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                   (月刊アビエルト誌7月号、投稿済!)
           超能力レポート・パート36!
                 ― 熊野古道・中辺路を歩く…!! ―  
               ※歩行距離:約17キロ・所要時間:約7時間(二日間合計)

                                        会員番号10686 玉川 芳伸




【あこがれ…!】

「熊野古道を歩きたい…」エネルギーの世界に飛び込み、神社・仏閣等を旅している内に私の脳裏には何時しかその言葉が絶えず浮ぶようになり、それはまるで一種の念願のようになっていました。「何故だろう…?」と、いくら考えても当たり前ですがちっとも分からない…。「そういう時は実行あるのみ!!」私がこれまでの人生をそうして来たように…、そしてこれからの人生もそうして生きていくように…。

【滝尻王子〜近露王子…!】


4月27日(日)
「天気は快晴!!」それどころか、雲一つない日本晴れです。「こりゃぁ〜今日は日焼けしそうだ…」と思いつつバスに乗り込み出発。途中、難波の第2集合地点に立ち寄り、ここでも何名かの参加者を拾って出発です。高速に乗り約1時間、"紀ノ川サービス・エリア"にて15分間のトイレ休憩。その後は、ひたすら本日の熊野古道・中辺路ウォークの出発地点である『滝尻王子』を目指すのでした。

『滝尻王子』の正面に建っている『熊野古道館』に到着したのは10時半過ぎになっていました。『熊野古道館』を見学し、トイレを済ませて、『滝尻王子』を参拝しました。
『滝尻王子』の鳥居を潜り抜けたところは、これまでとは別世界になっていました。エネルギーが鳥居の外と内では全く違うのです。

本殿の後ろに周ってみると、そこには『熊野道』の標識が立てられており、その背後には山頂に向かって、昼なお暗い森の山道が続いているのでした。「これが熊野古道か…。これを登っていくんだな…」と意気込んでいたのですが、実はまたバスに乗り約10分。二番目の目的地である『古道の里』と呼ばれている場所へ向かうのでした。

参加者のみなさんは『熊野古道館』でスタンプ・ラリー用の帳面を貰っていましたが、一番最後にトイレに行った私はそんな物があることすら知らず、それに気がついたのはバスが既に出発した後でした…。

"そう言えばみんな、滝尻王子でスタンプみたいなものを押してたような…"。

バスの中でJTBスタッフの女性が、
「今回の熊野古道・中辺路ウォークはレベル2なので相当キツイですが、みなさんガンバッテくださいネ。とにかく最初からイキナリ30分間の急な登りが続きます。これさえ乗り切れば、後は少し楽になりますから…。このコースを制覇できたら、たいていのウォーキングコースは歩けますから…」
と説明をしていた。

どうやら"JTB旅物語"のウォーキングコースはレベル分けがあるらしく、「レベル1」が初心者向けコースで、「レベル2」は少々キツメのコース。そして「レベル3」は登山等の本格的なコースに分けられているらしい。
"そんなこと知らなかった…"。

その女性スタッフの言う通り、その30分続く登り坂は大変キツク、しかも地面は石ころだらけでした。その為に歩くのに自信がない人たちを先頭に、自信のある人を最後尾にして登り始めたのです。しかしそれでも途中の急勾配辺りで、年配の女性数名がついて来れなくなっていました。

「前を歩いている人を追い越さないでくださいネ」
と最初に注意を受けていたのですが、何度も立ち止まり休憩を取る人もいる為に全員のペースが乱れ、仕方なく追い抜いてしまう…。そんな状態が続いていました。

そして先頭が登りきった頃には、遥か後ろを送れて来る人たちとの間に長い列が出来ていました。これを昔の人は『蟻の熊野詣』と呼んでいたのでしょうネ。それでもなんとか全員登りきり『高原熊野神社』に到着です。ここでやっと昼食です。

「さぁ〜、みなさん! ここからが熊野古道ウォーキングの出発になります。これからが本格的な熊野古道の始まりですので、くれぐれも前の人を追い越さないようについて来てくださぁ〜い!!」
「…。そ、それじゃぁ〜、さっきのキツイ山道はなんだったんだ…? 足慣らしか…?」

その予感はまさに的中でした…。ここから延々と続く登り坂、それはまさに地獄の行進と呼んでも過言ではなく、ただ黙々と登り続けるだけの時間が続いていくのです。
しかも昨夜までの雨のせいで足元がぬかるんでいる場所も多くありました。

1時間後、約1.9キロ山道を歩いて、やっと次の目的地『大門王子』に到着です。しかしここは、それまでの『滝尻王子』『高原熊野王子』とは違い、神社でもなくただの目印らしき小さな"お社が建てられているだけでした。大門王子で10分休憩。その間にみんな並んでスタンプを押していました。

ここからは、もうただ「登って」「登って」「登りきる」。そうすれば「いつかは終わる…」。それのみを期待して、ただただ足元の悪い山道を登り続けるだけでした。
そして40分後、約1.5キロを登り続けて、やっと次の『十丈王子』に到着です。ここでまた10分休憩。まだまだ続く登り道。次の『大坂本王子』までは約1時間35分、距離にして約4.3キロもあるのです。

その『大坂本王子』までの山道を半ば過ぎた辺りから、今度は下り坂が始まります。ここまで3時間近く熊野古道を登りつづけていた私たちにとっては、どれほどその瞬間を待ち望んだことでしょうか。ここから下り坂が始まるというだけで気持ちが明るくなるのでした。
「がっ!!」
それは大きな大きな間違いでした。

「登り」と「下り」、どちらが肉体への負担が大きいか?そんなことは元運動のプロ、エアロビのインストラクターであった私には分かり切っていることでした。そんな常識すらも忘れさせるほど、この登りの地獄の行進はきつかったのです。
しかし、私はまだまだ"アマちゃん"でした。ここからは、今度は逆に「下って」「下って」「ただただ降りつづける」という地獄が始まるのです。

そりゃぁ〜、ついさっきまでただただ「登り」続けた訳ですから、今度はただただ「降り」続けるしかないことは常識で考えても分かりそうなもんでしたが…。
延々と降りつづける山道。もう景色を観る余裕もなく、地面に踏み降ろす足も、自分の体重の負荷まで加わっている訳ですからその負担は半端なものではありませんでした。

つま先・足の裏・かかと・足首・アキレス腱・ふくらはぎ・膝・大腿ニ頭筋・股関節・仙腸関節・腰椎と、下から上へと徐々に痛さが登っていき、次々と肉体が疲労感に侵食されていくのがわかるのです。
歩いている道は「下り」でも、肉体の痛みと疲労は逆に「上って」来るという、この相反する不思議な世界。そんな"生き地獄"のような下り坂を歩くこと約50分。やっと『大坂本王子』に到着しました。

しかし、ウォークの時間が予定をだいぶオーバーしていた為にたいした休憩も取れず、また次なる目的地を目指してデコボコと歩き難い下り坂を歩き始めるのです。

山道を降りきったところで、いきなり視界が開け、舗装された県道へと出てきました。そして道の駅『牛馬童子口』で、やっと少し長めの休憩を取ることになったのでした。
私といえば、出発直前に購入したウォーキング・シューズを履いて来た為に、両足の小指の先が"くつずれ"し、真っ赤に腫れ上がっていました…。

熊野古道・中辺路の要所、要所にあった「○○王子」とは、どうやら昔の"休憩所"のような所らしく、別に神社やお社があるというものではないようでした。そして「王子」とは、この道の駅『牛馬童子口』という名前にあるように、「童子」=「王子」らしいと説明を受けました。この「○○王子」という場所は、熊野参詣道全行程で九十九カ所もある為『九十九王子』と呼ばれているそうです。

30分の休憩の後、また山道を登り始め、比較的近くにあった『牛馬童子』へと向かいました。そして遂に最終目的地である『近露王子』へと、約1.5キロの山道を降り続けるのです。

『近露王子』の石碑を参拝し、その近くにある『熊野古道中辺路美術館』の駐車場の停めてあったバスに乗り込み、やっと"地獄の行進"が終わりました。そしてみな、バスの中では死んだように眠りこけながら帰路についたのでした。

「あぁ〜…、まだ熊野古道中辺路は後半が残っているんだ…」と溜め息をつく暇もなく、私は次なるウォークの旅である5月4日の『四国霊場八十八ヶ所巡り』歩き遍路の旅に突入していくのでした…。

【発心門王子〜熊野本宮大社…!】

5月9日(金)
天気予報では「曇りのち晴れ」となっていたのですが、空は未だどんよりとした雲で覆われていました。

早朝、梅田バス・ステーションで待っているバスに飛び乗り、車中を一通り見回しましたが、どうやら前回同様の顔ぶれは一人も参加していないようでした。
JTBの女性スタッフも代わっていました。しかし予定だけは前回同様7時10分に出発し、同じように要所でトイレ休憩を取りながら、本日の最初の目的地である『発心門王子』を目指すのかと思っていると、最終地である『熊野本宮大社』へ向かうと言うのです…。

JTBスタッフの説明では、どうやら今回のウォークには"語り部"が付いているらしく、『熊野本宮大社』でその"語り部さん"を拾ってから『発心門王子』に引き返すと言うのです。

今回は車中も前回のような緊張感が無いし…。JTBスタッフも、なんとなくのんびり構えているし…。
"こりゃぁ〜、今回は楽かも…"。
「まさにその通り!!」でした。

今回は程よい運動量で、距離は約7キロ、時間は確かに3時間と、前回とたいして変わらないのですが…。山道と言っても今回は、前回のように険しいアップ・ダウンもほとんど無く、咲き乱れる花々や生い茂る樹木の森林浴を楽しみ、そして山から見下ろす絶景をゆっくり鑑賞し、美味しい空気を腹いっぱい吸い込んで、本当に気持ち良く歩くことができました。今回は息が乱れることも無かったし、まぁ、散歩に毛が生えた程度のものでした。これはこれでいいもんです。(笑)

"語り部さん"を乗せたバスは再び『発心門王子』に引き返し、我々を下ろした頃は11時を少し回ろうとしていました。前回のウォークならば、既に「ぜーぜー」と息を切らしながら上り坂を30分で一気に上り始めている頃です。

バスから降ろされた『発心門王子』は生い茂る木立から少し県道に出た所にありました。エネルギーも柔らかく、周りも静かでとても気持ちの良い場所でした。ここは『滝尻王子』等と並ぶ"五体王子"のひとつだそうです。ここからは舗装された道路を約1.8キロ、40分かけて下っていきます。

「ねっ!」
のんびりしてるでしょ(笑)。

道端に咲く花を眺めながら、ときおり"語り部さん"の説明を受けながら、けっこうゆっくり歩きます。そして、昔の小学校分校の敷地であった広場の片隅にあるのが『水呑王子』。その名前の通りに、昔は水呑み場として実際に使われていたそうです。ここで、早くも1時間休憩を取り、その間を利用して昼食を済ませます。『水呑王子』から約2キロ、アスファルトの道を50分歩いて『伏拝王子』に到着です。

長い熊野参詣の道のりで、初めて『熊野本宮大社』が遠望できる場所です。ここから大社の神殿を伏し拝んだと言い伝えられることから、この名がついたとされています。

しばらく進むとアスファルトの道からまた森の中の道へと変わるのですが、どうやらこの『発心門王子』から『伏拝王子』までの道のりは、なんでもNHKドラマ『ほんまもん』のロケ地であったらしく、到る所に「NHK朝ドラ『ほんまもん』の○○小屋」とか、「ほんまもん○○の家」と言う看板が立てられていました。

つり橋を渡ると、高野山からつづく『小辺路』とぶつかる交差点がありました。
「そうです!!」お察しの通りに熊野古道とはいろいろなルートがあり、そのひとつがこの『中辺路』であり、『小辺路』があるということは、当然『大辺路』もあるのです。

森の中からの道が終り、団地が目の目に現れだし、道がいつしかアスファルトに変わると間もなく、本宮大社に詣でる前に旅のほこりを払ったところと伝えられている『祓戸王子』があります。

『伏拝王子』から約3.2キロ、75分歩いたところが本日の最終目的地、熊野三山の一つ『熊野本宮大社』でした。さすがに「本宮大社」と呼ばれているだけのことはあり、半端なエネルギーではなく、その強さと心地良さに魅了されるようでした。

今回の『熊野古道・中辺路ウォーク』の旅はこれで終わりました。
この『熊野本宮大社』までの道のりを実際に歩いてみて、場所、場所で激しく変わるエネルギーを実感し、ここに至るまでの道のりの険しさと迫力に終始圧倒されました。
この険しさがあってこその『熊野古道』なのかもしれません。

そして、これを体験することにも『熊野詣』の一つの意味があるのかもしれません…。
「何故、私はあんなに熊野古道を歩きたかったのだろう…?」
"平安中期から江戸時代にかけての長い間、人々の間では、「伊勢へ七度、熊野へ三度…」と、うたわれるほどの念願の地であり、それ故に栄えた場所である"と書かれた紙が社務所の壁に貼られていました。

しかし、私にはその答えは見つかりませんでした。それもそのはず、『熊野三山』と呼ばれているように、まだ『熊野速玉大社』と『熊野那智大社』を残しています。いずれそれら二社もたずねる時が来るのかもしれません。


その時こそ、その意味がわかるのかもしれない…。
それとも、やはりわからずに終わるのかもしれません。
いずれにしても、人生はわからないことだらけです。
それら全てを知ることが幸せなのでしょうか…?
わからない方が幸せということもきっと沢山あるのでしょう。
ひとつわかったつもりでも、もう次のわからないことが待っている…。
わからないから、またそれを追い駆ける…。
知りたいから、道を求めて歩き続ける…。
私はずっとそういう人生を、ただひたすらに歩きたいだけなのかもしれません。

「さぁっ、つぎの道を探しに行かなくっちゃね…(笑)」

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以上、HP用のオリジナルでは写真等の挿入もあり18Pになったものを、アビエルト用に改行・句読点・行間等を大幅省略・削除等をし、本題・小題を抜いた本文中の文字・記号数に限定した合計で5,038字になりました。
しかし、これ以上は短く出来ませんでした…。




                            − おわり −









‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐



(アビエルト7月号投稿済み!)
超能力レポート・パート40!

