つぎへもどる
             もうひとつのTDE 
‐ Twin Dragons Episodo ‐




  【もうひとつのTDE】

半年振りの『体験談』である。去年の3月から始めた『札幌エネ遊び』、そして7月から始めた『W調整』、『W遠トリ』。早いもので、あれから既に1年も経過してしまいました。
この約半年の間に我々(八木橋くんと私)の身に起こった数限りない出来事…。それ
はあまりにも内容が濃く、衝撃的でしかも現実離れしており、なかなか『体験談』と
して書くことが出来ませんでした。(ん?この文句は今まで何度も使ったような気が
する…)

しかしこの1年はPH会にとっても、山岸会長が他界され、その一番の後継者と信
じていた『TDE式調整師養成学校』の校長が突然会を去ってしまったりと、激動と
変革の年であったと思われます。そして残された会員さんたちの多くが会の“いま”
と“これから”に不信と不安を抱いているのではないでしょうか?PH会に入会した
時の“夢とロマン”を追い求める気持ちすら無くしつつあるのではないでしょうか?
このままでは生前の会長がよく話しておられた「エネルギーでもっと遊びなさい(研
鑚しなさい)」という一番大切な『遺言』すら忘れ去ってしまうのではないかと私は
危惧しています。

会長の残していかれた一番大きな遺産。それはTDE製品でもなければPH会とい
う組織でもありません。それは今こうして『アビエルト』を手にし、読んでいる会員
さんたち一人一人、そうあなたご自身なのです。我々二名もその遺産の一つにすぎません。会長の話しておられたとおりに、いやそれ以上に遊び、研鑚すればこんなにも不思議で面白い体験ができ、しかも能力アップまで起こり、楽しい人生を送ることができるのです。そしてそれこそが会長の一番望んでおられたことなのではないのでしょうか?

私がこれまで躊躇して書かなかったこと、書けなかった出来事を、PH会で一番遊
んでいると自負している我々二人の体験談を書き記していくことで、TDEの未だ知
られざる無限の可能性を理解する為のお役に少しは立てるのではないかと思ってい
ます。その第一歩として、今年4月に私自身が『ヒーリング・オフィスDTD』を開業し、八木橋氏同様にこれからの人生をエネルギーとともに歩んでいく決意をしたことを機に、気持ちも新たにまたペンを取ることにしました。

ちなみにDTDとは『Dazzling Twin Dragons(太陽のごとく眩しく光り輝く、二匹の龍)』の意味であり、何故私がDragons(龍の複数形)なのかも含めて、これから徐々に『体験談』で明らかにしていくつもりです。

そしてこれは、『もうひとつのTDE』。我々二人の『Twin Dragons Episode(ツイン ドラゴンズ エピソード)』という99%真実に基づいた『体験談』なのです。

それでは話を少し過去にさかのぼって、HP用に加筆・修正を加えながら始めるこ
とにしましょうか。

2001年8月15日


レポート目次
レポート23 体験談2000年7月号 
  『超能力レポート・パート23』
インターン生として、私行きます札幌へ!!他
レポート24 体験談2000年8月号 
  『超能力レポート・パート24』
ダブルパワー遠隔トリートメント!他
レポート25 体験談2000年9月号 
  『超能力レポート・パート25』
不思議な縁で調整開始・・・!他
レポート26 体験談2000年10月号
  『超能力レポート・パート26』
エネ遊びin北海道2nd、7月は暑かった!他
レポート27 体験談2001年2月号 
  『超能力レポート・パート27』
【芦別山の龍!】【前世の見える女性!】他
レポート27 体験談2001年8月号 
  『超能力レポート・パート28』
東北エネ散策&スプーン曲げ・・・!他

(体験談2000年7月号)
超能力レポート・パート23

【インターン生として、私行きます札幌へ!!】
暑い5月も半ば終わろうかという頃、PH本部より一通の封書が届く。封を切り、その手紙を開いてみると、それはビックリするようなというか、「待ってました!」というべきなのか、次のようなものであった。

それは第5期・6期のTDE式調整師(調整師養成学校卒業生)に宛てたもので、インターン制度の実施等が始まるというお知らせであった。我々5期・6期生合わせて80名もの調整師が一度に誕生はしたけれど、はたして何人が開業し、その中でも何人がエネルギーの調整だけで生活を賄っているのだろうと疑問に思っていた。毎月のように『アビエルト』には、“今月新しく開業された調整師”としての紹介はあるが、みんな、ちゃんとエネルギーで生活していけているのだろうか? 自分の技術に不安は無いのだろうか? お客は毎日あるのだろうか? 近所で“あやしい奴”と噂されていないのだろうか? 等々、他人事ながら心配していたのである。

私はといえば、調整師養成学校を卒業したとはいうものの、おおげさに考えれば残り半分の人生が掛かっている訳で、学校で習った技術だけでは不安であるし、もっと実践的な調整技術を身に付ける方法はないものかと“ず〜っと”考え続けていた。そんな折も折、届いたこの手紙…。まさに『救いの神』であった。

