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                   (月刊アビエルト誌8月号、投稿済!)
           超能力レポート・パート37!
                 ― 四国八十八ヶ所歩き遍路の旅 ―
                  ※歩行距離17キロ・所要時間約8時間30分
                                
                                       会員番号10686 玉川 芳伸




7月号掲載のアビエルト体験談『熊野古道・中辺路を歩く』は前半の部分が4月27日、後半は5月9日でした。ですからこの四国霊場歩き遍路はちょうどその中間くらいに体験したことになりますので、少しタイムスリップして書かせていただきます。

5月4日(日) ―1番・霊山寺〜7番・十楽寺まで―
「さぁっ、これから長い旅が始まる…」そして今日がその『四国霊場八十八ヶ所巡り・歩き遍路の旅』の第一歩を踏み出す初日なのです。午前7時25分JR高松駅近くのバス・ステーションに集合。そこには既に大きな観光バスが停まっていました。バスで待つこと10分、ぞろぞろとそれらしき人たちが集まり始めました。

白衣を羽織り、輪袈裟を首から掛けて、その手には金剛杖を持ち、平たく押し潰した三角錐のような竹で編んだ"すげ笠姿"というマニュアル通りの"霊場巡りの正装"で自宅からいらした方もチラホラと見受けられました。
私も、一度は白衣に"すげ笠"姿で金剛杖を突きながら遍路旅をしてみたかったのですが、流石に自宅からその格好では周りの目もはばかられ、バスの中で着替えを済ませることにしました。

八十八ヶ所巡りの楽しみには、まるで最近の有名"さぬきうどん店"スタンプ・ラリーのように、各寺を周り『納経帳』と呼ばれる"芳名録"のような和本にそのお寺の御朱印を押してもらい、札所名を直接筆書きしてもらうというのがあります。
その他に『お納経軸』『白衣(おいずる)』というものもあり、これらも朱印と札所名を書いてもらい、軸は表装して飾り、白衣は冥土へ旅立つ時にお大師さんに導いていただく浄土への通行証となるそうです。

とにかくそうこうしている内にバスは「あっ!」という間に一番札所である『霊山寺』に到着しました。
霊山寺山門は最近のお遍路ブームも手伝ってか、着ている白衣のために黒山ならぬ白山の人だかりでした。その白衣の背中には『南無大師遍照金剛』と筆文字で書かれてあるのが読み取れます。

各お寺では自由参加ですが、本堂・大師堂まえに集まって読経をすることになっていました。1番『霊山寺』でのお参りを済ませると2番『極楽寺』。そして次に3番『金泉寺』、昼食をはさんで4番『大日寺』、この時点で既に午後2時過ぎ…。まだあと半分ちかく残っているのです。

そして5番『地蔵寺』から次の6番『安楽寺』へ。
この頃になると元気なのは先頭を歩いている先達さんただ一人。私と言えば、先月27日の『熊野古道・中辺路ウォーク』で足先には既に"くつずれ"が出来ており、それが歩くたびに私の脳を刺激するのです。そして背中に担いだ重いリュックせいで身体が常に後ろに引っ張られ、それに反発して少し前屈みになって歩くもんですから腰の辺りの筋肉は「ぱんぱん」に張り、関節はまるで錆びた金属のように軋んで悲鳴をあげています。

なんとか6番『安楽寺』まで辿り付き、そろそろ太陽も西の山影に沈にかけ周りの景色も薄暗くなり始めた頃にやっと最後の霊場『十楽寺』に到着したのでした。

「やったぁ―!!」
遂に8時間半、歩き終えました。
しかし、こんな旅をこれから2年近く50回に渡っておこなうのです。私は本当に最後の日を迎えられるのでしょうか。これからは日々精進ですネ(微笑)。

っと、こんなに苦労して周った初日の四国霊場めぐり、これから2年間に渡って周るつもりでした。しかし、ある事情があってあっさりやめてしまいました。

それは、先月の熊野古道前半を終えた直後に過度の疲労の為か、恥ずかしい話ですがわたし"痔"になってしまったのです。しかし数日後に霊場巡りを控えているのですから、のんびりと自分に調整を行っている場合ではないのです。迷わず『肛門科』に通い、太い注射を患部に毎日のように打たれながら、やっとの想いで霊場巡り1回目と熊野古道後半を歩ききったのでした。

そして霊場巡り第2回目の1週間前の朝、くしゃみを3回しただけなのに、私は持病ともいうべき"腰痛"に襲われたのでした。十数年前に"椎間板ヘルニア"を経験している私には、それがどの程度の症状であるかは直ぐにわかりました。
そして、"もう周れない…"と諦めたのです。

しかし内心では、四国霊場を周ろうとする度に何らかの障害に見舞われる現実に、まるで「行くな」と言われているようで実は戸惑っていたのでした。そして気がついたのです。"あっ、そうか…。私はもう周らなくていいんだ。"と…。

