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【もうひとつのTDE】             

(体験談2001年2月号)
超能力レポート・パート27!


久々の『体験談』、3ヶ月ぶりである。西暦2000年もそろそろ終わろうかというこの時期(12/15)に何を想ったのか急に書きたくなってしまった。今日が私の誕生日だからかもしれないし、『アビエルト』が妙に薄っぺらくて寂しくて…、会員さん達からも「玉ちゃん、最近何やってんの?“体験談”書きなよ!じゃなきゃ読む処が無いヨ!」と言われたせいかもしれない。
しかし、一体何から書き出せばいいのやら…。この一年間が私にはあまりに
も濃く、そして色々な出来事がありすぎて迷ってしまう。

【 エネ遊び in 札幌10月&W調整】
2000年3月から始めた『札幌エネ遊び』、7・8・9月となんとかやりとげ、10月は名古屋の田邊さんに『エネ遊び』を任せ、私と八木橋くんは本格的に『ダブルパワー調整』の方に集中することになる。

『ダブルパワー調整』も7月は10人・8月20人・9月25人・10月28人・12月25人(札幌)、23人(上磯)と順調にこなしていく内に我々の能力がどんどんアップしていくのを身を持って体験することとなる。

8月に20人の調整を八木橋くんに言われた通りに行っていた頃は、“調整師学校”で教わった通りのことしか私は出来なかったので、終わった頃には両腕がパンパン状態で全身憔悴しきっていたのだが、最近では両腕に力を入れるどころか、あまり手さえも動かさず、しかも骨さえ取り出さずに調整が出来るようになっている。
調整に要する時間も初めの頃は一人に20〜30分位かかっていたのだが、最近
では長くても10〜15分もあれば終わってしまう。

10月まで手伝ってもらった田邊さん、10月・12月と大阪の前田さん・札幌の三野さん等同期の調整師達も毎月グングンと上達していくのが目に見えてわかる。やっぱり生前に会長が仰っていた通り、調整(トリートメント)は回数をこなすことで能力アップしていくようだ。

それでも20人もやれば普通疲れるものなのだが、やればやるほど面白くて仕方ないのである。八木橋くんや田邊さん、そして前田さんや三野さん等の横顔を調整中に“ちらっ”と覗き見ても実に真剣なのだが楽しそうにやっている。何が楽しいんだろう?つくづく「調整師って変な奴等…」と想ってしまう。まぁ、私もその一人なのだが…。やっぱり私の場合は、調整後のビールかな…。

【芦別山の龍!】
しかし、我々も調整ばかりやっていた訳ではなく、12月には“エネルギー散策”で八木橋くん・前田さん・三野さん、そして例の旭川の会員番号4番のMさんたちと『富良野』の先の『山部(やまべ)』という所にある“芦別山”へ“ダビデの墓”を探しに行くのであるが、思いがけない大雪の為断念。このために結局、偶然(?)にも『山部』にあった『大本教』の“大本北海本苑”参拝に変更することになるのであるが、ここでの出来事がまた凄まじかったのである。

その話をする前に、これまでにも何度かMさんとはお会いし、お話もしていたのだが、これほどエネルギーが凄い方に直接お会いできるのも何かの縁なのであろうか?とても偶然とは思えないのであるが…。それは『山部』へ向かう電車の中から始まった。

車中での八木橋くんとMさんの会話に登場するのは『UFO』とか『龍』とか『超古代文明』だとかであり、それらはもちろんエネルギーの話も含めてではあるが“ロマン”に溢れていた。しかし、周りで聞いていた一般の乗客たちはさぞやあきれ、ビックリしたことであろう。この二人、『山部』へ向かう電車の中でUFOの飛んでいそうな場所(山や空)ばかり探しているのである。

Mさんが「八木橋くんが見ているUFOはどんな形や色をしているの、ちょっと今見てくれないかい。あの山の上あたりに飛んでいそうなんだけど、どうだい?」
「あぁ、ホントだ。飛んでそうですネ。それじゃぁちょっと見てみますか」
と言うや、空中からまるでエネルギーの球(アニメ、『ドラゴンボール』に出てくる“カメハメハ”のようなものだと想像してください)を両手でつかむかのようにして、その両手の間にできた丸い空間を見つめ、「あぁ〜ほんとだ、いっぱい飛んでるわ!」と叫ぶ。それを「どれどれ」と言って、今度はMさんが同じようなスタイルをしてその空間を見る。

「あぁ〜、これか!あの赤や青い色のやつだろ、違うかい?」
「そうです。そうです。ほかにもいろんな色のやつがいっぱい飛んでいますけど」
「うん。これがUFOか…。初めて見たけど綺麗なもんだなぁ〜。あれっ?黄色のも飛んでるなぁ〜」
「あぁ、右上のやつでしょ」
「うん、そうそう」

ここでひとこと言っておきますが、これはあくまでもこの二人の会話であって、同行している我々3人には何も見えないのです。残念ですが…。
しかし、他人の見ているビジョンを同じように見られる人がいるなどとは…。
この二人はいったい何者なのだろうか?