― 熊野三山エネ研鑚…!! ―

会員番号10686 玉川 芳伸




この話は、アビエルト2003・7月号に掲載された体験談『熊野古道中辺路を歩く』の続編です。しかし去年の旅の日付を見ると4月27日になっていますから、ちょうど1年ぶりの『熊野古道』だったのですネ…。

本当ならば、去年の内にとっくに周り終わっていたはずの旅だったのです。しかし「熊野本宮大社」「熊野那智大社」「熊野早玉大社」、合わせて『熊野三山』と呼ばれている古代の神秘が息づく聖域を周るのに結局1年かかってしまいました。

とにかく今回の旅も不思議な出来事がいろいろ起こりました。できるだけ事実に忠実に書こうと思っていますので、どうかこのエネルギーに関わる楽しさをみなさまにも満喫して頂ければ幸いです。

2004・5・2日(日)




【八咫烏(やたがらす)に導かれて…】

今年の2月末頃の「四国新聞」の広告欄をなにげなく見ていると、大きく『熊野古道(かたりべと歩く「中辺路」)』と書かれてある広告に目が釘付けになってしまったのです。

しかし去年歩いた熊野古道中辺路(滝尻王子〜熊野本宮大社)はあまりにも険しく苦しいもので、しかもその時は『四国霊場八十八ヶ所歩き遍路』も同時進行という無謀なことをおこなっていましたので、その後随分と長い期間腰痛に悩まされ、「もう歩く旅はこりごり…」と思っていたはずだったのですが…。

広告を読むと、『熊野三山』全行程を3回に分けて歩くようになっていました。
そして前回の「本宮大社」までのコースが、ちょうどこのツアーでも第1回目になっていました。
と言うことは、私は第2回目・3回目だけを歩けば良いことになります。「ラッキー!(微笑)」と何も考えず、そして去年後半のほとんどの時間を腰痛回復の為に費やしたことさえすっかり忘れて、即旅行者に電話してパンフレットを請求したのでした。(やれやれ…。苦笑)


4月28日(水)午後10時半に高松駅14番バス停に集合しました。
既にバスには数名のツアー参加者が乗り込んでいました。少し遅れた私は決められた後ろから4番目の座席へ移動し、まさに座ろうとした時、「あれっ、玉川さん!なんでまたぁ〜…?」と私に話し掛けてくる声が聞こえました。

「えっ?」と後ろを振り返ると、そこには「四国遍路旅」を企画した旅行社の社長が、トレッキングウェァ―に身を包んで腰掛けていました。
「あれっ、お久しぶりですぅ〜。私もまた熊野古道を歩きたくて…」「腰はもう良いんですか?しかしよくアチコチでお会いしますなぁ〜」「はい、そうですねぇ〜(微笑)。よろしくお願いしまぁ〜す」と言い終えて席に着いたのでした。

この後、旅を終えて帰るバスの中でようやくこのツアーがどうやら去年の「四国遍路旅」を企画した旅行社と同じであったことに気が付くのでした…。それほどその時の私はこれから始まる熊野古道を再び歩ける喜びに、と言うよりも念願の『熊野那智大社』参拝に心「ウキウキ」としていたのでしょうネ(微笑)。

今回は「熊野本宮大社」から「熊野那智大社」までを歩きます。そして来月が「那智大社」から「早玉大社」までを歩く予定になっていました。


参加者は男性10名、女性が14名の総勢24名でした。
ツアーのパンフレットでは「全コース35名(最少催行人員25名)」となっておりましたので、どうやら1名少ないけれどツアーは成立したようですネ。
周りの席は私よりもかなり年長の男女が腰掛けており、そのいでたちも「ぴしっ」ときまっており、浅黒く日焼けした顔つきから如何にも健脚揃いと推察されるのでした。
どうやら私が一番若いようです…。

それにどう見てもその辺へ「ピクニック」に行くようにお気軽な格好で参加したのは私だけのようでした…(苦笑)。


今宵は、「スーパーシート」が売り物の「超豪華バス」で車中一泊です。
慣れないバスでの宿泊で、私はなかなか眠りにつくことが出来ませんでした。
途中トイレ休憩を2、3箇所ほど取り、翌4月29日の午前3時過ぎにコンビニで朝食と昼食を各々で買うことになっていました。
そして午前5時過ぎにやっと『道の駅、熊野古道』に到着しました。


運良くここで日の出を拝むことが出来ました。
「がっ…」拍手を打って拝んでいるのは私ひとりだけだったようです…(悲)。

道の駅で着替えや洗面・朝食・ストレッチ等を済ませ、最初の目的地である『熊野本宮大社』へとバスは走り続けるのでした。


【かたりべに導かれて…】

午前7時にバスは『熊野本宮大社』に到着しました。
約1年ぶりに訪れた本宮は、去年とは違いかなり強いエネルギーに満ち満ちていました。
鳥居を潜り、158段の石段を上がり、『神門』を越えた瞬間からエネルギーのシャワーを天から浴びせかけられているようなのです。

それはまるでこれから歩く「熊野古道(中辺路)」の為の「禊祓い」のようでした。
『神門』を抜けると桧皮葺き(ひわだぶき)の社殿が3棟並んでいました。
向かって左側の社殿が一番堂々としているのですが、実はその右側(神門の正面)が『証誠殿(しょうじょうでん)』と呼ばれる御本殿で、ここには主神である『家津御子大神(けつみこのおおかみ)』が祀られています。


まず御本殿を参拝し、左側にある立派な『相殿』を参拝していると何故だかそこに祀られている『早玉大社』さんから私の首の筋肉(胸鎖乳突筋)にエネルギーが「ビビっ」と来ているのを感じるのです。

「あれ…?今回のメインは那智大社のはずなのに、どうして早玉さんから…?」
と不思議に思いましたが、しかし当然その意味がわかるはずもなく、そのまま次々と参拝を終えてみんなが既に集合している鳥居の正面に大急ぎで駆けていきました。

そしてこの時に感じた『早玉大社』さんからのエネルギーの意味は、後になってわかるのですが、この時には当然ながら気付きもしませんでした…。
もともとが「歩き」がメインのツアーですから神社に興味がない方はどうして私がいちいち丁寧に祝詞を唱えながら参拝しているのか不思議でならないようでしたが、まっ、私はこちらがメインですから…(微笑)。
鳥居前で本日の「かたりべさん」と落ち合い、いよいよ出発です。


本宮大社の旧社地である「大斎原(おおゆのはら)」に立てられている『大鳥居』は平成12年に造営され、高さが約34mと、8階建てのビルに相当する高さだそうです。
しかしこれでも日本で2番目に高い鳥居だそうで、日本1高い鳥居は奈良の『大神神社(おおみわじんじゃ)』さんの大鳥居だと「かたりべさん」に教えてもらいました。

「あぁ〜、今月行ったばかりだ…。これもシンクロかな…」
と、その大きな鳥居にさえも親近感を感じるのでした。


「うぅ〜ん、、、見事っ!!」
まずは、その見事な大鳥居の下を、空を見上げるようにして通り抜け、『湯峯王子(ゆのみねおおじ)』までの2kmを歩きます。
そこから『請川(うけがわ)』までが4km、ここまでに2時間かかっていました。

ここから先は本格的な山道になります。
この山道こそが、本日のメインである『小雲取越(こくもとりこえ)』と呼ばれている古道で、私たちはその難所へと分け入るのでした。最初は周りの景色を眺めたり、お喋りをしながら歩いていたのですが、その内徐々に道が険しくなってきました。

そんな険しい山道を2時間近く歩き続けた頃には私たちの目は、山道を踏みしめる足先に集中し、杖をたよりに、口も堅く結んで、ただただ黙々と歩くだけになっていました。
『請川』から妙法山のてっぺんまでの430mを一気に上がり、少し平坦に開けた空き地を見つけて昼食を取ることになりました。


どうやら健脚の方々が先頭を競うように歩いた為か、予定の時間を1時間あまりも早く歩いているようで、「このペースで歩きつづけたら2時間近くも早く歩き終えるかもしれない…」と、みなが口々に話すのが私の耳に聞こえてきました。
「今日の予定が2時間も短縮されるのか…」と思った瞬間わたしの頭の中に「ひらめき」のような電流が走るのを感じたのでした。

「ん…。このひらめきは何を…?」


コンビニで買った弁当やおにぎりで昼食を済ませ、少しだけ休憩を取った後、次の目的地である『石堂茶屋跡』『桜茶屋跡』を目指し、山頂に連なる分水嶺のようになった道を3kmも歩くのでした。
登りの大変なところが終わったせいか気持ちも少し軽くなり、歩きながらも時々は周りの景色を楽しむことも出来ました。

『桜茶屋跡』で最後の休憩を取り、ここからはいよいよ下りです。
『桜茶屋跡』から『小和瀬』までつづく下りの道は、案の定、腰・膝・足首に相当堪えました。あんなにハイペースで歩きつづけた前半に比べると、後半はスローダウンしたせいか、1時間あった時間の余裕も最終目的地である『小口自然の家』に着いた頃には予定通りの時間になっていました…。


【直感に導かれて…】

実は、予定より早く到着するのなら私だけホテルからタクシーに乗り、来月参拝予定の『早玉大社』さんを周って来ようかと考えていたのです。

それなら来月にまたわざわざ旅費を払ってツアーに参加する必要もないし、周りたい神社をゆっくりと参拝することが出来るし…と、それが私の「ひらめき」だったのです。

「がっ、、、」ダメでした。

やはり「神参りは欲張っちゃダメ」と言うことなのかもしれませんネ…(苦笑)。
と、あきらめたつもりだったのですが、一旦ひらめいた考えをなかなか頭から追い出すことが出来ないのです。


「私の本来の目的はなんだったのか…」そんなことを考えていると、今回の『熊野古道』を、しかも二日続けて歩くという行為自体がなんだかばかばかしいことに思えてきて…。

「ダメだ、ダメ…。そんなことを考えてちゃ、明日からの歩きに支障があるかもしれないから、早くあきらめなくちゃ…」と、その考えを頭から払拭しようと努めました。
しかし、この後すぐに私のその気持ちをあざ笑うかのように、まるで私の「ひらめき」を後押しするかのような出来事に遭遇するのでした。


本日の宿、大露天風呂のある『わたらせ温泉ホテルやまゆり』に向かうバスの中で、斜め前に座っているご婦人たちが「明日はキャンセルしてのんびりするわ」と話している声が聞こえてきました。

そしてそのご婦人たちから「あなた神社に興味があるのなら…」と、『サライ』という雑誌を見せて貰ったのです。
実はこのことが私にとっては大きな変化の切っ掛けになったのでした。
そしてこれまでの私には考えられないような、大きな決断をすることになったのです。


その『サライ8』には、「熊野古道の社寺を歩く」という特集記事が掲載されていました。そこには『熊野三山』の紹介だけではなく、『飛瀧(ひろう)神社』、『青岸渡寺(せいがんとじ)』『補陀洛山寺(ふだらくじ)』『玉置(たまき)神社』等も紹介されていたのです。そして熊野三山発祥の地である『神倉神社』の写真を観た瞬間に、

「あっ、ここに行かなくちゃ…」
という感情が心の底から湧きあがって来るのを感じるのでした。


その写真には神倉神社と一緒に大きな『ゴトビキ岩』と呼ばれる、大岩に注連縄が巻かれた御神体の写真が載っていました。
紹介文にはこの神社こそが熊野三山の神々が最初に降り立った地であると書かれてありました。
そして「ゴトビキ」とは「ひき蛙」のことであると書かれてあったのです。
「蛙」と言えば、以前わたしは遠隔調整の時に「蛙」を使っていた時期があったのです。
それは私の「相棒」と言うか、「守り神」と言うか、「式神」と言うか、とにかく近しい存在であったことを思い出しました。

「あぁ〜蛙かぁ〜、懐かしいなぁ〜。昔は遠トリの時によく使っていたのに、最近すっかり忘れてたなぁ〜。これは呼ばれてるのかなっ…?」
と一人で納得するのでした(微笑)。

しかし、何度も書きますが、これは「歩き」がメインのツアーです。たとえ来月のツアーに参加したとしても、そのようなコースから外れた予定外の場所には寄ってくれそうにもありません。
「このままでは『神倉神社』も『飛瀧神社』も参拝できそうにないな…」と、いつもの私ならすんなりと諦めるところなのです。
しかし、今回の私は違っていたのです…。


今までの私の性格ならば、きっと最後まで歩き通すことが当たり前で、そういう苦労があってこその『熊野古道歩き旅』だと考えたに違いないのです。
これまでの私の生き方は、そういう努力を惜しまず、たゆまず、こつこつと続けることが好きだったのです。
そして、苦労の末に手に入れたものにこそ本当の価値があるのだと信じていたのです。それが「正しいこと」、「美しいこと」だと思っていたのです。
しかしこの時、今までの私とは違う、もう一人の私の声が聞こえてきたのでした。


「本当にそれでいいのかい?もう十分歩いたんじゃないの…?本来の目的が手を伸ばせば届くところにあるのに、どうしてまだ不必要な努力を続けようとしているの…?それはただ単に“やりとげた”という「自己満足」に酔いたいだけなんじゃないの…?もういいんだよ、回り道はこれまで十分にやってきたんだから…。

散々道に迷い、つまずき転んで穴にも落ち込み、怪我も随分してきたじゃないか…。
もうそろそろ近道を歩いてもいいんだよ…。
歩くのが嫌なら、いっそ飛んで行ってもいいんだよ…。
それだけのことをやってきたんだから…」と・・・。


そんな声が私の頭と心に語りかけているような気がしたのです…。

ホテルにチェックインし、ご自慢の大露天風呂に浸かり、夕食も済ませましたがずっとその声が私の心に語りかけているのです。
時間が早いせいもあって私はなかなか寝付けませんでした。
しかし同室の60歳後半の男性二人は今日の疲れからか、とっくにイビキをかきながら寝ている為に明かりをつけることも煙草を一服することも出来なくて…(「おぉ―い、もしもしぃ〜、まだ8時だぞぉ〜」淋…)

