もどるつぎへ                              

                 (月刊アビエルト誌投稿済み)
         超能力レポート・パート32!
               ― 北の国からの予感…!! ―

                                   会員番号10686 玉川 芳伸




【バニラとの約束…!】

 前回の体験談(超能力レポート・パート31)で書きましたように、愛犬バニラを失った私はその喪失感の大きさに耐えられず、自暴自棄になろうとする自分の声に従うかのように髪を再び金髪に染めたのでした。

「がっ・・・。」

 実は金髪にしたのが8月22日、そして9月1日には祖母の七回忌の法要が待っていたのです。しかも私はその法事の喪主を勤めなくてはならないのでした…。集まってきた玉川一族の面々は、その私の心中を知ってか知らずか、46歳にもなって髪を金髪に染めるという私のその奇行とも呼べる行為を誰も咎める人も無く、ましてや招いた僧侶よりも数段上手にお経を唱える私を叱る訳でもなく無事に淡々と終わることが出来ました。

 これも読経の間、ずっと内緒でみんなを遠隔トリートメントしていたお陰かな…。
思わぬところでこのTDEのエネ技術は役に立つんですよネ。(微笑)

 そして翌日の2日に、亡き愛犬バニラとの約束を果たす為に私は旅に出たのです。行き先は日本最北の大地、そして私の大好きな『北の国』北海道…。

 7月の宮城県『塩竃神社参拝ツアー』から帰ってより函館はずっと雨が続いているらしく、梅雨の無い北海道の筈なのにまるで梅雨が来たようだと聞かされていました。しかも現地の気温を問い合わせると、「もう秋が来たようで寒いよ。みんな長袖のシャツを着ているよ」という声ばかり聞こえてきていました。

“北海道よ…、いったいどうしちゃったんだ…?”



【ラッキーな予感…!!】

 その頃、天候がおかしいのは函館だけではありませんでした。高松は連日35度を越える猛暑が続いており、一日の最高気温が沖縄の首都那覇を越えているくらいで、そんな暑い所に住む私のスタイルと言えばほとんどTシャツに短パン姿…。
“着替えはどうしよう…?”と、その時の私の頭にはその心配ばかりが浮かんでは消えを繰り返していました。

 しかも、出発前日の高松は近づいていた台風のせいなのでしょうか、とても強い風が吹き荒れており、リビングに置いてある中国製の籐で作られた私の背丈ほどある姿見が風にあおられて倒れ、無残にも鏡はいくつかの破片に分かれてまるで天空の星のようにフローリングの床に散りばめられていました。
それは結構気に入って使っていた姿見だったのです。何故かと言うと、鏡の生産時の加工のせいなのでしょうか、その姿見に全身を写すと実際よりも少し痩せて写るのです。(笑)

「鏡が割れた・・・・。」

 と、普通の人なら不吉な予感のようなものを感じるのでしょうが、そこは“ツイてる”私のこと、「ラッキー!!旅行に行く前に鏡が身代わりになってくれたんだ…」と、好転的に考えるのでした。しかし、と言うことは今回の旅もワクワク・ドキドキ・ハラハラするような旅になるということか…。ますます私は楽しくなっちゃうのでした。(笑)

 現地で寒いのは敵わないので、仕方なく秋用のブルゾンやパンツ等をダンボール箱に詰めて一足先に宿泊予定の宿に送り、私はいつものスタイルで飛行機に飛び乗ったのでした。

 しかし、飛行機から降り立った函館の天候はまさに快晴そのものでした。
“さすがタマちゃん…。日頃の行いが如何に良いかを物語っているようだ…”と、ここで「エネルギーで雲を退かして、天気を良くして…」などと考えないところが私の良いところなのです…。(微笑)

 しかし、暑い・・・。用心して長いパンツを履いていた私はホテルですぐに短パンに履き替え、函館の夜の街へと消えて行くのでした。

 実は今回の北海道の旅は、大阪のラッキーさん(前田調整師)と静岡のヰクちゃん(生田調整師)を誘っていたのです。本当は私一人だけでバニラを偲ぶ『追悼旅行』にしようと考えていたのですが、それではあまりにも惨めだし、やはりバニラの為にも私が楽しまなくちゃということで二人にも声をかけたのでした。