そして、いよいよ“大本北海本苑”へ…。この地は『大本教』の聖師“出口王仁三郎”が昭和3年1月13日に日本西南の地奄美大島に訪れた時から始まる全国巡教の旅で、8月に北海道を訪れた際に北海道巡教の最後、“艮(とどめ)”の地として9月12日に芦別山の麓にある山部を訪ね、この地を“北海道の要”となる霊場として『北海別院』を設置したことから始まった由緒ある場所である。

まずは社務所へ行き、拝殿への入室と参拝の許可をもらう。「今日はあいにく行事があり忙しいので、勝手にあがって参拝してください」との返事であった(あとで思えば、我々にとってはその方が都合が良かったのであるが…)。言われたとおりに勝手に拝殿である大広間に男5人がぞろぞろと上がり込む。正面に拝殿、右の鴨居の上には歴代の聖師の写真が額に入れられ4・5枚飾られていた。私にわかったのは“出口ナオ”と“出口王仁三郎”の写真だけであった。

その写真をぼんやり眺めているとMさんが、「どのエネルギー、いや誰のエネルギーが欲しい?」と我々に聞いてくる。その意味がわからず、ぼんやりとしていると八木橋くんが「僕は“ナオさん”がいいなぁ〜」と言う。その言葉を聞くと「よっしゃぁ〜、それじゃぁ〜、ホレっ、よいしょっと」という掛け声と共にMさんが写真の近くから我々の方へ走り寄りながら写真からエネルギーを抜いて、全身を使ってまるで柔道の背負い投げのような格好で八木橋くんにぶつけてくる。

「はいつぎ!玉川さんは誰のがいい?」と尋ねるのだが、私にはその飾られている写真の人物が全員ともエネルギーが凄そうで判断に迷っていた。Mさんは私の心の内を見透かしたかのように、「よっしゃぁ、それじゃぁ玉川さんにはこれとこれっ!」と言って、同じように走り寄りながら“王仁三郎”と“ナオさん”のエネルギーをぶつけてくる。その後、前田さん、三野さんにも同様に次々とエネルギーをぶつけている。

そして本来ならば神職者以外は決して上がれない場所である拝殿の奥まで全員で上がり、エネルギーを確認する。やおら拝殿から降りたMさんが拝殿に向かって正座し、「今からここの神さんに伝授するから」と真剣な面持ちでエネルギー伝授を始める。一瞬大広間は静寂の空気で包まれる。「はい、終わり。どうこれ?」と言う言葉とともに我々はまた拝殿へ上がり、それまでのエネルギーとの違いを確認しようとするのであるが、拝殿に上がるまでもなく既に大広間中の空気(エネルギー)は暖かく気持ちのいいものに変わっていた。

広間が暖かくなったことで急に何故か尿意を催した私はトイレへと走るのであった。トイレは大広間から出て長い廊下の突き当たりにあるのだが、大広間を出た時は暖房のしていない廊下がやけに寒々しく感じたのだが、妙にトイレのある場所だけが大広間よりも暖かい…。
トイレを済ませてみんなのいる大広間に帰りその事を告げると、「どれどれ」と八木橋くん・前田さん・三野さんが一緒にトイレに向かう。私は気にも留めなかったのであるが、その廊下の途中にガラスの陳列ケースが置かれてあり、どうやら3人はその前でワイワイ、ガヤガヤとやっているようだった。後で聞くところによると、どうやらその陳列ケースの中には聖師ご使用の食器類等が展示してあったようで、それらから出ているエネルギーが凄いとやっていたらしい。茶碗や皿、箸を見ただけでそれだけ楽しめるなんて、なんて奇妙な連中であろうか…。

そして帰ってくると「いやぁ〜、タマちゃんの言うとおりトイレの周りが一番暖かいよ」と言う。

「でしょぅ〜…。何故だろう?」と私が不思議がっていると、3人が顔を見合わせて笑っている。
「…?どうしたんですか?」
「タマちゃん、トイレの周りにストーブ置いてあるのを見なかったの?」
「ん?なるほど…」と納得する。やはり不思議な現象が起きた時には複数で確認することが必要だとあらためて感じたのでした…。「トホホ…」

陽も沈みかけた頃になってようやく信者さんたちが一人また一人とぽつぽつ集まり、夜のお勉めが始まりだしたので、目的を果たした我々は邪魔にならぬよう早々にその場を立ち去ることにする。

外の温度は−5度。既に陽も沈み暗く寒い夜道に白く浮かび上がって見える降り積もった雪に気をつけながら、転ばぬようにバランスをとりとり、一歩づつ足元を確認するかのように踏みしめて『山部』の駅へと急ぐのでした。と言っても駅までは歩いて2・3分の距離。あっという間に駅に到着し、待ち人の誰もいない寂しい駅で男5人が立ちすくんで帰りの電車を待つ、そのうら悲しい姿。
なんとしょぼくれた風景でしょうか…。

疲れのせいかみんな黙り込んで電車を待っているとMさんが、「今この駅の上にUFO来てないかい?デッカイやつ…」と誰に尋ねるでもなくポツリとしゃべる。
「はい。見えないけど確かに来てますね」と打ち合わせでもしたかのように八木橋くんが答えていた。そしてそれを確認するかのように全員で長い間空を眺めているうちに、札幌方面行きの電車のホームが逆であることに気がつき、あわてて全員で向かい側のホームへと移動するのであった。

