もどる    



                    
           超能力レポート・パート39!
                  ― 夢とロマンのエネルギー…!! ―

                                 会員番号10686 玉川 芳伸



【調整道…】

3月14日のPH理事会にむけて13日の午後高松空港を飛び立ちました。
これから長い旅になりそうです。

13日ホテルにチェックインした私は以前から約束のあったエネキャンの二人と久しぶりに中野で対面しました。
蘭ちゃんは今月いっぱいで公務員をやめてヒーラーとしての道を進むとか、、、。そしてコミキちゃんは介護の仕事を既にやめてヒーラーとして活動していると聞かされました。

何らかの縁で繋がった人達が、今こうして同じようにエネルギーの道を歩んでいることに、
「やはりこの世に偶然は無く、無駄でもなかった」と、嬉しい気持ちになりました。
そして蘭ちゃんはますます若くなり、コミキちゃんもセンスアップして綺麗になっていることに気が付いたのです。
と言うこは、現在の二人のエネルギーがとても良い状態だということで、その成長が嬉しかったのかもしれませんネ。(微笑)

私は彼女たちエネキャンには何も教えませんでした。
エネルギーの技術も、調整方法すらも…。

それが無駄なことのように私は感じていたのです。
人は生まれながらにしてそれぞれ能力と資質に違いがあります。
人はそのように個々の個性が違っているからこそ実は魅力的で、人生が面白いのですが…。

ですから例え私がエネ技術や調整法を教えても誰でもが同じように出来る、結果を出せる訳ではないのです。
しかし人は、教わったことが同じように出来ないと苦しむのです。
その「出来ないという苦しみ」は自分を攻撃するエネルギーに変わっていくのです。
それは自分や他人を否定する方向に向かわせ、やがてはこのエネルギーすらも否定し、結果的にはエネルギーの世界(精神世界)から去っていく人が多いことも知っていました。

私から何を教わろうとも決して「私」にはなれないのです。
何故ならば、私の技術や能力は私自身の体験を通して生まれた「私の個性」だからです。
私を目標にしてはいけない…。
以前私が八木橋君を目標にして苦しんだように、彼女たちにはその苦しみを味わって欲しくなかったのかもしれません。

彼女たちには、私を通して自分自身を見つめる大切さ、それだけを知って欲しかったのかもしれません。

最終的にはすべて自分で気付かなければこの世界では(どの世界でも同じなのでしょうが…)通用しないことを知って欲しかったのです。
それを知った上で、自分の個性を生かした調整法を見つけて欲しかったのです。
私は「切っ掛け」に過ぎないということに早く気が付いて欲しかったのかもしれません。

その為に私の汚い部分も隠さずに全部曝け出して見せたつもりです。(苦笑)
調整師に憧れ、目指していた二人なのに、私の外には決して見せない心の部分までをすべて見せられた訳ですから、二人は私のことを随分と嫌いになったことでしょう…。
しかし、ひょっとすると「調整師」という存在すらにも否定的になるのではないかと少し危ぶんでいたのでしたが、それはそれで仕方の無いことだと思っていました。

そんな二人がこうして未だにエネルギーの世界で生きていこうとしていることに、私は感動を覚えたのでした。
こんな私でも、少しは「切っ掛け」としての勤めを果たせたのかもしれませんネ…。

二人と話しをしていると、二人とも顔を見合わせるように、

「玉川さん、凄く変わりましたねぇ〜」と言うのです。
「そうかなぁ…、ところで何処が…?」
「なんとなく全体的に雰囲気が前と違うような…。」
「そうそう、毒気がぜんぶ抜けちゃったような…。」
「ふぅ〜ん…」と、その場では惚けてみせましたが確かにそうかもしれません。

この二年間随分と自分なりに苦しみましたから…。
そして私はやっと私なりに自分探しの旅の糸口(入り口)を見つけたような気がしていたのです。

これまで本当の自分を探す為に私は数多くの旅をし、多くの人にも会いました。決してそれが間違っていたり無駄であったとは思いません。しかし自分探しの旅と称して、私は自分から目を背け、外の世界にばかり目を向けていたようですネ。

そして本当の自分はその何処にも、誰の中にも居なかったのです…。
そんな自分に疲れていた私は全てを断念したのです。
この両手から全ての想いや欲も我も手放しました。
「もうエネルギーをやめてもいい、、、」と…。

「玉川さん、、、それって一種の“燃え尽き症候群”ってやつではないのですか…? 目の前のことを達成してしまうと、そうなりますよネ。でもきっとまた次のステップアップが来ると思えば、それでいいんじゃないですか…」と、その話を聞いていた蘭ちゃんには逆に励まされてしまいましたが…。(微笑)

抱えていたものを全て一旦手放した私は目的を失い、エネ研鑚の意味すらわからなくなってしまいました。しかし遠トリのご依頼は、ありがたいことに相変わらず来るのです。と言うことは、「こんな私でも、まだこのエネルギーの世界に必要とされているのだろうか…?そしてまだやることがあるのだろうか…?」と考えるようになりました。

と言っても一旦すべてを捨てちゃった訳ですから取り合えずやることがなくて、エネルギーとは全然関係のない「書道」や「ボールペン字」の通信講座を受け始めたのです。
ところがエネルギーから少し距離をおくつもりで始めたはずなのに、このまったく違う世界と思っていたことに実は大きなヒントがあったのです。

何も書かれていない真っ白な半紙に心静かに向い、真っ黒な墨をたっぷりと含ませた筆を「そっ」と下ろした瞬間に、「あぁ〜、ここにはエネルギーの世界がある」「これこそ私が求めていた遠トリの世界だ…」と感動に近いものを感じたのでした。

「書道」の通信講座、それは課題の字が初めから決められています。その字を見本どおりにただ書くだけなのです。ただそれだけのことなのですがコレが非常に難しい…。

真っ白な半紙を目の前に置き、ただただ心静かに墨を磨り続ける。この間に心を静めなくてはいけないのですが、墨を磨る内にあの独特な香りが「ぷぅ〜ん」と鼻の奥から脳にまで達してきます。

この墨の香りを嗅いでいると逆に「さぁ、書かなくては」と、気持ちがどんどんと高ぶってくるのです。その高ぶる気持ちを抑えて、静めて、いざ筆を半紙に下ろす瞬間には「腕の力み」も「我欲」や「自我」さへもすべて忘れてしまわないと、どうも美しい字が書けないようなのです…。

これを「明鏡止水」の境地と呼ぶのかもしれませんネ。
そして筆を半紙に下ろしたその瞬間、真っ白な紙に真っ黒い墨が落ちた瞬間にすべてが決まってしまうのです。

「無我の境地」に達することが「書」の心得だなっと感じました。
無我の境地とは「自我」を無くするということです。
字で書くと簡単ですが、これがなかなか大変に難しいのです。
「忘我」「無我」、高名な宗教家すらもみなこれで悩むくらいですからネ。
そしてこれは「書道」「茶道」「武道」など、すべて「道」のついているものには共通している境地なのかもしれません。

