「ただただ降りつづける」という地獄が始まるのです。 そりゃぁ〜、ついさっきまでただただ「登り」続けた訳ですから、今度はただただ「降り」続けるしかないことは常識で考えても分かりそうなもんでしたが…。 延々と降りつづける山道。もう景色を観る余裕もなく、地面に踏み降ろす足も、自分の体重の負荷まで加わっている訳ですからその負担は半端なものではありませんでした。 つま先・足の裏・かかと・足首・アキレス腱・ふくらはぎ・膝・大腿ニ頭筋・股関節・仙腸関節・腰椎と、下から上へと徐々に痛さが登っていき、次々と肉体が疲労感に侵食されていくのがわかるのです。 歩いている道は「下り」でも、肉体の痛みと疲労は逆に「上って」来るという、この相反する不思議な世界。そんな"生き地獄"のような下り坂を歩くこと約50分。やっと『大坂本王子』に到着しました。 しかし、ウォークの時間が予定をだいぶオーバーしていた為にたいした休憩も取れず、また次なる目的地を目指してデコボコと歩き難い下り坂を歩き始めるのです。 山道を降りきったところで、いきなり視界が開け、舗装された県道へと出てきました。そして道の駅『牛馬童子口』で、やっと少し長めの休憩を取ることになったのでした。 私といえば、出発直前に購入したウォーキング・シューズを履いて来た為に、両足の小指の先が"くつずれ"し、真っ赤に腫れ上がっていました…。 熊野古道・中辺路の要所、要所にあった「○○王子」とは、どうやら昔の"休憩所"のような所らしく、別に神社やお社があるというものではないようでした。そして「王子」とは、この道の駅『牛馬童子口』という名前にあるように、「童子」=「王子」らしいと説明を受けました。この「○○王子」という場所は、熊野参詣道全行程で九十九カ所もある為『九十九王子』と呼ばれているそうです。 30分の休憩の後、また山道を登り始め、比較的近くにあった『牛馬童子』へと向かいました。そして遂に最終目的地である『近露王子』へと、約1.5キロの山道を降り続けるのです。 『近露王子』の石碑を参拝し、その近くにある『熊野古道中辺路美術館』の駐車場の停めてあったバスに乗り込み、やっと"地獄の行進"が終わりました。そしてみな、バスの中では死んだように眠りこけながら帰路についたのでした。 「あぁ〜…、まだ熊野古道中辺路は後半が残っているんだ…」と溜め息をつく暇もなく、私は次なるウォークの旅である5月4日の『四国霊場八十八ヶ所巡り』歩き遍路の旅に突入していくのでした…。 【発心門王子〜熊野本宮大社…!】 5月9日(金) 天気予報では「曇りのち晴れ」となっていたのですが、空は未だどんよりとした雲で覆われていました。 早朝、梅田バス・ステーションで待っているバスに飛び乗り、車中を一通り見回しましたが、どうやら前回同様の顔ぶれは一人も参加していないようでした。 JTBの女性スタッフも代わっていました。しかし予定だけは前回同様7時10分に出発し、同じように要所でトイレ休憩を取りながら、本日の最初の目的地である『発心門王子』を目指すのかと思っていると、最終地である『熊野本宮大社』へ向かうと言うのです…。 JTBスタッフの説明では、どうやら今回のウォークには"語り部"が付いているらしく、『熊野本宮大社』でその"語り部さん"を拾ってから『発心門王子』に引き返すと言うのです。 今回は車中も前回のような緊張感が無いし…。JTBスタッフも、なんとなくのんびり構えているし…。 "こりゃぁ〜、今回は楽かも…"。 「まさにその通り!!」でした。 今回は程よい運動量で、距離は約7キロ、時間は確かに3時間と、前回とたいして変わらないのですが…。山道と言っても今回は、前回のように険しいアップ・ダウンもほとんど無く、咲き乱れる花々や生い茂る樹木の森林浴を楽しみ、そして山から見下ろす絶景をゆっくり鑑賞し、美味しい空気を腹いっぱい吸い込んで、本当に気持ち良く歩くことができました。今回は息が乱れることも無かったし、まぁ、散歩に毛が生えた程度のものでした。これはこれでいいもんです。(笑) "語り部さん"を乗せたバスは再び『発心門王子』に引き返し、我々を下ろした頃は11時を少し回ろうとしていました。前回のウォークならば、既に「ぜーぜー」と息を切らしながら上り坂を30分で一気に上り始めている頃です。 バスから降ろされた『発心門王子』は生い茂る木立から少し県道に出た所にありました。エネルギーも柔らかく、周りも静かでとても気持ちの良い場所でした。ここは『滝尻王子』等と並ぶ"五体王子"のひとつだそうです。ここからは舗装された道路を約1.8キロ、40分かけて下っていきます。 「ねっ!」 のんびりしてるでしょ(笑)。 道端に咲く花を眺めながら、ときおり"語り部さん"の説明を受けながら、けっこうゆっくり歩きます。そして、昔の小学校分校の敷地であった広場の片隅にあるのが『水呑王子』。その名前の通りに、昔は水呑み場として実際に使われていたそうです。ここで、早くも1時間休憩を取り、その間を利用して昼食を済ませます。『水呑王子』から約2キロ、アスファルトの道を50分歩いて『伏拝王子』に到着です。 長い熊野参詣の道のりで、初めて『熊野本宮大社』が遠望できる場所です。ここから大社の神殿を伏し拝んだと言い伝えられることから、この名がついたとされています。 しばらく進むとアスファルトの道からまた森の中の道へと変わるのですが、どうやらこの『発心門王子』から『伏拝王子』までの道のりは、なんでもNHKドラマ『ほんまもん』のロケ地であったらしく、到る所に「NHK朝ドラ『ほんまもん』の○○小屋」とか、「ほんまもん○○の家」と言う看板が立てられていました。 つり橋を渡ると、高野山からつづく『小辺路』とぶつかる交差点がありました。 「そうです!!」お察しの通りに熊野古道とはいろいろなルートがあり、そのひとつがこの『中辺路』であり、『小辺路』があるということは、当然『大辺路』もあるのです。 森の中からの道が終り、団地が目の目に現れだし、道がいつしかアスファルトに変わると間もなく、本宮大社に詣でる前に旅のほこりを払ったところと伝えられている『祓戸王子』があります。 『伏拝王子』から約3.2キロ、75分歩いたところが本日の最終目的地、熊野三山の一つ『熊野本宮大社』でした。さすがに「本宮大社」と呼ばれているだけのことはあり、半端なエネルギーではなく、その強さと心地良さに魅了されるようでした。 今回の『熊野古道・中辺路ウォーク』の旅はこれで終わりました。 この『熊野本宮大社』までの道のりを実際に歩いてみて、場所、場所で激しく変わるエネルギーを実感し、ここに至るまでの道のりの険しさと迫力に終始圧倒されました。 この険しさがあってこその『熊野古道』なのかもしれません。 そして、これを体験することにも『熊野詣』の一つの意味があるのかもしれません…。 「何故、私はあんなに熊野古道を歩きたかったのだろう…?」 "平安中期から江戸時代にかけての長い間、人々の間では、「伊勢へ七度、熊野へ三度…」と、うたわれるほどの念願の地であり、それ故に栄えた場所である"と書かれた紙が社務所の壁に貼られていました。 しかし、私にはその答えは見つかりませんでした。それもそのはず、『熊野三山』と呼ばれているように、まだ『熊野速玉大社』と『熊野那智大社』を残しています。いずれそれら二社もたずねる時が来るのかもしれません。 その時こそ、その意味がわかるのかもしれない…。 それとも、やはりわからずに終わるのかもしれません。 いずれにしても、人生はわからないことだらけです。 それら全てを知ることが幸せなのでしょうか…? わからない方が幸せということもきっと沢山あるのでしょう。 ひとつわかったつもりでも、もう次のわからないことが待っている…。 わからないから、またそれを追い駆ける…。 知りたいから、道を求めて歩き続ける…。 私はずっとそういう人生を、ただひたすらに歩きたいだけなのかもしれません。 「さぁっ、つぎの道を探しに行かなくっちゃね…(笑)」 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 以上、HP用のオリジナルでは写真等の挿入もあり18Pになったものを、アビエルト用に改行・句読点・行間等を大幅省略・削除等をし、本題・小題を抜いた本文中の文字・記号数に限定した合計で5,038字になりました。 しかし、これ以上は短く出来ませんでした…。 − おわり − ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ (アビエルト7月号投稿済み!) ― 熊野三山エネ研鑚…!! ― 会員番号10686 玉川 芳伸
2004・5・2日(日)