帰りの電車の中で疲れ果て眠ろうとしている時に私の耳もとで、「玉川さん、さっきMさんが我々に入れてくれたエネルギー、なんだかわかりますか?」と八木橋くんが尋ねる。

「さぁ〜、大本教のエネルギーじゃないの…」
「実はネ、あれは『龍』なんですヨ」
「えっ、リュウ…? リュウってあの龍?」
「ええ、それはエネルギーのことなんですが、龍に見える人もいれば光の帯のようにしか見えない人もいるらしいけど、現に玉川さんの身体には今二匹の龍が入っているのが僕には見えます」

その話を聞いていたMさんが「八木橋くんは見えるのかい?」と尋ねる。
「ええ、一匹は大人の成熟した龍で、もう一匹はまだ子供の龍ですネ。でも
この子龍は凄いパワーを持っているのか眩しいくらいに光り輝いていますネ」
「うん、そうなんだわ。あそこはきっと『龍の巣』みたいな場所なんだわ。
だからみんなに二匹づつ龍ちゃんを入れたんだけど、玉川さんには勿体無いくらいの立派な子供の龍ちゃんが入っちゃったから、俺のやつと取っ替えようかな…」
「えぇ〜、そんなぁ〜…、せっかくだから…いいですよこのままで…」
(なにがせっかくなのだか…)
「でもね玉川さん、この子供の龍ちゃんはちゃんと育てないとだめだヨ。うまく育てば、きっと玉川さんの役に立つ凄い龍になるからね」

「は、はい…???」と、まるで訳のわからぬ私は一瞬、「うまく育てろだなんて、なんだかちょっと前に流行っていた携帯型ゲームの『タマゴッチ』みたいだなぁ〜」と不謹慎ではあるが心ではそう思っていた。

そう言えば、日本列島は龍のような形をしているし、ある本によると北海道は龍の頭だと書いてあるし、ちなみに龍の心臓は十和田湖、龍の左乳が富士山、へそが伊勢湾でお尻が中国地方、紀伊半島とか淡路島や隠岐島、島根半島が腰で、子宮は琵琶湖、四国は龍の右足だというから、私の身体に龍が二匹入ったからと言って、いまさら驚くこともないのかもしれない…。

「ところで八木橋くん、大本の龍はどっちだった?」とMさんが尋ねる。
「あぁ〜、雌でしたね。ということは喜界島の龍は雄ということですね」
「うん。やっぱり雌だったか…。そう雌だよなぁ〜あれは…。うん、だからあんなにいっぱい子供の龍がたむろしていたのか…」

私には何のことだかさっぱりわからず八木橋くんに尋ねてみると、
「日本の国にはエネルギーラインというのがあって、確か南は喜界島が入り口で北は芦別山が出口になっているはずなんです。そして喜界島には雌の龍が、芦別山には雄の龍がいると言われているんですが、今日の私の感覚ではどうみたって大本の龍は雌なんですよねぇ〜…」とますます訳のわからない話になっていく。

「玉川さん、Mさんは実はあそこが『龍の棲家』だと知ってて、その為に今回の“エネ散策”に参加したんじゃないのだろうか?僕たちの中に龍を入れるために…。僕はどうもそんな気がしてならないんだけど…」と八木橋くんが小声で話しかけてくる。

先程からの、この世のものとも思えない、直接聞いている私すら訳のわからない我々の会話を、通路を隔てて一つ隣の席に座っていた前田さんと三野さんはキョトンとした顔で見つづけていた。

Mさんとはこれまでにも北海道に来る度に一緒に遊ばせていただき、『W調整』も手伝っていただいたり、また面白い話もいろいろと聞かせていただきました。
まだ会員が10人にも満たない頃のむかし、会長と沖縄へ遊びに行って“空中浮揚”する超能力者二人を会長と一緒に目の当たりに見た話(なんでも立ったままスルスルと10メートルちかく、真っ直ぐ上にあがっていったそうですが…)等の信じられないようなお話を何度もお聞きしていたので、我々二人はもう慣れっこになっていたのですが、前田さん、三野さんにとっては始めての体験なので、さぞや精神的なショックが大きかったであろうと推察される。
「お気の毒に…」

そして「ガタン・ゴトン」と心地よく揺れる電車のリズムのためか、睡魔に襲われ朦朧とした私の頭の中では、「そうだ!いつの日にか私が開業する時には、この二匹の『龍』に因んで、『Dazzling Twin Dragons(太陽のように眩しく光り輝く、二匹の龍)』の頭文字を取って、『DTD』という名前を付けよう」とその時、心に硬く誓うのであった。

※ 現在ではその龍も、最近また一匹入ってきたらしく(八木橋くんが見つけて教えてくれたのですが)三匹に増えてはいるのですが…。入ったのが7月(『鹽竃神社(しおがまじんじゃ)』より帰ってから)なので、4月に開業している為に名前は『DTD』のままですが…。

札幌駅で旭川に帰るMさんと別れ、我々男4人はいつものように美人女将のいるススキノにある割烹『きらく』で、北海道の美味いものを肴に酒宴が始まるのであった。みんな今日自分の目で見、耳で聞き、肌で感じた数々の出来事の興奮から冷めないのか、まるで「それが邪魔で酔えない」とでもいうのか、何故か関係のない話ばかりして盛り上がり、やたらにぐいぐいと盃を空けていたのが印象的であった。