しかたなく近くにある新館『ホテルささゆり』の風呂に入ろうと、わたらせ川に架けられた釣り橋を一人でとぼとぼと渡って行くことにしました。

新館の風呂は内風呂でしたが、人っ子ひとりいなくて…。
気がつくと私は湯船に浸かりながら、最近『遠トリ』の時にいつもかけている “平原綾香”の「ジュピター」を大声で唄っていました。


♪ 私のこの両手で 何ができるの?
    痛みに触れさせて そっと目を閉じて
      夢を失うよりも 悲しいことは
       自分を信じてあげられないこと

   愛を学ぶために 孤独があるなら
    意味のないことなど 起こりはしない
     心の静寂(しじま)に 耳を澄まして ♪

「そうだっ! 自分の直感を信じよう…」
と、単純な私は、自分の内なる声に従うことに決めたのでした(微笑)。


【熊野の神に導かれて…】

一旦決めたら私は行動が早いのです(微笑)。
さっそく朝食の時に雑誌をお借りした二人のご夫人に、私も今日の歩きをキャンセルすることを告げました。

すると一人のご夫人が、

「それなら私お願いがあるの。熊野本宮大社で実は買いたい物があるんだけど、みなさんを古道の入り口で降ろした後、バスは那智大社へ直行して、みなさんの帰りを3〜4時間も待つだけでしょ…。それならなんとかもう一度『本宮』へ連れてって貰えないか交渉してくれないかしら…?」

「はっ、私がですか…?」

「そう!あなたがっ!」

「は、はい、わかりました。やってみます」と…。


「OK!でした…(微笑)。ところで何を買いたいんですか?」

「ほらこの雑誌にも載ってる本宮大社の鬼門札…」

「あっ、それ、私も見た時に、いいなぁ〜って思いましたヨ」

「でしょうぅ〜。これをお土産に買って帰りたいの…」

「あっそうだ!私もそれをお土産に買おうかな…」

「そうしましょう、そうしましょう…」

と、もう心は既に『熊野本宮大社』の社務所前に飛んで行ってしまっているのでした(微笑)。


熊野古道『大雲取越(おおくもとりこえ)ルート』の入り口で8時に、「なんで一番わかくて元気なあんたがキャンセルするのぉ〜、、、」と口々に脱落する私を非難するみなさんと一旦お別れして(いえいえ、みなさんの方がわたしなんかより数倍げんきです…)、バスは再び「本宮」を目指すのでした。

その車中で再び『サライ』をお借りして『鬼門札』の写真と記事を見ると、そこにはこのように書かれてありました。

『鬼門札。丑寅(東北)の鬼門を守護するお札。鬼の字の角(点)がないところから『神門札』とも呼ばれており、家の東北に祀り、厄除け・招福を祈願する』

「鬼の角が無くて神だから神門札かぁ〜。これお土産にイイな…」 
実は私のホームページもついにご訪問10万回を迎えようとしていたのです。
そしてどう考えても、この熊野から帰ったあたりがその時らしいのです。
「これをみなさんへのお土産にしちゃおう〜…」
と、自分の分も含めて10枚買い求めたのでした。


これで昨日・今日と2回目の『熊野本宮大社』さんです。
しかし、昨日とはエネルギーがまったく違っていました。
昨日ほどの強さもなければエネルギーのシャワーも感じられないのです…。
気がつくと今はゴールデン・ウィークの真っ只中、昨日は早朝ということもあって参拝者もまばらだったのですが、今日は大勢の参拝者が観光バスで押し寄せていたのです。

“神さんもこんなに大勢で騒がしくやって来られちゃ、疲れるわなぁ〜…”
と今日のエネ研鑚はあきらめることにしました。


本宮大社で1時間ほど過ごし、いよいよ『熊野那智大社』へとバスは走って行くのでした。

本宮から1時間半ほどで那智大社に到着しました。
ここからは、この『サライ』の本が必要になってくるのですが、何故か朝からずっと「きっとこの本は私の物になるなっ…」という予感がしていたのです。
だから「貸してください」とも、「ちょうだい」「売ってください」とも口にはしなかったのですが、私の想像どおりに「よかったらあげる…」と、、、。


やっぱり私の物になりました(微笑)。

バスから降りてお二人と別れて、私はひとり那智大社へとつづく石段を登って行くのですがエネルギーをあまり感じないのです。
これは本宮大社でも、那智大社からのエネルギーが来ないことが気になっていましたので、「なんでだろう〜?」と不思議でなりませんでした…。
長い石段を登り詰めたところに「那智権現」と書かれた鳥居が立ちはだかるように建てられていました。

「ふぅ〜む、なんだかやけにケバケバしいなぁ〜…」

と言うのが正直な第一印象でした。
境内に入ってもほとんどエネルギーを感じません。写真等で有名な「那智の滝」と「三重の塔」が見られる絶景の場所に立っても、私はあまり感激しないのです。


「これで私の龍神の旅も終わったのかな…?」

時間にあまり余裕が無い為に、そんな残念な思いを残しながらも那智大社を早々に後にすることにしたのでした。


【ゴトビキ岩に導かれて…】

タクシー会社に電話をかけ、今から「神倉神社」と「早玉大社」を周って3時までに「那智大社」に戻って来られることを確認し、そして幾らで走って貰えるかを交渉しました。

「1万円で交渉成立!!」

早速今度は元来た道を引き戻して、「新宮市」にある「神倉神社」「早玉大社」を目指すのでした。
広い県道からはずれ、狭いくねくねとした住宅街の細い道を抜けた突き当たりに朱塗りの小さい鳥居が立っていました。こんな以外なところに「神倉神社」は鎮座しているのでした。

「これは期待はずれかもしれない…」と、その時は正直にそう思いました。

しかし、鳥居を潜った時に感じたあまりにも強いエネルギーが私の愚かな考えを吹き飛ばしてしまうのです。


狭い用水路のような川にかけられた橋を渡ったところにその小さな鳥居はありました。
そして正面には小さなお社が祀られていました。
そのご祭神はたしか「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」と「手力男之命(たぢからおのみこと)」と書かれてあったような…(この辺は記憶が定かではありません…)。
お社を左手に進むと、「えっ、こんなところに…」と思うほど大きくて真っ赤な鳥居がありました。

鳥居から中を覗き込むと、背の高い木立に囲まれて昼尚暗い空間に、自然石で造られた如何にも険しそうな石段が延々と空まで続き、そこから先の様子は伺い知ることもできないのです。
それは両手を石段に添えないと上がれないくらいにキツイ傾斜でした。

「あぁ…、ここは参拝する前から既に土下座をさせられている…。まるでチベットの五体投地(チベット仏教の信者たちが、寺院まで通う道のりを全身を地面に投げ伏すようにして祈りながら参拝するさま)のようだな…。これはイイかも、うふっ…(笑)」
と、心がついウキウキとしてくるのでした(微笑)。

そんな険しい500数段もある石段を少し登った辺りで、上から奇妙な白い生き物が降りてくるように見えるのです。
「ん…?あれはなんだ…?どうやら哺乳類らしいが猿にしては大きいし…、ヒヒか?」と、立ち止まって眺めていると、その奇妙な生き物は徐々に近づき、ついにその全貌を現しました。
それはなんと、小柄な80歳くらいのおじいちゃんでした(微笑)。
白いシャツを着て、白い杖を片手に、しかも四つん這いになりながら降りてくるそのさまは、周りが薄暗いことも手伝ってか私には到底人間には見えなかったのです。


「こんにちは。大丈夫ですか?降りられますか?」

「あぁ〜ん?大丈夫、大丈夫。ここはキツイからなっ、あんたも気ぃつけてなっ…」

「はい。おじいさんも気をつけて…」

「あい、、、」

と、挨拶を交わしながらすれ違うのでした。


半分くらい登ったところで少し平地がありました。
そこには小さなお社があり、「火神社」と書かれてありました。

そう言えば熊野はどうやら「火」と深い関係があるようなのです。
那智の滝のすぐ傍にある三重の塔で有名な「青岸渡寺(せいがんとじ)」には「火生三昧跡(かじょうざんまいあと)」と呼ばれる石で囲まれた一角があります。
そこは生きながらに身を焼き、衆生の救済を願いながら浄土へ成仏する「行」がおこなわれたと言い伝えられています。
そして熊野は「火の祭り」も多いようなのです。
この「神倉神社」にも「御灯(おとう)祭り」があり、「那智大社」にも有名な「那智の火祭り」があります。


熊野の土地は昔から「黄泉の国である」とか「死者の国である」とかよく言われており、この熊野の「死の国」へ一度行って、そこから帰ってくれば再び蘇る…。
つまり再生を意味する場所がどうやら熊野という土地だったようなのです。
これではまるっきり「リセット」の為の土地ではありませんか…。

「私は前回の伊勢神宮参拝に引き続き、こんなにリセットばかりされてちゃぁ〜、その内グルっと一回りしてまた元にもどっちゃうのでは…」
と少し不安になってくるのでした…(苦笑)。

「死の国」であるだけに、この深い闇を照らす「火祭り」が盛んなのかもしれませんネ。
とにかく熊野と「火」は昔から深い関係にあるようでした。


火神社を過ぎると石段はその傾斜を少し緩やかにし、まるで「禊払い」を終えた者を喜んで神の世界へと導き入れてくれるようでした。
石段を上がりきったところの右側に手水があり、そこで手を清め、口をすすぎます。
そして右手側に続く山並みの先には数個の巨岩が姿を見せていました。

近づくとその大きさに圧倒され、畏敬の念さえ沸いてくるのでした。
エネルギーも半端じゃありません…。
先頭の巨岩には大きな注連縄が張られ、その下にまるでオマケのようにチョコンっと「神倉神社」は建てられていました。
ここはこのご神体である「ゴトビキ岩」こそがすべてなのですネ。


『日本書紀』の「神武天皇東征」のくだりには、南九州から大和への東征を始めた神日本磐余彦(かむやまといわれひこ。神武天皇のことです)は大阪からの上陸をあきらめ、船で紀伊半島を南下して「熊野の神邑(みわのむら)」に到着し、「天磐盾(あまのいわだて)」に登ったと記されています。

ここでこの地の勢力者である高倉下(たかくらじ)の協力を得て上陸に成功し、やがてここから山を越えて大和へと向かうのですが…。その「天磐盾」が神倉神社のゴトビキ岩のことらしいのです。

とにかくその大きさといい、威風堂々とした姿といい、「おみごと」としか言いようがありません。まるでこの岩から太古の風が吹いて来るようで、「ふぅ〜む…」と、訳もわからずに唸る私でした。しかし巨岩はこの「ゴトビキ岩」だけではなく、そこには数個の巨岩が集まっているのです。

私はそれらを直にこの手で触ってみたくなって、柵を越えて巨岩の傍まで近づいてみました。するとエネルギーも然ることながら、隣の巨岩とゴトビキ岩の間には人が7〜8人ほど入れるような空間があり、白くて丸い石を敷き詰め、岩と岩の間には注連縄がかけられていました。その光景を見た瞬間に、「あっ、ここはもしかして天岩戸では…」という不思議な感覚に捕われるのです。
もちろんそんなはずはありません。
しかしそんな不思議な雰囲気がここにはあるのです。


それと言うのも、神倉神社入り口に祀られているのが「猿田彦大神」と「手力男之命」だと言うことは既に書きました。
そして「天岩戸」の岩の扉をこじ開けたのは誰あろう「手力男之命」なのです…。

それならば“ここが「天岩戸」であってもおかしくはない…。
”そしてもうひとつ、熊野の地で神武天皇を導いた「八咫烏」は、「天津神」の導きの神である「猿田彦大神」と同じ意味なのかもしれない、等々…、ここには私の大好きな太古のロマンがいっぱい詰まっているのでした。

「やっぱりここに来て、正解っ!!」と、山の上にある巨岩の傍に立って、眼下に広がる新宮市を一望しながら、さしずめ自分が神武天皇にでもなったような錯覚に陥り、ひとりほくそ笑む私でした。


この時の私は、ちょっと危ない奴になっていたかも…。(微笑)


【梛(なぎ)の巨木に導かれて…】

元来た急な自然石の階段を降りるのですが、これが登ってきた以上に難しくて恐いのです。ここから落ちたら一貫の終わりです。

上から見下ろす石段は、下から見た風景とは遥かに違い、更に急な傾斜に見えるのです。
これはスキーの時と同じですネ…。

とにかくなんとか降りきって、待たせておいたタクシーに飛び乗りました。
時間があまり残っていなかったのです。
しかし目指す熊野三山最後の『熊野早玉大社』はここからわずか1kmのところにありました。
那智大社と同じような派手な鳥居を潜り抜け、本殿へと近づいていく私の首筋に、何処からかとても強いエネルギーが流れてくるのを感じていました。


「あっ、このエネルギーは最初に訪れた本宮大社で感じたエネルギーと同じだ…」

そのエネルギーの源を辿ると、そこには柵に囲まれて注連縄で飾られた梛(なぎ)のご神木が祀られてあったのです。
この梛の巨木は日本一の大樹で、高さが20m、幹回りが6mもあり、国の天然記念物に指定されていました。
古来「梛(なぎ)」は、「凪(なぎ)」に通じ、熊野詣での人びとはその小枝を懐中に入れて現世安穩を祈ったとか…。
そして海上・陸上の安全ばかりか、家内安全、縁結び、諸厄安泰を祈願したと古書に記されてあるそうです。


それは「ゴトビキ岩」にも劣らぬ強力なエネルギーでした。
しかしその強さは他を圧倒し、ひれ伏させるようなものではなくて、「善」も「悪」も区別なくすべてのものを包み込むような大きな「愛」を感じるのです。それが私にはとても心地良く、太い幹にそっと両手を触れて、しばらくその梛の大木のそばから離れられなかったのです。そんなまるで「神の愛」に抱かれるような感覚にしばし酔いしれるのでした。


そしてその梛の大木は、まるで、
「よくここまで来られましたね。私があなたを呼んでいるのを感じましたか…? 私の声が聞こえましたか…? 