 最初の計画では他にも目的があったのですが、そちらがどうなるのかが最終段階になってもアバウトでハッキリとわからず…。それでは二人に声をかけた張本人の私としては、わざわざ高い旅費を自らが出し、しかもそれぞれが忙しい中で時間をやりくりして来て貰おうとしているのに、話を進めようにもなかなか進められず、プランナーとして私はある決断を迫られていたのでした…。

 その決断とは、今回の旅は私たちPHを代表する(?)調整師3人組、しかも41・46・47歳の中年男性三人の『北海道温泉巡りの旅(調整師自らの癒しの旅)』に変更することにしたのです。
と言っても、その時の私には特別なプランがある訳でもありませんでした…。

 しかしちょうどその頃、私一人でニセコの川遊びをしようと考えていたのを切っ掛けにニセコ町のHPを調べてみると、これがお誂え向きなことに温泉・露天風呂のメッカだったのです。そして距離も、函館から車で行ってもそう遠くはなさそうなのです。

 そこで二人を誘った私としては、その責任感の強さから、と言うよりも私は生来こういう性格なのですが…、現地調査を事前にするべくひとり一足先(三日前)にニセコへ向かったのでした。

 本当はこの三日間を利用して、岩見沢の会員番号4番のMさんに会いに行こうと計画していたのです。実は、生前バニラはMさんから電話で遠隔伝授を受けているのです。だからその報告もしたかったのですが…。今回は実現することが出来ず、それだけが残念でした…。



【めいっぱい北海道…!】

 函館からレンタカーを借りて走ること約3時間半くらいでニセコ町には辿り付けるのです。途中の長万部(おしゃまんべ)には、以前訪れた『二股ラジューム温泉』もあることだし…、ここは帰りに立ち寄ることにして…。
“私の運転で3時間半なら前田さんなら3時間弱だな…。”
と、私の脳裏では既に前田さんを運転手と決め付けて、それを前提にしてドンドンと勝手なプランが組み立てられて行くのでした。(笑)

 まさにニセコの町は北海道そのものでした。空は見渡せども何処までも限りなく青く、そして果てしなく広がっていました。その空一面を本州では考えられないくらいに雄大な雲が次々と湧き出ては龍のように繋がり、そして悠々と、威風堂々と泳いでいるのです。
その広くて青い空に向かって黒いアスファルトの道が真っ直ぐに地平線まで走っている様は、「ここは日本じゃない…」と何度も私が車の運転中にひとり呟いていたように、まるで映画のワンシーンの中の光景のようでした…。

 前田さんたちが函館に到着するまでにまだ3日もあるので、最初はラフティングやカヌーの川下り、そして乗馬もトレッキングも熱気球も渓流釣りも…、果ては手作りバター教室にもなどと考えていたのでしたが、この雄大な自然の前にはそれら人間が考え出したちっぽけな遊びなどは到底たち打ち出来る訳も無く、私はただただレンタカーを走らせ、ニセコ町から倶知安・留寿都・蘭越・真狩・岩内等々を走り続けて、まずは迷子にならないように道を覚えることに専念するのでした。
(しかし、函館空港で借りたレンタカーにはナビが付いており、私のこの苦労は結局無駄骨になってしまうのですが…)

 走っている内に気がついたのですが、この辺りには奇妙なシンクロがあるのです。それは国道沿いに立て掛けられている小さな看板に書かれた地名なのですが…。『讃岐』『琴平』『高松』等々の、まるで地元にいるような地名に遭遇するのでした。そんな地名の看板を見つけてはひとり首を傾げながら、とにかくひたすら走り続けました。

 そして疲れたら天然温泉(しかも露天風呂)に浸かり、泊まり、喰い、ただ「ぼ〜」っとするだけという日々を繰り返していたのです。
三日間で入った温泉は、『薬師温泉』『鯉川温泉』『雪秩父温泉』『五色温泉』『アンヌプリ温泉』と、私の身体は既にふやけておりました…。(笑)

