もどるつぎへ                           

                 (体験談2002年10月号予定)
    超能力レポート・パート31!
             ― アシリレラ あたらしい風!  ―

                                   会員番号10686 玉川 芳伸


          この体験談は、私を愛し、そして癒し続けてくれた、
       唯一の同居家族である愛犬バニラに捧げるものである!




【はじまりは、二通のメール…!】

 7月下旬の朝、いつものように私は愛犬バニラを伴いマンションの6階にある自室から会社事務所のある1階に降り、そこに置いてあるパソコンのスイッチをONにしたのでした。
するとそこには見慣れないハンドルネームで二通のメールが、まるで示し合わせたかのよ
うに綺麗に二通縦に並んで届いていました。

 まぁ、ここまでなら「ご依頼のメールかな…?」と普段と同じなのですが、そこには私の想
像だにしない意外な内容が書かれてありました。その二通のメールを要約し、まとめると
以下のようなことが書かれていたのです。

 「いきなりですが8月の第一土曜・日曜日に高松に行きます。玉川さんのご都合のつく範
囲で結構ですので、たとえ1時間でも30分でも構いませんのでお会い出来ないでしょうか
?私たちは某大学へ通っている女子大生です。と言っても"ぴちぴちギャル"ではありませ
んが…(笑)。夏休みを利用して高松で玉川さんの調整を受けたいのです。そして唐突で
すが、私たち本当は玉川さんの
インターン生になりたいんです…」と・・・。

 「なぁ〜に言ってんだか…。また悪戯かよぉ〜…」と思い、そのまま放置していたのですが、暇な時間を見つけては何度も読み返している内に、徐々に"もし本気でメールして来たのなら、無視するのは気の毒だな…"と思い直して返事を出したのでした。

 ちょうどその時は、大阪の前田(調整師)さんが「淡路島から出張調整のオファーがあるから、タマちゃんちへ遊びに行こうかな?」と言っていた頃で、前田さんから「それならタマちゃん、俺が帰る車で一緒に大阪まで同乗してPH講習会に出ようや」と提案され、ちょうどその日程を二人で調整していたところだったのです。

 そこで、「まぁ、インターンの話は冗談としても、本当にいらっしゃるのでしたら生憎その日私は『シングル遠トリ』の予約が入っていますのでお会いする約束が出来ません。もし、そちらの予定を変更することが可能でしたら、ちょうど大阪から前田さんが16日に高松入りし、17日は前田さんの車で淡路島経由で大阪入りし、翌18日のPH大阪講習会に参加する予定ですのでご一緒しませんか?調整もそちらさえOKでしたらば、前田さんとWでやることも可能ですし、きっと面白い体験ができますヨ」と書いてみたのです。

 そして二・三日が経過した頃に、「行きます。もちろんラッキーさん(前田さん)と玉川さん、お二人の『W調整』を受けたいです。前田さんが大阪講習会でやる予定の"色のエネルギー"のお話も聞いてみたいので、この際お言葉に甘えさせて頂いて、玉川さんのプランに便乗させて下さい。16日の夕方に東京を出る寝台特急で行くことにしましたので、高松には17日の朝7時半に着きます。よろしくお願いします。」というお返事が返ってきました。

 しかし、そのメールの最後には「インターンの話は冗談ではありませんので…」とも書かれてありました・・・。

 「ふぅ〜む、インターン生か…。でもそんな柄じゃないしなぁ〜、しかも私は
『遠隔専門調整師』、だから治療院もなければお客も部屋に訪ねては来ないのに、いったいどうやって教えればいいんだヨ…?」と考えている内に、「あっ、そう言えば以前にもそんなこと言ってた人がいたなぁ〜…」と、ある会員さんを思い出したのでした。その時はハッキリと断ったのですが、住んでる場所も二人は東京で一人は静岡と近いし、何とかなるんじゃないの…」と、なんだか出来そうな気が徐々にしてくるのです。そう考えだすと何だか楽しい気持ちになってきて、知らない内にワクワクしてきて、"自分が楽しいって感じているのなら、きっと楽しいことが何か出来るのだろう…"という想いに変わってゆくのでした。

 そこで、そのもう一人の会員さんにこの内容を掻い摘んでメールすると、「私もやりたいっ
!もちろん大阪にも行きます」というメールが帰ってきたのです…。

 「まぁ〜、どうなるかはわからないけど、この新しい流れに乗ってみるのも楽しいかな…。えぇ〜い、やっちゃえっ!」と、その新しい流れに、楽しい風に乗ることに決めたのでした。