【八咫烏(やたがらす)に導かれて…】 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 超能力レポート・パート41 ― 熊野三山奥の院 玉置神社へ…!! ― 会員番号10686 玉川 芳伸 この話は、私のHPの【タマの歩き遍路の旅】に今年の5月4日にアップした『熊野三山への旅…』の続編です。 『熊野三山』をすべて参拝し終えた私でしたが、何故かしら「まだ足りない…」、「なにかを忘れている…」という感覚に捕われたままだったのです…。 私は熊野古道の歩き旅を途中キャンセルしたお陰で、『雑誌サライ』をナビのようにして結局『熊野三山』をすべて周りました。しかし、その時私の左手に握り絞められていたサライにはまだ気になる神社がひとつ掲載されていたのです。 それは、、、。 熊野本宮大社は、和歌山県と奈良県の県境近くに建てられており、本宮の北側は有名な奈良県の『十津川温泉卿』、そして本宮大社から見て裏手の山は『玉置山』になるのです。サライには、その玉置山山頂近くに祀られている『玉置神社』が写真つきで紹介されていました。 神日本磐余彦(かむやまといわれひこ。神武天皇)が熊野から大和へ入るときに八咫烏に導かれて兵を休め、神宝を鎮めたところであり、『熊野三山』の奥の院として古くから信仰を集めてきたと書かれてありました。 「また八咫烏か、、、」 あれだけ八咫烏に導かれるように旅を続けたのにまだ足りないのか…。それならば、この際とことんまで行ってみるか、、、。この時、たしか以前に前田さんから「一度行ったことがある」という話を聞かされていたことを思い出したのです。 それに噂では「ヒーラーなどがよく訪れる神社としても有名である」という話も少しは聞きかじっていました。「それなら道にも詳しいだろうし、もう一度どうですか?と誘ってみるか…」と前田さんにさっそくお誘いの電話を入れたのでした。 「えぇ―っ!! また行くんかいな…。しかもよりによって、なんで俺がむかし彼女と行った神社ばっかり…」 「そう言われればそうですネ…。まっ、それはそれとして、とにかく行きましょうヨ!どうしても気になるんです。このままでは、まるで喉に突き刺さった魚の小骨のようで、気持ちが悪くて仕方がないんです…」 「うぅ〜む…。まぁ俺も実は知り合いから玉置へ行った話を聞かされて、自分も行ったのにどうやら見逃してきた場所があるらしいことに気がついて、少し気になってる場所があるんや…」 「あっ、ほらっ、それならちょうどいいじゃないですか、気になるところがある同志で…。ところで何が気になるんですか?」 「あぁ、実はな、どうやら玉置神社には宝刀というか神剣みたいなモンが3本突き立てられた丘と言うか小山みたいなところがあるらしいんや…。でもそれを前回は何故か気ぃつきもせんかったし、見られへんかったんや…」 「へぇ―っ!!それって九州の某神社の裏山に天に向かって突き立てられているという“三叉に分かれた矛”みたいなモンですかネ? たしか『天逆矛(あめのさかほこ)』とか言い伝えられている…」 「さぁ〜、そこまでは知らんけどな、、、とにかくそういう剣が3本突き立てられている場所があるらしいんや」 「それはぜひ見てみたいですねぇ〜。でも、前田さんが前回行った時にはどうして気がつかなかったんだろう?」 「うん、その時は彼女のオッパイばかり見とったからなぁ…」 「あっ、なるほどぉ〜。前田さんらしい…。(笑)」 「こらっ、なるほどぉ〜って納得するなっ!冗談やがな…」 「冗談とは思えないですが…、まぁこれは“前田さんにも来い”と呼ばれているんですよ」 「そうかぁ〜??? でもその“前田さんにも来い”の“にも”がなんか気になるなぁ…」 「前田さんは私の“八咫烏”みたいなモンですね。導き役としてぜひお願いしますヨ」 「そうかぁ〜、“導き役”かぁ〜…。そうかなぁ〜? おれはどうもタマちゃんの“運転手役”をさせられているだけのような気がするんやけどなぁ〜…」 「まぁ深く考えずに…。どうせこの世は誰かが誰かの導き役なんですから…。だからお互いに“導き導かれる”の繰り返しなんですよ、きっとネ。そう考えれば、世の中の人はみんな八咫烏なんです。ところでどうします?」 「・・・・。わかったようなわからんような…。 まっ、考えておくわ…」 という会話の後、結局前田さんも3本の剣が気になっていたのか、その旅の予定日の前後は調整の予約を入れていなかったらしく、すんなりと旅を決行することになりました。 そして私が3年前に前田さんにプレゼントすると約束したものの未だに実現していなかったWOWOWの抽選で当たった「折りたたみ自転車」と「テレビ台」を餌に…、いや、お礼に進呈することを条件に、先月同様に前日には愛車で高松入りし、夜はスナックでカラオケを唄い、翌朝には和歌山県までの時間を短縮する為に徳島からフェリーを使って行くことになったのです。 「タマちゃん…、簡単に玉置神社へ行くついでに何処か面白そうな神社にも寄ろうなんて言うてるけどなぁ〜。半端な距離やないんやでぇ―っ!」 「そんなに遠いんですか?地図で見たら本宮大社のすぐ2cmくらい上じゃないですかぁ〜…」 「あのなぁ〜、2cmて…。山越えなんやでぇ―っ!たしかにこの地図では2cmやけどな…。 まぁ、着いたら夜中なんてこともあるわけや」 「そんなまさかぁ〜」 「ホンマやて…。そやからとにかく玉置神社参拝を第一目的として、余裕があれば何処か近くの神社にも寄るということにしよう」 「そうですネ。神参りは欲張っちゃいけませんでした…」 「そうそう、、、。運転するのは俺なんやから…」 「はい、仰せのとおりに…」 【いざ和歌山へ…】 「そんなに遠くて時間がかかるのなら1便早い8時10分のフェリーで行きましょう」という私の前向きな提案は軽く却下され、予定通りの南海フェリー(10時15分徳島港発)に乗船する為に午前8時半頃に高松の我が家を出発しました。 途中『津田サービスエリア』でガソリンを補充し、走行メーターを一旦0に戻しました。 楽勝で徳島港に着くはずが前田さんの車にはナビが付いていないために、事前に前田さんがプリントアウトしてきた地図と道路標識だけが便りなのです。 徳島の市街地に入ると、道に不案内な上に混雑も手伝って、なかなか目的の徳島港にたどり着かないのです…。市の中心部を出るのに時間がかかり、市街地を抜けた時には私の時計は「9時50分」になっていました。 この時は二人とも口にこそ出しませんでしたが内心では “こりゃぁ〜間に合わないかも…”と思っていたのです。しかしあまりにも車が進んで行かないためについに前田さんが口火を切りました。 「タマちゃん…、もし間に合わなかったらどうする…?」 「どうするって言われても…。次のフェリーは12時過ぎでしょ、たしか…。それに乗ったんじゃ玉置神社には行けないんですか…?」 「あの辺は道がわかり難いんや…。それに12時過ぎフェリーに乗ったとして、和歌山港に2時過ぎ…。それから周ると、もう暗ろうなってますます道がわからんようになるで…」 「そうですか…」 「まっ、その時はウチの近くの“枚方(ひらかた)パーク”でも行って遊ぶか…」 「枚方パークって、、、もしかして遊園地の…?」 「遊園地とちゃうがな、、、テーマパークや!」 「・・・・・。テーマパークって、なにをテーマにしたパークなんですか?」 「えぇ〜…? とにかくテーマパークなんや!」 「私には遊園地とテーマパーク、その違いがわからないですぅ…」 などと気を紛らわせながら漫才のように話している内に、なんとか目的のフェリー乗り場にたどり着くことができました。そしてフェリーの全貌が見えてきた時にはすでに車を乗船させているところでした。 「よかったぁ〜、なんとか間に合いましたネ」と時計を見ると10時10分…。このフェリー乗り場は、マクドナルドのドライブスルーのように乗車したままでチケットを買えるようになっていました。さっそくチケット売り場の小屋の前に車を横付けすると、チケット売りの兄ちゃんはすでに小屋のガラス窓を閉めてそっぽを向いたままなのです。 「すいませぇ〜ん…」と大声で呼んで、チケットを買い、なんとか車の列にまぎれ込むことが出来ました。「前田さん!ラッキーでしたネ!やっぱり呼ばれていますヨ。ちゃんと導かれてるような気がする…」 「そうかぁ〜、、、。しかし導かれてるって、その導き役はたしか俺のはずでは…」 「まぁ、まぁ、細かいことは気にせずに、とにかく歓迎されてますヨ。これはイイ旅になりそうだなぁ〜(微笑)」 「ふぅ〜ん…」 乗船を済ませ「ほっ」と一息つきたいところでしたが、この日は団体客が多くて船室は座る場所もありませんでした。しかたなく甲板に備えられた椅子に暫くは座っていたのですが、天候がいまいち「ぱっ」とせず、吹き荒れる風と浪しぶきに耐えられず、船室をウロウロしたりトイレに何度も入ったりと時間をつぶすのでした。 とにかく予定通りのフェリーに乗船することが出来たのですから「ほっ」としたのか、私には珍しくお腹が急に空いてきたのです。 「前田さん、弁当かなにか食べますか?」 「あぁ〜ん…、俺はまだええわ」 「それじゃ私だけ…」 と言っても売店の弁当は全部売り切れ…。しかたなく自動販売機で売られていた『カップヌードル』を買ったものの、熱湯がなかなか出てこなくて、、、しかもようやく出てきたお湯はぬるま湯で…。結局、ぬるま湯に浸ったカップヌードルを「ぼそぼそ」とすすり、噛むように食べながらフェリーは和歌山港を目指し進んで行くのでした。 12時10分、予定通りにようやく和歌山港に到着しました。 この頃には天候も少し回復し、和歌港の岸壁には薄明かりさえ差しているのでした。 「タマちゃん、ここからが大変やでぇ―っ!! とにかく何処かでお昼を食べよう!!」 「えぇ―っ!わたしカップラーメンを食べたばっかりですヨ。