そう考えると「エネルギー調整」も、私にとっては、それはもう遊びや研鑚の段階を超えて「道」を極めるものなのかもしれません。

「剣道」に「一刀流」や宮本武蔵の「二刀流」があるように、「直接調整」や「遠トリ」という流派としての歩む「手段(技術)」の違いがあるだけで、すべてはひとつの同じ「調整道」という「道」に通じているもかもしれません。

エネルギーのことを忘れたいと思って始めたことなのに…。
これは私がずっとやりつづけてきた「遠トリ」と、私がずっとやりたかった「遠トリ」と、まったく同じではないか…。
ここにはエネルギーの世界がある。
遠トリの心(極意)がある。と、、、そう感じたのでした。
そして気がついたのです。

本当の自分は外の世界の何処かに居るのではなく、最初から自分の中に居たのです。それに私が気がつかなかっただけ、見つけられなかっただけ、見つけようともしなかっただけ、そのことに気が付くのに、この二年もの歳月を費やしてしまいました。

まるでそれは私がPH理事をやっている二年の間に、そのことを考え、手放し、気付きなさいと誰かに諭されているようでした…。
そう考えると「PH選任理事」をやることも、私にとっては決して偶然でも無駄でもなかったのかもしれません。

とにかくそんな事を考えていた時期でしたから、エネキャンの二人がそのような印象を私から受けたのは当然なのかもしれません。


【ジュピター…】

翌日、理事会の為にPH本部へ行きました。
タバコを買っていた為に時間ギリギリになって本部へ入ると、既に全員揃っていました。そんな私を見て八木橋君が開口一番、「あれぇ〜玉川さん、なんだかスッキリしたんじゃない」と…。
そうです、その時の私はすべての拘りすら手放していたのかもしれません。

理事会も無事終わり、講習会が始まりました。
今日は久しぶりに会員さん達の前でトリートメントの指導をおこないました。私が人前に立つのは随分と久しぶりのことでした。それがどれくらいの期間であったのかすら思い出せません…。それほど私は他人の目から、自分の目からも逃げていたのかもしれません…。

久しぶりの人前でのトリートメントの指導はとても心地良く感じられました。
「あぁ〜、まだ私にも出来ること、役に立つことがあるんだ…」
「やっぱり私はエネルギーの世界が好きなんだなぁ〜…」と、、、。

講習会も終わり、三千円の会へ…。そして二次会へ…。二次会は大人数の為に一部屋に入りきれず、喫煙部屋と禁煙部屋に分かれて入りました。酔いが進む内に、八木橋君と一緒に飲んでいないことに、彼が隣に居ないことに違和感のようなものを感じるのでした。彼は当然となりの禁煙部屋でいつものように大声でカラオケを歌っていました。(微笑)

となりの部屋から彼の声が聞こえてきた瞬間、
「あっ、俺も行かなきゃ…」と、
気がついたら彼がカラオケで歌う「ロビンソン」を一緒に唄っていました。

「♪うぅ〜らら、宇宙の風に乗れ〜…♪」

何度この唄を彼と一緒に歌ったことでしょうか、、、。

そしてついに彼が「ジュピター」を歌い出したのです。

Every day I listen to my heart

ひとりじゃない

深い胸の奥で つながってる

果てしない時を越えて 輝く星が

出会えた奇跡 教えてくれる

Every day I listen to my heart

ひとりじゃない

この宇宙の御胸に 抱いだかれて

私のこの両手で 何ができるの?

痛みに触れさせて そっと目を閉じて

夢を失うよりも 悲しいことは

自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶために 孤独があるなら

意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ

あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて

命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない

ありのままでずっと 愛されてる

望むように生きて 輝く未来を

いつまでも歌うわ あなたのために…

                     平原綾香 「Jupiter」

歌いながら彼はこう言いました。
「玉川さん、これ調整の唄だわ!うん、そうだわ!」
「へっ…、うん、ホントそのとおりだな!!」
と返事をしながら私も一緒に歌っていました…。

この歌誌の気持ちを、これまで彼と一緒に何度味わったことでしょうか…。
「あぁ〜、やっぱりエネルギーはやめられない…」
と心からそう思った瞬間でした。

宴会の席で別れ際に、
「玉川さん、明日まっすぐ帰るの?」
「えっ、イヤっ、ちょこっと函館に入って、その後はまたのんびりと温泉だな…」
「それならウチに遊びに来ればいいでしょ、、、。子供等もタマちゃん来るの待ってるから…」

「わかった、それなら久しぶりに遊びに行こうかな…」
「うん。それじゃ待ってます」

と久しぶりに「ヤギタマコンビ」が復活したのでした。(微笑)


【みず…】

一足先に函館入りしていた私は、彼の帰宅時間を見計らって約二年ぶりに八木橋邸へ遊びに行きました。

子供は成長が早いと言いますので、子供等も随分と変わっているだろうと思いきや、ここだけはまるで時間が止まっていたかのように奥さんも子供等も私の目には以前とまったく同じに見えました。そして以前と変わらず歓迎してくれました。
相変わらず、明るくて楽しい家族でした。(微笑)

「いやぁ〜、玉川さん、昨日飲み過ぎちゃってまいったなぁ〜、、、。 ところでビールでも飲みますか?」
「えぇ〜またビールかい…。いいねぇ〜。もらおうか(微笑)」
「かぁちゃん、ビール!!」
と、場所が変わっても酒ばかり飲んでいる私たちです。(微笑)

久しぶりに彼が熱く語るエネルギーの話に、私はただただ関心するばかりでした。
彼は「調整師養成学校」で出会った時から、ずっとエネルギーに挑戦し続けていました。
当時、彼は私の目標であり、手本でもありました。
そんな彼の背中を追い掛けるように私もエネ研鑚を続けてきました。

そして私は彼とコンビを別れてからは自分なりの「道」を探し続けていたのです。
それが最近ようやく自分の進むべき「道」を見つけたような気がしていたのです。
今ではお互い歩く道が違いますが、大きな流れの行き着く先は同じなのだと改めて気付くのでした。

出会った時から現在に至るまで、変わらぬエネルギーに挑戦する彼の姿勢は見事としか言いようがありませんでした。
そんな彼を見て、彼の話を聞いていると、私はなんだか魂の故郷(ふるさと)に帰って来たような安心と心地良を感じるのでした。

