- Where Are Twin Dragons Go? -

体験談

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超能力レポート・パート41
 アビエルト誌2004年7月号に投稿、掲載されず…
超能力レポート・パート40! 
『霧の玉置神社…!!
熊野三山への旅…!!
熊野古道・中辺路を歩く…!!
『タマの歩き遍路の旅』より,完結編!
       アビエルト誌2004年6月号掲載
超能力レポート・パート39! 
夢とロマンのエネルギー…!!
                未発表
超能力レポート・パート38! 
『エネルギーは時空を超えて…!!』
アビエルト誌2003年8月号掲載
超能力レポート・パート37! 
四国八十八ヶ所歩き遍路の旅
『タマの歩き遍路の旅』より
アビエルト誌2003年7月号掲載
超能力レポート・パート36! 
熊野古道・中辺路を歩く…!!
『タマの歩き遍路の旅』より
アビエルト誌2003年4月号掲載
超能力レポート・パート35! 
『ちょっと面白い、目で観るエネルギーの 話し…』
『タマのひとり言』より 
アビエルト誌2003年3月号掲載
超能力レポート・パート34! 
タマのぶらり、ぶらぶらひとり旅…!
『タマのひとり言』より
アビエルト誌2003年2月号掲載
超能力レポート・パート33! 
『動きはじめた流れ…!』
アビエルト誌12月、1月号掲載
超能力レポート・パート32! 
『北の国からの予感…!』
アビエルト誌2002年10月号掲載
超能力レポート・パート31! 
『アシリレラ あたらしい風』
アビエルト誌2002年6・7月号掲載
超能力レポート・パート30!
『十二湖エネ散策ツアー』


                  (体験談2001年11・12月号に掲載予定でしたが
                          その後ETP協会が旗揚げした為にボツとなりました)

                 超能力レポート・パート29!
                ― 『佐太神社・出雲大社』正式参拝ツアー ―
                                         会員番号10686 玉川 芳伸


【故山岸隆前会長に捧ぐ!】
昨年の10月14日に山岸隆前会長が永眠されてから早一年が経とうとしています。
村上龍氏と山岸会長の『超能力から能力へ』という本を手にした時から始まった私の新しい人生…。人生がこんなにも楽しく素晴らしいものであること、そして夢と冒険に満ちていたのだと改めて知る切っ掛けを作ってくれた山岸会長。私にとっては父のような存在であり、恩師でもある山岸会長…。会長がこの素晴らしいエネルギーを惜しみもなく我々に与え、財産として残してくれたことに感謝しています。


私の『出雲大社』参拝は今回で三度目になります。一度目は会長とご一緒させていただき、当時私はエネルギーも神さんもわからない状態ではありましたが、大変貴重な体験を致しました。そして、それは今となっては忘れることの出来ない楽しい思い出となってしまいました。

二度目は会長がお身体の具合を悪くされていた為、会長抜きの『出雲』参拝でした。しかし、現在の仁井本新会長や前本理事長、高橋事務局長等の気さくな人柄と、心配りで“無礼講”での楽しい(はちゃめちゃな)宴会を過ごすことができ、これもまた忘れえぬ思い出となりました。いつも会長に可愛がられ、弟か息子のように隣にチョコンと座っていた仁井本さんが今度は新会長として、『出雲』参拝を率いることはきっと会長も喜んでおられることと思います。「おい仁井本、お前大丈夫かぁ〜…。しっかりやれよ!それと人前であまり飲みすぎるなよ…」と微笑みながら優しく見守られていることでしょう。

残念ながら今回私は仁井本新会長とはご一緒することは日程的に無理なので、一足お先に『出雲参り』をさせていただきました。

生前会長が私の体験談をよくご覧になっていたと聞いております。もうすぐ一周忌を迎える会長に、会長の好きだった『出雲』の風を送るために、私は今回の体験談を書かせていただきます。


【旅立ち前夜!】
9月7日(金)、明日からのPH関西支部主催『佐太神社・出雲大社』正式参拝ツアーの集合時間に間に合わせる為に私は止む無く前泊で大阪入りするのでした。

止む無くとは言いながらも、北海道からは八木橋くんも函館の会員さん二名を連れて本日大阪入りするし、9月1日に開設した私のHPの中にあるコーナー『ジコリのインタビュールーム』のインタビュアーであるジコリさんも我々が7日に大阪で一泊するというのを聞きつけて、「ぜひ、大阪で第1回目のインタビューをやりたい」と申し出があったし、だから実は彼・彼女らと“前夜祭”で飲むことを楽しみにしているのですが…。

天気予報では台風が二つも日本列島目指して近づいている。高松もバケツの水をひっくり返したように「ザーザー」と音を立てて空から大きな雨粒が落ちてきているし…、本当に大丈夫なのだろうか?
しかし前回の『しおがま神社』参拝の時も、その前後の天候はずっと雨ではあったが結果的には目的をちゃぁ〜んと果たせたし、今回もなんとかなるだろう…、とは思いながらも一抹の不安を胸に宿泊地である新大阪に向かって出発するのであった。

午後4時前に『新大阪駅』に到着。大阪もやっぱり雨でした。駅構内のコンビニでビニール傘を買い、さっそく本日の宿泊ホテルである『新大阪ワシントンプラザホテル』にチェックインを済ませ、部屋でみんなからの連絡を待つことにする。