しかも堅い麺がまだ胃の中で消化もしていないのに…」 「だから止めとけって言うたのに…。俺もあの後、売店へ“焼きちくわ”を買いに行ったけど、もうシャッターが閉まってたから何にも食べてへんからな…。とにかく何処か近くで食べるとこを探しながら走ろうや…」 「前田さん、その前に郵便局を探してください。昨日スナックで飲んだから、お金の持ち合わせが…」 「よっしゃっ!」 と、私は郵便局、前田さんはお食事処を探しながら車は走り出したのでした。 郵便局は、和歌山港のすぐ近くにありました。そして私はお金をおろし、財布が「ずっしり」と重くなると不思議に心にも少し余裕も出てきたのです(微笑)。 ところが「あれがイイ。これが喰いたい!」と二人の意見はまとまらず、たくさんあったお食事処も次々と私たちの目の前を通過してしまい、気がつくと店の気配も無いような閑散とした道を走っていました…。 「俺は蕎麦が食いたいんや、昼はあっさりと蕎麦がえぇんや」と一点張りの前田さんが、ようやく一軒の淋しそうな蕎麦屋を見つけて、二人して「ざる蕎麦の大盛り」を注文するのでした。ところがなかなか出て来ないのです…。 店内には「当店は“自然の味を手作りで…”をもっとうとしている為に化学調味料等は一切使わず、また麺も通し湯で茹で上げる為に少々お時間がかかります。お急ぎの方、追加のご注文、あるいは持ち帰りの方はあらかじめ早めのご注文をお願い申します。味の店 田乃木」という張り紙が狸のイラストと共に店内の壁アチコチに堂々と貼られていました。 「こりゃぁ〜、玉置さんは簡単には行かせて貰えそうもないナ。前途多難だわ…」と、私は心で呟くのでした。 自然の味を大切にしているだけあって麺は「しこしこ」と歯ごたえがあったのですが、その反面、化学調味料の味付けに慣れきった私の味覚には、その“そばつゆ”がいまいち物足りなく感じられるのです。食後、前田さんにその感想を伝えると同じようなことを言っていました。やはり蕎麦は「麺」と「つゆ」の絶妙な組み合わせがあってこそ、「本当に美味しい蕎麦」と言えるのではないでしょうか?と、いつも話が本筋から反れるので、「タマちゃんの体験談は長すぎる…。もうちょっと要約して書けないの…」などと感想をいただくのですが、これが私の良いところなのです(微笑)。 「エネルギーを知るためには、一旦本筋から離れたところから眺めてみることも大切なこと…」と言うことを最近知った(超能力レポート・パート39【調整道…】参照)私にとっては、本筋も脇道も無いのです。私にとっては、すべてが「本筋」であって、すべてが「脇道」なのです。 人はみな山の頂上を目指そうとしますが、実際に登りきったその山頂には実はたいしたものは無いのです。本当に面白いことや美しいものは、実は息を切らしながら登っている途中の山道や、ちょこっと小用を済ませるために入り込んだ脇道にあるのです。 たとえばこの「蕎麦のうんちく」ひとつにも、エネルギー調整の極意を感じ取ることは出来るのです。私はそのつもりで書いているのですが…。(微笑) 「麺」をエネルギーとすると、「つゆ」は技術なのです。入れ物の器が「環境」であって、店は「宇宙(天)」なののです。そして蕎麦やつゆの味や温度は「心」なのです…。 「えっ?それじゃぁ作ってる人は?ですか…」、そりゃぁ〜、そこまで行ったら、人は「神」でしょ…。って、、、またわたし、、、壊れてますネ…。(苦笑) 先が長いので、そろそろ話を「本筋」に戻します。 【遠路はるばる…】 和歌山港から国道15号、そして24号をひたすら「橋本」をめざして走りつづけます。「橋本」からは県道732号に入るのですが、この道がプリントアウトした地図を見ても如何に凄い道であるかがわかるのです。そしてその県道への入り口もじつにわかり難くそうなのです。 前田さんからはくどい位に「タマちゃん、とにかく入り口までは居眠り禁止や!ココを見落とすと、予定の時間どおりには玉置にはつかへんからなっ!」と、言い渡されていたのでした。 その県道の入り口を見落とさないように車窓から見える景色や標識、そして地図を交互に睨んでいるのですから居眠りなんてしている暇は無いのです…。そんな私はいつしか「カーナビ」ならぬ「ひとナビ」状態で、ついには「10m先の信号を右に曲がります。そろそろウインカーを出して右折車線にお入り下さい…」なんて甲高い声でアナウンスまでやりだす始末でした…(微笑)。 迷って当然と思っていた県道732号線、、、。ところが全然迷いもせずにすんなりと入り口を見つけて曲がることが出来ました。 “やはりなにかに導かれている…”と私が思っていると「ほら、なっ、今日は俺が“導き役”やからなっ…」と前田さん、、、。 「えっ、この場合は私が地図を見て支持しているのですから、わたしが導き役でしょ…」 「チャウっ! タマちゃんはただの“ひとナビ”やんか。そんでもって俺が“導き役”なんや!」 「・・・・。なんか説得力に欠けるけど…、まぁ、さっきも言いましたが、お互いがお互いの導き役と言うことですネ」 「チャウっ! 今日は俺が・・・・・」と、、、。 しばらく黙ってよう〜とっ、、、。 県道732号は想像以上に複雑な道で、途中未舗装の区間があったり、対向車がすれ違えない細道があったり、がけ崩れの為に石ころがゴロゴロと車のわだちの間に転がっているのです。そしてなによりも、「これでもかっ」と言うくらいに延々とクネクネと曲がる道を蛇行を繰り返して走らなければならないのでした。 前田さんは車の運転が大好きなので文句も言わずに運転してくれていますが、これがわたしならきっと「ぶつぶつ」と文句ばかり言いながら運転していたことでしょう…。それを考えると、やはり今日は前田さんが「導き役」ですネ(微笑)。 そんな細くて険しくて蛇行だらけの県道を1時間ちかくも走りつづけていると、運転が大好きな前田さんも流石に疲れてきたのか、 「タマちゃん、今どの辺を走ってんの?」と何度も尋ねるようになりました。 「えぇ〜と、今はこの地図によると県道入り口から3cmくらいですか…」 「3cmって、ぜんぶで何センチあんねん?」 「ふぅ〜む…、まぁ県道全行程が18cmくらいですから、6分の1くらいですネ」 「えぇ―っ! これだけ走ってまだそんなもんかいな…」 「はい、あと15cm残ってます」 「そうか…」 「あっ、前田さん、名古屋の羽渕くんに電話して誘いましょうか? それで玉置神社で待ち合わせするってのはどうですか?」 「えぇ―っ! そりゃぁ〜彼もこういうの好きそうやから声をかけたら来るやろうけどなぁ…。でも彼の車は軽やでぇ〜。 それに玉置さんも入り口は物凄ぅ〜わかり難いから、彼が今日中には玉置に着かへん可能性があるからなぁ…。遭難でもされたら困るしぃ…。それではあまりに酷なお誘いやろぅ…」 「その障害を乗り越えるところにエネルギーに関わって生きる醍醐味と楽しみがあるんじゃないですかぁ〜」 「障害が多いのんはタマちゃん一人で十分やと俺は思うけどなぁ〜」 「・・・・。それは言いっこ無し! それにしても羽渕君のPH入会の切っ掛けが、村上龍と山岸会長の対談集じゃなくて、私のHPを見つけたのが最初の切っ掛けだったなんて、なんだか縁がありそうじゃないですか…。ワクワクしちゃうけどなぁ〜」 「ふぅ〜ん、俺はただの偶然やと思うけどなっ…。ところで羽渕君は仕事してるんかいな?歳は幾つなんやねん?」 「えっ?前田さん先月のPH大阪講習会後の飲み会でそれ訊いてたのと違うんですか? それに名刺も貰ってたじゃないですか?」 「うん、訊いたような気もするんやけどなぁ…。ぜんぜん覚えてへんのや。名刺ってあのペラペラの紙のやつやろ…。あれ見ても横文字ばっかりでサッパリわからへんし…。タマちゃん覚えてるか?」 「私が酒飲んで覚えてる訳がないでしょ…」 「そりゃそうや!」 「そう言われれば、あのペラペラの名刺は英語ばかりでしたネ」 「なっ、そやろぉ…」 「なんか怪しいですねぇ〜。もしや、やばいことやってるんじゃ…」 「そやねん! なんかエッチ系のサイトを運営してるとかな…」 「わ、わかりました。明日の大阪講習会の時に私が責任もって訊いておきますネ」 「あぁ…、飲む前に訊いといてや、ほんで飲む前に俺に教えといてや…」 「はい、きっと…」 「あっ、そうそう。歳はたしか私たちよりも随分と若いみたいでしたヨ」 「えぇ―っ! ホンマかいな?」 「はい。前田さん、、、人を見た目で判断してはいけない…」 「そやな…。けどな、タマちゃんのその言い方も別に羽渕くんを庇うてるようには取れへんけどな…」 「・・・・・・。たしかに…」 などと話しをしながら2時間近くも経った頃に、ようやく県道の最終地点近くにある『出屋敷峠』を通過しました。ようやくここで国道168号線と合流です。 「前田さん、国道に入る前にオシッコできそうな淋しい場所で止めてくださいネ」 「えっ、またマーキングするんかいな…。実は和歌山県は京都と同じで “立ちション禁止条例”があってな、悪いけどそう簡単には止められへんでぇ〜」 「そんな殺生なぁぁ〜、あっ、ここでイイですから。あっぁぁ―、、、」 「もうちょっと我慢しぃ―っ。実は俺もさっきから○ん○がしたいんや。そやからもうちょっと淋しい場所やないと…」 「えぇ―っ!! 和歌山県には野○○禁止条例は無いんですかぁ…?」 