 しかし、後のメールで知ることになるのですが、この女性会員さんたちの内1名しかTDE式調整師はいなかったのです。TDE式調整師協会の
『調整師インターン制度』とは、TDE式調整師養成学校を卒業後、開業までに至る期間を実践を積みながら研鑚するという制度であり、そういう意味では実際に私のインターン生と呼べるのは1名だけ…。それじゃぁ後の二人はというと、一人は入会数ヶ月、もう一人なんて他団体のヒーラー養成コースの卒業生なのでした…。

 「これじゃインターンとも呼べないジャンか…。よしっ!入会数ヶ月の方は"プチ・インターン"、他団体のヒーラーの方を"ヒラ(平)・インターン"とでも呼ぶか…。やれやれ…。でも面白そう…」と、心配するどころか私はますますワクワクしてくるのです。とにかくこの女性ばかりの
エネラー(エネルギー使い)3人組、"エネルギー界のキャンディーズ"たちを取り敢えずは合わせてみようと計画を練るのでした。

しかし彼女たちが何処まで本気なのかは、今の私には知る由もないのです。

これも今年の
「あたらしい風」なのでしょうか…。



【愛犬バニラ…!】

 今年の夏は異常に暑い日が続いていました。TVの天気予報を観ると高松の最高気温が連日36〜37度もあり、下手をすると沖縄の首都那覇の最高気温を超えている日も結構ありました。そんな灼熱の中、私は午前中はいつもの予定を変えることもなく愛犬バニラを連れて、我が家から車で片道20分ほどの『県立総合運動公園』へ散歩に行っていたのです。

 高校野球の甲子園大会への予選も終わり、つい2、3日前から公園はいつもの静けさを取り戻していました、昨日までは・・・。

 ところがその日に限って今度は少年野球の大会が開かれており、球場の回りには付き添いの家族とおぼしき親子が沢山見物していました。
そんな喧騒を避けるかのように公園のいつものベンチを目指して、バニラと芝生の上を歩
いている内に、何時の間にやら後ろから小さい女の子がバニラ目掛けてトコトコと駆け寄
って来ていたのです。私は気づいてはいたのですが、"バニラは子供が大嫌いだから逃げ
るだろうなぁ〜"くらいにしか思っていなかったのです。

 その時ひと声、「わんっ!」とだけ吼えて、バニラは100メートルほど先にあるベンチへ一目散で逃げ出したのでした。その逃げるスピードの速さに私は唖然としてしまいました。あんなに早く走るバニラを見たのは初めてだったからです。しかし、いつものベンチの傍でお座りをしているのが小さく見えていたので安心して歩いていたのが間違いの元でした…。

 今度は二匹のラブラドール犬を散歩させている人が、たまたまブラッシングする為に首輪からリード紐をはずした瞬間に、バニラは哀れにもその内の一匹のラブラドールに追い掛けられる羽目になるのです。アチラは遊びのつもりでもバニラとの体格の差は10倍もあろ一目散にわたしと何時も歩いている公園の散歩コースを疾風の如く駆け出したのでした。

 流石に今度は私も慌てて、「バニラぁ〜!バンちぃ―ん!」と何度も叫びながら追いかけたのですが、バニラはその姿さえ見えなくなっていました。その後、1周するのに約40分ほどかかる公園を、36℃の灼熱の中を何周もして探し回ったのですが、バニラは何処にもいませんでした…。ラブラドールの飼い主の方も責任を感じたのか、一旦犬たちを家に連れ帰った後、自転車で引き戻してきて一緒にバニラを探すのを手伝ってくださいました。

 そして私たちは別々にその公園を何周したでしょうか、ラブラドールの飼い主が自転車で
私に近づいて来て、「さっき、公園の外のベンチにマルチーズを抱っこしたお婆ちゃんが座
っていたので尋ねると、"あぁ〜、ちっこい黒い犬かい?なんだか知らないけど公園から凄
い勢いで飛び出してきて、そっちの山の方へ走っていったヨ"と話してくれたのだけど、外を
探してみたらどうでしょうか?よろしければこの自転車をお貸ししますから…」と話し掛けて
きたのでした。