ところが予定では同じくらいの時間にチェックインするはずの北海道組からの連絡が待てど暮らせど入ってこない。一人ホテルの部屋で退屈していた私は、遂にガマンできずに八木橋くんの携帯に何度か電話をかけるが、これもつながらない…。“飛行機、飛ばなかったのだろうか?”という不安が頭を過ぎった瞬間、“いやだなぁ〜玉川さん。僕が乗るのに、絶対大丈夫ですよ!”と言わんばかりに突然携帯のベルがけたたましく鳴った。

「あっ、玉川さん、いやぁ〜まいった、まいった…」と電話の向こうで八木橋くんが一人まいっていた。
「いやぁ〜、この台風のおかげで飛行機が遅れるし、おまけに凄く揺れちゃって…、『関空』に着いたら着いたで、今度は『はるか』がノロノロ運転なんだわ。もう近くまで来ていますから…。ところでジコリさんはもう来てるんですか?」

“そうだった…。ジコリさんもこの台風の中、無事にやって来られるのだろうか?”

実は『ジコリのインタビュールーム』を私のHPの中に開設させて欲しいという要望をお聞きした時に、インタビューの方法は電話・FAX・メール等を使わず、実際に三人が会い、顔を付き合わせた対談形式でのインタビューしか受けないという過酷な条件をつけていたのである。しかし、この台風の中を『佐太・出雲』ツアーに参加するわけでもないのに、わざわざ一泊して大阪まで来させたことを私は少し後悔していた。

ホテルの自室で待つこと15分。予定よりも1時間半ほど遅れて北海道組がやってきた。八木橋くん以外の二名の女性は、なんだかもうツアーを一つ終えてきたように憔悴していた。

「どうしたんですか?そんなに疲れた顔しちゃって…」と問い掛けると、
「飛行機が揺れちゃって…、100メートルくらい真下にジェット・コースターのように落ちるから…」と話しながらその時の光景を思い出したのか、顔が見る見る青ざめていくのがわかる。
そう言えばこの二人、「飛行機大嫌い!」と乗る前に言ってたんだ…。これできっと益々飛行機が嫌いになっただろうなぁ〜…。

そういう私も実は飛行機が大嫌い!しかし、こうも毎月のように高松・北海道と往復を繰り返している為か自然と慣れてしまっていたのだが、その二人の臨場感溢れる話を聞いている内に私までその場にいたような感覚になり、おまけにその場のエネルギーまで感じ出してきて膝頭がガクガクと今にも震えそうになってしまった…。

ジコリさんからも「ごめんなさぁ〜い。もうすぐ到着しまぁ〜す」という連絡が入り、「とにかく隣の居酒屋でビールでも飲みながら待っていましょうよ」と四人でホテルの隣にある洋風居酒屋『宝島』に行き、食事を取りながら待つことにする。

送れてきたジコリさんを交えて取りあえずビールで乾杯し、それから4時間にも渡る“ほろ酔いインタビュー”が始まるのであった。

ジコリさんに会うのは我々も今日が初めてなので少し緊張していたのだが、それ以上にジコリさんの方が緊張しているようだった。その緊張を解すかのように我々は何度も生ビールをお代わりしていた。その為に結構酔っ払ってしまい、随分と余計なことまで喋ってしまったような気がするのだが…。

実際に見たジコリさんは、『ジコリのインタビュールーム』の最初の書き込みからは想像もつかないほどの清楚で、もの静かな大人の女性でした。しかも美人…。

ビールを何杯も飲みながら話している内に、ジコリさんが大変“神道”に詳しい方だということがわかる。この人もやはり “只者”ではないのであろう。そして、我々がここでインタビューを受けていることすら何らかの意味があるのであろうと推測される。

ここでのインタビューの内容はジコリさんが私のHPに書き込んでいるので省略させていただきます。しかし、あの4時間にもわたるインタビューを、いくら録音していたとは言いながらも、酔いも手伝って好き勝手に喋る我々の話をHP用に編集するのは至難の技…。それを、あのようにうまく二人の特徴を捉えて掲載するとは…。

特に八木橋くんは『八木橋の部屋』よりも、このインタビューの方が彼の特徴が良く出ているように感じ敬服いたしました。でも私はアレじゃぁ〜、ただのスケベな酔っ払いのオッサンみたい…。次からは酒抜きで、もう少し慎重に答えようっと…。

和気あいあいとした雰囲気の中、ふと我に返った私は何故か故山岸会長を感じていました。この店は山岸会長がご存命の頃、いつも大阪講演会後の『三千円の会』で使っていた店でした。
お酒が好きでよく笑いながら話していた山岸会長の顔を私は思い出していました。きっと会長は今も我々の傍に座って一緒に酒を飲みながら楽しそうに微笑んでいるんだろうなぁ〜、そんなとっても暖かいエネルギーに包まれながら『佐太・出雲』参拝の前日の夜は更けていくのでした。


【神話の国へ、いざ行かん!】
翌朝7時にホテルのロビーに集合し、モーニングを食べる為に『西中島南口』近くの八木橋くんお気に入りの喫茶店『コーヒー館』へと向かう。まだ降り止まぬ小雨の中を散歩がてらにプラプラと4人で歩いていく。