「し、しらん!」 そんなことを言いながらも結局小用だけ国道のまさに合流点である橋のたもとで済ませ、今度は国道168号線をひたすら『玉置神社』へ向かって走り続けるのでした。この時がもう午後3時過ぎ…。高松の我が家を出発してから既に7時間ちかくも経っていたのでした。 ここはもう奈良県、ここからは国道168を、十津川の流れに沿うようにくねくねと北上して走り続けるのです。十津川を挟んで東側に連なっているのが『玉置山(1076m)』で、この山を越えると熊野川になり、あの有名な『瀞峡』があります。熊野川の向こう岸はもう三重県なのです。まさに「和歌山」「奈良」「三重」の三国の県境近くを走っていると言うことになります。 【霧の玉置神社…】 国道168を延々と走り続けること2時間。さきほどの県道に比べると流石に国道は舗装されているせいかガタガタと振動を受けることもなくて、私はいつしか一生懸命運転している前田さんを気にしながらも居眠りをしていたようでした。 「・・・・。あぁ〜ん、前田さん、いまどの辺りを走っているんですか?」 「知るかいなっ!人ナビのくせにスヤスヤ居眠りするから…。俺も、なんや眠とうなって来てなぁ…」 「えぇ―っ!前田さん、気をつけて運転お願いしますよぉ〜」 「うん、もう大丈夫や!俺もさっきからチョコチョコ居眠りしながら走とったから…(笑)」 「ひぇ―っ!!(汗…)」 「あほっ、嘘やがな…(笑)」 「知ってますがな…(笑)」 「もうそろそろ玉置さんの入り口があるはずなんやわ。タマちゃん見落とさんように気ぃつけといてや」 「あっ、ここでは…」 「ホンマや!看板が新しいなって見やすぅ〜なってるなぁ〜」 ここからついに玉置山の山道を登り始めたのですが、これがまた延々と蛇行を繰り返す狭くて細い道だったのです。時間はすでに午後の4時を超えていました。玉置山山頂を見上げると、いつしか何処からか霧が湧き出し、その山頂は霞に覆われたようにぼんやりとしか見られなくなっていました。 「前田さん、なんだか天気も怪しくなってきましたねぇ〜。小雨が降ってきそうだし、霧もかかってるし…」 「そうやなっ! ちょっと急いで登らんとな!」 「はい。あと少し、がんばってください」 「それより、、、俺、う○○、したいんやけどなぁ〜…」 「えっ、まだしたいんですかぁ〜? こんな霊山にそんな穢れたモノを落として行っちゃぁ〜いけないと私は思うけどなぁ〜」 「あのなぁ〜…。自分がマーキングが済んだから言うて、導き役の俺を粗末にしてるとバチがあたるでぇ―っ。これからみんなの前で“マーキー・タマちゃん”って呼んでもえぇのんかぁ…?」 「あぁ…、すみません、、、。とにかく先を急ぎましょう」 その山道を走りつづけること40分くらいで山頂近くに祀られている【玉置神社】の駐車場にようやく到着しました。こんなにわかり辛くて、険しい山道を走り抜けて来た割には随分と広くて、しかも舗装の行き届いた立派な駐車場でした。駐車場にはちゃんと車止めのラインも白線で引かれ、綺麗なトイレらしき建物も設置されていました。おそらくなんらかの神事等がおこなわれる時などに信者さんが大挙して訪れるのでしょう。 霧に包まれかけた駐車場に車を停めると、「タマちゃん、おれ、○ん○してくるわ」と言い残し、先に車から飛び出そうとしていた前田さんがその足を止め叫んだのです。 「タマちゃん! あれ、あれ!凄い!!」 「えっ?」と前田さんの見つめる目線の先を追うと、そこには玉置神社の立派な石の鳥居が立てられていました。 その鳥居の中を潜り抜けて濃い霧が、まるでこちらを目指して流れ出てくるように、駐車場に停めてある車を目掛けて襲い掛かるように押し寄せて来るのです。 「こ、これは…。 まるで霧が鳥居の奥から湧き出しているみたいですネ。 前田さん、私たちは相当歓迎されていますヨ」 「そ、そうかぁ…?」 「そう言えば霧も水、、、雨と形が違うだけ、、、。 と言うことは、これも一種の “禊払い”なのかもしれませんネ。 “そう簡単にはお参りさせないぞ!”って主張しているようにも取れるし…」 「そうやなぁ〜、とにかくタマちゃんは穢れが多いからなぁ〜」 「なんですか、それ…? 無駄口叩いていないで、早く前田さんもその穢れの塊を出しちゃってきてくださいネ」 「了解!!」 前田さんが穢れを落としている間に私は霧が噴出している石の鳥居を写真に撮りました。しかし、何故か写っていないような気がするのです…。きっとこの神社は “ダレカレ構わずに目にしてはいけない、、、”そんな気がしていたのでした。 そんな事を考えていると鳥居の中から話し声が聞こえてきました。霧に霞んだ鳥居の奥から老夫婦が仲良く姿をあらわしたのです。 その姿は山登りのような着衣を身にまとい、ご夫婦の両手には木製の杖が握られていました。そして奥さんの空いた片方の手には写真機の三脚が握られていました。 “あっ、山登り愛好家か写真愛好家だな…”と思っていたら、その両方でした。(微笑) 「こんにちはぁ〜。如何でしたか玉置神社さんは…?」 「良かったですよぉ〜。それにさっきから突然霧に包まれちゃって、神社はもっと神秘的な雰囲気になってるから…。あなたはこんな絶妙のタイミングで来られて運が宜しいわねぇ〜」 「はい(微笑)。ところで神社さんまではまだ遠いのですか?」 その私の問い掛けに老夫婦は顔を見合わせて、まずはご主人が、 「いえっ、すぐそこですヨ。10分も歩けば着きますから…」と・・・。 次にご婦人が、 「そうねぇ〜、歩いて20分くらいかしら…。 でも周りの景色も美しくて心が洗われるようでしたわヨ。あと一週間早く来られていれば石楠花(しゃくなげ)のお花が満開だったらしいのだけど、それだけが残念だわ…」と・・・。 そんな話をしていると、ちょうど駐車場の奥の端、鳥居からは一番遠くに建てられてあるトイレから出てきたばかりの前田さんの気配を感じたのか、何故かソソクサと自分たちの車に急いで歩き去って行くのでした。“なんだか、、、不思議・・・?” 「タマちゃん、なに話てたん?」 「あぁ…、神社までは歩いて20分くらいかかるらしいですヨ。それとやっぱり霧はついさっきから湧き出したらしいです。境内が霧に包まれてとても神聖な雰囲気で溢れていたと言ってました」 「そうかぁ〜、、、。しかし凄い霧やなぁ〜」 「はい、私たちはとても恵まれているのかもしれませんネ。こんな絶妙のタイミングで参拝できるのですから…」 「うん。実は俺もそれを、う○○、しながら考えてたんや」 「えっ、、、きたないなぁ〜…」 「まぁ黙って聞き…。もしタマちゃんの提案どおりに1便早いフェリーに乗ってたら到着が3時くらいやろ。それならこの霧は無かったと思うんや…。そしてもし予定通りのフェリーに乗れていなかったら到着が午後7時やろ、、、。それではおそらく今日のこの工程ではここまではたどり着けなんだと思うんや。それを考えると、まさにタマちゃん流に言うと絶妙のタイミングそのものやんか…」 「まさに、この最高のシュチュエーションを用意され、この絶妙のタイミングでここまで導かれたのかもしれませんネ。やっぱり呼ばれてたんだろうなぁ〜」 「ふぅ〜む…。そうかもしれんな、、、。ホンマに最高のチュチュエーションやなぁ…」 「チュチュって…、まっいいか(笑)。やっぱりエネルギーは面白いなぁ〜(微笑)」 そんな二人の話が尽きたのを見計らって、私たちは少し厳粛な気持ちで鳥居前でお辞儀をし、いよいよ神の住む聖域へと足を運び入れるのでした。 【神の住む聖域…】 「タマちゃん、ここでは祝詞はあげんのか?」 「あぁ…、そう言えば、今日は車で走っている間、退屈しのぎに暇をみつけては祝詞をあげていましたからネ…」 「そうそう…、随分とたくさんあげてたやんか」 「はい。“ひふみ祝詞”、“うけひの言葉”に始まって、“天の数詩”、“天津祝詞”、“祓え祝詞”でしょ。そして“ご先祖様の俳詞”に“大祓詞でした…」 「えっ、そんなに種類があんのんか? 俺には全部同じに聞こえてたけどなぁ〜」 「まっ、素人さんにはそう聞こえるでしょう…」 「素人さんって、タマちゃんはプロなんかいな?」 「いえっ、私も素人でした…(微笑)」 「でもそれすらもきっと偶然ではなくて、そこまで禊祓いをしないと参拝さえてもらえない場所のような気がしていたのです。実際にこの神社までの参道を歩いていて、その予感が正しかったと今になってようやく腑に落ちたんです」 「なんか、何遍も間違うてたのがあったやろ…?」 「あぁ…、大祓詞(おおはらえのことば)ですネ。あれは長いですから…。そうだ本殿までの参道を大祓詞をあげながら歩いていこうっと…」 「えぇ―っ! 勘弁してぇなぁ〜」 「いいえ、勘弁しません。前田さんも一緒に禊祓いをするのです」 「俺は全部さっき駐車場で出してきたからえぇやん。タマちゃん一人でやって、、、」 そして私はひとりで“大祓詞”をあげながら参道を歩いていたのですが、その祝詞に呼応するかのように鬱蒼と茂る木々のココ、アソコから鶯の美しいサエズリが聞こえてきたのでした。 そのさえずりを聞きながら少し先を歩いていた前田さんはキョロキョロとその鳴き声の主を探しているのです。そして拍手をしながら「じょうず、上手…」と嬉しそうに微笑みながら歩いてるのです。 この情景、、、。 