 自転車を貸してくれると言っても、その山の急勾配を自転車で登れるとも思えず、申し出をありがたく辞退して、車でユックリと山道を走りながら、車窓から頭を出してバニラの名前を何度も大声で叫ぶのですが、彼女からの返答はどこからも聞こえてはきませんでした。

 バニラと逸れてから早1時間半ほど経過していました。"この炎天下、このままではバニラは脱水症状になってしまう…。"携帯で姉に連絡し、駆けつけてきた姉と二人で舗装された山道、そしてその両側にある細い脇道を歩きながら手分けして探すのですが…。

「ダメでした…。」

 もうその頃には、居なくなってから5時間が経過していました…。汗だらけで泣き出しそうな姉の顔を覗き込むと、まるで『熱中症』になりかけているかのような顔色で、とにかく警察と保健所に連絡をいれるように姉に頼み、一旦会社に帰って貰うことにしたのです。私はその後も一人残り、また公園とその近辺を探すのですが、結局その日は見つかりませんでした。

 翌日バニラ捜索のビラを作って公園から半径1キロ四方のお宅に配って周り、公園の近
所のコンビニ、うどん屋さん、果てはペットショップや犬ネコ病院にまでビラを貼らせて貰い
ました。そして、また姉と二人して散々探し回るのですが、まったく二日目以降は目撃情報
すらありませんでした。



【ラッキーな訪問者たち…!】

ggggggggggggggg


 バニラが居なくなったのが8月13日、この頃は「多摩川に、アザラシの
『タマちゃん』
あらわる!」という報道が毎日のようにTVから流れていました。私は内心"こんなに私が落
ち込んでいる時に、いかにも楽しそうに、しかも毎日気安く、朝から晩までタマちゃん、タマ
ちゃんって呼ぶなよ!!"とTVに八つ当たりしていたのですが…。

 そんな中、16日の午後に大阪からラッキーさんこと、前田さんが車で訪ねてきたのです。
バニラ行方不明の件も心配でしたが、ここは一旦忘れようと心に決め、前田さんのファン
だという高松の内田有紀似の美人看護婦(PH会員)さんを誘って夕食に行くことになりま
した。

 前田さんから事前に、「タマちゃん、俺なぁ〜、タマちゃんの最初の頃の体験談に登場してた不思議大好きなママさんのいる"お好み焼き屋さん"へ行きたいんやけど…」とリクエストされていましたので、約2年ぶりにその『め組み』という店に3人で行くことにしたのでした。

 ママさんとは2年ぶりの再会…。しかし相変わらず不思議大好きで、最近も随分と神社巡りをしていると聞かせてもらいました。そして我々が明日は車で淡路島経由で大阪入りするので、途中淡路島で一旦高速を降りて、適当な神社巡りをする予定だと告げると、

 「玉川さん、それなら徳島行きなさいヨ。私もまだ行けていないんだけど、気になる神社があるのよねぇ〜。四国八十八ヶ所霊場の1番札所のあるお寺のすぐ傍に
『大麻比古神社(おおあさひこ)』ってのがあるのヨ。なんだか玉川さんに行って欲しいような気がするんだけど…。どうかしら…?」
と言われ、前田さんと顔を見合わせて、「よっしゃっ、それ、おもしろそう…。行こう、行こう」
という話になってしまいました。

 翌17日、この日は朝8時半から私の
『シングル遠トリ』の予約が入っていたのです。依頼者の方にも提案して前田さんとの今日限り、1回こっきりの『W遠トリ』の許可を頂いていたので、私にとっても初めての試みで大変楽しみでした。

 二人でリビングのテーブルを挟んで向かい合うように椅子に座り、テーブルの中央に依頼者の方のカルテを置いて、お互いがどの部位を調整するかを分担してから始めました。その感想はここには書きませんが、何時もとは相手が違う『W遠トリ』もなかなか新鮮で楽しかったです。

 そしていよいよ東京からの依頼者の方が訪ねてくる時間が迫っていました。この両名にも前田さんとの『W調整』を受けてみますか?と事前にお尋ねしたところ、依頼者の方も私のHPを通して前田さんのことを御存知でしたので、
「楽しみにしてまぁ〜す。ただし前田さんに、Hなエネルギーは入れないでネと、お伝えくだ
さいませ(笑)」と言う快いご返事でした。