 ニセコにも実は『ストーン・サークル』があり、これは『しゃこちゃんの部屋』で紹介されていましたので、その場所もちゃんと確認しておきました。その他にも、『有島武郎記念館』や真狩町の『細川たかしの銅像』等々も場所のチェックを済ませました。そして何よりも何処よりも静かで綺麗だった『神仙沼』のトレッキングもちゃんと済ませておきました。

「さぁっ、これで二人が来てもガイドを勤められるぞ!!」

 と、6日には再び函館空港へわざわざニセコからJRを乗り継いで二人をお迎えに参上するのでした。しかし、この後すぐに空港でレンタカーを借りて一目散にニセコへ引き返すのですヨ…。なんて私は人がイイのでしょうか…。

「えっ!どうして…?」

と、みなさんもお思もいでしょうが…。
でも、これくらいのことはしないとイケナイ訳があるのです…。

 実は、前田さんはお母さんを三ヶ月"老人保険施設"で看てもらうと、次の一ヶ月は自宅に引き取り、身の回り全ての世話を男手ひとつで看なくてはいけないという生活を送っているのです。そしてこの時はまさに自宅で看る期間に入ったばかりだったのです。しかも、今回帰ってくる時は車椅子の生活になるだろうと聞かされていたのでした…。

 しかし私のお誘い(前田さんはこれを“悪魔の囁き”と呼んでいますが…)の為に退院したばかりのお母さんを、わざわざこの期間だけまた施設に入所させなければならなくなってしまったのでした。その手続き等がややこしく、しかも施設側にもイイ顔をして貰えないことは、かつて同じ経験者であった私が一番良く知っていることですので…。

 「タマちゃぁ〜ん…。これが終わって大阪に帰ったら、ワシには地獄が待ってるんやぁ〜…」と旅行中に何度もこぼしていましたので、それは事実なのでしょう…。

 ヰクちゃんはヰクちゃんで、北海道に来る数日前にマンションを改装して『TDE式調整師』として開業したばかりだったのです。そんな彼の人生で一番忙しくて大事な最中に声をかけたもんだから、函館空港で会ったヰクちゃんは流石に普段は『ムーミン谷のスナフキン』でも、この時ばかりは『くたびれた雑巾』のようになっていました…。(苦笑)



【まるごとニセコ・・・!!】

 函館空港で、事前に予約を入れていたトヨタレンタカーに行き、早速とにかく急いでニセコへと車を走らせるのでした。函館空港を出発した時間は既に午後3時半になろうとしていました。ニセコで宿泊する予定のホテルの夕食の時間が実は7時がタイム・リミットだったのです。

 函館空港から5号線に出るまでは私が運転し、そこから先は運転が大好きなラッキーさんに代わって貰いました。
実はここからが大変で、とにかくニセコまでの延々と続く一本道…。信号に引っ掛かることもほとんどなく、それはまさに睡魔との戦いなのです。
だからこそ…、こういう戦いは “元サーキット族”の前田さんがイイのです。(微笑)

 ニセコのホテルには夕食のタイム・リミットであった7時少し前に到着しました。急いで宴会場に用意されていた結構豪華な夕食を済ませ、自慢の露天風呂へなだれ込むのでした。それからは御決まりの夜の宴会が始まり、延々とエネルギー談義に花が咲くのでした。
とは言っても疲れていた私は一足先に眠ってしまったらしく、二人は夜中の2時頃まで布団の中で話をしていたと翌朝聞かされたのですが…。

 コーヒーのコマーシャルではありませんが、「私の朝は早い」のです。翌朝6時前に目を覚ました私は、だらしなく寝姿を晒しているオッサンたち二人を残して一人朝の露天風呂へ向かうのでした。その露天風呂には人っ子ひとりおらず、内風呂にすら人の気配もなく、私ひとりの貸し切り状態でした。