事情を知らない人が見たら、きっと危ない二人組だと思ったことでしょうネ…。実際にその時のふたりは、参道のとても強くてきついエネルギーに当てられて危ない奴等になっていたのかもしれません…。(苦笑) なかなか本殿にたどり着きませんでした。そしてこの参道、やたらと鳥居が多いのです。しかもその鳥居も少し変わっていて、木製の鳥居のすぐ後ろ(30cm)くらいの所にまた木製の鳥居が立てられている場所が数箇所あるのです。だから本殿までに何度も何度もお辞儀(礼)をさせられる形になるのです。 それだけ「キツイ神さん」なのかもしれないと私は感じていました。参道に大きな杉の木が何本も立っていました。 「前田さん、ここには樹齢三千年という大きな杉の木が何本もあるらしいですヨ」 「ふぅ〜ん…」 「ふぅ〜ん…って、前回来た時には見なかったんですか?」 「あぁ…、俺は、ほら、あれっ…」 「あぁ…、彼女のオッパイばかりに見とれていたんでしょ。それはさっき聞きました」 「チャウがな…。その時も運転手で、初めての道やったからココに着いた頃には疲れ切ってて、、、。そんな周りの景色をユックリを観る余裕もなかったんや…」 「・・・・。まぁ、そういうことにしておきます…」 「けどな、今こうしてこの大きな杉を観ていると、どうして以前おれが来た時に、これほどの見事な樹木のことが自分の記憶に残っていないのかが不思議なくらいなんや」 「それは彼女のオッパイを…」 「チャウって、、、。それにこの杉、、、不思議なんや」 「えっ、なにが不思議なんですか?」 「俺もタマちゃんも、これくらいの古くて大きな樹は神社の境内なんかで、これまでにも散々観てきたはずやろ。でもそれらの樹木はたしかに古い樹で、おじいちゃん、おばあちゃんの樹みたいに観えてたんや。たしかにエネルギーは凄く気持ち良いけれど、はっきり言うと勢いは感じられへんかったはずなんや…。ところがココの樹木はどうや?まるでまだ若々しくて、観るからにまだまだ青年のような勢いがあるやろ」 「そう言われれば、木肌もみずみずしくて、まだまだこれからも上に伸びていきそうな若さを感じますネ」 「なっ、そうなんやぁ〜…。 こんなんは初めての経験やなぁ〜」 大きな杉の木肌に「そっ」と手の平を触れてみました。木肌はぎっしりと苔に覆われているのですが、少し手の平に力を入れると<B>「じゅぅ〜」</B>っと水が溢れ出してくるのです。木肌もそんな苔に保護されているかのように風雨から守られ、未だに色も濃くて、ところどころは「テカテカ」と艶さえ見られるのでした。 「前田さん、やっぱりココは土地自体のエネルギーが凄いんですヨ、きっと…」 「うん。そうとしか考えられんなぁ〜」 20分歩いて、ようやく本殿の鳥居が見えてきました。 最後の鳥居を潜ると、先程までは少し薄まっていた霧がいきなり濃くなってその密度を増しているように感じられるのです。数十段の石段の上に本殿らしき建物が見えました。しかし不思議なことに、ここの本殿へとつづく石段には鳥居がかかっているのです…。 普通ならば、本殿へとつづく石段の手前に鳥居が立てられているか、石段を登りきった本殿正面に立てられているものなのですが、ここは石段の3段目くらいの場所に、ちょうど石段を跨ぐように鳥居が立てられているのでした。 石段の下から写真を撮ろうとしたのですが、また濃い霧が突然湧き出すように本殿からこちらに向かって流れ下って来るのです。 “ふぅ〜む…。これはここじゃぁイイ写真は期待できそうにもないな…”と思いながらも「パチリ」と1枚写しました。 玉置神社の境内には樹齢3000年を越すとされる杉の大木がぎっしりと林立していました。そして数十段の石段をあがりきった所に建てられていた本殿は、周りの樹木に負けないくらい堂々としており、とても立派なものでした。この時は残念ながら本殿の扉は閉じられていましたが、内部には杉板の襖があり、そこには狩野派の絵師による「花鳥画」が描かれているらしいのです。 ここで私の感想を書くよりも、玉置神社由来所を書き記した方が情景がわかり易いと思われますので、その一説を下記に記しておきます。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 『玉置神社由来所より…』 人里遠く離れ、交通の極めて不便な紀伊半島の中央部吉野熊野のやまなみ雲海はるか太平洋を遠望する霊峰玉置山。標高1076メートルの境内には神代杉をはじめ樹齢3000年といわれる老樹大樹が社と成り、その懐に抱かれるように、荘厳な玉置神社の社殿が鎮座しています。春には山の樹木がいっせいに芽吹き、初夏にはしゃくなげが咲き誇ります。夏には大峰奥駆(おおみねおくがけ)の修験者で賑わい、秋は秋祭りと紅葉、冬は樹氷や露氷の世界、四季折々それぞれの魅力があり全国から数多くの人々が心の安らぎと充実を求めてこの地を訪れます。" ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 本殿で“天津祝詞”をあげ、参拝を無事済ませました。 この本殿には「国常立尊(くにとこたちのみこと)」「イザナギの尊」「イザナミの尊」「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」「神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと。神武天皇)」が祀られておりました。 祝詞をあげている時に後ろの石段の下から男女の話し声が聞こえていたのです。「ふっ」とその声の方を振り返ると、そこには若いカップルが私が祝詞をあげているので遠慮したのでしょうか、石段の下で待機しているようなのです。 それに気が付き、場所を空けるようにして本殿の前から立ち去りました。 その後本殿の周りに祀られていた末社やその裏庭等々…、前田さんが前回見落としたという「3本の剣」を探しましたが一向に姿すら見えないのです。 「前田さん、それでは私がエネナビで探してみましょう…」 と両手に意識を集中させるのですが、まったく反応がないのです。 「ここじゃないんでは…」 「うぅぅん、、、。俺にもさっぱりわからんなぁ〜」 という会話を聞いていた若きカップルは、そんな如何にも怪しそうなオッサン二人を気にする気配もなく、次々と社を仲良く参拝しているのでした。 境内もそろそろ薄暗くなりかけて、境内には神職らしき人も見当たらず、私と前田さん、その若きカップルの二人、全部合わせても4人しかいませんでした。そして天からは小雨も「ぽつぽつ」と落ちてきていました。そんな心細さが手伝ったのでしょうか、そのカップルは私たちの後を追うように着かず離れずの距離を保ちながら歩調を合わせて着いてくるのでした。 【自然信仰…】 本殿の裏の山側には木の塀が立てられており、その塀の木戸を潜り抜けると『雑誌サライ』に写真が掲載されていた樹齢3000年の「神代杉」が注連縄を張られ祀られていました。 この樹も若々しくてとてもみずみずしいのです。そして周りの樹木も、この杉に負けないくらいに大きく育ち、息が詰まるくらいに隙間なく生い茂っているのでした。ここではまさに、この山、樹木たち、転がっている石ころ一つひとつさえも、そのすべてが「神」なのかもしれませんネ。 「神代杉」にも参拝を済ませ、本殿まで戻ると、そこから脇に少し行ったところに【三柱神社】という摂社がありました。ここには「倉橋魂神(うがのみたまのかみ)」「天御柱神(あめのみはしらのかみ)」「国御柱神(くにのみはしらのかみ)」という三神が祀られていました。ここも参拝を済ませて、その周りや裏側を例の剣を探しましたが、やはりありませんでした。 「やはり…」と書いたのは、ここでもその剣のエネルギーらしきものはまったく感じられないのです…。 その先に社務所があり、社務所の縁側には「お神酒」と盃が置かれてありました。そして「ご参拝ごくろうさまです。どうぞ玉置の神さまのお神酒のお裾分けをお召し上がりください」という張り紙が縁側にぶら下がっていました。 「これはありがたい…。いただきまぁ〜す」と盃にお神酒をなみなみと注ぎ、一気に飲み干す私でした。 そんな私の様子を見ていた前田さんが、 「タマちゃん、なにやってんの?」と近寄ってきました。 「あっ、前田さん、ほらっ、お神酒のお裾分けですヨ。ご利益がありますヨ。まっ、一杯どうぞ…」と私が飲み終えて手に持っていた盃を一旦裏返して数回酒を降り落とし、前田さんに渡したのです。そしてその盃にお神酒を注いであげると、 「タマちゃん…、そこにも仰山盃があるのに、なんかこれじゃぁ兄弟の契りを結ぶ盃みたいやんか…」 「えっ…? でも三々九度の盃よりはマシでしょ…(微笑)」 「まぁなっ…」 その社務所からさらに山上へ向かう道がつながっており、その入り口にはやはり鳥居が立てられていました。そこから山道を仰ぎ見ると、延々と上りの自然石の石段がつづいており、ところどころに鳥居が、まるで結界を守護するかのようにいくつも立てられているのが見えるのでした。 “ん…、ここから先は完全な結界が張られている…。これは更にキツイ(強い)神さんが祀られているんだろうか…?”と私は胸が「わくわく」と高ぶるのでした。それに反応するかのように、私の両手の平は「ぶつぶつ」状態にエネルギー反応を示していました。 