超能力レポート・パート39! ― 夢とロマンのエネルギー…!! ― 会員番号10686 玉川 芳伸
【調整道…】 3月14日のPH理事会にむけて13日の午後高松空港を飛び立ちました。 13日ホテルにチェックインした私は以前から約束のあったエネキャンの二人と久しぶりに中野で対面しました。 何らかの縁で繋がった人達が、今こうして同じようにエネルギーの道を歩んでいることに、 私は彼女たちエネキャンには何も教えませんでした。 それが無駄なことのように私は感じていたのです。 ですから例え私がエネ技術や調整法を教えても誰でもが同じように出来る、結果を出せる訳ではないのです。 私から何を教わろうとも決して「私」にはなれないのです。 彼女たちには、私を通して自分自身を見つめる大切さ、それだけを知って欲しかったのかもしれません。 最終的にはすべて自分で気付かなければこの世界では(どの世界でも同じなのでしょうが…)通用しないことを知って欲しかったのです。 その為に私の汚い部分も隠さずに全部曝け出して見せたつもりです。(苦笑) そんな二人がこうして未だにエネルギーの世界で生きていこうとしていることに、私は感動を覚えたのでした。 二人と話しをしていると、二人とも顔を見合わせるように、 「玉川さん、凄く変わりましたねぇ〜」と言うのです。 そして本当の自分はその何処にも、誰の中にも居なかったのです…。 真っ白な半紙を目の前に置き、ただただ心静かに墨を磨り続ける。この間に心を静めなくてはいけないのですが、墨を磨る内にあの独特な香りが「ぷぅ〜ん」と鼻の奥から脳にまで達してきます。 これを「明鏡止水」の境地と呼ぶのかもしれませんネ。 「無我の境地」に達することが「書」の心得だなっと感じました。 そう考えると「エネルギー調整」も、私にとっては、それはもう遊びや研鑚の段階を超えて「道」を極めるものなのかもしれません。 「剣道」に「一刀流」や宮本武蔵の「二刀流」があるように、「直接調整」や「遠トリ」という流派としての歩む「手段(技術)」の違いがあるだけで、すべてはひとつの同じ「調整道」という「道」に通じているもかもしれません。 エネルギーのことを忘れたいと思って始めたことなのに…。 本当の自分は外の世界の何処かに居るのではなく、最初から自分の中に居たのです。それに私が気がつかなかっただけ、見つけられなかっただけ、見つけようともしなかっただけ、そのことに気が付くのに、この二年もの歳月を費やしてしまいました。 まるでそれは私がPH理事をやっている二年の間に、そのことを考え、手放し、気付きなさいと誰かに諭されているようでした…。 とにかくそんな事を考えていた時期でしたから、エネキャンの二人がそのような印象を私から受けたのは当然なのかもしれません。 【ジュピター…】 翌日、理事会の為にPH本部へ行きました。 久しぶりの人前でのトリートメントの指導はとても心地良く感じられました。 講習会も終わり、三千円の会へ…。そして二次会へ…。二次会は大人数の為に一部屋に入りきれず、喫煙部屋と禁煙部屋に分かれて入りました。酔いが進む内に、八木橋君と一緒に飲んでいないことに、彼が隣に居ないことに違和感のようなものを感じるのでした。彼は当然となりの禁煙部屋でいつものように大声でカラオケを歌っていました。(微笑) となりの部屋から彼の声が聞こえてきた瞬間、 「♪うぅ〜らら、宇宙の風に乗れ〜…♪」 何度この唄を彼と一緒に歌ったことでしょうか、、、。 ♪ Every day I listen to my heart ひとりじゃない 深い胸の奥で つながってる 果てしない時を越えて 輝く星が 出会えた奇跡 教えてくれる Every day I listen to my heart ひとりじゃない この宇宙の御胸に 抱いだかれて 私のこの両手で 何ができるの? 痛みに触れさせて そっと目を閉じて 夢を失うよりも 悲しいことは 自分を信じてあげられないこと 愛を学ぶために 孤独があるなら 意味のないことなど 起こりはしない 心の静寂に 耳を澄まして 私を呼んだなら どこへでも行くわ あなたのその涙 私のものに 今は自分を 抱きしめて 命のぬくもり 感じて 私たちは誰も ひとりじゃない ありのままでずっと 愛されてる 望むように生きて 輝く未来を いつまでも歌うわ あなたのために… ♪” 平原綾香 「Jupiter」 歌いながら彼はこう言いました。 この歌誌の気持ちを、これまで彼と一緒に何度味わったことでしょうか…。 宴会の席で別れ際に、 「わかった、それなら久しぶりに遊びに行こうかな…」 と久しぶりに「ヤギタマコンビ」が復活したのでした。