しかし、手紙を読むにつれ “あ〜やっぱりな…”と少しガッカリしてしまった。そう、このインターン制度が実施されるのは、あたりまえではあるが東京のPH本部なのである。そして、もうひとつの選択肢は、既に開業しているベテラン調整師の施術所に
おけるインターン制度の実施!。
こちらの方がもっと不可能に近い…。四国に調整師は現在私一人しかいないのである。そこで本部に電話して、「地方からなので月に2回くらいでもいいですか?」と問い合わせをし、了承を得ていたのだが、突然頭に名案が浮かんできた。

「そうだ!北海道へ行こう。八木橋くんのインターン生になろう…。彼は学校の同期ではあるが、彼のエネルギーに対する情熱と姿勢、そしてその技術と能力の高さには常々敬意を払っていたことだし、月に2回東京へ行くなら、月1で北海道に行っても旅費は同じくらいじゃん。気心も知れてることだし、これからの暑い季節はやっぱ北海道でしょ」と相手の都合も考えず勝手に決めてしまってから八木橋くんに電話をかける。

さすがにエネルギー体の大きい彼は快く承諾してくれる。それどころか、「玉川さん、どうせやるなら一人のクライアントに規定価格で二人一緒に調整をやってみませんか?それなら料金を下げる必要もないから『体験価格』の許可もいらないし、クライアント側も一人分の価格で二人の調整師に同時に調整を行ってもらえるからダブルパワーでサービスが2倍になる訳だからお得なのじゃないですか?」と意外に乗り気であった。

最初は彼の住む函館でやろうと思っていたのだが、会員さんの利便性を考えてやはり札幌で月1のペースで行うことに決定する。そしてPH本部に電話をかけ承諾を得ることもできた。

【ダブルパワーで調整を…!】
まずはその手始めとして、第1回目を7月30日(日)の『エネ遊びin北海道2nd!』の午前中に行うことになる。(詳しくは『この指とまれ!エネ遊びin北海道2nd!』をご参照ください)

【不思議な出来事その2】
6月号の不思議な出来事(霧をも晴らす?TDE!)に引き続き、べつに引き続かせたい訳ではないのですが、エネルギーに関わってからというもの、今までにもいろいろな不思議体験をしてきました。その度に体験談を書いていたらきりがないし、“私の思い違いかな?”と思われる出来事も数々あったので“あやしいげな話”はなるべく書かないように気をつけてきたつもりです。しかし今回は思い切って少しだけ書くことにしました。それというのも……。ちょうど季節も季節だし、まあ読んでみてください。判断は各自ご自由に…。

それは5月18日(木)のことです。仕事が終わり、いつものようにマンションの部屋に帰り、愛犬バニラに餌をやろうと手を差し出したとき、私の背中…、そうそれは肩甲骨のちょうど真中あたりから何かが私の身体に入ってきたのです。
日頃からエネルギーに鈍感だということを自負してきた私にとっては、こんなにハッキリと何かを感じたことすら意外な出来事でした。そのものは、まるでスポンジに液体が沁み込むようにジワジワと広がり、ついには私の身体中の筋肉が弛緩してしまったように動けなくなっていました。頭もパニックっていたのか脳まで弛緩したようでした。

「えっ、金縛りじゃないかって?」いいえ、金縛りなら学生時代に何度も体験していたので、それとはまったく別の感覚でした。その状態が何秒か続いたのち、やっと餌を握った手が動くようになり徐々に全身の感覚も元に戻っていきました。気味の悪さは残ったものの“怖いからあまり考えないようにしよう”と無視するかのように私も夕食を取り始めたのです。

最初の一口目を箸で口に入れようとした時突然携帯が鳴り、出てみると山形県の同期の調整師安達さんからでした。

「玉川さん、今日は満月ですね。残念なことにこちらは空が曇っていてお月さんが見られないんですよ。そちらは見えますか?」「ちょっと待ってくださいよ」と言って、携帯を握ったまま外へ出てみると曇った空に微かに満月の下半分が蜜柑色に見えていた。そのことを先方に告げると、
「実は今日はUFOがたくさん見えるはずなんだけど、残念…」と言うので、
「わかりました。それなら私が時々外に出てUFOが飛んでるかどうか見ておきますよ」と返事をし携帯を切る。

それから20分くらい経ったであろうか、また携帯が鳴り、「玉川さん、外見て!いまUFOがたくさん編隊を組んで飛んでるから」
急いで箸を置き、外に飛び出た時には今度は高松の上空が曇っていて、UFOどころか月すら見えなくなっていた。そう返事すると「あ〜、残念…。じゃあ私が代わりに見ておきますから」と言って先方は電話を切った。