 駅からの道のりを教え、近くまで迎えに行き、いよいよ我が家にその二名の女性はやって来たのでした。さて、どうやって調整を行えばよいものやら…?なんせ私の部屋は調整用ベッドも無い普段私が生活しているまんまの部屋だし、私は遠隔専門調整師ですので普段はお名前と生年月日さえ分かればそれだけで充分なのです。と言うことは、依頼者の方の顔も知る必要もなければ、身体に直接触れる必要もない訳なのですから…。

 結局、前田さんに、
「前田さんは、どうやってやりますか?」と尋ねると、
「あぁ〜、俺も触らんで調整してもエエよ」というお返事でしたので、急きょ『W調整』から『
W遠トリ』に変更するのでした。

 「えっ!何処が違うの…?」と、もし尋ねられると、私にとっては『W調整』も『W遠トリ』も同じなのです。私は直接調整時にも依頼者の方の身体に一切触れることはありませんので…。だから私にとってはどちらも同じことなのです。只、依頼者の方のお顔が見えているか否か、そして距離が近いか遠いかだけでして、これしか違わないのですが…。

 先程の『W遠トリ』の時同様に私と前田さんがテーブルを挟んで向かい合った椅子に腰掛け、その我々の座っている椅子を三角形の底辺の二点として、その二点が交わる三角形の頂点の位置に椅子を置き、そこに座ってもらって始めることになりました。

 これって、結局は依頼者の方を目の前にして近距離で『W遠トリ』を行っているということですネ。たまには、こういうスタイルで行うのも刺激があって面白いかもしれませんネ…。

 取り敢えず一人づつの体調とご依頼内容をお聞きし、前田さんとやるべき部位を確認し、結構自由に感想を喋ったり、笑ったりしながら、お一人に30分づつ程かけて行いました。
依頼者の方を目の前にして遠隔調整を行うというのは、思っていたほどは緊張しなかった
し、和気あいあいとして結構楽しいものでした。終わった後でお二人の感想を聞くと、「なん
だか寝台列車での疲れが全部取れちゃったみたいですぅ〜…。ラッキーっ!」とおっしゃっ
てくださいましたので、まぁ〜、いちおう成功ですかネ。

 しかし、私の「遠トリ」の本当の
"お楽しみ"はこれからなのですが…。それはお二人には、"後でのお楽しみ…"ということで内緒にしておきました。(笑)



【運命の着メロ…!】

 前田さんが「タマちゃんのルーム・ランナーを貰って帰って、ダイエットをやるんだ!」と言うので車の後部になんとか詰め込み、4人で大阪を目指して車を走らせるのでした。高速に乗らずに国道をひた走ること2時間弱の鳴門海峡の手前で、昨夜教えて貰った『大麻比古神社』へ抜ける分かれ道にやってきました。

 「ここかなぁ〜…?」と、みんな不安そうに呟くのですが、標識に「前田方面→」と書かれてあるのを見つけて、「あっ!前田さんだから、きっとコッチで正解ですヨ」と訳のわからない理由でドンドンと少し勾配のある山道を登っていくのです。しかし行けども行けども曲がりくねった山道で、しかもその勾配はきつくなる一方でした。遠く遥か彼方の山の頂までこの道は繋がっているように想えてならないのです。

 「なぁ〜タマちゃん、まさか向こうのあの山肌をくねくねと走っている道まで行くんやないや
ろうなぁ〜…?」と前田さん…。残念なことに前田さんの勘は見事に的中し、我々を乗せた
前田さんのワゴンは遂には、見渡せる範囲内では一番高い山の天辺まで登って行くので
した。
その山道は両側から生い茂る樹木の為に、陽の光りさえも遮ぎられて暗く陰るようでした
が、いきなり「ふっ」と抜け出た明るく少し開けた場所の石ころだらけの山道には、『四国の
道』と書かれた古びて朽ちかけた木製の立て札が地中に深く差し込んであったのです。そ
の砂利道は舗装もされておらず、タイヤのわだちの跡が深くえぐれており、まるで獣道の
ような狭い道でした。私たちはそんな寂しい山道に迷い込んで行くのでした。

 この時みんなの心には、「こんな道走ってて本当に辿り付けるのかなぁ〜?」という不安感がきっと広がっていたことでしょう。途中、数ある分岐点を大して気にも留めずに気の向く方へドンドンと走っていく前田さん…。その姿は、まるでこの辺の地理を隅々まで見知っているようで、私には随分と頼もしく感じられたのでした。