 「うぅぅ〜ん、今日もツイてる。世は満足じゃぁ〜」と王様気分で入浴していると、
「タマちゃん、いつまで入ってんねん。これやからなぁ〜、年寄りは長風呂で困るんや…。ヰクちゃんと帰ってくるのを待ってたけど、なかなか帰って来んから…」
と、部屋でヰクちゃんが交代するのを待っていると告げに来たはずの前田さんは、さっさと前を隠しながら露天風呂に入ってきては、昨夜同様に露天風呂の女風呂との境に作られた木製のツイタテの穴を平然と覗き込みながら冷静に話しているのでした…。(苦笑)

 こんな風だから、昨夜の酒の席でヰクちゃんに『あか○○先生』なんて"あだ名"を付けられるんだ。これも自業自得で仕方ないか…。
この後も前田さんは、ハンドルネームである『ラッキーさん』ではなくて、ニセコにいる間はずっと『○○ふん先生』と我々に呼ばれ続けるのでした…。(笑)

 朝食を早々に済ませて、ニセコグランドホテルの向かい側にある『寒露水(かんろすい・湧き水)』をそれぞれがペットボトルに詰め込んで、夕方までのニセコを満喫するべく時間を惜しんで出発するのでした。

 そのコースをひとつひとつ詳しくここには書けませんが、ざっと道順を辿ると…。
まずは、"羊蹄山(蝦夷富士)"を正面に一望できる場所にある『ストーン・サークル』を見学しました。ここにはコンクリートで作られた10m四方の囲いの中に小さな五つのストーン・サークルが点在しているのです。

 「ここは昨日、私がエネルギーを封入しておきました」と話し掛けたのですが、ストーン・サークルのエネルギーがどうこうと語る以前に、正面には『羊蹄山』、後方には『アンヌプリスキー場』、左には『東山スキー場』と『ひらふスキー場』があり、そして右手側は遥か彼方まで延々と広がっている緑の大地…、そのロケーションの素晴らしさ、土地自体が発している“母なる地球”のエネルギーに我々は圧倒されてしまうのでした…。

 その後、アンヌプリのロープーウェイで山上展望台に行き、そして私お勧めの『薬師温泉』を午前中に周るのでした。



                       



 『薬師温泉』の屋内に二つある内風呂は、風呂の底をまるで川床のようにこしらえてあり、大きな岩がゴロゴロしていました。しかも一つは温泉には珍しく湯が透き通るような無色透明で浴槽の深さは肩くらいまであって、川床のように浴槽の底に置かれてある岩を間じかに見ながら入る様は、まるで暖かい川に入っているようで妙に不思議な気持ちになるのです。

 もう一つの"濁り湯"の方も、浴槽の底に大きな岩がいくつも置かれてあり、その名の通りに湯が濁っている為にそれらが見えずに、勢い良く入ってきたヰクちゃんは思わずつまずいて湯船で転倒し、"弁慶の泣き所"を思いっきり打ち付けてしまったのでした…。
実は私もひとりで来た時に思いっきり転んでぶつけていたのですが、その時は注意する暇もありませんでした。

 しかしこの二つの内風呂、いずれも温泉の名前どおりに「ぷ〜ん」と如何にも薬効がありそうな強烈な匂いを発しておりました。そして湯船に使っていると身体の芯までその薬効がジンジンと浸透してゆくように感じられるのです。実際に、風呂から出た後も暫くは温泉の残り香がしていましたし、タオルも濁り湯の色に変色していました…。

             

            

 その宿から少し離れた森の中にある露天風呂がまた風情があってイイのです…。
温泉の色も黄色がかっていて、首まで浸かると私の金髪はその色に馴染み、溶け込んでしまいそうでした。そのせいなのか、温泉の周りで戯れていたトンボたちが妙に私の差し出した指や、果ては頭にも遠慮なく留まってくるのでした。
私が沢山入った温泉ではロケーション的には一番のお勧めですネ。

「がっ!」
女性は、余程の勇気と自信がないと入れないでしょうね…。(微笑)