そんなあわただしい夕食を終えて、水を飲もうとキッチンの蛇口に手を伸ばした時、また何かがさっきと同じように同じ場所から入ってくる。そしてまた私は身体がしばらく動かなくなっていた。今度ばかりはさすがに気持ちが悪くなり、函館の八木橋くんに電話してその出来事を告げると、「玉川さん、実は僕も今朝同じようになったんだわ。玉川さん、今日誰かから電話ありました?」と聞くので、「うん。さっき安達さんから」と応える。

「いや〜、実は僕は安達さんと話している最中に同じようになったんだわ」
「……。何か関係があるの?ところでこれは何なの?悪いものなの?」
「安達さんには関係ないと思いますよ。ただそれがきっかけになったのかもしれないけど…。僕の感覚では、マイナスエネルギーとか悪いものは何も感じないんだけど…。これが不思議なんですよ。捕まえようとすると、“す〜っと”逃げちゃって、それでもしつこく“ぐっと”奥のほうに手を入れたら、自分を掴んじゃったんだわ」
「えっ、それって自分のエネルギー体ってこと?」
「ええ、そうなんですよ。でもこれって何なのだろう?」
そこで二人であれやこれやと話し合っているうちに、ひとつの仮説が浮かんでくる。
(ここからは、あくまで我々二人の空想の世界の話なので気にしないで読んでください)

“八木橋くんは『札幌エネ遊び』の後、何度かエネルギーアップしたらしい。彼いわく、この私もゴールデンウィーク中にアップしたらしい。

彼が掴んだ自分のエネルギー体とは、実はアップする前まで自分の身体に入っていたエネルギー体なのではないだろうか。人間は生まれてから死ぬまでエネルギー体は固有のものであり、その大きさは会長に伝授していただかない限り変わることはないと教えられてきたのだが、実は伝授によってそれまでのエネルギー体を大きくするのではなく、それまでのものとは違った新しくて大きなものを身体の中に封入されるのではないだろうか?

そしてその時、元のエネルギー体はまるでトコロテンのように身体から押し出されるのではないだろうか?この押し出された元のエネルギー体が、行き場を無くして懐かしさも手伝って元の身体に戻ろうとしたのじゃないだろうか。だからそれ程の違和感もないし、掴もうとすると元の自分のエネルギー体だったりしたのではないのか。だからエネルギーアップした時に一時的にエネルギーが使えなくなるのは、新しいエネルギー体が元のエネルギー体からそれまでの研鑚等を学習している時間であり、それゆえその学習が終わるまでは元のエネルギー体は身体の近くに留まっているのじゃないのだろうか。
それがたまたま元の身体が懐かしくなって戻ろうとしたのではないか…。”

などとアレコレと想像力を膨らませ延々と話をしていたが結論が出るわけもなく、結局「なんだかわからないし、どちらであっても大差ないことだし、ひょっとして二人とも思い違いしているのかもしれないし…」などと話している最中、何か影のような者が私の後ろの通路を“す〜っと”通り(この時私はマンションの通路側に置いてあるソファーに腰掛けて、通路側に背を向け、窓を開けて話をしていたのである)、玄関のドアノブを「ガチャガチャ」と2度ほど回す音がする。不思議なことに、いつもは吠える愛犬バニラはこの音には何の反応も示さなかった…。

「あっ、八木橋くんちょっと待って、誰か来たみたいだから…」と言って、窓から玄関を覗いてみるが、そこには誰も立っていなかった…。その時受話器の向こうで、八木橋くんが「玉川さん、背中どうですか?たった今何も感じなくなったんですけど…」
まさに彼の言うとおりであった。彼に「誰もいなかった…」と話すと、「誰か来たんじゃなくて、さっきのアレが出て行ったんじゃないんですか」と言われ、妙に納得してしまう。

なんだか不思議な夜であった…。とにかく怖がりの私としては電話を切った後、『ハーモニースプレー』を部屋の四隅に振りかけ、『エネルギーボンボン』(ノパル)を飲み、『ミニプレート』をポケットに忍ばせ、『ベーシック』(VCD)と『ディフェンスM』(MD)をすぐに回し始めたことは言うまでもないことである。

(体験談2000年8月号)
超能力レポート・パート24

【もうちょっと走らせて…】

この『超能力レポート』も“パート24”(番外編等を入れると27)ということは、もう2年間も書き続けているのか…。「我ながら凄いね!」っと感心してしまう。

入会した頃のものは、PH会を『新興宗教』じゃないかと勘ぐり、初めての大阪講演会では『霊感商法』に引っかからないように用心してお金を財布とバッグに分けて隠したり、大阪支部の今林理事を“あの人は絶対やっちゃんだから、目が合わないようにしよう”と疑ったりと(実は今林理事は逆に私と石尾くんをやっちゃん関係だと信じて、ずう〜っと用心していたらしいと入会後半年経った頃に聞かされる…)、今振り返ると私も当時はうぶ初だったんだなあ〜とおもわず赤面してしまう。その後は『トリートメント』に目覚め、入会後1年と3ヶ月の間(調整師養成学校に入学するまで)はひたすら『トリートメント』と『遠隔トリートメント』に明け暮れる日々を送るのである。