 前田さんに後で尋ねてみると、
「あぁ〜、なに言うてんねん。俺かて能力者やでぇ―。当たり前やん…」と言ってる顔は明
らかに嘘を付いてる顔でしたが…(笑)。しかし、本当に道を間違えることなく目的地である
『大麻比古神社』の前の舗装されている国道に出てきたのです。この時私を含めた全員が
、どんなに「ほっ」としたことか…。

 やっとの想いで辿り付いた神社は、私たちの想像以上に立派な神社でした。生憎、参道と大鳥居は改修中でしたが、その工事をしている長い長い参道の全貌から想像しても、かなりスケールの大きい神社であることが伺えるのでした。

 数段の石段を上がった所に本殿があり、その中央の石畳のひかれた「神さんの通り道」をまるで塞ぐように、大きな樹齢千年の楠が威風堂々と本殿を守るように立ちはだかっていました。神社から感じるエネルギーも然ることながら、その楠から出ているエネルギーに私たち4人は圧倒されるのでした。

 私は楠の正面に置かれてあった賽銭箱にお賽銭を投げ入れ、二礼、二拍手、一礼をして、一人そっとバニラの無事帰還を願ったのでした。他の3人が同じように楠に近づいて来たので私は正面を譲るように横手に回ると、そこには古い楠の大木から弱々しくも新しい枝が天に向かって伸び、その枝には新芽が顔を出し幼く息吹いていました。

 私はその瞬間なにを想ったのか、そのか細い枝を最初は片手で触れようとしたのですが、その手を一旦引っ込めて、改めて今度は両手でそっと掴んだのです。
それと同時に、「♪♪ジャ、ジャ、ジャ、 ジャァ〜ン♪♪」と私の携帯の着メロである、ベート
ーベンの
『運命』の曲が静まり返った境内に一際大きく流れ渡ったのでした。

「もしもし、あぁ俺…」
「芳伸…。あのな…、バニラな…、死んでたんヨ…」
と、そのあまりに悲惨な死に様を語る姉の言葉は、突き上げてくる嗚咽で声になっていま
せんでした…。

 姉から、「このままペットの霊園に連れて行き、火葬にして供養してもらうからね」と言うの
を聞き。
「今、バニラはそこに一緒に居るの?それじゃぁ、携帯の受話器をそのままバニラの傍に
持っていって。そしてしばらくジっとしていて…」と姉に早口で語り掛け、その場でバニラへ
『死後伝授(エネルギーで行う供養)』を済ませるのでした。

 その時わたしの脳裏には不思議な言葉が浮かんでいました。
「バニラは、あれからずっとタマと一緒だったんだネ。ここの神さんに、タマしゃんと一緒に
会いに来たかったんだネ…。バンちんの大好きだった姉ちゃんに見つけて貰えて本当にヨ
カッタね。バニラ…」と、気が付いたら次から次へとそんな言葉が、まるで堪えている涙の
代わりと言わんばかりに口からこぼれ落ちていました…。

 13日の公園散歩で行方不明になって以来なんの情報も届かず、初めて届いた知らせは、このような悲報でした。あの日から数えて既に5日も経っていました…。

 私のそんな姿を見た為に、あとの3人はまるでお通夜のような雰囲気になっちゃって…。
「ダメだ、ダメだ、私がこんなことしてちゃ…」と、その後も明るく振舞い、前田さんや二人の
女性たちと、ここまでの道のり同様に笑いながら大阪を目指すのでした。

 鳴門の渦潮を眼下に眺めながら鳴門大橋を渡り、そして明石大橋を渡って第二神明、阪神高速、環状線へと車を走らせるのです。前田さんから、「タマちゃん、環状線に入ったら渋滞は覚悟しといてや」と言われていたのですが、何故か私たちを乗せた車はスイスイと進んでいくのです。
「前田さぁ〜ん、何処が渋滞なんですかぁ〜?」と尋ねる私に、
「タマちゃんは甘いっ!!これから、これからやで…」と言う前田さんの期待を裏切るかの
ように、嘘のようにスイスイと車は進むのです。そして結局大した渋滞にも合わずに、二名
の東京からの女性たちの宿泊予定である『ホテル・サンルート梅田』に到着したのでした。

 一足先に到着していた静岡からの女性に紹介し、今夜の飲み会の約束をして、私と前田さんは車を前田邸に向けて走り出したのでした。
「いやぁ〜、さすが前田さん、よく一度も道を間違えることもなく目的地まで行けましたよね
ぇ〜」
「あたり前田のクラッカーやでぇ〜…」
「ふっ、古るぅ〜…。(笑)」
と言ってた矢先、「タ、タマちゃん…。家に帰る道を間違うてしもうたみたいやわ…」
「・・・・・・。ダメだこりゃぁ〜」と二人で大笑いするのでした。