第1回目を周った後、実は霊場巡りの意味するものがなんとなく分かったような気もしていたのです。それならば八十八ヶ所全行程を周る必要もないだろうと…。それよりもその頃のわたしは、消しても消しても湧き上がって来るある疑問と戦っていたのです。

私はPH会に入会し、初めてエネルギーの世界に触れました。
その不思議な世界にのめり込むように研鑚を重ね、最短距離で2年後には調整師に、4年で選任理事にも選ばれました。
そして入会から5年経った現在に至るまで、いろいろな場所に行き、不思議な人に会って話を聞き、技も見せていただきました。しかし、エネルギーとは形のないもの…。
私の探している答えや真実は何処にもありませんでした。

自分が専門に行っている遠隔調整についても「これだっ!」という正解は無く、イヤ、エネルギーでの調整法そのものについても疑問だらけでした。

「病気とは身体からのメッセージであり、本人に何かを気づかせる為のサインだ」などと良く言われます。それならば本人が気づきも消化もしない内に、依頼を受けたからといってそのサインを消すような行為を行っても良いものなのか?それは本人のいわゆる『業(カルマ)』であり、本来は自分自身で解消し、そこから何かを学ぶべきなのでは?それなら医者や治療家、施術家、調整師、ヒーラー等々は、この世でどういう役目を担っているのだろう?と…。

そんな悩みを打ち消す為に、内なる自分に答えを求めて、自分探しの旅としてこの歩き遍路を実行したつもりだったのですが、やはりそれは答えを外に求め、目の前の現実から逃げていたことに過ぎなかったのです。

歩き遍路をあっさり断念し、今の私に出来ることは何だろうと散々考えたのですが、やはり私にはこれしかありませんでした。遠隔トリートメントです。そして新しい調整法を模索しては試すという日々をずっと送っていたのです。

6月21日(土) ― 鎮魂歌 ―

そんなある日、"ゴースト・バスター"で霊能者のお坊さんがひょっこり我が家を訪れました。そして、氣・エネルギーの世界についての話をすることになったのでした。

タマ:「Kさん、私は分かりました!この世界には真実は何処にもないんですネ。手本になるような人もいなければ、教科書もマニュアルも無い…。何も無かったのです。私は雲を掴むように、形のないものを追い駆けてあくせくしていたに過ぎないんですネ?」

K:「玉川さん、真実なんてある訳ないでしょ。そんなものは氣の世界だろうと、普通の世界だろうと同じですヨ。もし有るとしたら、それは誰しも自分自身の中にだけ、その時の自分にとっての真実があるだけなのです。そしてもう一つの真実は、人間誰しも何時かは確実に死ぬということだけですヨ。」

タマ:「あっ、それって私がいつも言ってる…。イヤ、たしかに、そうでしたネ。(微笑)」

K:「それくらいは玉川さんなら分かっている筈でしょ。しかし、いつまでも堂々巡りのように玉川さんが同じことで悩むのは、やはりあなたには基本がないからでしょうね。我々には経典や祝詞という教科書があります。だからイザと言う時や、困った時には縋るものがありますが、あなたにはそれが無いですからネ。それは"救い"がないのと同じです。」

タマ:「はい。頭では分かっているのですが、どうしても気がつくとココに戻っているのです。ところでKさんは私たちが行っている氣やエネルギーでの癒しをどう考えているのですか?氣やエネルギーは見えないし触れません、そして聞こえないし感じないという曖昧な世界。それなのに依頼者からの質問に、自分も十分に解っていないことを知ったふりして答えている。私はそんな自分が許せないんです。私自身がエネルギーを感じないタイプだし、元来、エネルギーや氣では病気自体は治せないだろうと思っているからかな…?」

k:「あなたは十分観て、聞いて、感じているじゃありませんか。ただそれを自分で認めたくないだけなのですよ。病気が治せないって、そんなもの当たり前のことでしょ。病気は治せませんヨ。病気を治すのは昔から医者と決まっているんです。その医者だって病気自体を治している訳ではないのですから。」

タマ:「はぁ〜、そうでしたネ。じゃぁ〜木村さんは何をやっているんですか?それでお金を貰っている訳でしょ?良心の呵責というモノはないんですか?」

K:「良心の呵責って…、あのねぇ〜、私はね、初めから病気を治しているんじゃないのです。相手に変化を与えているだけなのですヨ。私たちに出来るのはそれだけです。しかし医者が見離したような人が私たちに依頼をしてくるという現実があります。何故ですか。」

タマ:「はぁ〜、その通りです。なんとなくその意味、ぼんやりとはわかるのですが…。」

K:「それはね、依頼者自身が変化を求めているからなのです。自らが治ろうとする気持ちの変化。生き方や性格を変えたいという変化。だから質問に答えるのも、決して嘘をついている訳ではありませんヨ。変化の切っ掛けです。そして私たちにはそれが出来る。依頼者にはちゃんとそれがわかっているのですよ。」