 そして次のお勧めコースである、『長沼』『神仙沼』トレッキングへと向かうのでした。私にとっては今回『長沼』は2度目、『神仙沼』に至っては3度目の訪問です。
レストランのある駐車場から『長沼』までは結構道のりがあり、早足で歩いても40〜50分はかかったでしょうか。
その遊歩道を黙々と落ちているタバコの吸殻を拾いながら歩く私…。

「タマちゃん、なにしてんの…?」

と質問してくる前田さんとヰクちゃんに、
「ねっ、見てください…。こうやって自然の中に居ると、如何に人間の捨てたものが違和感があり浮き出て見えるのかが良く分かるでしょ…。人間の作ったものは所詮自然には溶け込まないんですね。バニラと散歩していた時にも、公園に落ちてるタバコの吸殻を拾いながら歩いていたんです。だから今ではそれが癖になっちゃって…」

 と言ったばかりに、それから後は3人とも行く先々でタバコを拾って歩くようになったのでした。その光景を眺めていると、“人間という生き物は誰でも、何処かで崇高なことを求め、それを実行したいと願っているものなのだなぁ〜”と、つくづく感じたのでした。

 タバコの吸殻を拾いながら歩くこと40分、やっと山に囲まれた『長沼』に到着しました。ここまで山奥に入ると自然の雄大さと偉大さを感じずにはいられないのでした。低くその稜線を見せている山々や水鳥の遊ぶ沼、そして周りに生い茂る森の木々にも、そのひとつひとつに神が宿っているようで、その圧倒的な光景に畏怖さえ感じられるのです。このような場所に立つと如何に人間がちっぽけな存在かということを思い知らされる…、そう感じずにはいられないのです。

 ここで私は奇妙なことに、湖畔に脱ぎ捨てられている蛇の脱皮した後の抜け殻を拾ったのです。しかも珍しいことにその抜け殻は頭から尻尾まで千切れることなく完全に揃っていたのでした。目玉の抜け殻までくっ付いていたのですよ…。しわくちゃな抜け殻を伸ばすと、それは悠に1.5mはありそうでした。前田さんやヰクちゃんにそれを見せると、     
    
 「あぁ―っ!!それっ、縁起いい!!そんな完全に揃ってる抜け殻は滅多に無いでぇ―!財布に入れるとお金が入ってくるぞぉ〜」

と、聞かされている時には既に私はその蛇の抜け殻を細かくビリビリと千切っていたのでした。それを見た前田さんが、
「タ、タマちゃん!! な、なにしてんねん、勿体無い!」
「えっ? だってぇ〜、長すぎてぇ〜…。それにみんなにも“金運”のお裾分けをしたいから…」
と、頭の付け根の辺りに少し破れたカ所があったので、おそらくその穴から本体は抜け出たのでしょうが、そこを二人に渡せるように千切っていたのです。

 その抜け殻は今でも私の財布に堂々と収まっています。ご希望の方にはお見せ致しますので、お会いするチャンスがありましたら是非お申し出くださいネ。(笑)

 その後は『神仙沼』に引き返し、まるで幻想のような自然の光景を目に焼き付けたままレストランへと戻って行くのでした。もちろんタバコを拾いながら…。



                       

 そろそろお昼時だったので、そのレストランの中庭でジンギスカンに舌鼓を打ち、そしてニセコの最終目的地である『鏡沼』を目指したのでした。
しかし、ここは私も今日が初めてだったせいもあってか事前に場所を頭に入れていなかったので迷いに迷った挙句、ついに今回は断念することにしたのです。

 この時、時間は既に午後3時を回ろうとしていました。我々には最後に長万部の『二股ラジュームー温泉』に浸かりたいという希望があったので、とにかく今度は5号線を長万部目指してニセコを後にするのでした。