そこでさっさと朝食を済ませ、ホテルに帰ってチェックアウト。そしてホテルから歩いて4・5分のところにある集合場所へと到着した時にはすでに結構な人数が集まっていた。

ひときわ背の高い“大黒屋さん”の姿が一番最初に目に飛び込んでくる。私のHPの掲示板への書き込みのお礼をしようと近づくが、会員さんたちとお話の最中だったので遠慮して、ご挨拶は後回しにすることにした。

周りを見回すと普段大阪講習会では見慣れない顔が多い。スタッフの人に聞くと、PH会大先輩や元会員さん等も参加しているらしい。

そんな中、仙台でスプーン曲げを一緒に興じた“ドクター佐藤”や、『しおがま』でご一緒だった“沈黙の紳士”こと塚本さんご夫妻や、私の体験談ではいつもお笑い部門担当の“ヒゲの前田さん”、見慣れない背広姿の“怖がり井村君”、そしてやはり我々と同じように前日に大阪入りして、あの雨の中を『USJ』へ行ってきたらしい札幌の水島さんと鎌田さんの顔も見えていた。

バスに乗る寸前までみなさんとお話をしていた大黒屋さんに、私のHPの『掲示板』への書き込みのお礼とご挨拶を済ませ、総勢46名の能力者たちはゾロゾロとバスに乗り込んでいく。

予約受付人数を6名ほどオーバーした為か、みんなで乗り込んだバスの中は後ろ半分は補助席を出さないと全員座れない状態で、結構窮屈であった。そのせいかエアコンの効きが悪くて、身体がすぐに汗ばんくる。

おまけに“昨日までの台風は何処へ行ってしまったの?”と言わんばかりに空は既に薄日さえ差し始め、出発を待つ短い時間の間にはカーテンを閉めなくては我慢できないほどの、強くてまぶしい陽射しにまでなっていた。

それはまるで、これから始まる我々の旅が、“ただのツアーじゃ終わらせないぞ!”と言わんばかりであった。

そんな蒸し暑いバスの中で関西支部スタッフのご挨拶が一通り終わり、バスが近畿道に入った頃にいよいよ前回の私の体験談にも登場した、“大黒屋さん”こと、四方(しかた)二代目理事長のエネルギーのお話が始まる。

みんな昨日までの台風で疲れているはずなのに、“一言も聞き漏らさないぞ!”と言わんばかりに真剣な眼差しに変わっていく。中にはインターネット・ユーズド・ブックショップ(ウン・ドス・堂)のオーナー“タケちゃん”のように熱心にメモまで取っている人もいた。

大黒屋さんの山岸会長との思い出話や、エネルギーに関するお話は次から次へと止めどもなく湧き出てくる清水のようで、私の頭からは既に溢れてこぼれ落ち始めていました。

そのエネルギー技術の名前だけでも『観音』『440ヘルツ』『トラトラじょんじょん』『宇宙からのトリートメント』等々と数多くて…、ですから一度で覚えきれるはずもなく、私もメモを持ってこなかったことを後悔するほどの多種多様に渡る内容の濃いお話でした。

「まぁ〜タケちゃんがメモっているから後で見せてもらえばいいや…」と、あきらめて私はまた大黒屋さんのお話に集中するのでした。

その中でも私が特に感激し、心に一番強く残っている言葉があります。
それは、

「本来、エネルギーでの調整は、直接おこなうよりも遠隔でおこなった方が実は効果が高いものなのですよ!」

という、この一言を聞いた時に、私は『遠隔専門調整師』として、今まで自分が信じておこなってきたことが間違っていなかったのだと、溜飲の下がる想いがしていました。

この一言を聞き終えた私はすっかり安心し、昨日からの疲れも手伝ってか、みんなが真剣にエネルギーのお話しに聞き入る中、隣で気持ち良さそうに寝息をたてて既に寝ている八木橋くん同様に眠りについていくのでした。

“しかし、大黒屋さん…。さっきから本当に何時間もズ〜っと喋りっぱなしである。疲れないのだろうか?それとも普段話し相手が一人もいないのだろうか(スイマセン…)…?その大事な話を聞きもしないで、私の隣りでずっと平然と眠っている八木橋くんも大物なのか?それとも…”と、失礼な考えを思い浮かべながら、私は段々と深い眠りに入っていくのでした。

昼を少し過ぎた頃に米子道の昼食予定地『蒜山高原(ひるぜん)インター』に到着。休憩所のレストランに向かう道すがら、八木橋くんと大黒屋さんが肩を並べて楽しそうに話しをしていた。

同じテーブルについた我々の前に並べられていたのは“焼肉セット”であった。

「焼肉といえば、やっぱビールでしょ…」と八木橋くんが言うと、大黒屋さんも「うん、飲もう飲もう、ビール!」ということになり、昼間っからビールで乾杯をする。

“やれやれ、どうして私の体験談には、こうもビールばかり飲んでいるシーンが多いのだろうか…”とダイエット中の私は、これを書いていて一人反省するのでした。

ffffffffffffffffffffffffffffffffffff

もちろんその昼食の間もエネルギーの話一色でした。食事が終わってからも、周りの人達が早々とバスに引き揚げるのを全然気に留める様子も無く延々と話をしていた為、ふっと気がつくとレストランには我々3人しか残っていませんでした。私も二人のやり取りがあまりにも面白いもんだから、つい我を忘れて聞き入る内に周りの状況が見えていないようでした。

しかし、この二人の話は本当に聞いていて飽きないし、面白い。この八木橋くんの熱心さ、豊富な体験こそが、あの大黒屋さんに対しても“物怖じ”しない、彼の自信の現れなのかもしれませんがネ!