タマ:「はい、しかしそれは私がいつも言っている、"私がやっていることは切っ掛けに過ぎない"と同じですネ。」

K:「そうです。あなたはわかっているのに迷っているのです。しかし、切っ掛けを与えると簡単に言っても、実は本当にそれを出来る人は少ないのです。その代償として依頼者の方からお金を頂戴する。これも偽りの無い真実ではありませんか?依頼者はお金を払うことによって、この人なら治してくれるかもしれないという『安心と希望』を買うのでしょうね。そしてそのことで依頼者の中に変化の兆しが芽生えるのです。違いますか?その為にも、私たちは必要なのですよ(微笑)。」

タマ:「はぁ〜、まぁその通りかもしれないですネ。」

K:「しかし因果な仕事です。きっとこのような仕事を選んだ私たちは前世では大罪人だったのでしょうね。それを今世でつぐなっているような気がしてならないのです。」

タマ:「それって確か以前にも誰かが言ってたような…。と言うことは、エネルギー調整とは、実は自分自身の鎮魂の為に行っているのでしょうか?」

K:「はい、懺悔ですね。私はそう思っています。だから玉川さん、われわれのような仕事をやっている人間はお遍路さんはやらないほうがイイんですよ。昔から、お遍路さんは自分の悩みや心配事という因縁を捨てに周っている訳ですからネ。そこへ我々のような氣の世界の人間が同じように周っていたら、他人が捨てたものを貰いに行くようなものですよ。もともと、四国八十八ヶ所霊場とは、空海が日本の国に結界を張る為に作らせたものですからね。意味が違うんですヨ…。だから玉川さんは1回でやめて実は正解なのです。私は感じないって、ほらっ、ちゃんとわかってるじゃありませんか。」

タマ:「いやっ、これは腰が…。」

K:「3年ほど前、初めてお会いした時のことを覚えていますか?」

タマ:「はい。Kさんが私にゴースト・バスターを一緒にやらないかと誘った時でしょ。」

K:「そうです。その時玉川さんに何をどうしたいのかと尋ねましたよね。覚えていますか。」

タマ:「はい、確か私もKさんのような仕事をしながらアチコチのん気に旅をして、自由気ままに生きてみたいと言ったはずです…。」

K:「そうです。今のあなたは私から見ればその通りになったじゃありませんか。願いが叶った訳ですよね。これを仏教では『心願成就』というのですが…。いざ叶ってみると、どうですか、その自由気ままに生きて、アチコチ旅をするというのは…。」

タマ:「別に自由気ままに生きてる訳ではありませんヨ。のん気に旅をしている訳でもないし…。これでも見えないところではいろいろと大変なのですから…。」

K:「ハハハ。それでは見えてるところと見えないところ、そのどちらが本物の玉川さんなのですか?両方ですよね。見えないところを他人に見せる必要もありません。他人は見える部分だけであなただとわかるのですから。しかし実は、その見えていないところが大事だし面白いのです。見えている部分とはいっても、それは薄っぺらなものでしかありません。しかし、それすら創り出しているのは他人に見えない部分の自分なのですから。」

タマ:「ふぅ〜む…。それって、観えない『氣『や『エネルギー』の話をしているんじゃありませんか…?』

K:「そうそう。やっと気がついたの…(微笑)。観えない、感じないと言い続けているあなたが5年間もこの世界をやめずに未だに何かをつかもうとしている。その事実こそが、あなたにとっての真実でしょう。あなたにとっての真実はあなたという存在なのですよ。」

タマ:「はぁ〜、そんなモンですか…。」

K:「はい、そんなモンです(笑)。あっ、玉川さん、これをまた体験談に投稿しようと思ってるでしょ」

タマ:「もちろん!霊場巡りの旅行記なんかより、こちらの方が良い話がぐっと詰ってますからネ。これは霊場巡りを大幅にカットだな…。(笑)」

K:「ふぅ〜ん。まっ、好きにしてちょうだいな。(笑)」

Kさんの話も何処までが本当なのかは良くわかりませんでした。これはKさんにとっての真実なのかもしれません。
四国八十八ヶ所巡りも、神社巡りも、やりたい人は自由に周ればいいと私は思います。それがその人にとっての、その時の真実ならば…。

結局は、誰に何を聞こうと、何処へ行こうと、解らないものはわからないのです。
すべての真実は今この瞬間に存在している自分です。
今の自分をよく観察することこそが、昨日までの自分の生き方を知り、そして明日からの自分を創っていくのでしょう。

やはり生きるということは、なにごとにおいても全てが勉強のようです。
「悩むのやぁ〜めた!」
さっ、明日からまた遠トリに励んで、研鑚、研鑚!!(微笑)

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LaLast Update : 2003/11/15st Update:2002/4/24