 そう言えば、徳島でなんとか辿り付いた『大麻比古神社』さんの御祭神は
『猿田彦大神』なのです、と言うことは道案内を神さんにしてもらっていたのかな…と私は一人納得するのでした。

 その後、梅田での飲み会を済ませて前田邸で宿泊するのですが、私はてっきり前田さんと同じ部屋に寝かせてもらえるものと思っていたら、「ほんじゃぁ、タマちゃんはコッチの部屋で寝てネ」と10畳の客間に通されるのでした。広い部屋にポツンと一人…。しかもその部屋にはテレビやオーディオ等の音を出す機器がなにも置かれて無いのです。ただひたすらに「シ〜ン…」と静まり返った暗い部屋…。

 それまでは我慢していたバニラへの想い、そしてこれまでの彼女との5年間が走馬灯のように私の頭に浮かんでは消えを繰り返し、とても眠れたもんではありません。
「あぁ…、バニラ…」

こういう
「ただひたすらに…」は、この日の私にとってはあまりにも残酷でした…。



【あたらしき風、PH大阪講習会…!】

 翌朝、前田さん手作りの朝食を御馳走になり、ユックリと朝風呂に入っていると、クライア
ントさんがアポ無しで突然前田さんの調整を受けにやって来ました。予定外のことに二人
は大慌て…。前田さんなんて、まだシャワーも浴びていないのにパンツ一丁の姿だし…。
私は私で浴室から出るに出られず、"これじゃぁ、講習会に遅れるかもしれないな…"とは
思いながらも、そっとバスタオル姿で調整室を覗くと、前田さんは楽しそうにクライアントさ
んと話しながら調整を行っているのです。

 「まっ、いいか…(微笑)」と思い、私は裸体をクライアントさんに見られて妙な誤解(?)を
招かないように、ソソクサと二階に駆け上がり着替えを済ませるのでした。

 調整が終わり、シャワーも浴び終えているにもかかわらず、まだパンツ一丁でもたもたしている前田さんの尻を叩くように急いでPH大阪講習会へと出かけて行くのでした。

 地下鉄の『中津』の駅に着いた時には、既に講習会の開始時刻である2時を過ぎており、昼食も取っていなかった二人は近くのコンビニで"おむすび"を買い込み、前田さんは食べながら、私はお行儀良く両手に持って講習会会場のあるホテルへと急ぎ足で向かうのでした。

 会場に着いたものの、もう既に講習会は始まっており、途中入場もはばかられた為に会場外のソファーに座って、私はそこでやっと本日の昼食にありつくことが出来たのです。そうしている内に滋賀の調整師である徳久さんがお見えになり、前本理事長も会場から抜け
出してきて、何故だか場外でエネルギーの調整談義に花が咲いていくのです。

 気がつくと講習会の前半も終わり、会場からは次々と会員さんが休憩の為に出てきました。それを合図であるかのように我々の調整談義も終了。

 さぁっ、後半は前田調整師の講習から始まるのです。そのテーマは『色のエネルギー』。
「ん・・・・。」
前田さんがやると、なんだか違う『色』のような気がしているのは、決して私だけではないよ
うに思うのですが…。
そして、その講習の内容は案の定そうでした…。(笑)
前に立ち一生懸命にエネルギーの話している前田さんのその姿を見ていて、私は4年ほど
前のPH大阪講演会(当時は講演会と呼んでいました)に参加していた頃を思い出していま
した。
あの頃の前田さんは颯爽としていて、私には"やけに後ろ姿の凛々しい人"という印象があ
りました。その頃の私と言えば、PH会に入りたてで、講演会場で大声で楽しそうに話をし
ている前田さんたちを羨ましく横目で眺めることしか出来ない状態でした。

 それが4年経った今、会場を見回すと、見知った顔こそ減ったものの私の知らない若い顔ぶれが増えている。そしていつも少し緊張気味で初心(うぶ)な顔をして、隠そうにもその誠実さが顔に全部出ちゃってる仁井本新会長。