「あぁ…、ここには私のエネルギーの、そして調整の原点がある。帰ってくるべき場所はここにあったんだ…」と…。
それは、遠く離れた四国の高松で、ひとり黙々と研鑚に明け暮れる空しさをも一瞬で吹き飛ばしてくれたようでした。

「いやぁ―っ、八木橋君は相変わらず科学と医学に挑戦しているんだなぁ〜。それを見て安心したというより、感心したよ」
「うぅ〜ん、、、科学と医学に挑戦かぁ〜、、、。と言うよりも、僕は調整に命をかけているんです。 これは他の調整師、みんなにも言いたいことなんだけど、、、。 命がけで調整やってるかい、俺はやってるよってね…」
と、相変わらず熱く語る八木橋君でした。

ビールをすべて飲み干し、沖縄の焼酎も飲み干し、ついには日本酒まで飲み、6時間もお邪魔していたそうですが、それは後日彼から聞かされた話で、すっかり酔っ払った私は何をどうしたのか、どうやってホテルまで帰ったのかすら記憶にありませんでした…。


そしてこの夜…、ついに不思議な現象に遭遇したのでした…。

翌日、ホテルの部屋で目覚めた私はタバコが吸いたくて、真っ暗な部屋のベッドの脇に置いてあった椅子に手を伸ばしたのです。
このホテルの椅子は木製で、座面にはソファーや座布団等もひかれていなかった為に椅子の座る所はお尻の形に合わせて丸いくぼみが彫られていました。

「ピチャっ! ん…? なんだぁ〜…」
私が寝ぼけて伸ばした指先は水を満たした器のようなものに触れたのでした。
ビックリした私は急いでカーテンを開け、目を擦りながら部屋を見回すと、椅子の上に置かれた灰皿には水が溢れんばかりに溜まっていました。
そして木製椅子の座面のくぼみにも水を満々と湛えた水たまりが出来ていたのです…。

もちろん灰皿の上に置かれたタバコの吸殻、そして座面の端っこに置かれたタバコの箱もびしょびしょに濡れていました。

「なんだろう…? こんな所にオシッコした覚えもないし…」と思いながらも、なんせホテルに帰ってきた記憶すらない私でしたから…。いちおうその水に鼻を近づけて匂いを嗅いでみましたが、まったくの無臭でした。
指先をそっと水に浸け、その指を何度がくっ付けたり離したりしてみましたが、その液体は粘り気も無くサラサラとしており、私の想像していた液体(オシッコ)ではないようでした…。(安堵…)

椅子の4本の足元に目をやると、1本の足元には靴下が脱ぎ捨てられていました。それを拾い上げるとずぶ濡れ状態でした。おそらく座面の水が溢れ、椅子の足を伝って下に流れ落ちたのだろう思いました。しかし不思議なことに、靴下がこんなに雫が落ちんばかりにずぶ濡れ状態なのに、靴下を持ち上げてみると、置かれてあった絨毯には水が染み込んだ痕跡も残っていないのです…。試しに椅子を少し移動させて、残りの3本の足元も見ましたが、やはり同じように水染みの痕跡はありませんでした。

「・・・・わからん…。」

とにかく摘み上げた靴下を急いで風呂場で洗い、椅子の座面の水はバスマットを乗せて吸い取らせました。水を吸い込んだバスマットは、椅子の彫り込まれた座面どおりに丸く水染みが裏面にまで達するほどの量でした。

そんな作業を終えて「ふっ」と天井を見上げると、そこには椅子の座面と同じくらいの大きさの丸いシミが出来ているのです。
この部屋はホテルの最上階でした。それはまるで天井から雨漏りがあったかのように見えるのです…。

しかしそのシミは、床に置かれた椅子からは50cmほど横にずれていましたので、天井からの雨漏りが原因ではないようです。そしてなによりも、昨夜も今朝も雨などは1滴も降ってはいないのです…。

わからないものは、いくら考えてもわからないのです。
仕方なく、私は次の目的地である「二股らぢうむ温泉」へと旅立ったのでした。
考えまいと心では努めるのですが、温泉へ行く途中、そして二股温泉滞在中にも、この不思議な出来事が私の頭を占領していました。

そしてこの時、私の頭の中ではあるひとつの記憶がずっと渦巻いていたのでした。

それは随分以前の体験談(超能力レポート・パート2、番外編1)にも書きましたが、PH会に入会し、初めて母にトリートメントをやらせてもらった時に起きた不思議な現象です。その時も「水」が大きなポイントでした。

この不思議な現象が、私がエネルギー調整に真剣に取り組む大きな原因となったのですが。
その意味すらも未だに分からないままなのです…。

「これで5年ぶり、二回目だな…」

と思っている内に、何故かしら私の中ではこれまでのすべてが「リセット」されたような感覚にとらわれたのでした。
「これで第○幕が終わり!!」と全身で感じるのでした。
そしてこれからなにか新しい流れが始まる予感めいたものを感じていたのでした。

その後「二股らぢうむ温泉」から、ニセコの「薬師温泉」へと場所を移動しました。
「薬師温泉」は近くの宿から毎朝通いました。
そしてここでもまた不思議な現象が…。
それはその初日に起きました。

朝7時前に温泉へ行くと、私ひとりの貸し切り状態でした。
脱衣所で衣服を脱ぎ、内風呂の少し手前にある所までスリッパを履いて行き、そこでスリッパを脱ぎ、向きを揃えて綺麗に置いたのです。その一段下がった所に足拭きマットが置かれてあります。そのマットを越えると内風呂のドアがあるという造りなのです。

ドアにはスリ硝子が入っており、誰かが脱衣所に入ってきたらその人影がぼんやりと見えるようになっています。と言うよりも、ここの脱衣所の木製の戸は造りが古くて、開け閉めする度に「ガラガラ、キーコー」と大きな音を立てるので、それだけでも十分わかるようにはなっていました。

1時間近くも「万病に効く」と言われる薬師の温泉を一人で楽しみ、そろそろお腹も空いてきたので上がることにしました。
脱衣所へと続くドアを開け、脱ぎ揃えておいたスリッパに目をやると…。

なんと私が脱ぎ揃えて置いたスリッパは、まるでわざわざ意識してそこに置いたかのように、50cmほどの丸い水溜りの真中に綺麗に揃えるように置かれてあったのです…。

当然、前回のホテルの1件がありましたから天井をすぐに見上げましたが、天井には何のシミらしきものも見当たりませんでした。

一度ならず二度までも…。
しかも5年ぶりの現象…。

「ふぅ〜む…」

と思いながらも、それ以降の旅の間は、私が風呂に入る度に意識したせいなのか二度と同じような現象が起きることはありませんでした…。

この二週間ほど後に、PH会の「伊勢神宮エネ研鑚ツアー」があるのですが、まさかその時に、その水の意味らしきもののヒントが見えてくるとは、この時の私には想像もつきませんでした…。