(微笑) 【みず…】 一足先に函館入りしていた私は、彼の帰宅時間を見計らって約二年ぶりに八木橋邸へ遊びに行きました。 子供は成長が早いと言いますので、子供等も随分と変わっているだろうと思いきや、ここだけはまるで時間が止まっていたかのように奥さんも子供等も私の目には以前とまったく同じに見えました。そして以前と変わらず歓迎してくれました。 「いやぁ〜、玉川さん、昨日飲み過ぎちゃってまいったなぁ〜、、、。 ところでビールでも飲みますか?」 久しぶりに彼が熱く語るエネルギーの話に、私はただただ関心するばかりでした。 そして私は彼とコンビを別れてからは自分なりの「道」を探し続けていたのです。 「あぁ…、ここには私のエネルギーの、そして調整の原点がある。帰ってくるべき場所はここにあったんだ…」と…。 「いやぁ―っ、八木橋君は相変わらず科学と医学に挑戦しているんだなぁ〜。それを見て安心したというより、感心したよ」 ビールをすべて飲み干し、沖縄の焼酎も飲み干し、ついには日本酒まで飲み、6時間もお邪魔していたそうですが、それは後日彼から聞かされた話で、すっかり酔っ払った私は何をどうしたのか、どうやってホテルまで帰ったのかすら記憶にありませんでした…。 翌日、ホテルの部屋で目覚めた私はタバコが吸いたくて、真っ暗な部屋のベッドの脇に置いてあった椅子に手を伸ばしたのです。 「ピチャっ! ん…? なんだぁ〜…」 「なんだろう…? こんな所にオシッコした覚えもないし…」と思いながらも、なんせホテルに帰ってきた記憶すらない私でしたから…。いちおうその水に鼻を近づけて匂いを嗅いでみましたが、まったくの無臭でした。 「・・・・わからん…。」 とにかく摘み上げた靴下を急いで風呂場で洗い、椅子の座面の水はバスマットを乗せて吸い取らせました。水を吸い込んだバスマットは、椅子の彫り込まれた座面どおりに丸く水染みが裏面にまで達するほどの量でした。 そんな作業を終えて「ふっ」と天井を見上げると、そこには椅子の座面と同じくらいの大きさの丸いシミが出来ているのです。 しかしそのシミは、床に置かれた椅子からは50cmほど横にずれていましたので、天井からの雨漏りが原因ではないようです。そしてなによりも、昨夜も今朝も雨などは1滴も降ってはいないのです…。 わからないものは、いくら考えてもわからないのです。 それは随分以前の体験談(超能力レポート・パート2、番外編1)にも書きましたが、PH会に入会し、初めて母にトリートメントをやらせてもらった時に起きた不思議な現象です。その時も「水」が大きなポイントでした。 この不思議な現象が、私がエネルギー調整に真剣に取り組む大きな原因となったのですが。 「これで5年ぶり、二回目だな…」 と思っている内に、何故かしら私の中ではこれまでのすべてが「リセット」されたような感覚にとらわれたのでした。 その後「二股らぢうむ温泉」から、ニセコの「薬師温泉」へと場所を移動しました。 朝7時前に温泉へ行くと、私ひとりの貸し切り状態でした。 ドアにはスリ硝子が入っており、誰かが脱衣所に入ってきたらその人影がぼんやりと見えるようになっています。と言うよりも、ここの脱衣所の木製の戸は造りが古くて、開け閉めする度に「ガラガラ、キーコー」と大きな音を立てるので、それだけでも十分わかるようにはなっていました。 なんと私が脱ぎ揃えて置いたスリッパは、まるでわざわざ意識してそこに置いたかのように、50cmほどの丸い水溜りの真中に綺麗に揃えるように置かれてあったのです…。 当然、前回のホテルの1件がありましたから天井をすぐに見上げましたが、天井には何のシミらしきものも見当たりませんでした。 一度ならず二度までも…。 「ふぅ〜む…」 と思いながらも、それ以降の旅の間は、私が風呂に入る度に意識したせいなのか二度と同じような現象が起きることはありませんでした…。 【伊勢神宮エネ研鑚ツアー】 私にとっては久しぶりのPH会主催のエネツアーです。 集合場所の三重県賢島(かしこじま)にあるホテル「宝生苑」に到着するまでには6時間ちかくもかかってしまうのです。 ところが伊雑宮のある「上之郷(かみのごう)」という駅には特急電車は止まらないのです。そこで特急の止まる「志摩磯辺」で下車し、普通に乗り換えて一駅引き返すことにしたのでした。 私が参拝した時には人っ子ひとりいない状態で、「し〜ん」と静まり返った境内はまるで聖域に足を踏み入れたようでとても心地良く、ここだけ切り取られた別世界のようでした。ここで「罪・咎・汚れ」をすべて浄化されているような感覚にとらわれたのです。 千年杉に囲まれて昼尚暗い聖域にぽつんと建てられている伊雑宮は飾り気も無く、ひっそりと押し黙ったまま長い年月をかけてこの地を守り続けているようでした。 