その数約2500回(内、遠トリが約1200回)、人数にして約200人…
(約がつくのは、『調整師学校』に入学してからはメモしなくなったからです)。

この頃の体験談を読むと、ああ〜あの頃はトリートメントはやることに意味があると信じていたので、あまりその結果には重きをおいていなかったように思う。だからこそ、あんなに夢中になってやれたんだなあ〜と…。しかし調整師になった今では、開業こそしていないものの、現にお金をもらって調整を請け負う訳で、結果を出さないことには話しにならないのである。しかもそれは良い結果でなければならないという条件までついてしまうのである。私が開業を渋っているのは別の本業を持っているからだけではなく、そういう重圧も二の足を踏ませる原因の一つなのかもしれない…。(これから調整師を目指そうとする方々、よろしければこれらの『体験談』をご一読ください。なにかの参考になればよいのですが)

しかし、ひょんなことで6月からお金をもらって調整を引き受けるようになってしまった。それはある日、以前から『体験談』にも登場してくる友人親子(母親はパニック障害、子供は癲癇重積症)のお母さんから、「玉川さん、いつも体調が悪くなると電話して来てもらってばかりで申し訳ない。頼む側も何時も何時もそれでは頼みにくいのでお金を取ってほしい…」と言われたからなのである。相手にそんな余計な気使いをさせていることに反省し、そこで単純な私は6月から有料でやることにしたのです。

以前、大阪講演会で調整師の西埜さんに「玉川さん、調整師はその看板を掲げた時から不思議とひと他人を癒せる能力がアップするものなんですよ」と教えられていたのだが、私に関しては例外だろうと信じていなかった。
しかし現に有料でやりだすと何かが違うのである。パワーアップしたような、エネルギーに少し敏感になったような…、うまく言えないのだがとにかく何かが変わったのを感じる…。

それに有料にした途端に不思議なもので、宣伝もしていないのに口コミで次々と予約が入って来るのです(もちろん全員PHの会員ではなく一般ピープルです。そしてこれを私は望んでいたのです)。
そんなことで此処のところは週に何度か出張調整に出かける日々を送っています。しかしそればかりもやっていられず、八木橋くんとの『札幌エネ遊び』や体験価格の『ダブルパワー調整』等もあり、なんだか急にあわただしくなって来た今日この頃ですが、あたらしものず新物好きの私としてはもう次の企画を考えています。

こんなことを書くと、東京の『TDE式調整師養成学校』の校長であった澤田さんに「玉川さん、また先ばかり見てる。今の自分の足元を見つめ直さないとエネルギーが先に飛んでいきますよ!」とお叱りをうけそうですが、もう少しだけ好きにさせてください。私もそんなに若くはないのです。何時までこんなことをやっていられるか…、
その内立ち止まる日も来ると思いますが、その日までは全力で走りつづけます。

【クロックとチャンネル】
頭がよくなると言われているクロックとチャンネルのオートロード。私には関係ないし、必要のないエネルギーだと思っていました。ところが『アビエルト』でエネルギーの発祥15周年キャンペーンだとかで、“64倍を無償でオートロードします”と書いてあるのを読んだ瞬間、お金も無いのに「う・け・よ…」と思ってしまう…。

まずは4/26に4倍、5/10に8倍、5/21に16倍(これは大阪)、5/31に32倍、6/7に念願の64倍。べつにこれを自慢したくて書いているのではなくて、オートロードを受けていろいろ不思議なことが起こったので書いているのです。

まずは32倍を受けた翌日のこと…。私は今もパソコン教室に通っているのですが、その頃は『ワード2000』の初級・応用コースを終了し、『エクセル2000』の初級も終了してちょうど練習問題に入った頃で、いつものように教室で練習問題集を開くのだが指がキーボードを叩かないのです。まるで頭の中が“真っ白”になってしまったみたいで、何度練習問題を読み返しても理解できないのであった。

いつもは2〜3ページの問題をこなして帰っていたのに…。インストラクターが心配してテーブルの脇にきて「今日はどうかなさったのですか?」と問いかけるが、頭はフワフワと上の空状態で、まるで脳のスイッチをリセットされたようでした。結局その日は70分で1問しかできず、それがくやしくて家に帰って復習し、次の日はいつものように2ページの問題を終了することができました。
しかし、同じ事が64倍を受けた翌日にも起こったので、これは偶然なんかじゃなくて『メンゲン反応』なのではないかと一人で喜んでしまう…。ところでオートロードに『メンゲン反応』ってあったんだっけ?