【伊勢神宮エネ研鑚ツアー】

私にとっては久しぶりのPH会主催のエネツアーです。
4月3日午前10時少し前の瀬戸大橋線に乗り込みました。
いつもならば「用意周到」「準備万端」をもっとうとしている私なのですが、この日に限って何故か朝寝坊をしてしまいました。

大急ぎで駅までタクシーを飛ばしてもらい、駅に到着したのは出発時間の5分前…。そんなに時間が無いにも関わらず大阪の前田さんに「行って来まぁ〜す」の電話を掛ける律儀な私でした…。
と言いましても、「着いた」「出かける」「寝坊した」「時間が無い」と自分が言いたいことだけさっさと言って携帯を切るという、前田さんにとってはなんと手前勝手な迷惑電話でしょうか…。
まっ、毎度のことだから前田さんも十分理解してくれていることでしょうが…。(微笑)

集合場所の三重県賢島(かしこじま)にあるホテル「宝生苑」に到着するまでには6時間ちかくもかかってしまうのです。
岡山で新幹線に乗り換え京都へ、そこから今度は近鉄特急に乗り換えて終点の「賢島」まで行けばよいのですが、私は途中「志摩磯辺(しまいそべ)」で下車することにしました。

何故かというと、先日の函館で八木橋君から「玉川さん、この賢島へ行く途中にある伊雑宮(いざわのみや)がイイんだわぁ〜。ここはエネスポットです、是非寄ってみてください」と言われていたのです。
その後、PH会から送られてきた「ゆらり伊勢志摩」というパンフレットに写っている伊雑宮の写真をみて、「あっ、ココ行かなきゃ!!」とピンときたからなのです。

ところが伊雑宮のある「上之郷(かみのごう)」という駅には特急電車は止まらないのです。そこで特急の止まる「志摩磯辺」で下車し、普通に乗り換えて一駅引き返すことにしたのでした。
途中、上之郷の駅を通過する時に、そのホームにPH会員さんらしき怪しい団体が電車待ちをしているのを見かけましたが、やはりみんな伊雑宮に参拝したのですネ。(微笑)

上之郷駅は無人の田んぼに囲まれた寂しい駅でした。
そこから歩くこと約5分で伊雑宮に到着です。
鳥居の前で深く一礼し、鳥居を潜った瞬間からエネルギーが他と違うことをすぐに感じました。

               

私が参拝した時には人っ子ひとりいない状態で、「し〜ん」と静まり返った境内はまるで聖域に足を踏み入れたようでとても心地良く、ここだけ切り取られた別世界のようでした。ここで「罪・咎・汚れ」をすべて浄化されているような感覚にとらわれたのです。
これも明日の伊勢神宮参拝の為に必要な回り道なのかもしれませんネ。

千年杉に囲まれて昼尚暗い聖域にぽつんと建てられている伊雑宮は飾り気も無く、ひっそりと押し黙ったまま長い年月をかけてこの地を守り続けているようでした。

拝殿の前で二拝二拍一拝し「天津祝詞」をあげると、それに応えるかのように暖かい一陣の風が私の頬を撫でるのを感じたのです。

「あぁ…、神さんが歓迎してくれている…。来てよかったな」
と私は自分勝手にひとり喜ぶのでした。(微笑)

参拝を終えて鳥居をくぐり出た時に、何処か遠くの方でネコの「みゃ〜、みゃ〜」という鳴声が聞こえてきたのです。私は、つい高松に置き去りにしてきた野良猫“み〜こしゃん”のことを思い出し、これは私が動物に接する時のいつもの癖なのですが、舌鼓を打つように舌で音を発しながら駅までの道のりを、その声の主をキョロキョロと捜しながら歩くのですが一向に姿をあらわしませんでした。

上之郷駅に到着し、線路を越えてホームへ上がろうとした時に初めてその鳴声の主の姿を見つけました。駅前の民家の花壇の隅っこで、こちらを向きながらも隠れるようにして鳴いていました。
私が頭を撫でてやろうと「そっ」と近づくと、「フゥ―っ!!」と唸り声をあげながら毛を逆立てています。

「まいったなぁ〜…。そんなに恐がらなくてもいいから、ホラっ、おいでヨ…」と近づくと、「フゥゥぅ―…」。仕方なく私は諦めて「くるり」と身体の向きを変えて再びホームに上がろうとするとまた「みゃぁ〜、みゃぁ〜」と鳴き出すのでした…。

その鳴声が気になって仕方なくて…、「これで最後だよ…」ともう一度試しに近づいてみると、今度は何故だかアゴを地面につけるようにして「伏せ」の姿勢をとったのでした。そして「フゥ―っ」という唸り声も毛を逆立てることもなく、しかも逃げる気配すら見せないのです。

「そぉ〜っ」と近づき、ゆっくりと手を伸ばして頭に触れてみましたが、それでも怒りも逃げもしませんでした。そんなネコの様子に私もつい大胆になり、背中や頭やアゴのあたりを撫でてみると、彼女は嬉しそうな顔をして私にお腹を見せるのです。
(やっぱりメスの猫でした…。微笑)

「えっ?ネコも犬みたいにお腹を撫でて欲しいのかな…?」
と、試しにお腹を撫でてやると、前にも増して嬉しそうに「ゴロゴロぅ〜、ミャ〜ん…」と歓喜の声をあげて喜んでいるのです。
「おいおい、いったいどうしちゃったんだよぉ〜。こんなネコ初めてだよ。変な子だなぁ〜…」と、思わず心で呟いている言葉が私の口を突いて外に出ていました。

しかし旅行中のため、与える餌の持ち合わせも無く、バッグから森永ハイソフト・ミルク・キャラメルを取り出して自分の口に含み、甘味の混じった唾液を手の平に受けて差し出してみると「ペロペロっ」と美味しそうに舐めてくれました。

「あっ!! ひょっとするとこの猫は、伊雑宮の神さんのお使いでは、、、? そんな訳ないよなぁ〜…」と頭では否定しながらも、心の半分くらいではそう信じるのでした。(微笑)

電車の時間5分前に、後ろ髪を引かれるような思いを抱きながらもその猫とお別れし、私は独り「賢島」へと再び電車に飛び乗ったのでした…。

目的地である「宝生苑」に着いたのが集合時間の5分前くらいでした。
どうも今日は5分前に縁があるようです…。

受付でお待ちの鈴木さんに部屋割りを教えられ、大島さんの案内で六人部屋に通されると、そこには八木橋君と神奈川の松尾調整師の二名しかおらず、彼等はすでにビールを数本空にしているようでした。