「前田さん、ここから先に例の“玉石社(たまいししゃ)”があるんですネ。雨が強くならない内に行っちゃいましょう。剣もこの先にあるのかも…」 「そやな、、、でもこの登りはきつそうやなぁ〜。俺は膝が痛いさかいにユックリとぼちぼち登って行くわ…」 「はい。そうしてください。それでは若い私はさっさとお先に失礼しますネ」 「誰が若いんやてぇ…?」と叫ぶ前田さんを残して、私はひとりさっさと健脚を生かしながら登っていくのでした。そして息も切れ切れになった頃、ようやく登りの山道の途中に【玉石社】は祀られていました。 やはり大きな杉の樹を囲むように柵で結界が張られたところが玉石社のようです。その柵の中には白くて丸い石がまるで州浜のようにたくさん奉納されていました。熊野の土地では古くから丸い石には神霊が宿るとされ、丸石を祀る風習があるのだそうです。玉石社で参拝をすませ、写真を1枚撮りました。 この囲いの中に手を差し入れるとエネルギーが半端ではないのです。しかも玉置神社本殿で感じたエネルギーとも大きく違うのです…。これはどういうエネルギーなのだろうと、そのまま手を差し入れて感じている頃に前田さんが「ハーハー、ゼーゼー」と息を切らしながらようやく登って来ました(微笑)。 「前田さん、ここはエネルギーが凄いですよぉ〜」 「それより、この登りが凄いやんか…。しかもなんでこんなに仰山の鳥居さんが立ってるんや?」そう言われれば、ここにたどり着くまでに嫌と言うほどの鳥居を潜り、その度に足を止めてお辞儀をしてきたのでした…。更にご丁寧に、玉石社の直前の鳥居は例の二つ並んだ鳥居だったのです…。と言うことは、ここは玉置神社本殿よりも更に参拝者に厳しい「禊祓い」を求めていると言うことなのか…? それほどキツクて強い神さんが祀られているということなのか…? そう勝手に想像しながらご祭神を見ると「大己貴命(おおなむぢのみこと。大国主命の別名)」と書かれてありました。 玉石社にある杉の間から、どうやらその後ろにも結界を張られて祀られている、今度は黒くて大きな玉石が三個見え隠れしているのです。 「この石には神々が降臨するとされ、今も信仰の対象となっている」と書かれてあったことを思い出しました。実は、玉置山の名称のもととなったのもこれらの丸石・玉石で、玉置や玉石の姓をもった人たちが各地に石の信仰を広めたという、太古からの樹木や石への自然信仰がこの山の中ではいまだに生きているのだと強く感じたのでした。 脇の山道を少しあがると案の定木の柵を巡らせた一角がありました。そこには玉石社とは対照的に、黒くてごつごつとした大きな自然石が三体祀られていました。しかし私は何故かこの社の名前をハッキリと思い出せないのです。 【三石社】と立て札に書かれてあったような気がするのですが…。どうも記憶が曖昧なままなのです…。 ここでも参拝後に写真を1枚撮りました。 しかし…、私には写っている気がしなかったのです…。 と言うよりも、写してはいけない聖域だったような気がしていたのです。 前田さんもこの両お社の参拝を終え、まわりの土地を例の剣を探していました。 「前田さん、まだ上に登る山道がありますけど、この際徹底的に探してみますか?」 「ふぅ〜む…。その道は以前登ったんやけどなぁ〜、玉置山の山頂に出るだけだったような気がするんやけどなぁ〜。以前は見落としてるということも考えられるし。ここまで来たんやから、行ってみるか…」 「はい、それではまたお先にぃ〜」 と若くて元気な私はさっさと山頂まで登りきったのでした。 「がっ!!」 やはり3本の剣は、その山頂にも途中の山道にも、影も形もありませんでした…。前田さんにそのことを告げようと少し引き返して、今登ってきた山道を見下ろすと、前田さんの少し後ろから例のカップルまで登って来ているのが見えたのです。 このカップル、よほど心細いのか、ずっと私たちの後を追いかけているようなのです。前田さんの到着を待って、山頂に差し込むように設置されていた鐘を「カンカンカン」とまるで勝ち誇ったように三度打ち鳴らしました。その様子を見ていたカップルも同じように鐘を突いていました。 ここでカップルと少し話をしましたが、それが少し不思議な話になったのです。彼氏は無口で、そういうカップルはきまって女性の方が社交的でおしゃべりなものなのですが…。これもバランスですネ。(微笑) 彼女の方が私に尋ねてきました。 「あのぉ〜、ところで何処に車を停めてきましたか? 私たちあんな所に車を停めてきたけど、あれは駐車場なのかなぁ〜?」と、今度は彼氏を振り向きながら話し掛けているのです。 「えっ、ちゃんと整備された立派な駐車場があったでしょ、、、。ラインまで引いて、しかもトイレ付きの…」 「・・・・・・・・?」(顔を見合わせるカップル) 「えっ、それじゃぁ何処に車を停めてきたの?そんな場所は他にはなかったけど…」 「私たちも“こんな場所が駐車場かなぁ〜?って不安に思いながらそれでも駐車してきたんです」 「そんな場所あったけ…?前田さんわかりますかぁ―っ?」 「さぁ〜、駐車場はアッコしかないはずやでぇ―っ!それに神社への参道の途中にも他へ抜ける脇道らしい処も無かったようやったけどなぁ〜。ところであんたら何処から来たんや?」と前田さんが尋ね返すと、どうやら私たちとはまったく逆側の『瀞峡』辺りから玉置山を登ってきたらしのです。それにしてもこの玉置山へ登る車の通れる道は、私たちが今日登って来た道路しかないのです。とすると、当然同じ駐車場に至るはずなのですが…。 その話を聞いた途端に、なんだか彼女たちが神の「眷属」や「使い」のように思えてきて、“仲良くしようかな…”なんて急に親近感が沸いてくるのでした。 まだまだ私は「我欲」と「煩悩」が捨てきれないようです…。(悲) 天気が良ければ標高1076mの玉置山山頂からの眺めも美しかったのでしょうが、残念ながら霧と小雨のせいでその絶景の展望も望むことも出来ず、しかたなくさっさと下山することにするのでした。 【3本の神剣…】 本殿まで引き返す道すがら、やはりキョロキョロと3本の剣の突きたてられた場所を探すのですが結局何処にも見つかりませんでした。 「前田さん、本当に神社の中の小山か丘に突き立てられているんですか?」 「あぁ〜、たしかそう言うとったんやけどなぁ〜。でもな、お社の裏の木戸を開けた所って聞いたような気もすんのや…」 「えっ、それってぜんぜん違うじゃないですかぁ―っ」 「誰も小山に突き立てられてるなんて言うてへんでぇ―っ」 「・・・・・。でもそんな場所もなかったけどなぁ〜…」 玉石神社の険しい参道を降りる頃には、小雨を吸い込んだ山道がいっそうぬかるんでいて、足元を注意しながら降りないと滑って転びそうになってしまうのです。登って来たときは息もきれぎれだったせいで、その沢山ある鳥居の数を数える余裕もなかったのですが、降りる時は「ひとつ、ふたつ」と数えながら降りることが出来ました。 その鳥居の数は「9本」でした。たしか駐車場前の石の鳥居から本殿までの参道に立てられていた鳥居の数も「9本」だったはず…。これが偶然であるはずがありません。 古代の「数」にまつわる思想は、その多くが「9」を完成の数として見なしていたと伝えられています。それから考えると、神の聖域である場所に「9本」の鳥居があること自体は当然のことなのかもしれませんネ。しかし、急勾配のぬかるんだ山道を足元に気をつけながら、しかも鳥居を潜り抜ける度に「9回」も振り向いてお辞儀をしながら降りるのは、、、とても神経をつかうのでした。 【玉石神社】【三石神社】の神さんは、登る時にも降りるときにも「試練」を与えてくれるとてもありがたい神さんなのでしょう、、、きっとネ(微笑)。 山道を降りきった社務所の脇にちょっとした休憩のできる場所がありました。古い井戸の脇に長机と椅子も置かれていて、湯のみ茶碗や灰皿も用意されていたのです。 「前田さん、ここらで一服しましょうか…」 「あぁ、そうしよう。そう言えばココのお水も奇跡の水って言われてるらしいでぇ―っ」 と言う話を聞くや否や、それまでは見向きもしなかった古惚けた井戸から水を柄杓にすくって一気に「ゴっクン」と飲み干す私でした。やはりまだまだ「我欲」と「煩悩」が…(苦笑)。 椅子に座り煙草を一服していると、例のカップルが楽しそうに話しをしながら山道を降りてきました。そして私たちが休憩している方に近づいてきて、コンクリートで作られた長方形の池の周りに立てられた鉄製の柵に手をかけて、休憩がてら池の中を二人で眺めていました。 その時です、急に甲高い悲鳴が・・・。 「きゃぁ―っ!!」 「ん…?なんやなんや…?」 「ほらっ、あっ、あそこに、なんだか奇妙な生き物が、、、、。龍のしっぽみたいなものを振りながら泳いでるぅ〜、あの腹の赤い龍の子供みたいな生き物は…」 「それはオタマジャクシとちゃうのん…?」 「えぇ―っ、龍だって!!」 と私も驚いて近づこうとすると前田さんが言い捨てるようにひと言、、、 「なぁ〜んや、、、あれはイモリやんか…。イモリ、ヤモリ…どっちだったけ…?」 と、一瞬緊張して張り詰めた周りの空気が一気に萎んでしまうようなつまらない、そして夢のない回答を、早々と涼しげな顔をして口にするのでした…。 