去年からつづいたあなたの熊野の旅はこれで終わりましたよ。お疲れさま…」
と、優しく私の魂に語りかけているようでした…。


集合時間である午後3時まで45分しか残されておらず、急いでタクシーを「那智大社」目指して走らせて貰うのでした。
その途中、那智大社近くの那智の滝が流れ落ちる滝壷あたりに、装飾こそ一切されていないが立派な石の鳥居を持つ「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」が建てられており、そこから何か気になるエネルギーが流れ来るのを感じていました。

「なにか忘れてないかい? まだ周るところがあるよ、おいで、おいで…」
と私を呼んでいるようなのですが、今回は時間もなくて残念ながらあきらめることにしました。
そして、ようやく目的地点に着いたのは、なんと3時ジャストだったのです…。



【龍神さまに導かれて…】

ツアーバスの運転手2名とキャンセル組みの女性2名、合わせて4名が集合場所である土産物屋の駐車場のベンチで所在なさそうに腰掛けていました。

「あれっ、みなさんはまだですか…?」

「さっき携帯に電話があって、どうやら到着が1時間ほど遅れるらしいのよ」

「えっ、1時間も…」

「そうなの、私たちももうやることが無くてねぇ〜…」

「・・・。それじゃぁ〜、わたし、ちょこっとこの下の飛瀧神社を参拝して来てもいいでしょうか?」

「あぁ〜、どうぞ、どうぞ」と…。


単なる「偶然」と言ってしまえばそうかもしれません。
しかし今回の旅も含めて数々の不思議な出来事を経験した私には、もうこの世で起きるすべての出来事が、「単なる偶然…」というひと言では済まされなくなっていたのでした。そして、まるで誰かの計画どおりにというか、何者かに導かれるかのように、最後に訪問したかった『飛瀧神社』までをも参拝できることになったのです(やりぃ―っ!微笑)。


集合場所から歩いて5分くらいの場所に『飛瀧神社』はありました。
那智大社へつづく参道から見えた古びた鳥居は一切の装飾をせず質素に見えましたが、近くに寄ってみると実に大きくて立派なものでした。

どうやらお社はその鳥居を抜けて石段を下ったところ、そこがちょうど「那智の滝」の滝壷の正面になるのですが、その辺りに建っている為にココからは伺い知ることも出来ないようです。
鳥居を潜り抜け、石段の上に立つと、まるで劇場の銀幕が「サァ―っ」と開いた如く、正面に天から流れ落ちる那智の滝の光景がパノラマのように見事に広がっていました。
周りのすべての風景が「静寂」なのに比べて、ここには「動」と「生」が息づいていました。

「こ、これは凄いっ!!」
那智の滝はここから見るのが一番のようですネ。


その正面に見える瀧を目指して石段を降りて行くと、徐々にエネルギーが強くなってくるのが感じられるのです。
そして石段を降りきると、それはもう息が苦しくなるほど強力なエネルギーを浴びせられていました。
しかし、本殿や拝殿らしき建物は何処にも無くて、瀧の正面に「ちょこんっ」と鳥居と賽銭箱が置かれてあるだけなのです。
ココはつい先程訪れた神倉神社と同じで、この御神体である瀧こそがすべてであり、それ以外の物は一切必要ないということをことさら強く主張しているようでした。


御神体である瀧の正面で参拝を済ませ、瀧をずっと見つめていると、瀧の表情が次から次へと変わっていくのがよくわかるのです。
もちろんエネルギーもです…。

ある時は優しい老人のような龍であったり、猛々しい「暴れ龍」であったりと…。
またその龍が二匹・三匹に分かれたり、からまって一匹に戻ったりと…、いくら眺めていてもあきないものがありました。


なんだか最後にココに呼ばれた意味が、私にはなんとなくぼんやりですがわかるような気がするのでした。
滝(水)は常に姿を変え、どのような形にでも変身することが出来るのです。
遠目には同じ流れに見える滝も、実は無限の可能性を秘めていたのです。


すべての旅を終えて、私は数多くのことを学びました。
とくに今回の旅で、手放すこと、断念することの大切さと意味を知りました。
自分ではわかっているつもりだった私自身のことも少し見えてきたようです…。(微笑)

私が求めていたものはすべて私自身の中に存在していました。
人は本当の自分を見ようとはしないのです。

たしかに三次元の世界で生きている限り、自分の姿を自分自身の目で直接観ることは不可能なのです。

見えていると思っていた姿は鏡に映った、あるいは水面に映った自分の姿であり、あくまでも虚像に過ぎないのです。他人の目を通して、そして他人の評価でしか自分を知ることが出来ない為に、無意識の内に他人の目に映る自分を気にして、他人から世間から良い評価を受けられる自分を演じることが「良き人生」だと勘違いしているのです。

人は自我が目覚めた時から、そういう環境で生きていかなければなりません。
そのため、いつしか人はそれ(他人の見た目・世間の評価)が自分の真実の姿だと勘違いしてしまうようです。

しかし、それはあなたの「虚像」に過ぎないのです。
本当のあなたはいつでも思った通りに変身でき、そして無限の可能性を秘めているのです。

あなたが今その手に後生大事に握り締めているモノを手放す勇気さえ持てれば、そして手放すことが出来れば、きっとその想いは通じるのだと私は今回の旅で確信したのでした。

無限の可能性を秘めていたのは、なにもこのエネルギーだけではなく、実は私たち人間だったのです。





    ― おわり −



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       超能力レポート・パート41

                 ― 熊野三山奥の院 玉置神社へ…!! ―  


                                        会員番号10686 玉川 芳伸



この話は、私のHPの【タマの歩き遍路の旅】に今年の5月4日にアップした『熊野三山への旅』の続編です。




『熊野三山』をすべて参拝し終えた私でしたが、何故かしら「まだ足りない」、「なにかを忘れている」という感覚に捕われたままだったのです


私は熊野古道の歩き旅を途中キャンセルしたお陰で、『雑誌サライ』をナビのようにして結局『熊野三山』をすべて周りました。しかし、その時私の左手に握り絞められていたサライにはまだ気になる神社がひとつ掲載されていたのです。

それは、、、。

熊野本宮大社は、和歌山県と奈良県の県境近くに建てられており、本宮の北側は有名な奈良県の『十津川温泉卿』、そして本宮大社から見て裏手の山は『玉置山』になるのです。サライには、その玉置山山頂近くに祀られている『玉置神社』が写真つきで紹介されていました。

神日本磐余彦(かむやまといわれひこ。神武天皇)が熊野から大和へ入るときに八咫烏に導かれて兵を休め、神宝を鎮めたところであり、『熊野三山』の奥の院として古くから信仰を集めてきたと書かれてありました。

「また八咫烏か、、、」

あれだけ八咫烏に導かれるように旅を続けたのにまだ足りないのか。それならば、この際とことんまで行ってみるか、、、。この時、たしか以前に前田さんから「一度行ったことがある」という話を聞かされていたことを思い出したのです。

それに噂では「ヒーラーなどがよく訪れる神社としても有名である」という話も少しは聞きかじっていました。「それなら道にも詳しいだろうし、もう一度どうですか?と誘ってみるか」と前田さんにさっそくお誘いの電話を入れたのでした。

「えぇっ!! また行くんかいな。しかもよりによって、なんで俺がむかし彼女と行った神社ばっかり

「そう言われればそうですネ。まっ、それはそれとして、とにかく行きましょうヨ!どうしても気になるんです。このままでは、まるで喉に突き刺さった魚の小骨のようで、気持ちが悪くて仕方がないんです

「うぅ〜む。まぁ俺も実は知り合いから玉置へ行った話を聞かされて、自分も行ったのにどうやら見逃してきた場所があるらしいことに気がついて、少し気になってる場所があるんや

「あっ、ほらっ、それならちょうどいいじゃないですか、気になるところがある同志で。ところで何が気になるんですか?」

「あぁ、実はな、どうやら玉置神社には宝刀というか神剣みたいなモンが3本突き立てられた丘と言うか小山みたいなところがあるらしいんや。でもそれを前回は何故か気ぃつきもせんかったし、見られへんかったんや

「へぇっ!!それって九州の某神社の裏山に天に向かって突き立てられているという三叉に分かれた矛みたいなモンですかネ? たしか『天逆矛(あめのさかほこ)』とか言い伝えられている

「さぁ〜、そこまでは知らんけどな、、、とにかくそういう剣が3本突き立てられている場所があるらしいんや」

「それはぜひ見てみたいですねぇ〜。でも、前田さんが前回行った時にはどうして気がつかなかったんだろう?」

「うん、その時は彼女のオッパイばかり見とったからなぁ

「あっ、なるほどぉ〜。前田さんらしい。(笑)」

「こらっ、なるほどぉ〜って納得するなっ!冗談やがな

「冗談とは思えないですが、まぁこれは前田さんにも来いと呼ばれているんですよ」

「そうかぁ〜??? でもその前田さんにも来いにもがなんか気になるなぁ

「前田さんは私の八咫烏みたいなモンですね。導き役としてぜひお願いしますヨ」

「そうかぁ〜、導き役かぁ〜。そうかなぁ〜? おれはどうもタマちゃんの運転手役をさせられているだけのような気がするんやけどなぁ〜

「まぁ深く考えずに。どうせこの世は誰かが誰かの導き役なんですから。だからお互いに導き導かれるの繰り返しなんですよ、きっとネ。そう考えれば、世の中の人はみんな八咫烏なんです。ところでどうします?」

「・・・・。わかったようなわからんような。 まっ、考えておくわ
という会話の後、結局前田さんも3本の剣が気になっていたのか、その旅の予定日の前後は調整の予約を入れていなかったらしく、すんなりと旅を決行することになりました。

そして私が3年前に前田さんにプレゼントすると約束したものの未だに実現していなかったWOWOWの抽選で当たった「折りたたみ自転車」と「テレビ台」を餌に、いや、お礼に進呈することを条件に、先月同様に前日には愛車で高松入りし、夜はスナックでカラオケを唄い、翌朝には和歌山県までの時間を短縮する為に徳島からフェリーを使って行くことになったのです。

「タマちゃん、簡単に玉置神社へ行くついでに何処か面白そうな神社にも寄ろうなんて言うてるけどなぁ〜。半端な距離やないんやでぇっ!」

「そんなに遠いんですか?地図で見たら本宮大社のすぐ2cmくらい上じゃないですかぁ〜

「あのなぁ〜、2cmて。山越えなんやでぇっ!たしかにこの地図では2cmやけどな。 まぁ、着いたら夜中なんてこともあるわけや」

「そんなまさかぁ〜」

「ホンマやて。そやからとにかく玉置神社参拝を第一目的として、余裕があれば何処か近くの神社にも寄るということにしよう」

「そうですネ。神参りは欲張っちゃいけませんでした

「そうそう、、、。運転するのは俺なんやから

「はい、仰せのとおりに…」



【いざ和歌山へ

「そんなに遠くて時間がかかるのなら1便早い8時10分のフェリーで行きましょう」という私の前向きな提案は軽く却下され、予定通りの南海フェリー(10時15分徳島港発)に乗船する為に午前8時半頃に高松の我が家を出発しました。

途中『津田サービスエリア』でガソリンを補充し、走行メーターを一旦0に戻しました。
楽勝で徳島港に着くはずが前田さんの車にはナビが付いていないために、事前に前田さんがプリントアウトしてきた地図と道路標識だけが便りなのです。

徳島の市街地に入ると、道に不案内な上に混雑も手伝って、なかなか目的の徳島港にたどり着かないのです。市の中心部を出るのに時間がかかり、市街地を抜けた時には私の時計は「9時50分」になっていました。

この時は二人とも口にこそ出しませんでしたが内心ではこりゃぁ〜間に合わないかも…”と思っていたのです。しかしあまりにも車が進んで行かないためについに前田さんが口火を切りました。

「タマちゃん、もし間に合わなかったらどうする?」

「どうするって言われても。次のフェリーは12時過ぎでしょ、たしか。それに乗ったんじゃ玉置神社には行けないんですか?」

「あの辺は道がわかり難いんや。それに12時過ぎフェリーに乗ったとして、和歌山港に2時過ぎ。それから周ると、もう暗ろうなってますます道がわからんようになるで

「そうですか

「まっ、その時はウチの近くの枚方(ひらかた)パークでも行って遊ぶか

「枚方パークって、、、もしかして遊園地の?」

「遊園地とちゃうがな、、、テーマパークや!」

「・・・・・。テーマパークって、なにをテーマにしたパークなんですか?」

「えぇ〜? とにかくテーマパークなんや!」

私には遊園地とテーマパーク、その違いがわからないですぅ

などと気を紛らわせながら漫才のように話している内に、なんとか目的のフェリー乗り場にたどり着くことができました。そしてフェリーの全貌が見えてきた時にはすでに車を乗船させているところでした。

「よかったぁ〜、なんとか間に合いましたネ」と時計を見ると10時10分このフェリー乗り場は、マクドナルドのドライブスルーのように乗車したままでチケットを買えるようになっていました。さっそくチケット売り場の小屋の前に車を横付けすると、チケット売りの兄ちゃんはすでに小屋のガラス窓を閉めてそっぽを向いたままなのです。

「すいませぇ〜んと大声で呼んで、チケットを買い、なんとか車の列にまぎれ込むことが出来ました。「前田さん!ラッキーでしたネ!やっぱり呼ばれていますヨ。ちゃんと導かれてるような気がする

「そうかぁ〜、、、。しかし導かれてるって、その導き役はたしか俺のはずでは

「まぁ、まぁ、細かいことは気にせずに、とにかく歓迎されてますヨ。これはイイ旅になりそうだなぁ〜(微笑)」

「ふぅ〜ん

乗船を済ませ「ほっ」と一息つきたいところでしたが、この日は団体客が多くて船室は座る場所もありませんでした。しかたなく甲板に備えられた椅子に暫くは座っていたのですが、天候がいまいち「ぱっ」とせず、吹き荒れる風と浪しぶきに耐えられず、船室をウロウロしたりトイレに何度も入ったりと時間をつぶすのでした。
とにかく予定通りのフェリーに乗船することが出来たのですから「ほっ」としたのか、私には珍しくお腹が急に空いてきたのです。