八木橋くんに後で、「さっき、レストランに行ながら大黒屋さんと何を話していたの?」と尋ねると、
「実は玉川さんの『しおがま神社』の体験談の中で、僕がしおがま神社の拝殿で玉川さんに向かって、
“玉川さんは昔あそこに座って神官をやってたことがあるでしょ”って言った件の話を大黒屋さんに、“本当にそんなことってあるんですか?僕はあの時本当に神殿の奥に居て、玉川さんがこちらを向いて座り、祝詞をあげている光景が見えていたんですが…”って尋ねてみたんです。

そしたら“うん。あるある。それがさっきバスの中で話したエネルギー技術の『たまふり』だよ。だから君は既に出来ているんだね。神さんに手を引っ張られた話も、実際には走っても付いていけないくらいの勢いで引っ張られたりすることもあるんだよ…”って話してくれたんです。

でも僕はそのお話の最中はどうやら居眠りしていたらしくて、“『たまふり』、君はできてるね!”って言われても意味が良くわからなくて…。玉川さん『たまふり』ってなんの事ですか?」

「えぇ〜、聞いてなかったのぉ〜…。やれやれ…、そんな大事な話を聞き逃していたなんて…。後で前田さんに聞いてみようね。実は俺も寝ていたから知らないんだ…」

「・・・・・・・・。」

そしてバスは再び山陰道・松江道を本日のメインイベントである『佐太神社』に向かってひた走るのであった。ところが神社が近づくにつれて私は頭が痛くなり始める。ふと隣を見ると八木橋くんも同様の反応を示していた。

「玉川さん、なんだか随分と重いエネルギーを感じるんだけど…。しおがまの時とは全然違うなぁ〜…」と話し掛けてくる。

「うん、違うね。確かに重苦しいエネルギーだね。頭も少し痛くなってきたし…」と返事をしている間もなくバスは佐太神社の駐車場に停車する。

バスから降りて正面の神社を見ると、そこには私が2年前に“イタ飯屋のコック石尾くん”と車で訪問し参拝した見覚えのある、三つ横に並んだお社がひっそりと建っていた。
“そうか…。ここが佐太神社だったのか…。どうして今まで私の記憶から消えていたのだろう…”と不思議な疑問が頭に湧いていた。

実はバスの中で、「今まで出雲は2回来たけど、何故か佐太だけは来ていないんだよなぁ〜」と独り言を喋っていると、大阪の同期の調整師中川さんから、「嘘ぉ〜、タマちゃん体験談に佐太へ行って来たって書いてたやんか。裏の山へ登ったら頭が痛ぁ〜なってきて、怖ぁ〜て途中で引き返したって…」と指摘されていたのである。そういう記憶は確かにあるのだが、それが佐太神社であったという記憶が何故か全然私には無いのであった…。

神官の先導で垣内に入り、全員で“正式参拝”を行う。先頭を切って入ったはずの八木橋くんが何故か正面のお社を避けて石畳の右端に一人ポツンとたたずんでいる。その姿がいつものクールな彼らしくない。いつもの彼なら、例え誰がいようと正面に堂々と立っていそうなものなのだが…。その八木橋くんらしくない態度に違和感を感じた私は彼のそばに行き、どうしたのかと尋ねると、

「ここは違うわ。まだ右側のお社の方が感じるんだけど…、玉川さんどうですか?」と逆に質問されてしまう。

「うん。しおがまみたいなエネルギーは感じないね。大黒屋さんがご一緒しているから相当期待していたから、なんだか拍子抜けしちゃったね…」

「僕も神さんを感じないんですよ。確かにエネルギーは来ているんだけれど、神さんじゃないような…」と話している内に後から後からみんな入ってきたので、お互いに遠慮して自然とその話は中断してしまった。

どうやら『正式参拝』と『ご祈祷』とは、『神道』では全く違う意味らしく、『ご祈祷』は神官が祝詞をあげて神との橋渡しをし、我々の願い事を神に取り次いでもらえる儀式らしいのだが、今回は『正式参拝』である。神官は我々を垣内にある拝殿の前に案内するだけで、取りあえずお愛想程度の説明はするものの、後はこちらで勝手に参拝するらしい…。やけにあっさりとしたものであった。

参拝後に関西支部の今林理事に尋ねると、「あたりまえやんか…。玉川さん、そんなことも知らんかったんかいな…」と喋った後で、私の耳元に近寄り、周りに聞き取れないくらいの小さな声で「実はな…、僕らも今日初めて知ったんや…ハハハ…」と教えてくれた。

