お盆はニューギニアで


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 人にさんざんお願いをしておいて、案内を戴いた段に参加しないでは、田所さんに対し顔向けが出来ない。
 私は、はたと困り果て、田所さんから戴いた「慰霊の旅へのお誘い」を読み返していた。  最後まで読んだとき、田所さんの名文を発見した。
 「忙しいからとかお盆だからとか申さずに、残された私たちの命もそれ程長くはありません。現地でお盆を迎え、送り火をご一緒に焚く企画に是非ご参加下さい。」この文章を読み上げてから「結婚してから40年余り、1回くらい、跡取り息子にお盆の供養を任せて、貴女の父の慰霊に行くことを、私の先祖が咎める筈は無い。」と付け加えた。
 しばらく考え込んでいた妻は、息子朋知たち家族が住む前の家に出かけた。間もなく帰ってきた妻の顔は生き生きとしていた。「今年の盆棚は、前の家にたてるよう頼んできた。」という。これで「ニューギニア慰霊の旅」への参加が決まった訳である。
 翌朝、嫁の周子は、お坊さんの夢を見たと言っていたそうだから、お盆の先祖供養を引き受けたものの、精神的には大きな負担となっていたのであろう。
 参加申し込みを済ませた私は、調査活動の二つ目はクリアしたものの、一つ目の課題の仕上げを急がねばならなくなったわけである。

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