「前田さん、弁当かなにか食べますか?」

「あぁ〜ん、俺はまだええわ」

「それじゃ私だけ
と言っても売店の弁当は全部売り切れしかたなく自動販売機で売られていた『カップヌードル』を買ったものの、熱湯がなかなか出てこなくて、、、しかもようやく出てきたお湯はぬるま湯で結局、ぬるま湯に浸ったカップヌードルを「ぼそぼそ」とすすり、噛むように食べながらフェリーは和歌山港を目指し進んで行くのでした。

12時10分、予定通りにようやく和歌山港に到着しました。 この頃には天候も少し回復し、和歌港の岸壁には薄明かりさえ差しているのでした。

「タマちゃん、ここからが大変やでぇっ!! とにかく何処かでお昼を食べよう!!」

「えぇっ!わたしカップラーメンを食べたばっかりですヨ。しかも堅い麺がまだ胃の中で消化もしていないのに

「だから止めとけって言うたのに。俺もあの後、売店へ焼きちくわを買いに行ったけど、もうシャッターが閉まってたから何にも食べてへんからな。とにかく何処か近くで食べるとこを探しながら走ろうや

「前田さん、その前に郵便局を探してください。昨日スナックで飲んだから、お金の持ち合わせが

「よっしゃっ!」
と、私は郵便局、前田さんはお食事処を探しながら車は走り出したのでした。

郵便局は、和歌山港のすぐ近くにありました。そして私はお金をおろし、財布が「ずっしり」と重くなると不思議に心にも少し余裕も出てきたのです(微笑)。

ところが「あれがイイ。これが喰いたい!」と二人の意見はまとまらず、たくさんあったお食事処も次々と私たちの目の前を通過してしまい、気がつくと店の気配も無いような閑散とした道を走っていました

「俺は蕎麦が食いたいんや、昼はあっさりと蕎麦がえぇんや」と一点張りの前田さんが、ようやく一軒の淋しそうな蕎麦屋を見つけて、二人して「ざる蕎麦の大盛り」を注文するのでした。ところがなかなか出て来ないのです

店内には「当店は自然の味を手作りで…”をもっとうとしている為に化学調味料等は一切使わず、また麺も通し湯で茹で上げる為に少々お時間がかかります。お急ぎの方、追加のご注文、あるいは持ち帰りの方はあらかじめ早めのご注文をお願い申します。味の店 田乃木」という張り紙が狸のイラストと共に店内の壁アチコチに堂々と貼られていました。

「こりゃぁ〜、玉置さんは簡単には行かせて貰えそうもないナ。前途多難だわと、私は心で呟くのでした。

自然の味を大切にしているだけあって麺は「しこしこ」と歯ごたえがあったのですが、その反面、化学調味料の味付けに慣れきった私の味覚には、そのそばつゆがいまいち物足りなく感じられるのです。食後、前田さんにその感想を伝えると同じようなことを言っていました。やはり蕎麦は「麺」と「つゆ」の絶妙な組み合わせがあってこそ、「本当に美味しい蕎麦」と言えるのではないでしょうか?と、いつも話が本筋から反れるので、「タマちゃんの体験談は長すぎる。もうちょっと要約して書けないの」などと感想をいただくのですが、これが私の良いところなのです(微笑)。

「エネルギーを知るためには、一旦本筋から離れたところから眺めてみることも大切なこと」と言うことを最近知った(超能力レポート・パート39【調整道】参照)私にとっては、本筋も脇道も無いのです。私にとっては、すべてが「本筋」であって、すべてが「脇道」なのです。

人はみな山の頂上を目指そうとしますが、実際に登りきったその山頂には実はたいしたものは無いのです。本当に面白いことや美しいものは、実は息を切らしながら登っている途中の山道や、ちょこっと小用を済ませるために入り込んだ脇道にあるのです。

たとえばこの「蕎麦のうんちく」ひとつにも、エネルギー調整の極意を感じ取ることは出来るのです。私はそのつもりで書いているのですが。(微笑)

「麺」をエネルギーとすると、「つゆ」は技術なのです。入れ物の器が「環境」であって、店は「宇宙(天)」なののです。そして蕎麦やつゆの味や温度は「心」なのです

「えっ?それじゃぁ作ってる人は?ですかそりゃぁ〜、そこまで行ったら、人は「神」でしょ。って、、、またわたし、、、壊れてますネ。(苦笑)

先が長いので、そろそろ話を「本筋」に戻します。



【遠路はるばる


和歌山港から国道15号、そして24号をひたすら「橋本」をめざして走りつづけます。「橋本」からは県道732号に入るのですが、この道がプリントアウトした地図を見ても如何に凄い道であるかがわかるのです。そしてその県道への入り口もじつにわかり難くそうなのです。

前田さんからはくどい位に「タマちゃん、とにかく入り口までは居眠り禁止や!ココを見落とすと、予定の時間どおりには玉置にはつかへんからなっ!」と、言い渡されていたのでした。

その県道の入り口を見落とさないように車窓から見える景色や標識、そして地図を交互に睨んでいるのですから居眠りなんてしている暇は無いのです。そんな私はいつしか「カーナビ」ならぬ「ひとナビ」状態で、ついには「10m先の信号を右に曲がります。そろそろウインカーを出して右折車線にお入り下さい」なんて甲高い声でアナウンスまでやりだす始末でした(微笑)。 

迷って当然と思っていた県道732号線、、、。ところが全然迷いもせずにすんなりと入り口を見つけて曲がることが出来ました。 やはりなにかに導かれている…”と私が思っていると「ほら、なっ、今日は俺が導き役やからなっ」と前田さん、、、。

「えっ、この場合は私が地図を見て支持しているのですから、わたしが導き役でしょ

「チャウっ! タマちゃんはただのひとナビやんか。そんでもって俺が導き役なんや!」

「・・・・。なんか説得力に欠けるけど、まぁ、さっきも言いましたが、お互いがお互いの導き役と言うことですネ」

「チャウっ! 今日は俺が・・・・・」と、、、。

しばらく黙ってよう〜とっ、、、。

県道732号は想像以上に複雑な道で、途中未舗装の区間があったり、対向車がすれ違えない細道があったり、がけ崩れの為に石ころがゴロゴロと車のわだちの間に転がっているのです。そしてなによりも、「これでもかっ」と言うくらいに延々とクネクネと曲がる道を蛇行を繰り返して走らなければならないのでした。

前田さんは車の運転が大好きなので文句も言わずに運転してくれていますが、これがわたしならきっと「ぶつぶつ」と文句ばかり言いながら運転していたことでしょう。それを考えると、やはり今日は前田さんが「導き役」ですネ(微笑)。

そんな細くて険しくて蛇行だらけの県道を1時間ちかくも走りつづけていると、運転が大好きな前田さんも流石に疲れてきたのか、

「タマちゃん、今どの辺を走ってんの?」と何度も尋ねるようになりました。

「えぇ〜と、今はこの地図によると県道入り口から3cmくらいですか

「3cmって、ぜんぶで何センチあんねん?」

「ふぅ〜む、まぁ県道全行程が18cmくらいですから、6分の1くらいですネ」

「えぇっ! これだけ走ってまだそんなもんかいな

「はい、あと15cm残ってます」

「そうか

「あっ、前田さん、名古屋の羽渕くんに電話して誘いましょうか? それで玉置神社で待ち合わせするってのはどうですか?」

「えぇっ! そりゃぁ〜彼もこういうの好きそうやから声をかけたら来るやろうけどなぁ。でも彼の車は軽やでぇ〜。 それに玉置さんも入り口は物凄ぅ〜わかり難いから、彼が今日中には玉置に着かへん可能性があるからなぁ。遭難でもされたら困るしぃ。それではあまりに酷なお誘いやろぅ

「その障害を乗り越えるところにエネルギーに関わって生きる醍醐味と楽しみがあるんじゃないですかぁ〜」

「障害が多いのんはタマちゃん一人で十分やと俺は思うけどなぁ〜」

「・・・・。それは言いっこ無し! それにしても羽渕君のPH入会の切っ掛けが、村上龍と山岸会長の対談集じゃなくて、私のHPを見つけたのが最初の切っ掛けだったなんて、なんだか縁がありそうじゃないですか。ワクワクしちゃうけどなぁ〜」

「ふぅ〜ん、俺はただの偶然やと思うけどなっ。ところで羽渕君は仕事してるんかいな?歳は幾つなんやねん?」

「えっ?前田さん先月のPH大阪講習会後の飲み会でそれ訊いてたのと違うんですか? それに名刺も貰ってたじゃないですか?」

「うん、訊いたような気もするんやけどなぁ。ぜんぜん覚えてへんのや。名刺ってあのペラペラの紙のやつやろ。あれ見ても横文字ばっかりでサッパリわからへんし。タマちゃん覚えてるか?」

「私が酒飲んで覚えてる訳がないでしょ

「そりゃそうや!」

「そう言われれば、あのペラペラの名刺は英語ばかりでしたネ」

「なっ、そやろぉ

「なんか怪しいですねぇ〜。もしや、やばいことやってるんじゃ

「そやねん! なんかエッチ系のサイトを運営してるとかな 

「わ、わかりました。明日の大阪講習会の時に私が責任もって訊いておきますネ」

「あぁ、飲む前に訊いといてや、ほんで飲む前に俺に教えといてや

「はい、きっと

「あっ、そうそう。歳はたしか私たちよりも随分と若いみたいでしたヨ」

「えぇっ! ホンマかいな?」

「はい。前田さん、、、人を見た目で判断してはいけない

「そやな。けどな、タマちゃんのその言い方も別に羽渕くんを庇うてるようには取れへんけどな

「・・・・・・。たしかに

などと話しをしながら2時間近くも経った頃に、ようやく県道の最終地点近くにある『出屋敷峠』を通過しました。ようやくここで国道168号線と合流です。

「前田さん、国道に入る前にオシッコできそうな淋しい場所で止めてくださいネ」

「えっ、またマーキングするんかいな。実は和歌山県は京都と同じで 立ちション禁止条例があってな、悪いけどそう簡単には止められへんでぇ〜」

「そんな殺生なぁぁ〜、あっ、ここでイイですから。あっぁぁ、、、」

「もうちょっと我慢しぃっ。実は俺もさっきからがしたいんや。そやからもうちょっと淋しい場所やないと

「えぇっ!! 和歌山県には野○○禁止条例は無いんですかぁ?」

「し、しらん!」

そんなことを言いながらも結局小用だけ国道のまさに合流点である橋のたもとで済ませ、今度は国道168号線をひたすら『玉置神社』へ向かって走り続けるのでした。この時がもう午後3時過ぎ。高松の我が家を出発してから既に7時間ちかくも経っていたのでした。

ここはもう奈良県、ここからは国道168を、十津川の流れに沿うようにくねくねと北上して走り続けるのです。十津川を挟んで東側に連なっているのが『玉置山(1076m)』で、この山を越えると熊野川になり、あの有名な『瀞峡』があります。熊野川の向こう岸はもう三重県なのです。まさに「和歌山」「奈良」「三重」の三国の県境近くを走っていると言うことになります。




【霧の玉置神社



国道168を延々と走り続けること2時間。さきほどの県道に比べると流石に国道は舗装されているせいかガタガタと振動を受けることもなくて、私はいつしか一生懸命運転している前田さんを気にしながらも居眠りをしていたようでした。

「・・・・。あぁ〜ん、前田さん、いまどの辺りを走っているんですか?」

「知るかいなっ!人ナビのくせにスヤスヤ居眠りするから。俺も、なんや眠とうなって来てなぁ

「えぇっ!前田さん、気をつけて運転お願いしますよぉ〜」

「うん、もう大丈夫や!俺もさっきからチョコチョコ居眠りしながら走とったから(笑)」

「ひぇっ!!(汗)」

「あほっ、嘘やがな(笑)」

「知ってますがな(笑)」

「もうそろそろ玉置さんの入り口があるはずなんやわ。タマちゃん見落とさんように気ぃつけといてや」

「あっ、ここでは

「ホンマや!看板が新しいなって見やすぅ〜なってるなぁ〜」

ここからついに玉置山の山道を登り始めたのですが、これがまた延々と蛇行を繰り返す狭くて細い道だったのです。時間はすでに午後の4時を超えていました。玉置山山頂を見上げると、いつしか何処からか霧が湧き出し、その山頂は霞に覆われたようにぼんやりとしか見られなくなっていました。

「前田さん、なんだか天気も怪しくなってきましたねぇ〜。小雨が降ってきそうだし、霧もかかってるし

「そうやなっ! ちょっと急いで登らんとな!」

「はい。あと少し、がんばってください」

「それより、、、俺、う○、したいんやけどなぁ〜

「えっ、まだしたいんですかぁ〜? こんな霊山にそんな穢れたモノを落として行っちゃぁ〜いけないと私は思うけどなぁ〜」

「あのなぁ〜。自分がマーキングが済んだから言うて、導き役の俺を粗末にしてるとバチがあたるでぇっ。これからみんなの前でマーキー・タマちゃんって呼んでもえぇのんかぁ?」

「あぁ、すみません、、、。とにかく先を急ぎましょう」

その山道を走りつづけること40分くらいで山頂近くに祀られている【玉置神社】の駐車場にようやく到着しました。こんなにわかり辛くて、険しい山道を走り抜けて来た割には随分と広くて、しかも舗装の行き届いた立派な駐車場でした。駐車場にはちゃんと車止めのラインも白線で引かれ、綺麗なトイレらしき建物も設置されていました。おそらくなんらかの神事等がおこなわれる時などに信者さんが大挙して訪れるのでしょう。

霧に包まれかけた駐車場に車を停めると、「タマちゃん、おれ、してくるわ」と言い残し、先に車から飛び出そうとしていた前田さんがその足を止め叫んだのです。

「タマちゃん! あれ、あれ!凄い!!」

「えっ?」と前田さんの見つめる目線の先を追うと、そこには玉置神社の立派な石の鳥居が立てられていました。
その鳥居の中を潜り抜けて濃い霧が、まるでこちらを目指して流れ出てくるように、駐車場に停めてある車を目掛けて襲い掛かるように押し寄せて来るのです。