それと日常生活でも、オートロードを受けてから次々と問題が押し寄せてくるのです。そのために、この頃の私はイライラが続いて怒りっぽくなっていました。
なんとかそれらは時間の経過とともに解決してしまうのですが、いったいこれはなんなの…?それはまるでオートロードを受けたのだから、難問を処理する能力もついただろうといわんばかりであった…。ひょっとして、入ってくる情報量が増えるってことは問題がいっぱい起きるっていうことなの…?
しかしそれらの問題は、何時かはわたしに訪れる事が約束されているものならば早く終わったし、全て良い方向で片が付いたので、“結果オーライ”で良かったのかもしれない(これってまるで『リレーションヌエボ』みたい…)。

こんなことを書いて、怖がってオートロードを受ける人が減ると困るのでお断りしときますが、悪いことばかりではなく良いことも同じくらいにいっぱい起こったのです。だから良い出来事も情報なのかもしれませんね!ということで、別に私が薦める義理はありませんが、お金と時間のある方はぜひこの機会に『チャンネルとクロック』を受けて、ご自分で不思議な体験をお試しください。

【ダブルパワー遠隔トリートメント!】
先日、北海道のある会員さんのお父さんを八木橋くんといっしょに『ダブル遠トリ』する機会にめぐまれました。二人で時間を打ち合わせし、翌日の同時刻にエネルギーを送る。この方はお会いしたことも無く、お名前と生年月日しか情報が無いのですが、遠トリ終了後電話で話しているとエネルギーにめっちゃ敏感な八木橋くんが「玉川さん、昨日この人にエネルギー送ったでしょう。今朝取り出したエネルギー体は昨日と違って、遠トリする前からエネルギーが入っていましたよ」と言われてしまう。

「……」。そんなつもりはなかったのだが、昨日エネ体をいじっている内につい習い性でエネルギーを入れてしまったようだ。このときの感覚として、『遠トリ』も二人でやった方がパワーが大きいし、ずいぶん楽にトリートメントできることがわかった。しかし、この方は『ダブル遠トリ』の最中は病院に向かう車の中で、今は入院されているらしいので結果は聞けませんでした。だから『W遠トリ』でどれほどのことが出来たのかは未だわかりませんが、我々二人はきっと良くなると信じています。(遠トリも協力は強力だね!)

これからも八木橋くん等といっしょに、いろいろなエネ遊びや調整にチャレンジしご報告いたしますので、みなさん『体験談』を飽きずに読んでくださいネ!!


(体験談2000年9月号)
超能力レポート・パート25

【不思議な縁で調整開始…!】

ある日、ある方の紹介で調整の予約が入ってくる。調整を受けたいという人が数人いるらしいと…。気楽に「いいですよ!」と応えたところ、「その数人の代表のような人が“みんなに紹介する前に一度会ってお話がしたい”と言っている」と、紹介していただいた方に告げられる。
その時私は何故かイヤ〜な予感を感じた。それというのも、そもそもこの紹介していただいた方は天台宗の在家僧で、しかも常々ご自身で「わしはゴーストバスターだ」と豪語されており、以前(私が調整師養成学校に通っている頃)「一緒にゴーストバスターをやらないか」とお誘いを受けていたという曰く因縁付きの過去があるので余計そう感じたのかもしれない。(もちろん丁重にお断りしましたが)

そこで用心深い私は、「それはいいですが、お会いする前にその方お名前と生年月日を教えてもらえませんか」と告げ、暫くして電話でそれを知らせてもらうことが出来た。さっそく北海道の八木橋くんに電話をかけ、不思議な縁で数人の調整の予約が入りそうだと話しをする。すると彼も何か感じたのであろうか、その名前と生年月日をぜひ教えてほしいと言い出し、それを聞くや「じゃあ玉川さん頑張ってください」と電話をさっさと切ってしまう。そして10分もしない内に彼から電話がかかってくる。

開口一番、
「玉川さん、ノパルの『ディフェンス』か『エネルギーボンボン』持っていますか?」 
「うん、持ってるけどどうして?」と聞き返すと、
「気を付けないとあぶないですよ…。その人は凄く強いエネルギーを持っていますよ。しかもそれは周りの人達にも影響を及ぼすくらいに…。だからぜひノパルを飲んでから会ってください」 
「え〜、でも俺先月『ディフェンス』のオートロードを受けてきたんだよ。それでもダメなの」 
「……、とにかく飲んでから会ってください」
と一方的に言われ、とりあえず『ディフェンスM』を3粒飲んでその人達の来るのを待つことにする。しかし彼には名前と生年月日だけしか教えて無いのに何でそこまでわかるのだろう…? それもまた不思議であった。

5時近くになって、僧侶の車で在家僧・彼の奥さん・その方の三人がやってきた。なんとその方は髪を金髪に染めた、私と同年代くらいの女性であった。

取りあえず事務所でお話をさせてもらうことにする。彼女は『おんみょうどう陰陽道』を最近までやっていたらしい。だからその話の中に『あべの安倍せいめい晴明』『しきがみ式神』『晴明紋』『伏見稲荷』等々、小説で御馴染みの固有名詞がじゃんじゃん飛び出してくるので、一時『陰陽道』に憧れていた私としては内心ワクワクしながら羨望の眼差しで、その話している女性の顔を見つめていたのだが、その時姉の様子が変なことに気が付く(姉もPH会員です)。