少し時間があるのか、バスがなかなか出発しようとしないので、我々はお社の周りの散策を始める。以前私が石尾君と登った裏山の登山口へとみんなを案内するが、やはりそこは薄暗くて周りの石さえ苔むしていて、あまり気持ちのよいエネルギーを感じることが出来ず、寒気がしてあわてて引き返す。

そしてお社の左手側に生えていた“御神木”のような、大きな祠(ほこら)のある木の周りに大変強いエネルギーを感じて、それを二人で話し、しおがま参加者等と確認していると一人二人と集まって来て、みんなその祠に手を入れたり出したりしている。

他に観光客がいないからいいようなものの、もし関係者以外にこの現場を見られたら、きっとみんなで木の祠に“分別ゴミ”を不法投棄していると勘違いされていたであろう…。

ふとその祠から生えている小枝の先に目を向けると、黄緑色の全長1センチくらいの小さな“アマガエル”がとまっていた。「あっ!蛙だ」と私が叫ぶと、しおがまでご一緒だったみんなも「どれどれ」と覗き込む。

「また蛙なのぉ〜…?」と誰かが言っていた。そう、しおがまでも我々は小さな蛙に遭遇していたのでした。
「タマちゃぁ〜ん、またぁ〜…」と八木橋くんが私に向かって話し掛ける。彼の言う「またぁ〜」には、もう一つ意味があるのでした。

そうなんです。私はどうやら蛙と縁があるようで、まだ雪の残る春先に『函館八幡宮』へ参拝に行き、そこにある『勾玉池(まがたまいけ)』という“エゾひきがえる”繁殖の池にエネルギーを封入させられたのでした。この“エゾひきがえる”、普段は函館山に住んでいて1年に一度だけ繁殖の為に山から下りてくるのですが、実はこの『勾玉池』でしか繁殖しないという希少な蛙らしいのです。

ところが私がエネルギーを封入したせいなのか、今年は異常繁殖し、その繁殖ぶりは北海道新聞でも記事として取りあげられていると八木橋くんから聞かされていたのでした。

だから八木橋くんの「またぁ〜…」には、そういう深ぁ〜い(?)意味があるのです。

ggggggggggggggggggggggggイルカさん
                    
絵の上をマウスポインタしてみてネ!

佐太での参拝を終え、バスはそのまま松江道を走りつづける。その間も大黒屋さんはエネルギーの話を延々と話しつづけていました。
「この人、疲れないのだろうか…?」と八木橋くんと二人で感心するばかりでした。

陽射しも少し薄暗くなりかけた午後の5時頃に、やっと本日の宿泊地である松江温泉『グランドホテル水天閣』に到着する。全員割り振られた部屋に分かれ、みなそれぞれに風呂に入ったりして夕食までの時間をつぶしていた。私の部屋は私、八木橋くん、塚本さん、井村君の4人であった。しかし、常に前田さんと石尾君が遊びに来ていたので部屋がなんとなく狭ぁ〜く感じるのでした…。

6時半、さぁ〜待望の夕食である。部屋で所用がある大黒屋さんを待つ間もPH会大先輩方の貴重なお話や、『アビエルト』で有名な『土井小楠』こと“松村康平さん”のお得意のケーナの演奏を聞かせてもらったりと、至れり尽くせりの宴会でした。

食事も終わり、みなそれぞれに『調整師の勉強会の部屋』とか、『カラオケに行くグループ』、『部屋でおとなしくしている人』とかに分かれたようで、我々4人と前田さん、石尾君を含めた6人は何処へも行かず既にひかれてあった布団を取りあえず片付けて、車座になって話をしていると、おそらくカラオケへ行く途中であったのでしょうか、通りがかった大黒屋さんが廊下から部屋を覗き込んで、「おぉ〜、ここは布団を片付けてるね。それならここで少し話でもしていこうかな…」と我々の部屋に入ってきたのでした。我々としては、それはもう願ってもないことだったのですが、この“少し話でも…”が実は夜中の3時まで延々と続くエネルギー談義となっていくのでした。

大黒屋さんがバスに引き続いて、いろいろなエネルギーの話を聞かせてくれる。私はもうそれだけで満足でした。“このまま話を聞いていたい、誰も余計な事を話し掛けないで…”と想っていると不思議なもので、その私の願いとは裏腹にすぐに会員さんの一人が、「質問したいのですが、よろしいですか?」と質問を始める。

それはどうやら大黒屋さんがバスの中でお話をされていた、これからの日本経済の展望や株式のお話に対する質問のようでした(実は我々二人は、そのバスの中での話の時はグッスリと夢の中だったらしく全然聞いた記憶がないのですが…)。
そう言えば、大黒屋さんのご本業は『経営コンサルタント』だとか…。まさにその道のプロなのですネ!