「こ、これは。 まるで霧が鳥居の奥から湧き出しているみたいですネ。 前田さん、私たちは相当歓迎されていますヨ」

「そ、そうかぁ?」

「そう言えば霧も水、、、雨と形が違うだけ、、、。 と言うことは、これも一種の 禊払いなのかもしれませんネ。 そう簡単にはお参りさせないぞ!って主張しているようにも取れるし

「そうやなぁ〜、とにかくタマちゃんは穢れが多いからなぁ〜」

「なんですか、それ? 無駄口叩いていないで、早く前田さんもその穢れの塊を出しちゃってきてくださいネ」

「了解!!」
前田さんが穢れを落としている間に私は霧が噴出している石の鳥居を写真に撮りました。しかし、何故か写っていないような気がするのです。きっとこの神社は ダレカレ構わずに目にしてはいけない、、、そんな気がしていたのでした。

そんな事を考えていると鳥居の中から話し声が聞こえてきました。霧に霞んだ鳥居の奥から老夫婦が仲良く姿をあらわしたのです。
その姿は山登りのような着衣を身にまとい、ご夫婦の両手には木製の杖が握られていました。そして奥さんの空いた片方の手には写真機の三脚が握られていました。
 あっ、山登り愛好家か写真愛好家だな…”と思っていたら、その両方でした。(微笑)

「こんにちはぁ〜。如何でしたか玉置神社さんは?」

「良かったですよぉ〜。それにさっきから突然霧に包まれちゃって、神社はもっと神秘的な雰囲気になってるから。あなたはこんな絶妙のタイミングで来られて運が宜しいわねぇ〜」

「はい(微笑)。ところで神社さんまではまだ遠いのですか?」
その私の問い掛けに老夫婦は顔を見合わせて、まずはご主人が、
「いえっ、すぐそこですヨ。10分も歩けば着きますから」と・・・。

次にご婦人が、
「そうねぇ〜、歩いて20分くらいかしら。 でも周りの景色も美しくて心が洗われるようでしたわヨ。あと一週間早く来られていれば石楠花(しゃくなげ)のお花が満開だったらしいのだけど、それだけが残念だわ」と・・・。

そんな話をしていると、ちょうど駐車場の奥の端、鳥居からは一番遠くに建てられてあるトイレから出てきたばかりの前田さんの気配を感じたのか、何故かソソクサと自分たちの車に急いで歩き去って行くのでした。なんだか、、、不思議・・・?

「タマちゃん、なに話てたん?」

「あぁ、神社までは歩いて20分くらいかかるらしいですヨ。それとやっぱり霧はついさっきから湧き出したらしいです。境内が霧に包まれてとても神聖な雰囲気で溢れていたと言ってました」

「そうかぁ〜、、、。しかし凄い霧やなぁ〜」

「はい、私たちはとても恵まれているのかもしれませんネ。こんな絶妙のタイミングで参拝できるのですから

「うん。実は俺もそれを、う○○、しながら考えてたんや」

「えっ、、、きたないなぁ〜

「まぁ黙って聞き。もしタマちゃんの提案どおりに1便早いフェリーに乗ってたら到着が3時くらいやろ。それならこの霧は無かったと思うんや。そしてもし予定通りのフェリーに乗れていなかったら到着が午後7時やろ、、、。それではおそらく今日のこの工程ではここまではたどり着けなんだと思うんや。それを考えると、まさにタマちゃん流に言うと絶妙のタイミングそのものやんか

「まさに、この最高のシュチュエーションを用意され、この絶妙のタイミングでここまで導かれたのかもしれませんネ。やっぱり呼ばれてたんだろうなぁ〜」

「ふぅ〜む。そうかもしれんな、、、。ホンマに最高のチュチュエーションやなぁ

「チュチュって、まっいいか(笑)。やっぱりエネルギーは面白いなぁ〜(微笑)」

そんな二人の話が尽きたのを見計らって、私たちは少し厳粛な気持ちで鳥居前でお辞儀をし、いよいよ神の住む聖域へと足を運び入れるのでした。




【神の住む聖域



「タマちゃん、ここでは祝詞はあげんのか?」

「あぁ、そう言えば、今日は車で走っている間、退屈しのぎに暇をみつけては祝詞をあげていましたからネ

「そうそう、随分とたくさんあげてたやんか」

「はい。ひふみ祝詞うけひの言葉に始まって、天の数詩天津祝詞祓え祝詞でしょ。そしてご先祖様の俳詞大祓詞でした

「えっ、そんなに種類があんのんか? 俺には全部同じに聞こえてたけどなぁ〜」

「まっ、素人さんにはそう聞こえるでしょう

「素人さんって、タマちゃんはプロなんかいな?」

「いえっ、私も素人でした(微笑)」

「でもそれすらもきっと偶然ではなくて、そこまで禊祓いをしないと参拝さえてもらえない場所のような気がしていたのです。実際にこの神社までの参道を歩いていて、その予感が正しかったと今になってようやく腑に落ちたんです」

「なんか、何遍も間違うてたのがあったやろ?」

「あぁ、大祓詞(おおはらえのことば)ですネ。あれは長いですから。そうだ本殿までの参道を大祓詞をあげながら歩いていこうっと

「えぇっ! 勘弁してぇなぁ〜」

「いいえ、勘弁しません。前田さんも一緒に禊祓いをするのです」

「俺は全部さっき駐車場で出してきたからえぇやん。タマちゃん一人でやって、、、」

そして私はひとりで大祓詞をあげながら参道を歩いていたのですが、その祝詞に呼応するかのように鬱蒼と茂る木々のココ、アソコから鶯の美しいサエズリが聞こえてきたのでした。
そのさえずりを聞きながら少し先を歩いていた前田さんはキョロキョロとその鳴き声の主を探しているのです。そして拍手をしながら「じょうず、上手」と嬉しそうに微笑みながら歩いてるのです。

この情景、、、。 事情を知らない人が見たら、きっと危ない二人組だと思ったことでしょうネ。実際にその時のふたりは、参道のとても強くてきついエネルギーに当てられて危ない奴等になっていたのかもしれません。(苦笑)

なかなか本殿にたどり着きませんでした。そしてこの参道、やたらと鳥居が多いのです。しかもその鳥居も少し変わっていて、木製の鳥居のすぐ後ろ(30cm)くらいの所にまた木製の鳥居が立てられている場所が数箇所あるのです。だから本殿までに何度も何度もお辞儀(礼)をさせられる形になるのです。

それだけ「キツイ神さん」なのかもしれないと私は感じていました。参道に大きな杉の木が何本も立っていました。

「前田さん、ここには樹齢三千年という大きな杉の木が何本もあるらしいですヨ」

「ふぅ〜ん

「ふぅ〜んって、前回来た時には見なかったんですか?」

「あぁ、俺は、ほら、あれっ

「あぁ、彼女のオッパイばかりに見とれていたんでしょ。それはさっき聞きました」

「チャウがな。その時も運転手で、初めての道やったからココに着いた頃には疲れ切ってて、、、。そんな周りの景色をユックリを観る余裕もなかったんや

「・・・・。まぁ、そういうことにしておきます

「けどな、今こうしてこの大きな杉を観ていると、どうして以前おれが来た時に、これほどの見事な樹木のことが自分の記憶に残っていないのかが不思議なくらいなんや」

「それは彼女のオッパイを

「チャウって、、、。それにこの杉、、、不思議なんや」

「えっ、なにが不思議なんですか?」

「俺もタマちゃんも、これくらいの古くて大きな樹は神社の境内なんかで、これまでにも散々観てきたはずやろ。でもそれらの樹木はたしかに古い樹で、おじいちゃん、おばあちゃんの樹みたいに観えてたんや。たしかにエネルギーは凄く気持ち良いけれど、はっきり言うと勢いは感じられへんかったはずなんや。ところがココの樹木はどうや?まるでまだ若々しくて、観るからにまだまだ青年のような勢いがあるやろ」

「そう言われれば、木肌もみずみずしくて、まだまだこれからも上に伸びていきそうな若さを感じますネ」

「なっ、そうなんやぁ〜。 こんなんは初めての経験やなぁ〜」

大きな杉の木肌に「そっ」と手の平を触れてみました。木肌はぎっしりと苔に覆われているのですが、少し手の平に力を入れると<B>「じゅぅ〜」</B>っと水が溢れ出してくるのです。木肌もそんな苔に保護されているかのように風雨から守られ、未だに色も濃くて、ところどころは「テカテカ」と艶さえ見られるのでした。

「前田さん、やっぱりココは土地自体のエネルギーが凄いんですヨ、きっと

「うん。そうとしか考えられんなぁ〜」

20分歩いて、ようやく本殿の鳥居が見えてきました。
最後の鳥居を潜ると、先程までは少し薄まっていた霧がいきなり濃くなってその密度を増しているように感じられるのです。数十段の石段の上に本殿らしき建物が見えました。しかし不思議なことに、ここの本殿へとつづく石段には鳥居がかかっているのです

普通ならば、本殿へとつづく石段の手前に鳥居が立てられているか、石段を登りきった本殿正面に立てられているものなのですが、ここは石段の3段目くらいの場所に、ちょうど石段を跨ぐように鳥居が立てられているのでした。
石段の下から写真を撮ろうとしたのですが、また濃い霧が突然湧き出すように本殿からこちらに向かって流れ下って来るのです。

ふぅ〜む。これはここじゃぁイイ写真は期待できそうにもないな…”と思いながらも「パチリ」と1枚写しました。

玉置神社の境内には樹齢3000年を越すとされる杉の大木がぎっしりと林立していました。そして数十段の石段をあがりきった所に建てられていた本殿は、周りの樹木に負けないくらい堂々としており、とても立派なものでした。この時は残念ながら本殿の扉は閉じられていましたが、内部には杉板の襖があり、そこには狩野派の絵師による「花鳥画」が描かれているらしいのです。

ここで私の感想を書くよりも、玉置神社由来所を書き記した方が情景がわかり易いと思われますので、その一説を下記に記しておきます。


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『玉置神社由来所より

人里遠く離れ、交通の極めて不便な紀伊半島の中央部吉野熊野のやまなみ雲海はるか太平洋を遠望する霊峰玉置山。標高1076メートルの境内には神代杉をはじめ樹齢3000年といわれる老樹大樹が社と成り、その懐に抱かれるように、荘厳な玉置神社の社殿が鎮座しています。春には山の樹木がいっせいに芽吹き、初夏にはしゃくなげが咲き誇ります。夏には大峰奥駆(おおみねおくがけ)の修験者で賑わい、秋は秋祭りと紅葉、冬は樹氷や露氷の世界、四季折々それぞれの魅力があり全国から数多くの人々が心の安らぎと充実を求めてこの地を訪れます。"

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本殿で天津祝詞をあげ、参拝を無事済ませました。
この本殿には「国常立尊(くにとこたちのみこと)」「イザナギの尊」「イザナミの尊」「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」「神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと。神武天皇)」が祀られておりました。

祝詞をあげている時に後ろの石段の下から男女の話し声が聞こえていたのです。「ふっ」とその声の方を振り返ると、そこには若いカップルが私が祝詞をあげているので遠慮したのでしょうか、石段の下で待機しているようなのです。

それに気が付き、場所を空けるようにして本殿の前から立ち去りました。

その後本殿の周りに祀られていた末社やその裏庭等々、前田さんが前回見落としたという「3本の剣」を探しましたが一向に姿すら見えないのです。

「前田さん、それでは私がエネナビで探してみましょう
と両手に意識を集中させるのですが、まったく反応がないのです。

「ここじゃないんでは

「うぅぅん、、、。俺にもさっぱりわからんなぁ〜」
という会話を聞いていた若きカップルは、そんな如何にも怪しそうなオッサン二人を気にする気配もなく、次々と社を仲良く参拝しているのでした。

境内もそろそろ薄暗くなりかけて、境内には神職らしき人も見当たらず、私と前田さん、その若きカップルの二人、全部合わせても4人しかいませんでした。そして天からは小雨も「ぽつぽつ」と落ちてきていました。そんな心細さが手伝ったのでしょうか、そのカップルは私たちの後を追うように着かず離れずの距離を保ちながら歩調を合わせて着いてくるのでした。




【自然信仰


本殿の裏の山側には木の塀が立てられており、その塀の木戸を潜り抜けると『雑誌サライ』に写真が掲載されていた樹齢3000年の「神代杉」が注連縄を張られ祀られていました。

この樹も若々しくてとてもみずみずしいのです。そして周りの樹木も、この杉に負けないくらいに大きく育ち、息が詰まるくらいに隙間なく生い茂っているのでした。ここではまさに、この山、樹木たち、転がっている石ころ一つひとつさえも、そのすべてが「神」なのかもしれませんネ

「神代杉」にも参拝を済ませ、本殿まで戻ると、そこから脇に少し行ったところに【三柱神社】という摂社がありました。ここには「倉橋魂神(うがのみたまのかみ)」「天御柱神(あめのみはしらのかみ)」「国御柱神(くにのみはしらのかみ)」という三神が祀られていました。ここも参拝を済ませて、その周りや裏側を例の剣を探しましたが、やはりありませんでした。
「やはり」と書いたのは、ここでもその剣のエネルギーらしきものはまったく感じられないのです

その先に社務所があり、社務所の縁側には「お神酒」と盃が置かれてありました。そして「ご参拝ごくろうさまです。どうぞ玉置の神さまのお神酒のお裾分けをお召し上がりください」という張り紙が縁側にぶら下がっていました。

「これはありがたい。いただきまぁ〜す」と盃にお神酒をなみなみと注ぎ、一気に飲み干す私でした。

そんな私の様子を見ていた前田さんが、
「タマちゃん、なにやってんの?」と近寄ってきました。

「あっ、前田さん、ほらっ、お神酒のお裾分けですヨ。ご利益がありますヨ。まっ、一杯どうぞと私が飲み終えて手に持っていた盃を一旦裏返して数回酒を降り落とし、前田さんに渡したのです。そしてその盃にお神酒を注いであげると、

「タマちゃん、そこにも仰山盃があるのに、なんかこれじゃぁ兄弟の契りを結ぶ盃みたいやんか

「えっ? でも三々九度の盃よりはマシでしょ(微笑)」

「まぁなっ

その社務所からさらに山上へ向かう道がつながっており、その入り口にはやはり鳥居が立てられていました。そこから山道を仰ぎ見ると、延々と上りの自然石の石段がつづいており、ところどころに鳥居が、まるで結界を守護するかのようにいくつも立てられているのが見えるのでした。