「前田さん、ヤモリは家の守り神、水に住むのはイモリです」 「あっそうそう、、、、イモリや!」 しばらくその場はシラケっぱなしでした…。 そんなシラケムードにも飽きたのか、若きカップルはそこで私たちに別れを告げて、元来た玉置神社の山道を駐車場目指して帰りだしたのでした。 「さよなら、元気でネ!気をつけてお帰りよぉ〜」と二人の後姿に声をかけたものの、その道は私たちの車を停めた駐車場へとつづく1本道、、、。 「前田さん、ところであの二人は何処から来て、何処へ帰るのでしょうか?」 「そやなっ、俺たちの駐車場じゃないとすれば、いったい何処へ帰るつもりなんやろか?」 「天…、神の国ですかネ?」 「・・・・・。タマちゃん、あほかいな…」 「・・・・・。いやだなぁ〜、これがロマンじゃないですか」 「俺はロマンより、マロンの方がえぇわ!」 「・・・・・。ま、まいりました…(微笑)」 漫才のような会話も周りがどんどんと暗くなっていくので一旦中止して、3本の剣探しに専念することにしました。本殿近くを散策していた前田さんが思わぬところから声を発したのです。 「タぁ〜マぁ〜ちゃん、あったでぇ―っ! こんな所にあったんやぁ―っ!」 「えぇ―っ!いま行きますから…」と、本殿を少し左側に通り過ぎた所に祀られている【大日社(大日堂)】のお社の真後ろに、周りを石垣のように積み上げられた石で固めた楕円形の小山のような盛り土があったのです。 その小山の真中には諏訪大社の御神木(御柱)のように、枝葉を切り取られた幹だけの10mくらいの木(御神木かな?)が突き立てられていました。そしてその前には、私たちが探し回っていた【3本の剣】が天に剣先を向けて逆さまに突き刺さっていました。 やはり私が最初に前田さんから話を聞いた時に想像していた九州の『天の逆矛』とはぜんぜん形は違っていました…。剣の長さは全長7〜8mもあるでしょうか…。後ろの御神木に比べて見劣りしないくらいに見事なモノでした。それは1本の大きな剣が小山のど真ん中に逆さまになって突き刺さり、その剣の中心あたりに2本の剣がクロス(×)するようにくっ付いているのです。その3本の剣の周りにはぐるりと勾玉を沢山ぶら提げた輪がかけられており、これを使いこなせる者がいるとしたならば、それは神か鬼か、はたまた天狗の類か、、、、とにかく尋常な大きさではありませんでした。 とにかくまだ真新しくて、曇空の中を暮れかけた夕日の薄明かりを受けて微妙に光を放っていました。残念ながらその剣や御神木の由来を書いた立て札は、太い綱で仕切られた結界の向こう側にあり、しかも由来を書いた文字もこちらを向いていないので、ご祭神・由来・歴史等々はなにもわからずじまいでした…。しかし祀ってあるお社が【大日社(大日堂)】という名前であることと、その名前を書いた看板の上には金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅と書かれてある以上、ここは仏教系ということなのでしょうか…。 玉置神社の由来所を見てみるとそこには以下のように書かれてありました。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 『玉置神社由来所より』 7世紀後半、役行者(えんのぎょうじゃ)が大峰山を開いて修験道の本拠地となります。玉置山は、大峰入峰修験の順峰逆峰双方向の拠点として栄え、山伏姿の修験者の往来が増えてきます。天安2年(858年)天台宗智証大師が、那智の滝にこもり後、当山にて修法加持し、本拠仏を祭られました。これにより以後玉置神社は神仏習合となりました。神武天皇・景行天皇・天武天皇・清和天皇をはじめ、花山院・白河院・後白河院・後嵯峨院などが参拝行幸されたと伝えられ、創建以来元禄年間まで十数回の造営修復はすべて国費をもって行われました。また役行者・弘法大師・智証大師などもこの地で修行されました。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【大杉たち…】 私も目的の【玉置神社】参拝を無事に済ませられ、前田さんも心に引っ掛かっていた【3本の剣】を見つけられたので、二人とも「ほっ」として、今度はさっさと大阪へ引き返すことにしたのです。 本殿前の石段の途中に立てられていた鳥居を潜り抜け、元来た参道を帰ろうとしていると、とっくに(天に)帰ったと思っていた若いカップルにまた出会いました。しかしそれが私には、なんだか最後のお別れの挨拶をするために出てきたように見えたのです。何故かと言うと、そのカップルはトンでもない道も在るか無いかもわからないような細い山道をよじ登るようにして登場したからなのです。 「あれぇ―っ、まだ居たの?なにやってんのこんなに何もないところで…」と尋ねたものの、“あっ、これは若いカップルに尋ねることじゃなかったな…”と内心は“失敗、しっぱい…”と反省したのですが、彼女等の応えは私の下品な想像とはまったく違っていました。 「この下へ行くと凄ぉ〜く立派な大杉があるんです。凄かったですよぉ〜。ぜひ見ておくべきだと思いますヨ」 「えぇ〜…、大杉はさっきから何本も見てきたしなぁ〜…」 「私たちもそう思ったのですが、この立て札が目に入った途端に無性に見たくなって…。ここの大杉は“大杉”という名前の大杉なんですよぉ〜…」 「 大杉という名の大杉なのかぁ〜、、、。そんなに凄いの?」 「はい、もう生きてる間にココへまた来られるかどうかもわからないですからネ。だからこの際ぜひ見ておくべきですよぉ〜。この坂を下るとすぐですから…」 「前田さん、どうしますか?」 「そやなっ、せっかくやから、そんなに見事な大杉なら一遍見ておくかぁ〜」 と前田さんには珍しく、樹を見るためだけに自ら山道を下りだしたのでした。 “ん…、前田さんにも変化が起きている。 「金」でも「女」でも「食べ物」でもないただの1本の「樹」の為に自らの残り少ない体力を使おうとしている…。やはりこの御山のエネルギーは尋常ではないなっ…”と感心するのでした。 その『大杉』は彼女が言うように、イヤっ、それ以上に凄いものでした…。ここ玉置神社には樹齢3000年といわれている大きな杉の大木が5本あるのですが、「神代杉」「夫婦杉」「常立杉」「磐余杉」「大杉」とそれぞれに名前を付けられ、その内の4本は本殿鳥居を入った境内にありました。そしてこの「大杉」は本殿を出た帰り道の山道の、しかも随分と下側にあるのです。 その5本、いずれも負けず劣らず立派な大杉でしたが、とくにこの境内を出たところにある「大杉」はひときわ異彩を放っており、他の4本を凌駕圧倒するほどに立派なのです。 「タマちゃん、、、これは来たかいがあったなぁ…。こんなに大きくて何千年も生きているのに、こんなに若々しいなんて、、、」 「そうですねぇ…。 きっとこの玉置山のエネルギーが凄いんでしょうネ」 「そやなっ、ココは神社もヨカッタけど、俺はこの杉を目にし、実際に手で触れただけでも今日遠路遥々やって来た価値があると思うんや。なんで、こんなに若々しくて、勢いがあるんや…」 「はい、そうでうネ…」この時私はこう思いました。 “きっと前田さんは自分では気付いていないが、前田さん自身も今年で50歳、、、。その自分の加齢による肉体的・精神的な衰えを実は心のどこかで感じているはず…。その衰えに対する悲しさ・淋しさ・侘しさという潜在意識が、老木であるはずの大杉が今もなお元気で若々しいということを自分に置き換えて、自分を励まし、そして俺もまだまだ大丈夫と感激し、共鳴しているのではないだろうか…”と・・・。 (こんなの読んだら、、、きっと前田さんは怒り出しちゃうヨ…。苦笑) きっと境内の4本の杉の大木は本殿に祀られている神を護る「四天王」の役割を担い、境内外の「大杉」は更にその前線を護る為に植えられたものではないのかと…、「ふっ」とそんな気がしたのでした。だから他の4本よりもひときわ立派なのだと、、、。 【いざ大阪へ…】 すっかり暗くなる前に玉置山山道を急いで帰り始めました。 山道の途中でイノシシの子供が道に飛び出してきたらしく、 「あっ、あれっ、イノシシやイノシシ。ウリボウやがな…」と振り返った私の視線はウリボウを捕らえることはできませんでした…。 そう言えば、この山道は来る時にも道のど真ん中に木の長い枝が落ちているように見え、前田さんも車のスピードを落としてユックリと枝を跨いで通り過ぎようとしたら、その長い枝が「くねくね」と急いで逃げ出し、じつは大きな蛇であったことにビックリしたのですが、それを見つけたのも前田さんでした。と、普段は私がそういうのを先に見つけるはずなのですが、今日の私は違っていました。 私はこの『八咫烏』に導かれて足掛け2年に渡った長い長い旅がココで完結したことを心の何処かで感じていました。目的を達成して、その想いが私をしばし放心状態にさせていたのかもしれませんネ…(微笑)。 「タマちゃん、不思議やなぁ〜」 「えっ、なにがですか?」 「この山(玉置山)は人の手が加えられたような建物が1件も見当たらんのや…」 「そう言えば、普通なら民家はなくても山小屋とか炭焼き小屋とか、建設作業のプレハブとかありますもんネ」 「なっ、そやから、ここは実はこの御山がご神体だったんやなっ…。