その方の質問にどう答えるのかな?と聞いていると、やはり大黒屋さんはエネルギー的にはどう見るかを先に答えるんですね。それを質問した方は経済論でやり返すのだから話がまるで噛み合わない…。その内に調整師の鍋野さんまで自分の持ってる証券の売却時期の話などをやりだすもんだから、せっかくの先程までのエネルギー談義で盛り上がっていた場が、一気に白けていくようでした…。

が、こういう話にも嫌がらずに真剣に答えるところが、大黒屋さんの優しさであり、懐の深さなのでしょうね。

そうそう、この日本経済の質問をされた方、バスの中で「あなたが玉川さんですか…。一度お会いしたかったのですよ。実は私、あなたのファンでしてね、体験談は全部読ませていただきました。そして第一話からキチンと閉じて本のようにして持ってきたんですよ。ほらね。玉川さんにぜひ一冊お渡ししようと思っていたのですが、欲しいという人何人かにあげちゃって…」と、綺麗に製本された本のようにまとめられて、封筒の中に残された一冊の私の体験談集を見せていただく。
まことにありがたいことです…。

そして、「この玉川さんの体験談は、まさしくPH研鑚会のマニュアル書のようなものですよ。これは会にとっても会員さんにとっても、大変貴重な物で…。あっ!、そうだ玉川さん。これ本にしませんか?これなら例の『PH徒然草』どころか、もっと売れますよ。なんなら私がひとはだ脱いでもいいし…」と、当の『徒然草』を書いた本人がツアーに参加している傍で喋るもんだから、内心私は“冷や汗”ものでしたが…。

経済論の質問で大黒屋さんを困らせるだけではなく、このように青年のような一面もお持ちの素敵な方でした。翌日のバスの中でも、先に乗り込んだにも関わらず、次々と乗車してくる女性達に席を譲り、結局ご自分は誰もが座りたがらない補助席で我慢するという優しい一面も持ち合わせている紳士なのでした。

「ね、安永さん…」
私は体験談を本にする話を忘れてはいませんヨ。本当にひとはだ脱いでくれるなら、私も真剣に考えますので、その時は本当にお願いしますネ。
(あぁ〜、私も早く夢の印税生活を送ってみたい。ナンチャッテ…)

気が付くと我々の周りは知らない間に一人二人と集まってきて、既に部屋は満杯状態で熱気とエネルギーでムンムンとしていました。その顔ぶれを見ると、関西支部の仲眞理事に今林理事やスタッフの面々、ドクター佐藤や調整師協会新会長北川さんを始めとして、同協会副会長神谷さん、大阪の調整師鍋野さんや前田さん、中川さん等々のそうそうたるメンバー…。そのメンバーを相手に延々と話し続ける大黒屋さん、それに途中から八木橋くんも話に加わって喋るもんだから、“こりゃぁ〜、エネルギーで部屋が暑くなるはずだわ…”と納得するのでした。

私はこういう席ではほとんど喋ることはなく、いつも聞き役に専念するのですが、さすがに疲れていたためか眠くて眠くて…。と言って、自分の部屋だから出て行くわけにもいかず、「もうそろそろ時間も時間だし、お開きに…」と言って、みなさんにお引取り願うわけにもいかず、みんなの話をウツラウツラしながらボンヤリと聞いていたのでした。

もう一人、ただ静かに押し黙って聞いている“沈黙の紳士”こと塚本さんは…?と、心配で時々覗き込むのですか、元気そうに聞いていらっしゃる…。
(まだ瞳が輝いている…。どうしてみんなそんなに元気なの…?)
“こりゃぁ私だけ居眠りするわけにもいかないぞ。我慢がまん…”と、睡魔と戦いつづけるのでした。

そんな熱気とエネルギーで満たされた出雲の夜も明けようかという午前3時過ぎにようやく解散。みなそれぞれに割り振られた部屋へと引き揚げていくのでした。

「さぁ〜寝るぞ!」っと思ったら今度は八木橋くんが、

「あぁ〜ダメ!俺、完全に目が覚めちゃったわ。よし、それなら井村君にこれをプレゼントしちゃおぅ〜っと…、えい!」と言う掛け声と共に、布団で既に眠ろうとしていた井村君の身体に何かを覆い被せる。

「ヒェ〜…、な、なんですかぁ〜コレ?なんだかグニョグニョして僕の腕にまとわり付いてきますよぉ〜」

「うん。さすが能力者。よくわかってるじゃん」

「なんなんですかぁ〜、コレぇ〜…?気色悪いですぅ〜…」

「あぁそれネ、金髪の美女のエネ体…。しかも外人。誰だか当ててみて…」

「えぇ〜、そんなもん僕欲しくないですよぉ〜…。ぼくぅ〜、日本人でいいですよぉ〜…。玉川さんなんとかしてくださいよぉ〜」

「俺は知ぃ〜らない…」

と騒ぐ騒ぐ…。まるで修学旅行生のようで、その内に枕投げでも始まりそうな雰囲気でした。その時八木橋くんが井村君に付けた金髪の美女のエネ体とは、実は生きている頃の“ダイアナ妃”だったらしいのですがネ…。

二人のやり取りを聞きながら目を閉じていると、フッっと私の脳裏に『UFO』が飛んでいるビジョンが急に見えてくる。透かさずその事を八木橋くんに告げる。

「あっ!八木橋くん、今UFO飛んでない?しかも空いっぱい…。ひょっとしたらあれが『スカイ・フィッシュ』かなぁ〜?」と言うひと言で、それまで沈黙を保って布団に横たわっていた塚本さんまでが飛び起きて宍道湖側に開いている窓辺に近づき、「どれどれ」と言いながら、八木橋くん井村君らと一緒になって3人でまじまじと真っ暗な出雲の天空を眺めている。