【前世の見える女性…】
こんなにも濃い一日を過ごした翌日なのに、それに負けないくらい内容の濃い『W調整』が待っていた。実際にはそれは『W調整』後の反省会(酒宴)での話しなのであるが…。

12月の『W調整』は25人と依頼者が多くて、我々調整師4人と場所の提供者で針灸師のPH会員岩佐さんは忙しすぎてテンテコマイしていた。午後の『W調整』も終盤にかかった頃、女性のクライアントさんの靴が見当たらず、持ち主のいない靴が一足だけ玄関に残されているという事件が起きる。間違えられた彼女は仕方なく先方からの連絡待ちのために我々の反省会に参加することとなったのである。今考えると、この事件すら以前から約束されていたことなのかもしれない。

「さぁ〜、飲み会の始まりだ!」
岩佐さんが寿司を買出しに行き、缶ビールとお茶で乾杯!メンバーは我々調整師4人と岩佐さんを含む男性会員2人、そして靴の連絡待ちの女性を含めて3人の女性会員、それに終了近くなって訪れた会員番号4番のMさんの合計10人という大所帯であった。みんな円卓の騎士のように一つのテーブルを取り囲み、それぞれがエネルギーの話しをしながら忙しく口と手を動かしていた。

その内にある女性会員さんが、「玉川さんのエネルギーって女性っぽいっていうか、他の人のものよりも優しぃ〜く、すんなりと入ってくるのよねぇ〜」と口火を切った。それを聞いた他の女性も「そうそう、玉川さんってまるでフェロモンでも出しているようなエネルギーなんだわ…」

そんな話題に周りのみんなから冷やかされていると、私の正面に座っていた例の靴を間違えられた女性がやおら口を開き、「玉川さん、そのフェロモン・エネルギーとやらを私に送ってみてくださいませんか」と胸の前で両手を広げて申し出る。

「え〜、フェロモンかなんだか知らないけど、こんなのでよければ、はいどうぞ」と彼女の広げられた両手に向かっていつものようにエネルギーを送り出すと、いきなり彼女は「あぁ〜…、白粉(おしろい)の香りがする。ふぅ〜ん、確かに女性っぽいエネルギーですね。すんなりと気持ちよく身体に入ってくるわ」という感想をしゃべっるのとほとんど同時に、「あっ!ベールのようなものが見えてきた。うぅ〜ん、違うなぁ〜、ベールじゃなくて羽衣だわ。そうよ、玉川さんはむかし『天女』の時代があったんだわ…」と言って黙り込んでしまう。

「なにそれ?むかしって前世のことなの?前世がわかるの?」と矢継ぎ早に質問を浴びせかけると、「はい。見えるんです」と一言で答える。

その期待どおりの答えにその場のみんなは一瞬黙り込んでしまう。その一瞬の静寂の後は、次々にみんなが「私の前世はなんなの?」と質問の嵐であった。前世とはどうやら一つだけではないらしく、次々といくつもの前世を見てもらっている人もいた。

そんな中、クールな八木橋くんはいつものように、「そんなものには僕は興味がない」とでも言うかのように、口を挟むこともなくクールに黙って話しを聞いていた。ただ一人Mさんだけが次々と質問に答えている彼女を怪訝そうな目で見つめていた。そして何を思ったのか彼女の後ろに回り、エネルギーを彼女の背中側から入れているのが私の席からはハッキリと見えた。かなり真剣に入れていたように私には見えたのだが…。思わず八木橋くんと目を合わせるが、相変わらず彼は沈黙しつづけていた。

その不思議な光景と緊張した空気に私はたまらず、「Mさん何やっているんですか?」と尋ねるのだが、「うん、ちょっとね」と言葉を濁すだけであった。そしてエネルギーを充分入れ終わった頃に、「はい、もう一回誰かの前世を見てあげて」と言う。

せっかくなので、また私が質問する。
「八木橋くんと俺はどうしてこんなに離れた場所に別々に住みながら、こうやって今は一緒にこんなことをやっているんだろう。前世と何か関係あるんだろうか、そういうのってわかる?」

その質問に彼女は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をして空中を見つめて誰かにぶつぶつと尋ねていた。そして10秒もかからない頃、「はい、見えてきました。うぅ〜んと、ここは何処?そうね、中国だわ。時代はいつ?え〜っと大昔、老子がいた頃ね。」と次々と自問自答を繰り返していく。そして「はい。わかりました」と一際甲高く誰に告げるでもなく返事する。

「なにがわかったの」
「あのね、玉川さんと八木橋さんは孟子や老子が生きていた頃の古い時代の中国で、ある高僧の、いや、導師だわ、そう、その導師の高弟だったのね。いわゆる兄弟弟子のようなもので、その導師とともに中国全土を旅しながら大衆に“道”を説いて周る人生を歩んでいたんだわ」

「……」。そうか、それじゃぁ我々は“ことだま言霊つかい”みたいなものなんだ。そ
ういえば私は四国で生まれで今でも四国に住んでいるし、四国は『言霊』の国(高知の“こ”、徳島の“と”、高松の“た”、松山の“ま”)で、昔から波動の高い土地といわれているし、言葉って“光透波”だから…、これからは言葉づかいに気をつけて美しい光透波を発しなきゃなぁ〜。などと考えていると頭に次の疑問が湧いてくる。