「あっ、タマちゃん、まぁ1杯!」
と勧められるままにビールを二・三杯一気に飲み干すのでした。

「いやぁ〜八木橋君、先日はすっかり酔っ払っちゃって…、とんだ迷惑をかけちゃったネ。お酒を何度もこぼしたんだって…?奥さん怒ってなかった?」
「怒るもなにも、呆れちゃって…。母ちゃんには東京から電話で、タマちゃんすっかり変わっちゃったヨ…って伝えといたのに、あんなにべろべろになっちゃうんだもの…。
“パパ…、玉川さん全然変わってないじゃない…。以前通りの良く喋る陽気な玉川さんのままじゃないの…。何処がどう変わったの…?”って言われちゃったよ…」

「えっ、俺って八木橋君の奥さんにはそんな印象なの…?」
「そうそう。あれくらいにいつも陽気にしていればいいのに、どうして東京に行くと“俺はエネルギーなんて全然知らん!”って涼しい顔してソッポを向いてんのかねぇ〜」

「ふぅ〜む…。俺って何処か屈折してんのかな…?」
「そうそう、アチコチ曲がりっぱなしヨ(笑)」
「・・・・・・・。」

ここでビールを飲みながら、今回の北海道旅行中の「水」にまつわる話をしたのですが、八木橋君には「タマちゃん、以前お母さんに初めてトリ―トメントした時にも水が出たって言ってたでしょ。それと関係あるネ」とすぐに言い当てられてしまいました。

すると今度は松尾くんが、「玉川さんが部屋に入って来た時、身体から何かいっぱい出していたと言うか、何か出ていましたよ…」と言い出すのです。

「あっ松尾くん、わかったの。さすが能力者だわ。そうそうタマちゃんはいつもなんだか身体中からいっぱい出して歩いているんだわ。でも僕の傍に居るとだんだんそれらが無くなっちゃうから面白い。ほら今はほとんど感じないでしょ…」と…。

「へぇ〜、、、。自分じゃ全然わからないけど…。と言うことは、昔から“水に流す”とか言うように水が出る現象はなんらかのエネルギー的な事象と言うか、霊的な現象と言うか、やっぱりなにかの“禊祓い(みそぎはらい)”が起きているんだろうか…?」

「あっ、そうそう。タマちゃんは捨てるもんいっぱいぶら提げて歩いてるから…。禊祓いもいっぱいしないとネ」
「……。それって誉めてるの貶してるの…?」

「ん…? まぁ、まぁ、ビールもう1杯どう? ん…? 松尾君、冷蔵庫にもうビール残ってないの? フロントに電話してあと5・6本ビールを持ってきて貰っちゃおうよ」
と、気がつくと6時の宴会までに9本ものビール瓶が空になっていました。(微笑)

宴会…、なにがどうなったのか私はハッキリ覚えていません。
とにかく出された食事もろくに取らずにひたすら飲んでいたことだけは薄っすらと記憶しているのですが…。どうも最近は深酒をすると記憶をなくしてしまうようです。
歳かな…? 気をつけなくては…。

翌朝早く八木橋君と風呂へ行ったのですが、露天風呂に膝まで入った時点で私は気持ちが悪くなり、「八木橋君、ゴメン。俺、気持ち悪い…。ダ、ダメだわ…」と風呂からトイレへ一目散に駆け込むわたしでした。
その後の朝食も全然食欲がわかず、ごはんと味噌汁をちょこっと飲むくらいしか出来ませんでした。

気持ちが悪いままバスに乗り込み、最初の目的地である伊勢神宮外宮を目指しました。
途中「天の岩戸」を散策する予定でしたが、突然振り出した雨と時間の都合でそれはパスし、いきなり外宮へとバスは小雨の中をひた走るのでした。

外宮に着いてみると、やけに人出が多いのです。
「大勢来てるなぁ〜。まぁ春休みだしなぁ〜。新入社員研修の御一行さんもいるみたいだし…」
と思っていたら、いきなり黒塗りのいかにも高級そうなタクシーが五・六台、大勢の人ごみの間をぬうように外宮の鳥居の直前まで乗り付けて止まりました。

そのタクシーから次々と降りてくる昔の名力士たち、そして横綱朝青竜・大関千代大海等々…。みんな口々に「こんなところで横綱を目の当たりに見られるなんてラッキー!」と喜んでいました。
なんでも大相撲大阪場所を終えた横綱と三役力士たちが「伊勢神宮奉納土俵入り」を披露する為に現地入りしているそうでした。

「あっ!」

そう言えば、あのUFOで有名な矢追純一さんも外宮鳥居まえからのツアーご参加で、ポツポツと降る小雨の中をダンディーな面持ちでたたずみながら私達の到着を待たれていました。矢追純一さんは中央大学出身で、私の大学の先輩なのです。(て、、、全然この体験談とは関係なかったですネ…)

「あっ、もう一つ、忘れるところでした…」ラッキーと言えば、大阪から当日外宮に直接来ていた「ラッキー前田さん」も新車を乗り付け、いつの間にかちゃっかり参加していました。(微笑)

外宮の鳥居をくぐると、やはり当然というかのようにとても強いエネルギーを全身で感じるのです。それは私には、本当に「強い」というエネルギーに感じられました。

「さすが伊勢神宮は違うな…」
と感心しながら参拝をすませました。

外宮では、他の参拝者が拝殿前で参拝を済ませている中、私たちは全員垣内に入り参拝出来たことも初体験でとても感動ものでした。
と言っても、上着にネクタイを着用して来なかった前田さんは垣内に入れてもらえず、垣根の外からこちらに向かって手を振っているその姿が、なんだかとても寂しそうに見えて、哀愁に満ちていたのが印象的でしたが…。

またバスに乗り込み、次はいよいよ内宮の参拝です。
バスで内宮に着いた時には雨も本降りになったようで、昼食を予約していた店の人が台車に傘を山積みしてバスの横で待っていてくれました。

天気予報では「くもりのち晴れ」だったので傘の用意もなく、それはまさに天の助けでした。
さすが伊勢神宮の恩恵を賜っている町だけに、その辺の対応は手馴れたものだと感心させられました。

内宮では途中にある「五十鈴川」で、降りしきる雨の中で御手洗(みたらし)をして両手と口を清めました。
しかしバスガイドさんも首を傾げていぶかるほどの今日の天気、、、。おそらくこの雨さえも私たちの「心と身体と魂」を清める為の浄化の雨であったのだろうと、今になるとそう思えてくるのです。

その後、内宮の鳥居をくぐった時から、外宮とはだいぶ違うエネルギーを感じていました。
それは外宮の「強い」というものに比べると、「優しい」ように私には感じられたのです。しかしそのエネルギーの大きさはきっと膨大なまでに広がっているように感じられるのですが…。とにかくなんだか身体が「ふわふわ」として足取りも軽く感じるのは、昨夜の宴会の酒が残っているせいだけではないようでした。