 「あぁ〜、本当にPH会は新しく生まれ変わたんだ…」と感じずにはいられないのでした。「
この若い連中の中から、きっと次のPH会を担う人達が出てくるのだろうなぁ〜」って…。そ
んなことを考えていたら、全然前田さんの話を聞いていなくて、途中からチットも訳が分か
らなくなっちゃいました…。(笑)

 前田さんの後は、仁井本会長のお話でした。
「あれっ?いつもと順番が違う…?」と思いながら耳を傾けると、
『ソマチッド』という「DNAの前駆物質」とも「細胞内コンデンサー」とも呼ばれている有機物質のお話でした。
なんでもこの『ソマチット』、会長のお話では摂氏200度以上の炭化処理温度にも耐えられ
、いかなる強酸の影響もまったく受けず、ダイヤモンドナイフでも切ることも出来なくて、ど
のような生物であろうと十分に殺せる5万レムの放射線にも耐えられる…。
と言うことは、人も含めた生物の死後、その肉体内の生きた細胞が土の中で朽ち果てよう
とも永遠に生き続け、火葬にして炭化した状態で埋葬しようとも永遠に生き続けるというこ
とで、
エイリアンの血液を浴びても火傷もせず、ゴジラの吐き出す炎にもビクトモしないという不滅の有機体…、と、とにかく凄いやつなのだそうです。

 故山岸前会長が細胞のエネルギー源である『ミトコンドリア』をエネルギー製品化したよう
に、次は『DNA』だなと思っていたのですが、それすら飛び越えて『ソマチッド』か…。やは
り、私たちが思っている以上に早く、あたらしい流れが、風が起きているのかもしれません
ネ。

 講習会後、私のインターン生になりたいというエネルギー界のキャンディーズ、略して"エネ・キャン"たちと今後どうするかを少し話し合いましたが、そんな昨日の今日では話がまとまる筈もなく、結局やる、やらないを含めて彼女たちに全てを任せ、何か良い案が浮かんだら私に報告してもらうことになりました。

 いつか彼女たち"エネ・キャン"の『インターン体験談』をアビエルト誌上で読む機会があ
るかもしれませんが、どうかその時はみなさんよろしくお願い致します。



【ラッキーとラッキー…!】

 前田邸の10畳の間で、暗くて、寂しくて、眠れぬ夜をもう一晩過ごした私は、昨日の飲み会の席で今林元理事ご夫妻のお誘いを受け、今日は前田さんと共に京都の今林邸へと車を走らせるのでした。着いた時はお昼時、別にそれを狙っていた訳ではなかったのですが、事前に今林さんから「タマちゃん、ウチでお昼食べていきぃ〜や。用意して待ってるさかいに…」と電話をいただいていたので、前田さんと何が出るのかを車中で当てっこしていたのです。

 以前お邪魔した時は冬でしたので、夕食に『湯豆腐』と『ゆばの鍋もの』でした。前田さんは「タマちゃん、やっぱり京都と言えば豆腐やでぇ〜」と言い張るので、「そうなんですかぁ〜。と言うことは、夏は冷奴ですネ」と答えるのですが。
「タマちゃん、あんたは甘いっ!京都人は夏でも湯豆腐なんやっ!」と、シラっとした真顔で
答え返すのです。前田さんも元は京都人…、すっかり信じ込んでいた私たちの目の前に出
てきたのは、"冷しゃぶ"と"野菜炒め中華風"、そしてやはり豆腐が出てきました。
「がっ!」
それは私の想像どおりに"冷奴(寄せ豆腐風)"でした。
そして、この勝負は私の勝ちでした。

 今林ご夫妻との楽しい昼食は、今回の旅の終わりが近づくのに正比例して徐々にバニラ
を思い出し、冷え始めていた私の心をまた暖めてくれているようでした。
ところが今林邸には一匹の犬がいて、名前は"ラッキー"といいます。この子が前回お邪魔
した時も可愛くて、リビングから外にあるトイレに出るたびにこちらを向いて尻尾を振るの
です。
「ラッキー」と、ひと声掛けて頭と耳の後ろを掻いてやると、その喜ぶ姿は私にバニラを思
い出させ、嬉しいような悲しいような複雑な心境でした。

 そんな楽しい時間は「あっ」という間に過ぎ、気がつけば夕食時になっていました。
「もう帰りますから…」という私たちの言葉を征して、「まぁ〜、そなに言わんと晩飯も食べて
帰りぃ〜や」と今度は寿司の出前を取っていただくのです。