そこで私は、さらなる疑問を彼女に突っ込んで尋ねてみる。
「その時の我々のお師匠さん、その導師は誰だかわかる」

「えっ、ちょっと待ってね。はい、あなたは誰ですか? 後ろを向いてちゃわからないでしょ、ちょっとだけこちらを向いて顔を見せてください。えっ、恥ずかしいですって…。うぅ〜ん、それじゃぁ私がそちらへ周って顔を見ますがよろしいですか? えっ、いい。はい、それではっと…」

なかなか答えが出てこない。テーブルをグルリと取り囲んだみんなも緊張して「シ〜ン」と黙り込んでいた。

「あぁ〜なぁ〜んだ。はい、わかりましたありがとうございました。お帰りください」
まだ言わない。早く言ってよぉ〜とみんなの顔が焦れていた。
「山岸会長でした」
「・・・・・・・」
私は心の何処かで、「やっぱり…」とつぶやいていた。

そして彼女はMさんが背中からエネルギーを入れたのを知ってか知らずか、どんどん能力が増していくようで、地球に来る前の前世までわかるようになっていた。

それが面白くて私は、八木橋くんの最も古い前世について聞いてみる。
「八木橋さん…、八木橋さんは太陽系ではない別の銀河から、赤ちゃんの時に宇宙船に乗せられて地球にやってきたのね(この時私は何故か映画の『スーパーマン』のワンシーンを思い浮かべていた)。「地球はワンダー・ランドだ、思いっきり楽しまなけりゃぁ」って言っています。玉川さんも別の銀河からやってきたのね。でもそれは八木橋さんとは違う宇宙だわ。ふぅ〜ん。玉川さんは冥王星に随分と長い時間暮らしていた時代があるのね。地球に来てからの時間の倍以上の時間を冥王星で過ごしていたみたいです。そして太陽系の全ての星に住んだ経験があるって言っています。」

「…。ところで俺は何をやりに地球に来たのかわかる?」
「はい。ちょっと待ってください。あなたはどういう目的で地球にやってきたのですか? はい。わかりました、ありがとうございました。お帰りください」
「なんて言ってたの?」
「私は“愛の使者”。いや、“愛”そのものだ。地球に愛を伝え広めるためにやって来たと言っていました」
「……」

と、彼女の話には際限がないのである。話している彼女自身が、その見える能力が急にアップしたことに驚いていたようだった。他の参加者もMさん以外は全員みてもらったのですが、それを全部書くわけにはいかないのでチャンスがあれば直接本人にお聞きください。とくに前田さんのは面白いですヨ。

後でMさんに、「あの時彼女に何をやっていたのですか」と尋ねると、「いやね、この人のこの能力が本物ならば、私の送ったエネルギーでその能力をアップさせなさいって設定で入れたんだわ。そうしたらあんなになっちゃった…。でも彼女はこれから気をつけて誰かがみてあげないと、下手をすると悪い人に利用されかねないなぁ〜」と心配していました。

※ ここでお断りしておきますが、この彼女の話してくれた“前世の話”が本当に見えていたのか否かは私にはわかりません。ただ、このような内容の話しを彼女がこの場で話したことは100%事実でして、その内容の信憑性については私自身、なんとも申し上げようがないのです。

【上磯に住む、函館の神様!】
12月は二日続けてこんなにも濃い体験をしながらも、一旦高松に帰りその二日後にはついには八木橋くんの地元である『函館』の隣の『上磯』まで足を伸ばし、『W調整』を行う羽目になってしまうのである。この『上磯』へ行くまでにも実に不思議な出来事が起こったのである。まずは高松空港からその話は始まる。

4日に札幌から帰って荷物を解く暇も無く6日には高松空港に立っていた私。

当日高松は晴天、函館は猛吹雪であった。空港で現地の様子を聞くと、とても今は飛行機が飛べる天候じゃないと聞かされる。現に高松・札幌の直行便も欠航になっていた。そこで八木橋くんに電話して「なんとかして」と頼むと彼は「わかりました、飛ぶ時間を教えてください。その間だけ雪を退けとくから大丈夫でしょ」と平然と応える。

ところが高松・函館は直行便がもともと無くて、羽田経由で行くのであるが、その肝心の高松・羽田便がバード・ストライク(鳥がエンジンに飛び込む)で飛べなくなってしまう…。この時私の頭の中は、“あ〜、神様に試されてる…。それなら絶対に行くぞ!”という想いでいっぱいであった。

「約1時間遅れでANAの別機種で羽田に飛び立つ」とアナウンスがあり、すぐその後に「羽田から函館にご出発の玉川様、急いでカウンターまでお越しください」というアナウンスが待合所中に大音響で流れた。あわててカウンターに行ってみると「次の便では羽田の到着時間から出発時間までに15分しか余裕がなく、最善は尽くしますがもしもの場合は次の便の函館行きに変更していただけますか?」という内容のことを告げられた…。そこで今度は逆に、「函館・羽田便を吹雪で30分程送らせてほしい」と、八木橋くんに電話で依頼する。