姉はとてもその場に居辛いらしくソワソワとしている。その内フラ〜と事務所から何処かへ出て行ってしまった。15分くらい席を外していたであろうか、帰ってくるや「ヨシノブ、先に帰るよ…」と言い残しさっさと帰ってしまった。2時間近く話したであろうか、気に入ってもらえたようで、その女性の友人達を水曜日に調整する約束をする。

みんな帰った後、姉のことが気にかかり電話をかけて様子を聞くと、とにかくその女性が事務所に入ってきた瞬間から頭痛はするは、心臓の鼓動は高鳴るはで、その場にはとても居られなかったらしい。ところが車で自宅近くの角を曲がった瞬間に“すう〜”とその嫌な感覚は消えて無くなったと話してくれた。

その日の夜、八木橋くんにその話を告げると「やっぱり…。どうりで凄いエネルギーだと思った。あれは“陰陽道”のエネルギーだったんだ。玉川さん、もうこれで大丈夫ですよ」と一人で納得していた。

そんな事が切っ掛けで、紹介された三人の女性を調整する事になった。
調整中「ぜひ私も…」とやって来たお婆さんを入れると四人。このお婆さん以外は皆さん結構重症で、最初はなかなかエネルギーを入れさせて貰えない(レスキューしてもバリアが強いのか、頑固なのか、百会がちょっとしか開かない)のでてこず梃子摺ったが、あれこれと話をしながら気分を解し、何とか思ったとおりに調整を終える。ところがそこでもまたまた不思議な体験をするのである。

三人の調整が終わって“ほっ”とし、煙草を一服していると、そこの子供(小学2年生くらい)が学校から帰ってくる。
私と愛犬バニラを見てびっくりしたのか一瞬棒立ちになっていたのだが、その内に口を開いて「おじさん青だね!」と言うのである。

「…、なんのこと?」と聞き返すと、その子の話ではどうやら彼にはオーラが見えるらしく、私の両腕は青色と黄緑色で、その中に少し紫色も見えると言うのである。
「君にはそれが見えてるの?」 
「うん、神様は紫なんだよ」と言う。そして、「僕は“お金のパワー”を持ってるんだよ。おじさん欲しい?入れてあげようか…」と言い、私の左手の上に自分の右手を翳しエネルギーを送ってくる。
「あっ、…」。入っている気がする。それが何かはわからないのだが、彼の手を通して私の左手に熱いエネルギーが入ってきたように感じた。

それからが大変で、おじさんのエネルギーは何だとか、バリアを作って見せてとか、調整は幾らでやってもらえるのとか、返答に困っているところにお母さんがやってきて、「先生はこれからお母さんが調整やって貰うのだから静かにしなさい!」と助け舟を出してもらい、「ほっ」と胸を撫で下ろす。

調整が終わって話し込んだせいか、外に出ると周りの景色は既に夕闇に包まれていた。急いで片道1時間の道程を自宅目指して車を飛ばしていると、友人から携帯に電話が入り「玉川さん、今日は調整の予約で忙しいのはわかっているんだけど、腰の調子が悪いので診てもらえないだろうか?ギックリ腰になりそうなの…」と調整依頼が入る。本当は疲れていたし、腹ぺこだったのだが、こんなに調整出来る日も珍しいし、これはきっと何か意味がある事なのだろうと思い、「わかった。今から40分くらいかかるけど…いい?」と告げて車のアクセルを力強く踏み込む。

全ての調整を終え、家に帰ったのは既に夜の10時を過ぎていた。出かけてから約8時間…。さすがに疲れた。急いで簡単な夕食を作り、愛犬バニラと一緒に食べながら(もちろんバニラはドッグフード)、忙しくて空腹で疲れきってはいたものの、不思議な今日一日の体験の余韻を充分に満喫していた。

【名づけて、『新宿の母』のエネルギー!!】
翌朝、事務所に昨日の“腰痛”の友人から電話がかかってくる。「玉川さん、昨日わざわざ来てもらって腰痛も楽になっていたのに、今朝起きると又腰が痛くて…。冷湿布してもいいのか聞きたくて」 「……。とにかく痛くて熱を持っているようなら取りあえず湿布しといて、後で『遠トリ』やっとくから」とは言ったものの、その日は午前中忙しくてとても集中して『遠トリ』をやる時間が無い。その時八木橋くんからちょうど電話がかかって来たので、その話をすると彼は「わかりました。僕が後で診ておきます」と言ってくれる。