「うん、いるネ。でも肉眼じゃ見えないんだわ、これは…。確かにいっぱい飛んでるネ」と言う八木橋くんの言葉を遠くに聞きながら、私はさっさと一人で眠りについていくのでした。
(あした、朝早いんだから…、まったくもう…)

翌朝、私はみんなから「玉川さん、あんな話を我々に振っといて、後ろを見たら自分ひとりだけイビキかいて寝てるなんて、ズルイですよ…」と非難されるのであった…(トホホ…)。


【出雲大社で鈴が飛ぶ!】
「出雲の朝は早い」と何処かのコーヒーのコマーシャルではないが、昨日深夜まで、イヤ、今朝の明け方まで騒いでいた我々には特に出雲の朝は早く感じた。まるでコールタールのように身体に粘りつく濃いエネルギーを洗い落とす為に風呂へ行くが、そこで出会う見知った顔も皆同じように疲れていた。

7時半頃にさっさと朝食を済ませてバスに飛び乗り、本日のメイン行事である『出雲大社』正式参拝へと出発である。一昨日の台風は本当に何処へ行ってしまったのだろうか?出雲の空は一点の曇りもなく晴れ上がっていた。山岸会長が、みんなが来て喜んでいるのかな…。

今日は正式参拝の為に男性は朝から背広にYシャツ、そしてネクタイ着用という出で立ちでした。天候が良すぎる為か、私はバスに乗り込む前からYシャツの首回りが既に汗で気持ちが悪くなっていました。しかも持参したブレザーは冬物…。最悪のコンディションである。

そんなバスの中、ほとんど寝ていないにもかかわらず、相変わらず前田さんが八木橋くんと大きな声で話をしていた。

“んもぅ〜…。これじゃ寝れないじゃん…。『小周天』逆に回しちゃおうかな…”と考えていたら、寝る間もないくらい「あっ」と言う間に到着。

どうやら目的地である『出雲大社』はすぐ近くにあったらしくて、乗るや否や到着していました。バスから降りてみると、太陽はサンサンと輝き、地面はその熱を一つ漏らさず反射しており、あまりの暑さに私はウンザリとするのでした…。おまけに昨日飲んだお酒のせいで、噴き出す汗と共に身体中から酒臭ぁ〜い匂いがプンプンしてきて、それを嗅いで胸焼けしてくるし…(うっ、プップ…)。

待合所で少し待たされ、拝殿へ上がる為の通行証のようなタスキを肩からぶら下げて、全員で拝殿に上がり、“ご祈祷”を受けるのですが、ここで私は世にも珍しい光景を目にすることになるのです。

まるで声変わりしていない、ジャニーズ系の青年のような神主が、一際甲高い声で祝詞をあげ終わり、次は巫女さんの舞が始まるのである。私も3度目ということもあって、ここまでならいつもと同じ風景でなんら変わりないのですが…。

その巫女さん、片手に鈴の沢山ついたスリコギのような棒を持ち、それを振り回しながら舞を舞うのですが、その鈴の一つが巫女さんの持つスリコギから離れ、綺麗に放物線を描いてスローモーションのようにゆっくり飛んだかと思った途端、「ゴトン・ガチャン・チャリ〜ン…」と大きな音を立てて拝殿の床に転がったのでした。

周りを見ても皆神妙な顔をして誰も笑い出さないし、当の巫女さんを見てもまるで何事も起こらなかったように平然としており、その能面のような顔には動揺の気配すら覗うことは出来ませんでした。“さすがプロ!出雲の巫女は偉い!”と、道は違えども同じプロとして私も見習わなくては…。
これからは『遠トリ』で失敗しても平然としていようと…、あっ、ちょっと違うか…。遠トリに失敗はございませんのでご安心ください。とにかく良い勉強をさせてもらいました。

でもこの時の巫女さんのエネ体を調べたら、案外震えていたかもしれませんがネ…。

後で、八木橋くんに聞くと、彼はこの現象は初めてではないらしく、その意外な事実を聞かせてもらいました。詳しくお知りになりたい方は、是非彼に直接お尋ねください。
(あいにく私の体験談には、あまりに“おぞましくて”書くことができませんので…)

大黒屋さんも『御祈祷』が終わった後で、「こんなのは初めての経験です。今日参加されたみなさんは、鈴が飛んできたのだから、『金運』がついたんじゃないですか…」と、おっしゃっていました。

“そうか、『金運』か…。出来れば“鈴生り”で来て欲しいな…”と、また夢の印税生活で、“左うちわ右扇風機”生活を送る未来を想像し、一人ほくそ笑む私でした。

『お神酒』を飲み干し、『御札』を貰い、全員で拝殿奥にある垣内に入れてもらい参拝をし、本日の正式参拝を無事に終了する。

垣内から出ると京都の超有名TDE調整師である“金さん”から、「あんたら二人、ニューヨークからの依頼でW調整やりに行くんやってなぁ〜。ガンバッテやぁ〜、応援してるからなぁ〜。あんたらは我々TDE調整師の誇りやワ。フロンティアやな。ホンマに頑張ってな。わし、あんたら二人がニューヨークに行ってる間中、ずぅ〜っとエネルギー送って成功するように応援してるからな。本当に頑張ってや」と何度も励ましていただきました。