そんなこんなであたふたとした時間を過ごし、気が付くと、ちゃんと30分遅れの函館行きの機内に腰を掛けていた。

そんなおもいでやっと訪れた函館。
函館は朝から猛吹雪だったらしく、八木橋くんの話によると、吹雪のために信号待ちしていても交差点の向こう側の信号機のランプが見えなかったと言っていた。玉川さんに「天候を変えておきますから」とは言ったものの、「こりゃぁ〜無理かもしれないなぁ…」と半分あきらめていたとか…。八木橋くんから、「あの『体験談』を書いている玉川さんが来るよ」と、みんな聞いて当日集まっていたらしいのだが、「この吹雪じゃいくらなんでも来られないでしょう〜」と思っていたらしく、 夜の9時からおこなった『TDE勉強会』で私の姿を見つけてビックリしたらしい。

そんな雪の多い北海道に住んでいる人でも信じられないほどの悪天候の中を、もしも本当にエネルギーで天候を変えた為にやって来られたのならば、 “やっぱりTDEは凄いことが出来る…”と、あらためて関心するのでした。

この天候を変えるという話で、私は思い出した事があります。
それは『大本教』の“出口王仁三郎”が『龍は耳がきこえなぬ』と本に書いています。

『龍の耳と書いて聾(つんぼ)と読むが、龍は耳が聞こえぬものである。龍は神界に属しているから人間の言葉は通ぜぬ、神様の言葉でなくては聞こえないものである。だから普通の人に風雨を叱咤する力はない。神界に通じる言霊の持主のみが龍に命令し、天然現象を自由に得る権能をもっておるのである』

ということは、八木橋くんは“神”なのか、あるいは“神界に通じる言霊の持主”ということなのであろうか?

『W調整』前日の“仮装カラオケ忘年会”、も楽しかったし凄かった…。そして、遂にめっちゃ内容の濃かった『W調整』が始まる。

『上磯』の八木橋くんの家での調整風景がまた凄い!なんせクライアントはその殆どがプロ!そう“ヒーラー”か、あるいはそれに関わっている人達なのである。
なかにはヨガの達人のインド人や長年インド・中国で気の修行をしていたヨーロッパ人・気功師・レイキ・チャネラー等々、そのメンバーを見ただけでも私はクラクラと目眩がしそうであった。

そんな、函館ではいちおう有名といわれているヒーラー達がこぞって彼の調整を受けに来ている。この頃彼はすでに『先生』ではなく、函館では『神様』と呼ぶ人もいるとクライアントの一人が教えてくれた。

「そうか、『函館の神さま』か…。だから天気を変えられた訳ね…」

ここでの調整風景は、あまりにも現実離れした出来事が多かったので、残念ながらこのレポートではご報告できません。あしからず…。

※ このHPの開設を機に上磯でのW調整風景を書こうと思っていたのですが、やはりその内容はあまりに凄まじく、依頼者がプロということで営業妨害に成りかねないし、クライアントさんに対する守秘義務もありますのでやめておきます。

  その代わりと言ってはなんですが、八木橋くんの住んでいる土地、『上磯』というこの地名、彼が住んでいるのだから何か意味があるのだろうと調べていると、面白いものをみつけましたので、これについて少し書かせていただきます。

  “名前”、特に“地名”には必ず意味があるといいますが、八木橋くんの住む『上磯』は実は『神磯』なのであろうとずっと思っていました。しかし、“神”はわかるが“磯”がわからない…。それが疑問だったのですが、ある本を読むことでこんな発見がありました。

  その本によると、“『伊勢神宮』は古くは『磯宮(いそのみや)』と呼ばれていたらしく、数霊的神秘をはらむ『五十』というのは『伊勢』に通じ、また『磯』にも通じるのです。それは日本の基礎音である言霊(ことだま)、五十音に通じます。”と書かれてありました。

  確かに『五十』を『イソ』または『イセ』とも読みますよね。そして、『イスラ』または『イツラ』とは『五十連』だと昔の言霊学者は表記しているそうで、『イスラ(五十連)』が枝分かれして回転して(この世のものはすべて回転している…)、この3次元物質界で現象をなし経綸を推し進めていく、これが神道霊学的見地による『イスラエル』の語源の真の意味ですと書いてありました。

「だからどうした?」って、言われると困っちゃうんですけどネ…。


【W遠トリと会長の死と癌について…】
『W調整』と並行して行っていた『W遠トリ』。こちらも順調で、毎月15人ほどのW遠トリを二人で行えるようになっていた。遠トリは一人に3回行うので、実際には45回である。私はこの“遠トリ”には昔からこだわっていた。これさえ確実な技術にしてしまえば、会長が生前に仰っておられたような“各県に最低一人の調整師”すら重要な事ではなくなってくる。そう、調整師・クライアントが何処に住んでいようと関係ないのである。しかし、ただでさえ怪しまれ、疑われるこのエネルギーでの治療…。これを『アビエルト』で有料でやりますと発表するのであるから、私の度胸もたいしたもんだと今更ながら感心してしまう。しかし、それというのも我々の『W調整』の記事を見て、「Wで遠トリはやってもらえないのですか?」と依頼された大勢のクライアントの要望があったからこそである。