拝殿に向かう途中、本日の最初のイベントである「奉納お神楽」を見学するのですが、さきほども書きましたように今日の参拝者は大変大勢なのです。その為にお神楽の待合所も満員状態で、私たちは1時間待ちだと告げられたようです。
そこで移動等の時間の関係から先に拝殿での参拝を済ませることにしました。

内宮での参拝も外宮同様に垣内参拝を経験することが出来ました。
ここでも前田さんは当然垣内には入れてもらえず、垣根の外から手を振っているのです。しかし、その手を振る姿には先程までの哀愁はなく、やはり降りしきるこの雨にそんな心も浄化されたのか、垣内参拝するみんなを心から祝福しているように輝いて見えるのでした。

でも前田さんはもしかすると心のどこかで、“垣内だろうが、外だろうが、御利益は同じなんだぜっ。大切なのは、場所じゃないんだぜっ”と思っていたのかもしれませんが…。

外宮でもそうでしたが、内宮の垣内は特別な聖域(エネルギーゾーン)なのです。
しかしやはり外宮のエネルギーとはだいぶ違う、すべてを包み込むような膨大な大きさの、それでいて優しくて心地よいエネルギーを感じていました。

八木橋君を見ると、「うん、凄いわ。ありゃまっ、ほぉ〜」と誰に語りかけるでもなく、自分の両手の平を見つめながら呟いていたようでした。

私は外宮でも、内宮でも、垣内を出たところの拝殿の前では二拝二拍一拝し、「天津祝詞」を口の中で小声に唱えていたのですが、やはり天津祝詞を唱えると神さんは喜んでくれるようです。
今日の為にわざわざ覚えるでもなく自然に口をついて出てきた祝詞…。

以前、?竈神社で八木橋君に「玉川さんは昔、ここで神官のような仕事をしていましたね」と言われたように、私は神道の「祝詞」や仏教の「ご真言」を何故だか直ぐに覚えてしまうのです。そして自分がそれらを唱えるのが好きなことも知っていました。

今日の参拝で、祝詞には「言霊」というかエネルギーというか、なんからのエネルギー的な働き(切っ掛け?)があることを再確認したのでした。これはきっとお寺で「ご真言」を唱えても同じような感覚にとらわれるのかもしれませんネ。

今度試してみようっと…。(微笑)

後回しにした「奉納お神楽」を見学する為に、また待合所へ引き戻しました。そして50分も待たされることになるのでした。その待合所でPH会員さんたちは一種異様な存在で、アチコチでそれぞれが両手でなにかを掴みエネルギーを送っているのです。後で気が付いたのですが、みんな昨夜の宴会で弱った肝臓や腎臓をセルフトリートメントしていたのでしょうネ。(微笑)

そんな一人ひとりの個性的なセルフトリートメントや、それぞれが出すエネルギーの違いを感じて楽しんでいる内に、やっと私たちの順番が巡ってきました。
80名ほどが一緒にお神楽を見学することになりました。私たちPH会員は総勢46名です。今回は流石に「上着・ネクタイ着用」などという堅苦しい仕来たりもなくて前田さんも一緒に参列できました。

この時まで、垣内参拝がメインだと思っていた私はトンだ勘違いをしていたことに気が付いたのでした。まずはこのお神楽の規模がこれまで私が経験したものとは随分と違うこと…。その人数も、巫女さんが9人、雅楽演者が6人、そして舞を舞う者が2名とこれまでになく規模が大きいのです。
雅楽の演奏が始まると同時に、私はとても暖かくて大きいエネルギーが頭から背中にかけて圧し掛かってくるのを感じました。その大きさに思わず上半身をうつむかなくてはならないほどでした。そしてそのエネルギーは、下にうつむいていた私が正面を見据えられないほどに大くて圧倒的なパワーでした。
しかし、とても気持ち良いのです。

「あぁ…、神さんが来ている。今日の私たちの参拝を歓迎してくれている…」
と、30分のお神楽の間ずっと感動していました。

参拝を終えた頃には少し小降りになっていた雨も、お神楽の見学中には建物の外の雨音が聞こえるほどに激しいものに変わっていました。
これも我々への禊・祓い(浄化作業)なのかもしれませんネ。

お神楽見学を終え、昼食の場所へ急ぐ途中、仁井本会長が一人で歩いているのを見つけました。そっと後から追い付き、なにを話し掛けるでもなく肩を並べて歩いていると、「いやぁ〜、お神楽の間中ずっと目が開けていられなくて、自分が総代じゃぁ居眠りする訳にもいかないですし、困っちゃいましたヨ(笑)」とおっしゃるのです。

“何か意味のあるお言葉なのだろうか…。それとも何かを暗示しているのだろうか…”と会長に直接尋ねようと考えながら歩いていたら先に会長の方から声をかけられました。
「あっ、玉川さんもすっかり酔いが取れちゃって、なんだかすっきりした顔になりましたね」
「あぁ…はい。おかげさまで…。ところでさっきのお神楽の時のエネルギーなんですが…」

と会長に尋ねようと顔を上げた時には、会長は遥か先を「さぁ―っ、めし、めし―っ。♪伊勢うどん〜…♪」と叫びながら小走りに駆けていました…。(微笑)

予定の時間を30分遅れで昼食を済ませた為に、時間がなくて近くの「猿田彦神社」や「月読宮」を参拝することも出来ずに次なる目的地「夫婦岩」のある「二見興玉神社」へとバスを走らせるのでした。

若くて舌足らずのバスガイドのお姉ちゃんが、朝からずっと「おっかしい…、へんですぅ〜…、天気予報では午後から晴れるはずなのにぃ〜…。どうしてぇ〜?」と何度も呟いていたのが印象的でした。

「二見興玉神社」に到着した頃には雨は益々本降りになっていました。
その雨の中をまるで濡れ鼠の行列ようになりながらぞろぞろと参拝を済ませたのでした。
本日の予定はここまでです。

私は新車で来ていた前田さんに同乗させてもらい、みなさんとお別れして大阪へと向ったのでした。
と、これで目出度く終わるはずだったのですが、前田さんがご自慢の新車のウンチクを語り出した為に帰り道に迷い、しばらく内宮の周りをグルグルと何周かすることになったのです。
まるで「まだ帰るなぉ〜」と言わんばかりに…。

そしてやっと帰り道が見つかった時には、時間的には混雑していてもおかしくない時間帯であったにも関わらずすんなりと「新大阪駅」に到着することが出来ました。

これも伊勢神宮の御利益かもしれませんネ!!(微笑)
さぁ、明日は奈良の神社を散策だ!!