 、ここから先は完全な結界が張られている。これは更にキツイ(強い)神さんが祀られているんだろうかと私は胸が「わくわく」と高ぶるのでした。それに反応するかのように、私の両手の平は「ぶつぶつ」状態にエネルギー反応を示していました。

「前田さん、ここから先に例の玉石社(たまいししゃ)があるんですネ。雨が強くならない内に行っちゃいましょう。剣もこの先にあるのかも

「そやな、、、でもこの登りはきつそうやなぁ〜。俺は膝が痛いさかいにユックリとぼちぼち登って行くわ

「はい。そうしてください。それでは若い私はさっさとお先に失礼しますネ」

「誰が若いんやてぇ?」と叫ぶ前田さんを残して、私はひとりさっさと健脚を生かしながら登っていくのでした。そして息も切れ切れになった頃、ようやく登りの山道の途中に【玉石社】は祀られていました。

やはり大きな杉の樹を囲むように柵で結界が張られたところが玉石社のようです。その柵の中には白くて丸い石がまるで州浜のようにたくさん奉納されていました。熊野の土地では古くから丸い石には神霊が宿るとされ、丸石を祀る風習があるのだそうです。玉石社で参拝をすませ、写真を1枚撮りました。

この囲いの中に手を差し入れるとエネルギーが半端ではないのです。しかも玉置神社本殿で感じたエネルギーとも大きく違うのです。これはどういうエネルギーなのだろうと、そのまま手を差し入れて感じている頃に前田さんが「ハーハー、ゼーゼー」と息を切らしながらようやく登って来ました(微笑)。

「前田さん、ここはエネルギーが凄いですよぉ〜」

「それより、この登りが凄いやんか。しかもなんでこんなに仰山の鳥居さんが立ってるんや?」そう言われれば、ここにたどり着くまでに嫌と言うほどの鳥居を潜り、その度に足を止めてお辞儀をしてきたのでした。更にご丁寧に、玉石社の直前の鳥居は例の二つ並んだ鳥居だったのですと言うことは、ここは玉置神社本殿よりも更に参拝者に厳しい「禊祓い」を求めていると言うことなのか
それほどキツクて強い神さんが祀られているということなのか

そう勝手に想像しながらご祭神を見ると「大己貴命(おおなむぢのみこと。大国主命の別名)」と書かれてありました。

玉石社にある杉の間から、どうやらその後ろにも結界を張られて祀られている、今度は黒くて大きな玉石が三個見え隠れしているのです。

「この石には神々が降臨するとされ、今も信仰の対象となっている」と書かれてあったことを思い出しました。実は、玉置山の名称のもととなったのもこれらの丸石・玉石で、玉置や玉石の姓をもった人たちが各地に石の信仰を広めたという、太古からの樹木や石への自然信仰がこの山の中ではいまだに生きているのだと強く感じたのでした。

脇の山道を少しあがると案の定木の柵を巡らせた一角がありました。そこには玉石社とは対照的に、黒くてごつごつとした大きな自然石が三体祀られていました。しかし私は何故かこの社の名前をハッキリと思い出せないのです。

【三石社】と立て札に書かれてあったような気がするのですが。どうも記憶が曖昧なままなのです
ここでも参拝後に写真を1枚撮りました。
しかし、私には写っている気がしなかったのです
と言うよりも、写してはいけない聖域だったような気がしていたのです。

前田さんもこの両お社の参拝を終え、まわりの土地を例の剣を探していました。

「前田さん、まだ上に登る山道がありますけど、この際徹底的に探してみますか?」

「ふぅ〜む。その道は以前登ったんやけどなぁ〜、玉置山の山頂に出るだけだったような気がするんやけどなぁ〜。以前は見落としてるということも考えられるし。ここまで来たんやから、行ってみるか

「はい、それではまたお先にぃ〜」
と若くて元気な私はさっさと山頂まで登りきったのでした。

「がっ!!」
やはり3本の剣は、その山頂にも途中の山道にも、影も形もありませんでした前田さんにそのことを告げようと少し引き返して、今登ってきた山道を見下ろすと、前田さんの少し後ろから例のカップルまで登って来ているのが見えたのです

このカップル、よほど心細いのか、ずっと私たちの後を追いかけているようなのです。前田さんの到着を待って、山頂に差し込むように設置されていた鐘を「カンカンカン」とまるで勝ち誇ったように三度打ち鳴らしました。その様子を見ていたカップルも同じように鐘を突いていました。

ここでカップルと少し話をしましたが、それが少し不思議な話になったのです。彼氏は無口で、そういうカップルはきまって女性の方が社交的でおしゃべりなものなのですがこれもバランスですネ。(微笑)

彼女の方が私に尋ねてきました。
「あのぉ〜、ところで何処に車を停めてきましたか? 私たちあんな所に車を停めてきたけど、あれは駐車場なのかなぁ〜?」と、今度は彼氏を振り向きながら話し掛けているのです。

「えっ、ちゃんと整備された立派な駐車場があったでしょ、、、。ラインまで引いて、しかもトイレ付きの

「・・・・・・・・?」(顔を見合わせるカップル)

「えっ、それじゃぁ何処に車を停めてきたの?そんな場所は他にはなかったけど

「私たちもこんな場所が駐車場かなぁ〜?って不安に思いながらそれでも駐車してきたんです」

「そんな場所あったけ?前田さんわかりますかぁっ?」

「さぁ〜、駐車場はアッコしかないはずやでぇっ!それに神社への参道の途中にも他へ抜ける脇道らしい処も無かったようやったけどなぁ〜。ところであんたら何処から来たんや?」と前田さんが尋ね返すと、どうやら私たちとはまったく逆側の『瀞峡』辺りから玉置山を登ってきたらしのです。それにしてもこの玉置山へ登る車の通れる道は、私たちが今日登って来た道路しかないのです。とすると、当然同じ駐車場に至るはずなのですが

その話を聞いた途端に、なんだか彼女たちが神の「眷属」や「使い」のように思えてきて、仲良くしようかな…”なんて急に親近感が沸いてくるのでした。

まだまだ私は「我欲」「煩悩」が捨てきれないようです。(悲)

天気が良ければ標高1076mの玉置山山頂からの眺めも美しかったのでしょうが、残念ながら霧と小雨のせいでその絶景の展望も望むことも出来ず、しかたなくさっさと下山することにするのでした。




【3本の神剣



本殿まで引き返す道すがら、やはりキョロキョロと3本の剣の突きたてられた場所を探すのですが結局何処にも見つかりませんでした。

「前田さん、本当に神社の中の小山か丘に突き立てられているんですか?」

「あぁ〜、たしかそう言うとったんやけどなぁ〜。でもな、お社の裏の木戸を開けた所って聞いたような気もすんのや

「えっ、それってぜんぜん違うじゃないですかぁっ」

「誰も小山に突き立てられてるなんて言うてへんでぇっ」

「・・・・・。でもそんな場所もなかったけどなぁ〜

玉石神社の険しい参道を降りる頃には、小雨を吸い込んだ山道がいっそうぬかるんでいて、足元を注意しながら降りないと滑って転びそうになってしまうのです。登って来たときは息もきれぎれだったせいで、その沢山ある鳥居の数を数える余裕もなかったのですが、降りる時は「ひとつ、ふたつ」と数えながら降りることが出来ました。

その鳥居の数は「9本」でした。たしか駐車場前の石の鳥居から本殿までの参道に立てられていた鳥居の数も「9本」だったはずこれが偶然であるはずがありません。

古代の「数」にまつわる思想は、その多くが「9」を完成の数として見なしていたと伝えられています。それから考えると、神の聖域である場所に「9本」の鳥居があること自体は当然のことなのかもしれませんネ。しかし、急勾配のぬかるんだ山道を足元に気をつけながら、しかも鳥居を潜り抜ける度に「9回」も振り向いてお辞儀をしながら降りるのは、、、とても神経をつかうのでした。

【玉石神社】【三石神社】の神さんは、登る時にも降りるときにも「試練」を与えてくれるとてもありがたい神さんなのでしょう、、、きっとネ(微笑)。

山道を降りきった社務所の脇にちょっとした休憩のできる場所がありました。古い井戸の脇に長机と椅子も置かれていて、湯のみ茶碗や灰皿も用意されていたのです。

「前田さん、ここらで一服しましょうか

「あぁ、そうしよう。そう言えばココのお水も奇跡の水って言われてるらしいでぇっ」
と言う話を聞くや否や、それまでは見向きもしなかった古惚けた井戸から水を柄杓にすくって一気に「ゴっクン」と飲み干す私でした。やはりまだまだ「我欲」と「煩悩」が(苦笑)。


椅子に座り煙草を一服していると、例のカップルが楽しそうに話しをしながら山道を降りてきました。そして私たちが休憩している方に近づいてきて、コンクリートで作られた長方形の池の周りに立てられた鉄製の柵に手をかけて、休憩がてら池の中を二人で眺めていました。

その時です、急に甲高い悲鳴が・・・。
「きゃぁっ!!」

「ん?なんやなんや?」

「ほらっ、あっ、あそこに、なんだか奇妙な生き物が、、、、。龍のしっぽみたいなものを振りながら泳いでるぅ〜、あの腹の赤い龍の子供みたいな生き物は

「それはオタマジャクシとちゃうのん?」

「えぇっ、龍だって!!」
と私も驚いて近づこうとすると前田さんが言い捨てるようにひと言、、、
「なぁ〜んや、、、あれはイモリやんか。イモリ、ヤモリどっちだったけ?」

と、一瞬緊張して張り詰めた周りの空気が一気に萎んでしまうようなつまらない、そして夢のない回答を、早々と涼しげな顔をして口にするのでした

「前田さん、ヤモリは家の守り神、水に住むのはイモリです」

「あっそうそう、、、、イモリや!」
しばらくその場はシラケっぱなしでした

そんなシラケムードにも飽きたのか、若きカップルはそこで私たちに別れを告げて、元来た玉置神社の山道を駐車場目指して帰りだしたのでした。

「さよなら、元気でネ!気をつけてお帰りよぉ〜」と二人の後姿に声をかけたものの、その道は私たちの車を停めた駐車場へとつづく1本道、、、。

「前田さん、ところであの二人は何処から来て、何処へ帰るのでしょうか?」

「そやなっ、俺たちの駐車場じゃないとすれば、いったい何処へ帰るつもりなんやろか?」

「天、神の国ですかネ?」

「・・・・・。タマちゃん、あほかいな

「・・・・・。いやだなぁ〜、これがロマンじゃないですか」

俺はロマンより、マロンの方がえぇわ!」

「・・・・・。ま、まいりました(微笑)」

漫才のような会話も周りがどんどんと暗くなっていくので一旦中止して、3本の剣探しに専念することにしました。本殿近くを散策していた前田さんが思わぬところから声を発したのです。

「タぁ〜マぁ〜ちゃん、あったでぇっ! こんな所にあったんやぁっ!」

「えぇっ!いま行きますからと、本殿を少し左側に通り過ぎた所に祀られている【大日社(大日堂)】のお社の真後ろに、周りを石垣のように積み上げられた石で固めた楕円形の小山のような盛り土があったのです。

その小山の真中には諏訪大社の御神木(御柱)のように、枝葉を切り取られた幹だけの10mくらいの木(御神木かな?)が突き立てられていました。そしてその前には、私たちが探し回っていた【3本の剣】が天に剣先を向けて逆さまに突き刺さっていました。

やはり私が最初に前田さんから話を聞いた時に想像していた九州の『天の逆矛』とはぜんぜん形は違っていました。剣の長さは全長7〜8mもあるでしょうか。後ろの御神木に比べて見劣りしないくらいに見事なモノでした。それは1本の大きな剣が小山のど真ん中に逆さまになって突き刺さり、その剣の中心あたりに2本の剣がクロス(×)するようにくっ付いているのです。その3本の剣の周りにはぐるりと勾玉を沢山ぶら提げた輪がかけられており、これを使いこなせる者がいるとしたならば、それは神か鬼か、はたまた天狗の類か、、、、とにかく尋常な大きさではありませんでした。

とにかくまだ真新しくて、曇空の中を暮れかけた夕日の薄明かりを受けて微妙に光を放っていました。残念ながらその剣や御神木の由来を書いた立て札は、太い綱で仕切られた結界の向こう側にあり、しかも由来を書いた文字もこちらを向いていないので、ご祭神・由来・歴史等々はなにもわからずじまいでしたしかし祀ってあるお社が【大日社(大日堂)】という名前であることと、その名前を書いた看板の上には金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅と書かれてある以上、ここは仏教系ということなのでしょうか

玉置神社の由来所を見てみるとそこには以下のように書かれてありました。


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『玉置神社由来所より』

7世紀後半、役行者(えんのぎょうじゃ)が大峰山を開いて修験道の本拠地となります。玉置山は、大峰入峰修験の順峰逆峰双方向の拠点として栄え、山伏姿の修験者の往来が増えてきます。天安2年(858年)天台宗智証大師が、那智の滝にこもり後、当山にて修法加持し、本拠仏を祭られました。これにより以後玉置神社は神仏習合となりました。神武天皇・景行天皇・天武天皇・清和天皇をはじめ、花山院・白河院・後白河院・後嵯峨院などが参拝行幸されたと伝えられ、創建以来元禄年間まで十数回の造営修復はすべて国費をもって行われました。また役行者・弘法大師・智証大師などもこの地で修行されました。

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【大杉たち


私も目的の【玉置神社】参拝を無事に済ませられ、前田さんも心に引っ掛かっていた【3本の剣】を見つけられたので、二人とも「ほっ」として、今度はさっさと大阪へ引き返すことにしたのです。

本殿前の石段の途中に立てられていた鳥居を潜り抜け、元来た参道を帰ろうとしていると、とっくに(天に)帰ったと思っていた若いカップルにまた出会いました。しかしそれが私には、なんだか最後のお別れの挨拶をするために出てきたように見えたのです。何故かと言うと、そのカップルはトンでもない道も在るか無いかもわからないような細い山道をよじ登るようにして登場したからなのです。