拝殿の前で二拝二拍一拝し「天津祝詞」をあげると、それに応えるかのように暖かい一陣の風が私の頬を撫でるのを感じたのです。 参拝を終えて鳥居をくぐり出た時に、何処か遠くの方でネコの「みゃ〜、みゃ〜」という鳴声が聞こえてきたのです。私は、つい高松に置き去りにしてきた野良猫“み〜こしゃん”のことを思い出し、これは私が動物に接する時のいつもの癖なのですが、舌鼓を打つように舌で音を発しながら駅までの道のりを、その声の主をキョロキョロと捜しながら歩くのですが一向に姿をあらわしませんでした。 「まいったなぁ〜…。そんなに恐がらなくてもいいから、ホラっ、おいでヨ…」と近づくと、「フゥゥぅ―…」。仕方なく私は諦めて「くるり」と身体の向きを変えて再びホームに上がろうとするとまた「みゃぁ〜、みゃぁ〜」と鳴き出すのでした…。 「えっ?ネコも犬みたいにお腹を撫でて欲しいのかな…?」 「あっ!! ひょっとするとこの猫は、伊雑宮の神さんのお使いでは、、、? そんな訳ないよなぁ〜…」と頭では否定しながらも、心の半分くらいではそう信じるのでした。(微笑) 電車の時間5分前に、後ろ髪を引かれるような思いを抱きながらもその猫とお別れし、私は独り「賢島」へと再び電車に飛び乗ったのでした…。 「あっ、タマちゃん、まぁ1杯!」 宴会…、なにがどうなったのか私はハッキリ覚えていません。 翌朝早く八木橋君と風呂へ行ったのですが、露天風呂に膝まで入った時点で私は気持ちが悪くなり、「八木橋君、ゴメン。俺、気持ち悪い…。ダ、ダメだわ…」と風呂からトイレへ一目散に駆け込むわたしでした。 気持ちが悪いままバスに乗り込み、最初の目的地である伊勢神宮外宮を目指しました。 そう言えば、あのUFOで有名な矢追純一さんも外宮鳥居まえからのツアーご参加で、ポツポツと降る小雨の中をダンディーな面持ちでたたずみながら私達の到着を待たれていました。矢追純一さんは中央大学出身で、私の大学の先輩なのです。(て、、、全然この体験談とは関係なかったですネ…) 「あっ、もう一つ、忘れるところでした…」ラッキーと言えば、大阪から当日外宮に直接来ていた「ラッキー前田さん」も新車を乗り付け、いつの間にかちゃっかり参加していました。(微笑) 外宮では、他の参拝者が拝殿前で参拝を済ませている中、私たちは全員垣内に入り参拝出来たことも初体験でとても感動ものでした。 またバスに乗り込み、次はいよいよ内宮の参拝です。 内宮では途中にある「五十鈴川」で、降りしきる雨の中で御手洗(みたらし)をして両手と口を清めました。 その後、内宮の鳥居をくぐった時から、外宮とはだいぶ違うエネルギーを感じていました。 内宮での参拝も外宮同様に垣内参拝を経験することが出来ました。 後回しにした「奉納お神楽」を見学する為に、また待合所へ引き戻しました。そして50分も待たされることになるのでした。その待合所でPH会員さんたちは一種異様な存在で、アチコチでそれぞれが両手でなにかを掴みエネルギーを送っているのです。後で気が付いたのですが、みんな昨夜の宴会で弱った肝臓や腎臓をセルフトリートメントしていたのでしょうネ。(微笑) お神楽見学を終え、昼食の場所へ急ぐ途中、仁井本会長が一人で歩いているのを見つけました。そっと後から追い付き、なにを話し掛けるでもなく肩を並べて歩いていると、「いやぁ〜、お神楽の間中ずっと目が開けていられなくて、自分が総代じゃぁ居眠りする訳にもいかないですし、困っちゃいましたヨ(笑)」とおっしゃるのです。 【八咫烏(やたがらす)の導き…】 私には去年の末から、どうしても不思議でならない、そして解けない謎があったのです。 「玉川さん、ずっと以前にTVで“ルーツ”という番組があったのを覚えていますか?」 境内もとても広く、その澄み切った青空に橿原神宮の立派な本殿が浮き上がるようにそびえ立っていました。 【山の辺の道】 そして昨日本屋に飛び込んで買っておいた「奈良・大和路」のガイドブックを片手に、案外近くにありそうな「大神神社(おおみわじんじゃ)」へと電車を乗り継ぐのでした。 大神神社さんの参拝を済ませ、狭井神社さんの参拝も済ませ、御山に登る為に入山初穂料を社務所で支払おうとしたら、 その坂道のすぐ先に最終目的地である「穴師坐兵主神社」らしき立て札が見えていました。しかし、その立て札には「大兵主神社」と書かれてあったのです。 拝殿前に進みましたが、果たしてココでもこれまでの神社と同じように「天津祝詞」を唱えて良いものやら…。どうもココは何かが違うように思えてならないのです。どうも日本の神さまを祭っているのではないような…、そんな気がするのでした。 |
LaLast Update : 2004/4/14st Update:2002/4/24