【八咫烏(やたがらす)の導き…】

私には去年の末から、どうしても不思議でならない、そして解けない謎があったのです。
それは以前私のHPの掲示板にも書いたことなのですが…。
去年の年末も近くなってきた頃、奈良県の「橿原神宮」から一通の封書が届いたのです。
そしてその封書には、「橿原神宮開運初神楽祈祷」の案内が入っていました。

どうして一度も参拝したことのない神社からそのような案内が届いたのかがまず不思議でなりませんでした。

そのことが気にはなっていたのですが、ついに奈良県にまで足を運ぶ決心がつかず、とりあえずご祈祷の依頼だけを同封されていた祈願依頼書で済ませました。
たしか「社運隆昌」と「商売繁盛」の御祈願を依頼したと記憶しています。
そして年が明けて、御札と今年の干支の絵馬とお守りが送られてきました。
その橿原神宮のお守りを見て、またビックリしたのです。

そのお守りが入れられていた紙袋には「橿原神宮八咫烏守」と印刷されていたのでした。
どうしてそれにビックリしたかと言えば、去年参拝した「熊野本宮大社」「鹿島神宮」のお守りも八咫烏(やたがらす)だったからなのです。

どうしてこんなにもつながっているのか…?
行く神社が、ご縁のある神社が八咫烏をお守りにしている…?
これが偶然なのでしょうか…?

そんな時に以前の遠トリ依頼者の方で、イスラエルから現在はスイスに引っ越された方から久しぶりにメールをいただいたのです。そして不思議な「小桜姫物語」という霊界からの通信なるものまで教えていただきました。

そのご縁でしばらくその方とメールや電話のやりとりをしていると、彼女は奇妙なことを教えてくれるのでした。

「玉川さん、ずっと以前にTVで“ルーツ”という番組があったのを覚えていますか?」
「あぁ…、ホントに昔の話ですね。たしかアメリカに住む黒人のルーツを探っていく物語でしょ…」
「はい、それです。私の叔父がその番組に触発されて一族のルーツを調べたらしいのです。そうしたらなんと“八咫烏”に辿りついたんです」
「えっ?それって何かの比喩ですか?」
「いいえ、私たちの一族はどうやら八咫烏らしいんです」
「・・・・・・」

「と申しましても、もちろん鳥の烏がご先祖様というわけはないので、おそらくその当時、そう呼ばれていた何らかの集団、あるいは職業の名前だとは思うのですが…」
「あっ、なるほどねぇ〜。鳥が進化して人になるわけないですからネ。それがなにか…?」

「いえね、玉川さんの今回の神社参拝がすべて八咫烏に関係していることを掲示板で知り、そのことを思い出したんです。そして玉川さんとは、やはり出会うべくして出会った。ご縁があったのだと実感しました」
「はぁ〜…。それじゃぁ私も八咫烏一族なのかな…?」
という不思議な世界に迷い込んだような錯覚にとらわれるのでした。

それともうひとつ不思議なことがありました。3日に賢島へ行く為に京都駅から近鉄特急に乗り換えるのですが、目的の特急の到着までには50分ちかく待ち時間があったのです。そのために近鉄線のホームで椅子に座って昼食のパンを食べていたのですが、その私の目の前に止まっている電車は何故か「橿原神宮行き」の普通電車だったのです。

“あぁ…、これは私に早くおいでと言われているようなもんだな…”と思いました。
そういう不思議なご縁もあってか、ぜひ橿原神宮を実際に参拝してみたかったのです。

大阪から電車を数回乗り換えて橿原神宮へと到着しました。昨日とは打って変わっての日本晴れ! まるですべての穢れを祓い落とした後のように清々しい青空が広がっていました。
橿原神宮は想像以上に立派な神社でした。

              

境内もとても広く、その澄み切った青空に橿原神宮の立派な本殿が浮き上がるようにそびえ立っていました。
この陽気のせいか、ここも結構な参拝客で賑わっていました。

拝殿前で天津祝詞をあげたいのですが、やはり人目が気になるのです。
今日は一人で参拝なので“少し恥ずかしいなぁ〜…”と思っていたら、私が拝殿の前に到着する頃には何故か見事に参拝客がひとりも居なくなっていました。これも神の計らいごとなのでしょうか…。
安心して二拝二拍一拝をし、天津祝詞をあげることができました。
ここでも神さんが「よく来たなぁ〜。待ってたよ」と歓迎してくれているようでした。


【山の辺の道】

そして昨日本屋に飛び込んで買っておいた「奈良・大和路」のガイドブックを片手に、案外近くにありそうな「大神神社(おおみわじんじゃ)」へと電車を乗り継ぐのでした。

「大神神社」さんは5年ほど前に、私がPH調整師になりたくて大阪のカイロプラクティックの学校に通っていた頃に一度参拝したことがありました。
当時よくエネルギーの相談をしていたPH会員さんに電話で、

「せっかく大阪にいるので、参拝するのに何処か良い神社はありませんか?」と尋ねたところ、
「うぅ〜ん。ちょっと待ってナ。うぅ〜ん、あんた何処か行きたい神社は無いのんか? それを言うてくれたらあんたに合うかどうかを見てあげられるんやけどなぁ〜」と言うのです。

「お不動さんとか、、、伏見稲荷さんは…?」
「お不動さんはお寺やんか…。ちょっと待ってや。……うぅ〜ん、あんたには伏見さんは関係あらへんな」
「へっ、それってどういう…?」
「行っても行かんでも、なんにも無いということや…」

「それじゃぁ神社には心当たりはありませんが…」
「そやなぁ〜、ちょっと足を伸ばして奈良の大神神社さんへ行ったらええわ。あそこなら大丈夫やから…」
と、何が大丈夫なのかもわからないままに、当時はその名前すら知らなかった大神神社さんへ参拝に行った記憶があるのです。

そして境内にある「狭井神社」さんも参拝し、大神神社さんの御神体である御山にも登って参拝しました。その時に大神神社社務所で買った「幸の玉・勾玉腕輪守」は、その後ゴムが切れることも伸びることも無く、去年までの5年近くも私の左手首に巻かれたままで私を守ってくれていたことも、今になって考えると不思議な思い出でした。

ですから社務所でまったく同じ腕輪を見つけた時はうれしくて…、また買ってしまいました。そして社務所の横で売られていた大神山の苗木「テンダイウヤク」も、ぜひマンションの花壇に植えようと思い一鉢買い求めました。

                    

大神神社さんの参拝を済ませ、狭井神社さんの参拝も済ませ、御山に登る為に入山初穂料を社務所で支払おうとしたら、

「午後二時で受付は終わりです。この社務所は四時で閉めます。御山は登り降りに二時間かかります。今が二時十五分ですから…」
と言いながら私の風貌を頭からつま先まで見終えると、
「まぁ、あなたなら四時までに降りて来られるでしょうから、今日は特別に…」
と入山を許可してくれました。