昼過ぎ、私がいつものようにウォーキングをしていると彼から電話があり、「玉川さん、さっきの人だけど、僕に直接電話してくれるように言ってもらえますか。話をしたら治ると思うから…」 
「……。わかった。じゃあよろしく」と応えて、何のことだかサッパリわからないうちに、さっそく彼女に電話でそれを告げる。それから15分くらいしてストレッチをしている時にベルが鳴り、彼女は「玉川さん。私は奇跡を見た…」と電話で興奮している。
「どうしたの?八木橋くんには電話したの?」 
「したよ。そして…」と、彼女は受話器の向こうで泣いているらしい。
「…」。
それからの彼女の話を要約すると、“八木橋君から電話があり話しているうちに、彼女が誰にも話せずに心の中にしまっておいた色々な悩み事を全て彼に言い当てられたらしい。そうしたら急に心が軽くなり、涙が溢れ出していたと…。そしてなんだか心がスッキリして電話を切ると、あれだけ痛かった腰痛が消えていた”と、そう言いながら彼女は今も受話器の向こうで感激して泣いていた。

夜、八木橋くんにその話について電話をかけ、何をしたのか聞いてみると「あ〜、
あれ…。あれはほら、田邊さん(名古屋の同期の調整師)のあれですよ!」 
「あれって?」 

この話も長くなるので掻い摘んですると、“5月号の『アビエルト』の体験談にもちょっとだけ書きましたが、3月の『エネ遊び』後の2次会で田邊さんとお話している人の頭から『かげろう』が出ていたのを見て、話を聞いてあげるだけで『かげろう』が出るなんて、この人はその存在自体がトリートメントではないか…ということから、私は田邊さんのことを密かに『新宿の母』と呼んでいた(『新宿の母』→記憶は確かではないのだが、新宿の紀伊国屋書店の前だったか伊勢丹前だったか?私が東京に居た頃にそういう名前の女占い師の方がいて、卦を見るだけではなく悩みを聞いて貰える相手として結構女性客の行列が出来ていた。現在で言う一種のヒーリングですね…)。
これにヒントを得て、田邊さんをイメージしながら彼は話しを聞くだけで相談相手の心を癒せる『新宿の母』なるエネルギーを作り、それを彼女に試してみたと言っていた。”そんなことが出来るなんて「す、凄すぎる…」。
そして彼は、「玉川さんが昨日やった調整は、ちゃんと背骨と仙骨に充分エネルギー入っていましたよ。ただこのケースは身体よりも心だから…」と、まるで何も無かったかのようにあっさりしたものであった。

【Mrs.八木橋を遠隔トリートメント】
ある日の朝、八木橋くんから電話があり、「玉川さん、うちのカアチャン(奥様のこと)を『遠トリ』やってくれませんか?実は左の耳から水が出ていて止まらないんです」と頼まれる。「え〜。そんなの八木橋君がやればいいじゃん」と一度は辞退したものの結局引き受けてしまう。「それで何時やればいいの?」 「この電話を切ったらすぐにお願いできますか?

僕も近くで玉川さんの遠トリのエネルギーをみてみたいから…」 
「え〜」っと焦りつつも電話を切り、急遽1Fの事務所から6Fにあるマンションの自室に戻ってソファーに座り、名前と生年月日を頼りにエネルギー体を呼び出し、彼に指摘された部分にエネルギーを送ってみる(実は最近では写真等が無くても名前と生年月日だけで遠トリができることがわかっていた)。
終わったことを告げると、「いや〜、さすがに遠トリを数やってるだけあって玉川さんのエネルギーは凄いわ!カアチャンも“あなたのエネルギーとはまた一味違って、エネルギーが入ってくるのがすぐわかった。気持ちいい〜”って後ろで感動して泣いてますよ!」と感想を述べてくれる。

昼休みになってウォーキングの準備をしているとまた八木橋くんから電話があり、「玉川さん、さっきはありがとうございました。うちのカアチャンもよっぽど気持ちよかったのか、滅多に昼寝なんかしないのに、今は気持ちよさそうに昼寝をしている」と聞かされる。この後1週間程してMrs.八木橋の1ヶ月以上続いていた『耳だれ』が無くなったことを知らされ、彼は私の遠トリが効いたと言ってくれている。

“よっしゃ!もう少し自分のやっている事に自信を持とう…”と心の中で小さくガッツポーズをとる。
それにしてもこの夫婦凄すぎる…。このぶんじゃ子供も凄いんだろうなあ〜。
函館で会うのが楽しみである。

【とりあえずツインスター伝授】
シングルスター伝授から約1年。待ちに待った『ツインスター伝授』である。
期待に胸を膨らませ新幹線に飛び乗る。ところが胸を膨らませすぎたのか胸が苦しくなってくる…。ちょうど両肺の真中あたりに、なんだか空気の球が入っているようで息苦しい…、深呼吸が出来ない。それが『新大阪』に着いた頃には心臓まで広がっていて、まるで心臓を鷲掴みされたように苦しくなってくる。仕方なくマイナスエネルギーをレスキュウーして、取り敢えず会場の近くの『なか卯』で『ざるそば』と『牛丼のミニ』を食べる。その頃には胸の痛みは少し軽減していた。