「金さんスミマセン…」
こんなに応援してもらったのに…、『出雲』から帰った11日の米国同時多発テロの為に、ニューヨ−ク行きはキャンセルすることに致しました。しかし、いつか二人で再び挑戦します。その時はTDE式調整師として、世界に恥じない実力を身につけて必ず…。

その後、奥の院の裏側にあるお社へと、また全員でゾロゾロと歩いていく。暑がりの私は流石にそういつまでもは冬物のブレザーを着て我慢していることが出来ず、失礼ながらも奥の院の正面でサッサとTシャツと短パン、そしてトレードマークのレイバンのサングラス姿に変身し、みんなの後を小走りに追いかける。
そのいつもの私の姿を目ざとく見つけた時吉さんに、「あっ、やっといつもの玉川さんに戻ったなぁ〜」と誉められる。
(私はあくまで誉められたと思っているのですが、違ったかな…?)

裏のお社で10人一組になって、まずはお社の正面で参拝。そしてお社の後ろに回りこみ、そこなあった大きな岩をまるで『岩戸開き』をするかのようにイメージで開き、エネルギーを感じてみる。
そして、今度は大黒屋さんに教わった呪文のような言葉、“トホカミ”・“エミタメ”を唱えながら『岩戸開き』をおこない、そのエネルギーの違いを研鑚してみる。

これで今回の二日間に渡るエネツアーの主だった行事をすべて終了したのである。

出雲での参拝を終え、バスは昼食の予定地である『島根ワイナリー』へと到着。昼食時にビールや試飲用ワインを飲んだせいか、お腹が膨らんだのも手伝って、帰りのバスの車中は皆“白川夜船”状態であった。

そんな中、サービス精神旺盛な関西支部スタッフによる『お楽しみビンゴゲーム』が始り、空クジ無しで皆それぞれにお土産をもらっていた。

予定の時間より少し早く、7時前に『新大阪』に到着。バスから次々と降りてくるみんなの顔は疲れてはいるものの、その瞳の奥には輝きがあった。この輝きこそが今回の『佐太・出雲』ツアーのお土産ではないのだろうか。

みな、それぞれがここで別れて行く。

ハワイからわざわざ参加された第7期調整師中村さん。そしてPH『みんなの広場』で時々名前をお見かけする、「今度お二人が『鹿島神宮』に来る時には、ぜひ声をかけてくださいネ」と言っていた茨城の久保木さん。帰りのバスの車中、嫌な顔もせずにズ〜っと井村君に肩を貸していた和田さん。インド旅行から帰り、疲れていたにもかかわらす参加されたヒーラー油村さん。佐太神社で待っていた奥さんと赤ちゃんを抱いて、すっかりお父さんの顔になっていた木下くん。このツアーを明るく盛り上げようと努力されていた北川新調整師協会長。そして東京から参加された神谷同協会副会長、塚本ご夫妻。PH会大先輩方等々・・・・・。

みなさんお疲れ様でした。また何処かの空の下で会いましょうね。

我々はその日も大阪宿泊予定でしたので、取りあえずホテルにチェックインして…と相談しながらバスの周りで愚図愚図しているところへ、
「八木橋さんたちはこれからどうするの?ん…?泊まりなの…。それなら一緒に飲みに行きますか」と大黒屋さんに声を掛けられ、総勢11名で『つぼ八』へまた飲みに行くのでした。

エネルギーの話に明け暮れ、どっぷりとエネルギーに浸かっていた二日間でした。
「さぁー、高松に帰ってからまた『W遠トリ』の忙しい日々が始まる。この二日間で学んだ、そして感じたエネルギーをしっかり使わなくては…」と心に硬く誓うのでした。


【あとがき…!】
山岸会長亡き後、初めての『出雲大社』参拝でした。

PH会関西支部の方々の精力的とも思えるサービスと気配りの妙。
大黒屋さんの“てんこ盛り”どころか溢れ出るほどの沢山のエネルギーのお話。
そして縁あって、この場に集えた素晴らしい中間たち。

これこそが山岸前会長が生前によく話しておられた「出雲はまさに究極の“縁結び”の地、『リレーションヌエボ』の地。みんな良い縁をもらって帰りなさい」という言葉の実体験なのだなぁ〜と感じていました。

残念ながら山岸会長は参加できませんでしたが、出雲は何ら変わることなく、そのエネルギーも色褪せることなく、静かにしかも威風堂々とたたずんでいました。

それは私の心に吹く一陣の心地良い風のようでした。
私はその風の中に故山岸会長の懐かしい匂いを感じていました。
そして、その風と懐かしい匂いを感じたのは私だけではなかったと思います…。

11月には仁井本新会長がご一緒される本部主催の『出雲』参拝ですね。
参加される皆さんも、ぜひこの素晴らしい地『出雲』で、仁井本新会長と共に心地良い風に吹かれてみてくださいネ。

この『体験談』は、もうすぐ一周忌を迎えようとする、故山岸隆会長に捧げます。
 
 「会長、素晴らしい“縁”をありがとうございました…」。
                                              2001・9・25 函館にて

    

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Last Update : 2004/6/3