この八木橋くんとの『W遠トリ』でもいろいろな成果をあげることが出来ました。やってる本人の私が書くと宣伝臭いので実はイヤなのですが、その話を前本理事長や仁井本代表に偶然にもタクシーの中でお話する機会に恵まれたのです。(実は、12月の大阪講演会の帰りの新幹線で私は酔っ払って居眠りをし、岡山で降りるところを広島まで行ってしまい、上りの電車が1本も無くて前本理事長ご推薦のカプセルホテルに一泊する羽目となったのです…)

「玉川さん、ガンバッテルみたいだねぇ〜。どう、その後札幌は…?」と前本理事。
「はい。実は最近の話ですが、信じられないようなことが起きたんです」と
お話したところ「玉川さん、そういうのをこれからのPH会や調整師の為にもどんどん発表しなきゃぁ…」と仰られたので、思い切って発表します。

数ある遠トリの中で特に我々の印象に残ったものだけですが、まずは生まれつき難聴の赤ちゃん(5ヶ月)。これは7月に私に依頼がきました。私のクライアントからの紹介で、「先生、赤ちゃんは治せますか?生まれつきの難聴で、左はまったく聞こえません。右もほとんど…。治せますか?」と相談されました。
私はいつもこう応えるのです「やってみなけりゃわかりません。医者がダメだと言うのなら、ダメモトで3回受けてみれば?」と。

八木橋くんに電話すると「やりましょう。今からやりますか?」 「ちょ、ちょっと待ってヨ!まだお金の話も何もしていないし…」 「玉川さんやりましょう成功報酬でもいいじゃないですか」 「わかった…」 彼は難病や赤ちゃん・子供の患者になると俄然燃えてくるらしい。受話器の向こうで彼のエネルギーが燃えたぎっているのが伝わってくる。ここが彼の良いところである。

1回目を終わったところで正式に依頼を頂き、2回目は精密検査日の午前中に行う。

その日の午後になってから電話すると、電話口で母親が嗚咽しながら泣いていた…。「えっ!なにか?」
あくまで自分の能力に自信の無い私は焦ってしまう。
「ありがとうございました。今日病院の検査で異常がまったく見つからない。
正常な赤ちゃんですと言われました」と喜んで泣きじゃくっていた。
その報告を受け、八木橋くんに即連絡し「やったね!」「よかったネ!」とお互い感激し合う。そう、クライアントからの「ありがとうございました」が、我々にとっては何よりの癒しなのかもしれない。

次は11月、八木橋くんへの依頼。血糖値が390もあり、次の検査結果しだいでは入院するかもしれない35歳の男性。原因はストレスであろうと医者に診断される。1回目、我々の設定としてはクライアントの血糖値を取りあえず半分に落とそうとエネルギーを送る。電話で精密検査の結果、血糖値が150までさがっていて入院は必要ないと医者に告げられたらしい。2回目、血糖値90になる。3回目、やることがなくなってトリートメントを行う。

この前例を踏まえて、12月私への依頼で以前私の体験談に登場した“パニック障害”の親子の父親71歳(糖尿病で血糖値400)のW遠トリを引き受ける。まだ1回しかやっていないが、やはり同じ様に1回目で200にまで血糖値が下がっていた。

そして、いよいよ『癌』である。

我々は、癌細胞をこのTDEでなんとか出来ないかと常々相談していた。そんな折、会長が癌に犯されていると情報が流れてくる。「あ〜、やっぱり…。ついに来たか」これが我々の正直な感想でした。これも貴重な体験。会長は身を持って何かヒントを我々に与えてくれるかもしれない。「お前ら、わしの身体を調べてみればいい。そして、何かを掴めヨ!」と教えてくれているような気がして、さっそく八木橋くんと会長への遠トリを開始する。

“バリアが強くてスキャン出来ない…。エネルギーも入れてもらえないし…”。
無理やりスキャンしようとすると、まるで孫悟空のリングのように頭を締め付けられる日々であった。そしてそのことを北海道の会員番号4番のMさんに告げたのでした。

私が半ば諦めかけていた頃、八木橋くんから電話で「玉川さん、Mさんから電話があって、“会長のバリアは君たち二人のエネルギーだけは入れるように会長に話をつけたからやってみな”って連絡があったんです。今から二人で上・下半身に手分けして遠トリやりましょう」と告げられる。それまで彼は毎朝・昼・晩と挑戦を続けてようだ。まったく、彼のエネルギーに対する熱心さには敵わない。彼が上半身、私が下半身を受け持ち遠トリする日々が3日ほど続いた。
私は3日で諦めてやめていたのだが、彼は会長が亡くなるその日まで“ず〜”っと続けていたようだ。そしてある朝、「玉川さん、会長のエネルギーがいつもと違うから診てください」と連絡を受けることになる…。

ここから私達が学んだこと、癌細胞に対するTDEの使い方としては二つの方法があると思う。

一つは癌細胞を敵と見なして体内から消そうとする方法(対決・退治する方法)。
もう一つは癌細胞と仲良くなる方法(癌細胞自体にエネルギーで呼びかけ、正常な細胞分裂状態に戻し同化してしまう方法)。癌細胞はあってもいいじゃん。ただ仲良くすることで大人しくしてさえいれば、どうせもともと自分の細胞なんだからプラスのエネルギーもあげちゃおうという考え方なのですが…。私達は後者を選びました。