急いで登ろうとするのですが、ぬかるんでとても急な坂道が何処までも何時までも続いているのです。その時、私は5年前にもこうして「ふ―ふー、ぜぃぜぃ」と息を切らしながら登った記憶が昨日のことのように蘇ってくるのでした。
“そうだった…。この御山はとても登るのがキツイのだった…”と、軽い気持ちで登ろうとしたことを後悔するのでした。

それでも男の意地で登り切り、下山した時には四時十五分ほど前でした。
“迷惑をかけなくて、よかった…”と心からそう思いました。

そして五年前にも同じように時間ギリギリで登らせてもらったことを鮮明に思い出したのでした。
何故、今また同じような経験をしているのだろうか…?
やはり北海道の旅ですべてのリセットが起こり、同じ路をスタートから歩き直しているような感覚に襲われるのでした。

そうなると次に向かう神社は決まっています。五年前にもそうだったように…。

ガイドブックに書かれてある風光明媚な「山の辺の道」を辿りながら次なる目的地である「檜原神社(元伊勢)」へと私は足を急がせるのでした。

お天気も良く、最近のトレッキングブームも手伝ってか、随分と高齢の方々が大勢連れ立って山の辺の道を歩いていました。そんな方々と途中お話をしたり、おやつを分けてもらったり、写真を撮ってもらったりと、一人旅でも淋しい雰囲気は何処にもありませんでした。

檜原神社さんの参拝を済ませ、ガイドブックを見ながら歩いていると、この先に現在の相撲の発祥の地である「相撲神社」というのがあることを知りました。
相撲といえば、伊勢神宮で奉納土俵入りに遭遇したことも偶然とは思えなくなってきました。“これもシンクロ!! これは相撲神社へもぜひ参拝に行かねば…”と、足は自然に歩く方向を知っているかのように進みだすのでした。

そのガイドブックによると相撲神社の先にも、どうやらとても怪しくて不思議な神社があるようなのです。その名も「穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)」と、聞いたことも無い名前が書かれてありました。ガイドブック曰く、どうやらこの神社は、昔は大神神社さんや石上神宮さんと並ぶほどの規模の大きい大社であったらしいのですが、現在ではその祭神はおろか、由来さへもわからない謎に包まれた神社であると意味深な内容で紹介されているのでした。

こんなのを読まされちゃぁ〜行かないわけがありません…。(微笑)
そこで今日は、とりあえずその神社を最終目的地として歩くことにしたのでした。

陽も少し西に傾き、山の辺の道を歩いている人々も徐々に少なくなってきました。そして相撲神社へ向かうのは、いつしか私と、すたすたとひとり道を急ぐ壮年の男性、そして老年の夫婦という3組だけになっていまいした。

この相撲神社が実にわかり辛く、壮年の男性も知らぬ間に見えなくなり、老年のご夫婦と何度も地図を見ながら相談して散策するのですが、なかなか道標すら見つけられないのです。
少し心細くなってきた頃に、ようやく近くの農家の方に道を尋ねることが出来て、やっと相撲神社への道を見つけることが出来ました。

山に向かう坂道を登る途中にその「相撲神社」はありました。今では鳥居と、境内とおもわしき場所に残されている土俵の跡しかありませんでした。しかし、鳥居の先には見事なほどの桜が乱れ咲くように咲き誇り、折からの夕刻の風に煽られて桜吹雪が舞踊っていました。

          

その坂道のすぐ先に最終目的地である「穴師坐兵主神社」らしき立て札が見えていました。しかし、その立て札には「大兵主神社」と書かれてあったのです。
そして普通の神社なら当然鳥居があるべき所には、竹を半分に割ったものが、まるで足踏み健康青竹のように地面に埋められていました。
どうやらここではコレが鳥居の代わりのようでした。とりあえずココで一礼。

境内に入ると大きな看板にその祭神と御利益が書かれてありました。
「がっ」
これはおそらくココが「山の辺の道」のスタンプラリーの中継地点である為に、後から無理やりこしらえたもののように感じられるのでした。

そしてその御利益は「衣食住に困らない」というようなことが書かれてありました。それともうひとつの御利益が…。
何故か「風水」とだけ書かれてあるのです。

「風水」に効果があるとは…???
意味がわかりませんが、とにかく変わった神社のようでした。
拝殿前にも同じように竹を割ったものが地面に埋められていました。ココでも一礼。

               

拝殿前に進みましたが、果たしてココでもこれまでの神社と同じように「天津祝詞」を唱えて良いものやら…。どうもココは何かが違うように思えてならないのです。どうも日本の神さまを祭っているのではないような…、そんな気がするのでした。

躊躇した末に、私は普通に参拝を済ませました。そして拝殿奥の神殿に続く石段をぼんやりと眺めていると、ココには三神が祭られているのですが、ちょうどその石段の真中あたりの石段の文様が人の顔のように浮かび上がって見えてくるのでした。

「ん…?」
と不思議に思い、ずっと見つめていると、なんと拝殿の真中から天に無かって柱のようなものが立っているように見えるのです。

「あれっ! これが神の柱というやつなのかな? 神を“ひと柱・ふた柱”とお呼びすると言うことは、これこそ神なのでは…」
と思い、少し拝殿から離れたり、横から覗いたりしてみたのですが、いつまでもその柱は拝殿中央から天に向かってそびえ立っているのです。
しかもまるでビールのように少し黄色がかって見えるのでした。

“これはやはり天津祝詞を唱えるべきだな…”と思い直し、改めて再び二拝二拍一拝して、天津祝詞を唱えたのでした。するとどうでしょうか、なんとその柱が「ぐっ」と一瞬にして横に広がったのでした。それはまるで祝詞を唱えたことを喜んでくれているようでした。

数多くの神社を参拝しましたが、こんな経験は初めてでした。

なんだかとても嬉しくて、陽もすっかり傾いた山の辺の道をJR「巻向駅」に向かって、意気揚揚と足取りも軽く歩いていくのでした。



今回の旅はこれで終わりです。
PH会に入会して6年が経っていました。
散々といろいろな経験をしたつもりでしたが、やはりいつもエネルギーは私に驚きと感激を与えてくれます。

エネルギーに関わって生きるということは…、
それは私にとってはまさに「ロマンと冒険の旅」なのです…。

さてっ、次はどんな冒険が待っていますことやら…?

とにかく私が夢を捨てない限り、自分を信じて、何時までも何処までも、私はこの道を歩きつづけるだけなのです。(微笑)

これは私にとっては、人生をかけた、「Never Ending Story」なのかもしれません…。

ありがとうございました。

                                      もどる                                                          


LaLast Update : 2004/4/14st Update:2002/4/24