 普段は、やもめ暮らしの前田さんと私は、遠慮しながらも出された寿司を次々と口へ運ぶのでした。黙々と食べるその姿はまるで、明日からの寂しくて侘しい一人ぽっちの食事にも、これで暫くは耐えられると言わんばかりでした…。

 腹を満たした私達は、お礼を言って今林邸を去り、前田さんの車でJR『京都駅』へと、最
後の目的地に向かって車を走らせるのでした。『京都駅』で新幹線に少し待ち時間のある
私は前田さんを誘って駅ビルの中にある喫茶店でお茶を飲み、今回の長くて、そして振り
返るとあまりにも短かった三泊四日の旅の終わりを迎えようとしているのでした。

 おそらく一人っきりにしたら、私がバニラを思い出して寂しい想いをするだろうと想像し、前田さんはわざわざ車を有料パーキングに駐車して、駅ビルの中まで付き合ってくれたのでしょう…。

 エネルギーを通して知り合った、この素晴らしき友、いや、先輩…。
そしてこの旅の間にお会いした心優しき人達、そして楽しい仲間たち…。
「どうかこのみなさんに、全ての良きことが、なだれの如く起きますように…」
そして私が少しでも、そのお手伝いが出来ますように…。

みなさん、ありがとうございました。



【あとがき…!】

 大阪から帰った私を待っていたのは、誰も居ない真っ暗な部屋でした…。
しかし、そこは何故か今回の旅に出発する前のような灼熱の高松ではなく、いきなり秋に
なったような肌寒い高松でした。その寒さはまるで私の心のようで、今、この部屋で一人っ
きりになり、私の心に空いてしまった穴は、日に日に広がりつつあるかのように感じられま
した。

 5年間苦楽を共にしてきた愛犬バニラ…、彼女を失ってしまった喪失感はなにものにも埋
められはしないのです。バニラは私に残された唯一の家族でした…。
人間とは不思議なもので、喪失感が大きくなるにしたがって何か破壊的なこと(無謀なこと
)をやってみたいという衝動に刈られるようです。とにかく何かをしていなくては耐えられな
い毎日…。そこで私は「ふっ」とあることが頭に浮んだのでした。

「そうだっ、また金髪にしよう…」と…。

 と言う訳で、京都から帰った4日後には私の頭は『金髪』になってしまいました。
今年の初めにたった3ヵ月ほどでしたが金髪にし、もう生涯二度とすることはないだろうと
思っていたのに…。現在の私は、また『ドラゴンボールZ』の"スーパー・サイヤ人悟空"に
なっています。でも髪が短いから、坊主になった悟空ですネ…。

 とにかく今回のバニラの事件を通して、私は多くのことを学びました。
自分のクライアントさんに対しては、
「死というものは本来、そんなに悲しむべきものではないのですヨ。死者を目の前にして、周りに集まったご遺族の方々は泣いていますが、当の本人は実は魂が肉体を手放すことで喜んでいるのです。だから悲しむことはないのです。それとは逆に、生まれてくる赤ちゃんは母親の胎内から出てくる喪失感と恐怖で悲しくて泣いているのに、周りの人たちはみんな"おめでとう"って喜んでいる。人間って、不思議な生き物でしょ…」
などと言っていたのに、いざ自分の身に降りかかって来ると案外弱いものでした。きっとそ
う言うことも含めて、もっと学びなさいと言われたのでしょうネ。

 こんな私を気づかってくれた前田さんや今林ご夫妻の笑顔、そして多くの人達の暖かい心…。これからはそれを思い出し、バニラの分も楽しい人生を送ろうと思っています。


 9月には、また北海道を2週間ばかりかけて温泉巡りの旅をします。
私にとって22回目の北海道は、彼女(バニラ)と私の初めての二人旅です。
いつかはバニラを連れて旅したかった北の大地・・・。
バニラはきっと私と一緒に旅をすることでしょう。
そのバニラとの約束を果す為に今回私は北海道に渡ります。
バニラ、、、楽しい旅にしようネ!


    バニラ、おまえが私をいつも癒してくれていたことを決して忘れません。
    バニラ、本当にありがとう。
    何時か、何処かで、また会おうネ!!


ggggggアイアイアイアイ         ― 2002・8・25 高松の自宅にて  ―

ばにばにばにばにばに


                          


※ タイトルにある『アシリレラ』とは、アイヌ語で『あたらしい風』という意味です。

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LaLast Update : 2002/9/13st Update:2002/4/24