そしてまるで約束されていたように10月31日、ついに癌のクライアントのW遠トリ依頼が八木橋くんに入って来るのです。

依頼主はPH会員さんでW遠トリを受けるのは母親です。守秘義務があるので詳しくは報告できませんが、病院で癌と宣告され、いろいろな病院を訪れることに疲れ、娘さんも半ば諦めていたようでした。ただ、せめて母の痛みを取り除いてあげたいと…。いきなり2クールの依頼でした。1クール3回ですから6回やることになります。

1回目の私の感想としては“これは手強い…”。エネルギーの状態が良くないせいか、遠トリしている両手が痛いくらいビリビリと痺れました。八木橋くんも電話で同じ感想を言っていました。
そして、2クール終わってまた次の1クールの依頼を受け、7回目の遠トリを終わった時に、「病院で再検査したところ癌細胞が消えている(見つからない)と医者に言われました。でもやはり痛がっているんです…」と電話で報告される。『上磯』に行った時、その礼状を八木橋くんから読ませて貰ったのでウソではありません。現に上磯滞在中に依頼者から御礼のお電話も頂きました。

 ※ ちなみに上記の礼状のリンクの中に書かれてある『組長』とは私のことです。当時八木橋くんはクライアントに「玉川さんてどんな人ですか?」と聞かれる度に「『クレヨンしんちゃん』の園長先生みたいな人です」と答えていたことから、いつしか『組長』と呼ばれるようになっていました。

八木橋くんが今私が北海道に来ている事を告げ、電話を変わってお話もさせていただきました。
「いいなあ、私も母を連れて北海道へ行きたいなあ」 
「ええ、是非来てください。風景も食べ物もいいですヨ、北海道は…。お母様にもその事を話せば励みになって、治そうとご自身から良いエネルギーを作り出せるかもしれませんネ!私達の出来る事は所詮半分です。後はご自身の治そうとするエネルギーが半分。これが合体して100%になるんですから…」。

この方からはその後も2クールの依頼を頂き、現在13回目のW遠トリを終え、なお継続中です。

この体験談【W遠トリと会長の死と癌について…】が『アビエルト2月号』に掲載されたことをきっかけに、感動や励ましのFAX・お手紙をたくさんいただくようになり、お蔭様で我々の『W遠トリ』は依頼者が一気に3倍に増え、俄然忙しくなっていくのでした。それはいいのですが、一時期は二人とも依頼や問い合わせ、質問、よろずの相談ごと等の電話が鳴りっぱなしの状態がつづき、私はトイレや風呂にまで携帯を持ち込む羽目になり、半分“電話ノイローゼ”のような状態になっていました。八木橋くんなどは、自宅と携帯の両方が鳴りっぱなしで奥さんがテンテコマイだったそうです。
  そういう意味では、あの時あの場所で前本理事と仁井本理事にお会いしたこと、そして酔っ払って新幹線を乗り過ごしたことすら偶然の出来事とは思えず、この流れを作ってくれた存在に心から感謝しているのです。


【そしてこれから…】
私がこの体験談で何を言いたいのか…。別に自慢話をしたい訳じゃないし、ましてや宣伝をしている訳でもありません。現に私のクライアントは90%以上非会員なのですから…。ここには書けなかったけど失敗談も数多くあります。おっちょこちょいだし…。

会長に回路を開いて貰い、手に入れたこのTDEは研鑚次第では無限大の可能性があるということです。なにも“みんな調整師になればいいのに”などとも思っていません。身体・病気に興味の無い人は別の分野、例えば石油に変わるクリーンで無限なエネルギー源だって作り出す人が出てくるかもしれないし、“惚れ薬(フェロモン・エネルギー)”や“エネ・バイアグラ“を作り出す人がいるかもしれない。なんだっていいんじゃないだろうか?

会長が亡くなってなんだかみんな元気を無くしたのではないでしょうか?会長が亡くなって、“TDE製品のエネルギーが変わった”だとか、“オートロードや伝授のエネルギーが抜けていくのでは…”と心配している人がいると聞きました。私達はこの素晴らしいTDEを会長から貰ったわけじゃなくて、『おおいなる流れ』に繋がる回路を開いてもらった訳で、そのパイプが無くなってしまった訳じゃありません。おおいに研鑚する人・おおいに遊ぶ人はそのパイプが太くて強く、何もやらない人はそれなりに…、今も、そしてこれからも存在していると私は思っています。

エネルギーに敏感な人は、2000年12月号の『アビエルト』から以前よりも強いエネルギーが出ている事を感じているはずです。そして、会長が内緒で私達みんなに置いていった“お土産”のことも…。

「お前ら、俺がいなくたって遊べるだろ…!早く俺を追い越し、この素晴らしいエネルギーを子や孫の時代までちゃんと伝えてくれよ」と、何処かで会長がそう言っているような気がする今日この頃です。

この“お土産”の部分は『体験談』からはカットされていました。ではその“お土産”とはなにか?これは八木橋くんが私に話してくれたのですが、「玉川さん、会長が亡くなってから、設定がなくなってる…」と言うのです。
それでは、そのなくなった設定とはなにか?ここで全部書こうと思っていたのですが、これも研鑚、ご自分でお考えください。


超能力レポート・パート28

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Last Update:2001/8/24