会場に入る。早く来すぎたのか一番乗りであった。外で煙草を吸いながら“ぼ〜”っとしていると一人また一人とやって来て会場の席が埋まっていく。トイレに行こうとして山元まゆみ嬢と擦れ違い「こんにちは!」と声をかけられ、顔を上げると彼女の後ろを会長が歩いていた。“ん〜。具合が悪そうである。大丈夫なのだろうか?先月の講演会の時よりお顔の色もどす黒くて、すいぶんお痩せになっているようだった…”。

最後に名古屋の同期の調整師たなべ田邊さんが息を切らせて会場に飛び込んでくる。
時計を見ると1時5秒前、“滑り込みセーフ”であった。そして取り敢えず『ツインスター伝授』が始まる。
まずは何時ものようにトリートメントから。体調の優れない私は先にやってもらう。相手は調整師学校の同期ヒゲの前田さんである。ところが何を思ったのか、
「前田さん、エネルギー出し惜しみしないで思いっきり入れてください」と言ってしまう。

「よっしゃ!」と前田さんもそれに応えてエネルギーを目一杯入れてくれるのがわかる。どうしてこんな事がわかるんだろう…。と思った途端に私は額の真中、そう両目の間のちょうど真中あたりが痒くて痒くて仕方なく、その内に今度はそこにまるで心臓があるみたいに脈を打ち出したのである。その感覚が私の勘違いでないことを確かめるように、
「前田さん、ここが妙にさっきから痒くて…、脈打ってんだけど見てくれます?」
と振り返る。
「あっ、玉ちゃん虫に刺されたんとちゃう。赤うなって腫れてるで」 
“…、んも〜前田さん〜…。調整師でしょ…、そんな一般人のように単純に答えないで…”。けっして虫になど刺された覚えは無いのです。せめて「チャクラが開いた」とか、「百毫(びゃくごう)が…」という答えを期待してたのに…。トリートメントの間中、私の心臓は額にあるがごとくドクドクと脈を打ちつづけていました…。

トリートメントが終わり、はやばや早々と伝授が始まる。会長の体調をおもんばか慮ってか椅子に腰掛けたままでの伝授であった。そして認定書を貰ってさっさと終わってしまった。
時間が余ってしまいブラブラとホテルの外に出るとそこは灼熱地獄のようであった。前田さんに「とりあえずビールですね!」と言って飲ませてもらえる場所を探すが、なんせまだ午後の2時過ぎ…。そこいらじゅうの居酒屋は5時か5時半開店なのである。
運良く一軒だけ開いてる居酒屋を見つけることが出来て「ラッキー」とみんなで飛び込み「とりあえずビール!」。話が弾む筈が私はなんだか眠くて仕方なく、壁際に座っていたヒゲの前田さんと席を代わって貰ってうたたね転寝をしてしまう。
こんなの初めてである。やはり『ツインスター伝授』は何か特別なのだろうか…。だんだんみんなの話し声が耳の中から遠ざかっていき、私は心地よい夢の世界に入っていった…。
 
「会長…、体調が悪いのに今日は本当にありがとうございました」と、取りあえず夢の中でお礼を言ったような気がする。

眠りから覚め、みんなで居酒屋を出ようとした時に仲慎理事の携帯に電話が入り、会長がホテルで倒れ救急車で病院に運ばれたと聞かされる…。会長大丈夫なのだろうか…。

翌日は『大阪講演会』、前日から大阪していた私は新大阪ワシントンプラザホテルから会場であるチサンホテルへ向かっていると、信号待ちしていた本部の鈴木さんと偶然お会いする。

「会長大丈夫ですか?」と聞くと、「えぇ…まぁ〜…」と曖昧に答えた後、「じつはね、ここだけの話ですよ」と言って、聞き取れるかどうかくらいの声でボソボソとその驚くべき話を始めたのであった。

「昨日のツインスター伝授で大阪入りする前に病院で精密検査を受けたんです。その時医者は“明日大阪へ行くのは自殺行為のようなものだからやめなさい”と言ったらしいのですが、会長が頑として聞き入れず、“私には命を落としてもやらなければいけないことが一つ残っている。その為に私は明日大阪へいくのだから”と言っていたらしいのです」

「……。」
そのどうしてもやらなければいけないことって、ひょっとして我々への『ツインスター伝授』であったのだろうか?そんな大事な役目を担う人が昨日のメンバーの中にいたってことなのだろうか?私の頭は混乱するばかりであったが、とにかく会長、早く元気になってください。

※ この後会長は病院からの移動を禁止され、大阪で3週間近く入院生活を送ることになるのであった。

超能力レポート・パート26

超能力レポート・パート27

超能力レポート・パート28


              ホームへ戻る Homeへもどる
                               

つぎへもどる 


Last Update:2001/8/24