「あれぇっ、まだ居たの?なにやってんのこんなに何もないところでと尋ねたものの、あっ、これは若いカップルに尋ねることじゃなかったな…”と内心は失敗、しっぱい…”と反省したのですが、彼女等の応えは私の下品な想像とはまったく違っていました。

「この下へ行くと凄ぉ〜く立派な大杉があるんです。凄かったですよぉ〜。ぜひ見ておくべきだと思いますヨ」

「えぇ〜、大杉はさっきから何本も見てきたしなぁ〜

「私たちもそう思ったのですが、この立て札が目に入った途端に無性に見たくなって。ここの大杉は大杉という名前の大杉なんですよぉ〜

「 大杉という名の大杉なのかぁ〜、、、。そんなに凄いの?」

「はい、もう生きてる間にココへまた来られるかどうかもわからないですからネ。だからこの際ぜひ見ておくべきですよぉ〜。この坂を下るとすぐですから

「前田さん、どうしますか?」

「そやなっ、せっかくやから、そんなに見事な大杉なら一遍見ておくかぁ〜」
と前田さんには珍しく、樹を見るためだけに自ら山道を下りだしたのでした。

 、前田さんにも変化が起きている。
「金」でも「女」でも「食べ物」でもないただの1本の「樹」の為に自らの残り少ない体力を使おうとしているやはりこの御山のエネルギーは尋常ではないなっ…”と感心するのでした。

その『大杉』は彼女が言うように、イヤっ、それ以上に凄いものでした。ここ玉置神社には樹齢3000年といわれている大きな杉の大木が5本あるのですが、「神代杉」「夫婦杉」「常立杉」「磐余杉」「大杉」とそれぞれに名前を付けられ、その内の4本は本殿鳥居を入った境内にありました。そしてこの「大杉」は本殿を出た帰り道の山道の、しかも随分と下側にあるのです。

その5本、いずれも負けず劣らず立派な大杉でしたが、とくにこの境内を出たところにある「大杉」はひときわ異彩を放っており、他の4本を凌駕圧倒するほどに立派なのです。

「タマちゃん、、、これは来たかいがあったなぁ。こんなに大きくて何千年も生きているのに、こんなに若々しいなんて、、、」

「そうですねぇ。 きっとこの玉置山のエネルギーが凄いんでしょうネ」

「そやなっ、ココは神社もヨカッタけど、俺はこの杉を目にし、実際に手で触れただけでも今日遠路遥々やって来た価値があると思うんや。なんで、こんなに若々しくて、勢いがあるんや

「はい、そうでうネこの時私はこう思いました。

 きっと前田さんは自分では気付いていないが、前田さん自身も今年で50歳、、、。その自分の加齢による肉体的・精神的な衰えを実は心のどこかで感じているはず。その衰えに対する悲しさ・淋しさ・侘しさという潜在意識が、老木であるはずの大杉が今もなお元気で若々しいということを自分に置き換えて、自分を励まし、そして俺もまだまだ大丈夫と感激し、共鳴しているのではないだろうか…”と・・・。
(こんなの読んだら、、、きっと前田さんは怒り出しちゃうヨ。苦笑)

きっと境内の4本の杉の大木は本殿に祀られている神を護る「四天王」の役割を担い、境内外の「大杉」は更にその前線を護る為に植えられたものではないのかと、「ふっ」とそんな気がしたのでした。だから他の4本よりもひときわ立派なのだと、、、。




【いざ大阪へ


すっかり暗くなる前に玉置山山道を急いで帰り始めました。
山道の途中でイノシシの子供が道に飛び出してきたらしく、

「あっ、あれっ、イノシシやイノシシ。ウリボウやがなと振り返った私の視線はウリボウを捕らえることはできませんでした

そう言えば、この山道は来る時にも道のど真ん中に木の長い枝が落ちているように見え、前田さんも車のスピードを落としてユックリと枝を跨いで通り過ぎようとしたら、その長い枝が「くねくね」と急いで逃げ出し、じつは大きな蛇であったことにビックリしたのですが、それを見つけたのも前田さんでした。と、普段は私がそういうのを先に見つけるはずなのですが、今日の私は違っていました。

私はこの『八咫烏』に導かれて足掛け2年に渡った長い長い旅がココで完結したことを心の何処かで感じていました。目的を達成して、その想いが私をしばし放心状態にさせていたのかもしれませんネ(微笑)。

「タマちゃん、不思議やなぁ〜」

「えっ、なにがですか?」

「この山(玉置山)は人の手が加えられたような建物が1件も見当たらんのや

「そう言えば、普通なら民家はなくても山小屋とか炭焼き小屋とか、建設作業のプレハブとかありますもんネ」

「なっ、そやから、ここは実はこの御山がご神体だったんやなっ。御山自体に結界が張られているんやわ、きっと

「そして、この山自体が何千年も前から未だに変わらずエネルギーを発散しつづけているんですネ」

「うん。そやからあの大杉なんやなっ」

「はい、きっとそうですネ」

と話をしている内に私たちはまた国道168号線に帰ってきました。ここからは奈良県「五条」に向かって、来た時と同じ道を今度は逆走でひたすら走りつづけるだけなのです。国道に出た途端、と言うか玉置山を出た途端に「ザーザー」と音を立てて天から雨が落ちてきました。それはまるで「待ってました」と言わんばかりのタイミングでした

「タマちゃん、今日の禊祓いはもう終わったんと違うんかぁ〜?」

「はい、でもこれはきっと、玉置山のエネルギーを全身に浴びた私たちが外界へそれを持ち帰らない為の 逆禊祓い現象ではないんでしょうか?」

「ほぉぉぅ〜、、、逆禊祓い現象かぁ〜。上手いこと言うなぁ〜」

「はい。私はロマンを求めて旅していますから(微笑)」

「俺はマロンを求めて旅してるからなぁ〜(笑)」

「・・・・・・・。」

十津川の両脇は高い山々が連なっています。折からの雨がその山肌を伝い滝となってアチラコチラから十津川に流れ落ちていました。この地はよほど水はけが良いのか、山の切り立った崖はインスタント滝のオンパレード状態になっていました。いままで何もなかった崖から突然滝が出現し、水が噴出すのですからそれはビックリしますよネ。

途中その光景を車を止めて見物する人もありましたが、先を急ぐ私たちにはそんな余裕も無く、ただただ今日中に前田さんの家に到着することを願って走りつづけるのでした。この時の時間は午後7時ちかくになっていました。往路で通った県道は、この雨と暗さではあまりにも危険ということで国道168号をそのまま走ることになりました。運転技術が抜群の前田さんが危ぶむくらいですから、その県道が如何に困難な道かが想像されることと思います。

「タマちゃん、晩飯どうする?」

「はっ?また前田さんチの近くの暖中(だんちゅう)じゃないんですか?」

「あほっ、なに言うてんねん。今日中に着くかどうかもわからん言うてんのに

「いえ、私は到着が夜中になろうと我慢できますけど

「俺が我慢できんねん!どうして暖中ばっかり行きたがるんかわからん

「だって、ほら、あそこはスタッフが若いお姉ちゃんばかりでしょ」

「やっぱりな。タマちゃん、この雨はその煩悩への禊祓いとちゃうか?」

「ウソですよ、いやだなぁ〜。ほらっ、私は普段家では毎日自炊でしょ。しかも超健康食・自然食ばかり。だからたまには油を使ったコッテリとした中華料理が食べたくなるんですヨ

「ふぅ〜ん、、、。それならその辺で適当に中華屋さんを見つけて入ればえぇやんか」

「私は焼飯と餃子が食べたいんです。ラーメンも少し、、、」

「ほなっ、そういう店をそこらで見つけようか

「・・・・・・・・。だんちゅうぅぅ〜」

「暖中はそんな遅い時間まで開いて無いから、あきらめなさいっ!!」

「五条」に着いたのは午後9時を少し過ぎていました。
『天理ラーメン(?)』というチェーン店らしき中華屋さんで、希望どおりの焼飯・餃子・ラーメンを食べました。前田さんも流石に疲れていたのでしょう、、、その店の駐車場に車を入れる時に路肩を乗り越えるように進入してしまい、「ガタン」と車が大きくバウンドしたのでした

「前田さん、だいぶお疲れのようですネ

「・・・・。俺としたことが

しかしいくら助手席だとはいえ私もそうとう疲れていたのでしょうか、その証拠に、テーブルに置かれていたサービス用の「ニンニクおろし」を、気がついたらレンゲに山盛り3杯もラーメンに入れて食べていました。

おいおいタマちゃん、そんなにニンニク入れるんなら、今日のお宿は隣の10畳の部屋に決まりやな」

「えぇっ、あんな淋しい部屋にひとりにしないでくださいよぉ〜」

「でもなぁ〜、ニンニク臭いからなぁ〜。きっと

「明日の朝までにはエネルギーでなんとかしますから

「ふぅ〜む、それって、どうもエネルギーの無駄使いのように思えるんやけどなぁ〜」

と、なんだかんだと言いながらも、そのニンニク入りラーメンを一気に食べてしまいました。そしてまた、ひたすら大阪の枚方(ひらかた)を目指して走るのです。

「ところで前田さん、何時くらいに到着する予定なんですか?」

「さぁ〜、今日中に着けばメッケもんやな

「まだそんなにかかるんですか?」

「あのなぁ〜、奈良の道は夜は混んでるんや。国道24号・25号は特にな

「そうですか
とは言ったものの、目的を遂げ、朝からの疲れがそろそろピークに達しようとしていた私は、「くぅっ」とビールを1杯飲みたくて仕方がなかったのです。

前田さんには珍しく初めて走る道だとかさらにカーナビもない車で、しかも混雑しているはずの奈良の国道は途中迷うこともなく、スイスイと十津川の流れのように流されるように気がついたら枚方方面の標識

「おかっしいなぁ〜。この時間の奈良の道をこんなにスムーズに走れるなんて

「前田さん、神社参りした後は、これまでもいつもこうだったじゃないですか」

「うん、不思議やけど、ホンマやなぁ〜」

と、ようやく前田邸に到着したのは午後11時でした。途中、暖中の隣のコンビニでビールとつまみを買出しする為に寄りました。

「あっ、閉まってると言ってたくせに暖中がまだ開いてる

「ホンマやなぁ〜、でももう遅いでぇっ!」

「だまされた

前田さんもそうとう疲れているはずなのに、眠気のピークを過ぎたために眠れず、1階の台所で私のビールに付き合ってくれました。

「タマちゃん、今日の玉石神社へあがる山道がきつくてなぁ〜、俺も歳かな。筋肉が張ってるわ」

「もう十分な歳ですヨ。こんな時は ストレッチをしてから寝た方が良いですヨ」

「えっ、こないに疲れてるのに、タマちゃんはまだそんな元気あるのんか? ほなビデオを用意したるから、さっさと済ませて来てや?俺はココで待ってるさかい

「ビデオを用意、さっさと済ませる、ココで待ってるって、、、、?」

「いまから ひとりエッチをする言うたやんか

「・・・・・。前田さぁ〜ん、、、どういう耳をしてるんですかぁ〜。私は情けない

「あほっ、冗談やがな!俺かて情けないわ



この数日間、こんな掛け合い漫才のような会話の連続でした(微笑)。
私がこんなに楽しくエネ研鑚ができるのも、すべてこの良き兄貴分である前田さんがいてくれるからなのです。

前田さんは、「俺はタマちゃんの運転手かいな」と言いますが、そうでないことは私が一番良く知っています。

この世は、いつも誰かが誰かの道案内なのです。
今回は私が案内される側のような形にみえますが、実はその逆でもあるのです。
私が八咫烏に導かれるように辿った今回の長い旅、それはけっして前田さんに無関係な旅ではなかったはずなのです。
その意味は今はわからないかもしれませんが、前田さんの中にも変化の兆しが現れているのです。

今回の旅は、どうやら『八咫烏』や『リセット』がテーマではなかったようですネ!
八咫烏に導かれて旅をつづけ、数々のリセットが起こり、そして現在は、、、?

みなさんはお気づきでしょうか?
私の今回の文中に『逆』という字が何度も登場していたことを、、、。
「天の逆矛」「逆さに突き立てられた剣」「逆側の瀞峡辺り」「元来た道を逆走」「逆禊払い」等々

私も意識して書いているつもりはまったくないのです。
読み返して初めて気付いただけなのですが、、、。
これを偶然と済ませることも出来ます。

しかし、この世に偶然は無いと言いつづけている私ですから、何らかの暗示のような気がしているのです。そう考えると、どうやら次のテーマは『逆』ということになりそうですネ。

『逆』は、「ぎゃく」とも「さかさ」とも読めます。
「さかさ」はどちらから呼んでも「さかさ」なのです。
と言うことは、「天」は「地」であり、「地」は「天」でもあるのです。

九州の神社の裏山に逆さに突きたてられた『天逆矛』は、安定の無い島を打ち付けることでその場に留める為に突きたてられたと書かれてありました。

それならば、何故「矛先」が天に向いているのでしょうか?
これはその矛が逆さを向いているのではなくて、実はそれを観ている私たちが逆さに転倒しているということを象徴的に教えているのかもしれないのです。
『反転』『逆転』、この辺りが次の旅の「キーワード」となるのかもしれませんネ(微笑)。

今はただなんとなくおぼろげにしか見えていませんが、それはそれなりに、早急には結論つけずに、なすがまま、あるがままに、私はのんびりと次の流れを楽しみに待つことにします。(微笑)



エネルギーに良い悪いは無い。

それを使う側に良い悪いという価値感や手前勝手な判断が存在しているだけなのです。
エネルギーはその使い手の意識の赴くままに、そのとおりに働いているだけなのかもしれません。

こんなにエネルギーを楽しんでいる私たちですから、エネルギーは私たちを決して裏切らない

それを信じて、自分を信じて、この道を誰かに導かれ、誰かを導きながら歩いて行くだけなのです。



ありがとうございました。










               ― 熊野三山の旅・全三話 終了 −



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LaLast Update : 2003/11/15st Update:2002/4/24