御山自体に結界が張られているんやわ、きっと…」 「そして、この山自体が何千年も前から未だに変わらずエネルギーを発散しつづけているんですネ」 「うん…。そやからあの大杉なんやなっ」 「はい、きっとそうですネ」 と話をしている内に私たちはまた国道168号線に帰ってきました。ここからは奈良県「五条」に向かって、来た時と同じ道を今度は逆走でひたすら走りつづけるだけなのです。国道に出た途端、と言うか玉置山を出た途端に「ザーザー」と音を立てて天から雨が落ちてきました。それはまるで「待ってました」と言わんばかりのタイミングでした。 「タマちゃん、今日の“禊祓い”はもう終わったんと違うんかぁ〜?」 「はい、でもこれはきっと、玉置山のエネルギーを全身に浴びた私たちが外界へそれを持ち帰らない為の “逆禊祓い現象”ではないんでしょうか?」 「ほぉぉぅ〜、、、“逆禊祓い現象”かぁ〜。上手いこと言うなぁ〜」 「はい。私はロマンを求めて旅していますから(微笑)」 「俺はマロンを求めて旅してるからなぁ〜(笑)」 「・・・・・・・。」 十津川の両脇は高い山々が連なっています。折からの雨がその山肌を伝い滝となってアチラコチラから十津川に流れ落ちていました。この地はよほど水はけが良いのか、山の切り立った崖はインスタント滝のオンパレード状態になっていました。いままで何もなかった崖から突然滝が出現し、水が噴出すのですからそれはビックリしますよネ。 途中その光景を車を止めて見物する人もありましたが、先を急ぐ私たちにはそんな余裕も無く、ただただ今日中に前田さんの家に到着することを願って走りつづけるのでした。この時の時間は午後7時ちかくになっていました。往路で通った県道は、この雨と暗さではあまりにも危険ということで国道168号をそのまま走ることになりました。運転技術が抜群の前田さんが危ぶむくらいですから、その県道が如何に困難な道かが想像されることと思います。 「タマちゃん、晩飯どうする?」 「はっ?また前田さんチの近くの暖中(だんちゅう)じゃないんですか?」 「あほっ、なに言うてんねん。今日中に着くかどうかもわからん言うてんのに…」 「いえ、私は到着が夜中になろうと我慢できますけど…」 「俺が我慢できんねん!どうして暖中ばっかり行きたがるんかわからん…」 「だって、ほら、あそこはスタッフが若いお姉ちゃんばかりでしょ」 「やっぱりな…。タマちゃん、この雨はその煩悩への禊祓いとちゃうか?」 「ウソですよ、いやだなぁ〜。ほらっ、私は普段家では毎日自炊でしょ。しかも超健康食・自然食ばかり…。だからたまには油を使ったコッテリとした中華料理が食べたくなるんですヨ」 「ふぅ〜ん、、、。それならその辺で適当に中華屋さんを見つけて入ればえぇやんか」 「私は焼飯と餃子が食べたいんです。ラーメンも少し、、、」 「ほなっ、そういう店をそこらで見つけようか…」 「・・・・・・・・。だんちゅうぅぅ〜」 「暖中はそんな遅い時間まで開いて無いから、あきらめなさいっ!!」 「五条」に着いたのは午後9時を少し過ぎていました。 『天理ラーメン(?)』というチェーン店らしき中華屋さんで、希望どおりの焼飯・餃子・ラーメンを食べました。前田さんも流石に疲れていたのでしょう、、、その店の駐車場に車を入れる時に路肩を乗り越えるように進入してしまい、「ガタン」と車が大きくバウンドしたのでした…。 「前田さん、だいぶお疲れのようですネ…」 「・・・・。俺としたことが…」 しかしいくら助手席だとはいえ私もそうとう疲れていたのでしょうか、その証拠に、テーブルに置かれていたサービス用の「ニンニクおろし」を、気がついたらレンゲに山盛り3杯もラーメンに入れて食べていました。 おいおいタマちゃん、そんなにニンニク入れるんなら、今日のお宿は隣の10畳の部屋に決まりやな」 「えぇ―っ、あんな淋しい部屋にひとりにしないでくださいよぉ〜」 「でもなぁ〜、ニンニク臭いからなぁ〜。きっと…」 「明日の朝までにはエネルギーでなんとかしますから…」 「ふぅ〜む…、それって、どうもエネルギーの無駄使いのように思えるんやけどなぁ〜」 と、なんだかんだと言いながらも、そのニンニク入りラーメンを一気に食べてしまいました。そしてまた、ひたすら大阪の枚方(ひらかた)を目指して走るのです。 「ところで前田さん、何時くらいに到着する予定なんですか?」 「さぁ〜、今日中に着けばメッケもんやな…」 「まだそんなにかかるんですか?」 「あのなぁ〜、奈良の道は夜は混んでるんや。国道24号・25号は特にな…」 「そうですか…」 とは言ったものの、目的を遂げ、朝からの疲れがそろそろピークに達しようとしていた私は、「くぅ―っ」とビールを1杯飲みたくて仕方がなかったのです。 前田さんには珍しく初めて走る道だとか…。さらにカーナビもない車で、しかも混雑しているはずの奈良の国道は途中迷うこともなく、スイスイと十津川の流れのように流されるように気がついたら枚方方面の標識…。 「おかっしいなぁ〜…。この時間の奈良の道をこんなにスムーズに走れるなんて…」 「前田さん、神社参りした後は、これまでもいつもこうだったじゃないですか」 「うん、不思議やけど、ホンマやなぁ〜」 と、ようやく前田邸に到着したのは午後11時でした。途中、暖中の隣のコンビニでビールとつまみを買出しする為に寄りました。 「あっ、閉まってると言ってたくせに暖中がまだ開いてる…」 「ホンマやなぁ〜、でももう遅いでぇ―っ!」 「だまされた…」 前田さんもそうとう疲れているはずなのに、眠気のピークを過ぎたために眠れず、1階の台所で私のビールに付き合ってくれました。 「タマちゃん、今日の玉石神社へあがる山道がきつくてなぁ〜、俺も歳かな…。筋肉が張ってるわ」 「もう十分な歳ですヨ。こんな時は “ストレッチ”をしてから寝た方が良いですヨ」 「えっ、こないに疲れてるのに、タマちゃんはまだそんな元気あるのんか? ほなビデオを用意したるから、さっさと済ませて来てや?俺はココで待ってるさかい…」 「ビデオを用意、さっさと済ませる、ココで待ってるって、、、、?」 「いまから “ひとりエッチ”をする言うたやんか…」 「・・・・・。前田さぁ〜ん、、、どういう耳をしてるんですかぁ〜。私は情けない…」 「あほっ、冗談やがな!俺かて情けないわ…」 この数日間、こんな掛け合い漫才のような会話の連続でした(微笑)。 私がこんなに楽しくエネ研鑚ができるのも、すべてこの良き兄貴分である前田さんがいてくれるからなのです。 前田さんは、「俺はタマちゃんの運転手かいな…」と言いますが、そうでないことは私が一番良く知っています。 この世は、いつも誰かが誰かの道案内なのです。 今回は私が案内される側のような形にみえますが、実はその逆でもあるのです。 私が八咫烏に導かれるように辿った今回の長い旅、それはけっして前田さんに無関係な旅ではなかったはずなのです。 その意味は今はわからないかもしれませんが、前田さんの中にも変化の兆しが現れているのです。 今回の旅は、どうやら『八咫烏』や『リセット』がテーマではなかったようですネ! 八咫烏に導かれて旅をつづけ、数々のリセットが起こり、そして現在は、、、? みなさんはお気づきでしょうか? 私の今回の文中に『逆』という字が何度も登場していたことを、、、。 「天の逆矛」「逆さに突き立てられた剣」「逆側の瀞峡辺り」「元来た道を逆走」「逆禊払い」等々…。 私も意識して書いているつもりはまったくないのです。 読み返して初めて気付いただけなのですが、、、。 これを偶然と済ませることも出来ます。 しかし、この世に偶然は無いと言いつづけている私ですから、何らかの暗示のような気がしているのです。そう考えると、どうやら次のテーマは『逆』ということになりそうですネ。 『逆』は、「ぎゃく」とも「さかさ」とも読めます。 「さかさ」はどちらから呼んでも「さかさ」なのです。 と言うことは、「天」は「地」であり、「地」は「天」でもあるのです。 九州の神社の裏山に逆さに突きたてられた『天逆矛』は、安定の無い島を打ち付けることでその場に留める為に突きたてられたと書かれてありました。 それならば、何故「矛先」が天に向いているのでしょうか? これはその矛が逆さを向いているのではなくて、実はそれを観ている私たちが逆さに転倒しているということを象徴的に教えているのかもしれないのです。 『反転』『逆転』、この辺りが次の旅の「キーワード」となるのかもしれませんネ(微笑)。 今はただなんとなくおぼろげにしか見えていませんが、それはそれなりに、早急には結論つけずに、なすがまま、あるがままに、私はのんびりと次の流れを楽しみに待つことにします…。(微笑) エネルギーに良い悪いは無い。 それを使う側に良い悪いという価値感や手前勝手な判断が存在しているだけなのです。 エネルギーはその使い手の意識の赴くままに、そのとおりに働いているだけなのかもしれません。 こんなにエネルギーを楽しんでいる私たちですから、エネルギーは私たちを決して裏切らない…。 それを信じて、自分を信じて、この道を誰かに導かれ、誰かを導きながら歩いて行くだけなのです。 ありがとうございました。 ― 熊野三山の旅・全三話 終了 − |
LaLast Update : 2003/11/15st Update:2002/4/24