【二股ラジューム温泉混浴事件…!】

 延々と続く国道5号線を走ること1時間、国道沿いに大きく『二股ラジューム温泉』と書かれた木の看板が目に飛び込んできたのでした。以前来た時は、この看板ももっと小さくて目立たなかったような気がしたのですが…。『二股ラジューム温泉』は最近改築したと伝え聞いていましたので、そのせいかな??? その温泉に至る道も以前訪れた時のようにデコボコしておらず、道幅も結構広く取ってあり、舗装された道が宿の入り口まで続いていました。

「あれまっ・・・・?」

 その建物を見上げて、私は唖然としてしまいました。以前は朽ちかけた木製の建物で、歩くと床がギシギシと音を立て、建物全体が歩行に合わせてユラユラと揺れながら「キ―、キ―」と悲鳴をあげていて、その姿は感動さえおぼえたのでしたが…、そういう時代物の古びた宿は、その感動と共に見事に消えていました。

 今私たちの目の前に建っているのは明らかに近代的なコンクリートの、しかし周りの自然にはちっとも馴染まない冷たい建物でした。それに楽しみにしていたドーム状の建物もその跡形すらも無くなっていました…。

 日帰り入浴料金千円を支払って、
「いざっ、ラジュームの露天風呂へ!」っと、勢いをつけて真っ先に飛び出したのは私…。実は『二股ラジューム温泉』の露天風呂は混浴なのです。

 目の前の露天風呂に若い女性が入っているのに気が付きはしたのですが時既に遅く、勢いの付いている私の身体は今更止めることも出来なくて、前も隠さずに堂々と、しかもそのうら若き女性の目の前、しかもコッチを向いてしゃがんでいる女性の顔面の50cm手前のところまで全裸で前進してしまったのでした…。
偶然にも、私の腰の高さとその女性の顔の高さは同じだった…とご想像ください…。
「大失敗!!」(冷汗…)

 後から二人は、ちゃぁ〜んと前を隠しながら静々と湯船に入ってきました。しかし、彼等も、そして既に湯船に入っていた数名の男性たちも、その女性が気になって仕方なかったのでしょうか、やけにみんな黙りこくっているのです。みんな何を期待してじっと押し黙って待っているのか…。

 “こんなに緊張して風呂に入るもんじゃない!”と言わんばかりに私はその雰囲気が重苦しくて、
「あっ、温泉プールになってる。どれっ、ひと泳ぎしてくるか…」と、またもや前を隠さずに隣のガラスで囲まれた広い温泉プールへと移動したのでした。
私としては、その女性に助け舟を出したつもりだったのですが、わたしの後に続いて来たのはヰクちゃん一人だけでした。

 ヰクちゃんと温泉プールで泳いでいると、例の女性が彼氏とおぼしき男性と連れ立って湯船からあがるのがガラス越しに見えました。その立ち姿はまさにスッポンポン…。身体を洗う小さなタオルで裸体前面の上下を隠すだけの実に色っぽい立ち姿でしたが、湯気で曇ったガラス越しに観る私には、白くてカワイイお尻だけが「ぼぉ〜んやり」と一際浮き上がって見えるのでした。

 「あれっ、前田さんは?」と、さっきまで入っていた湯船の場所を目で探すと、いつの間にやらちゃっかりと見物にはもってこいの特等席に移動しているではありませんか…。若干頬を赤らめて、額に汗を浮べながら湯船に首から上だけを出しているその顔は、『千と千尋の神隠し』に登場していた湯婆婆(ゆばぁ〜ば)の部屋にいた頭(かしら)のようでしたが…。(笑)

 前田さんにはこれまで何度も、「『千と千尋の神隠し』に出てくる人に似ていますよネェ〜」と言うのですが、いつも平然と「あぁ〜、ハクやろ…」と惚けられるのですが…。(苦笑)

 「これで日帰り入浴が同じ千円は不公平だ!!前田さんから五百円づつ返して貰おう」と、その後も何度もしつこく私は愚痴をこぼしていたように記憶しているのですが…。

 やはり、前田さんはそのハンドルネーム通りに「ラッキー」な人でした…。
そして、『二股ラジューム温泉』はやはり素晴らしいエネルギーでした…。

 二股ラジューム温泉を出たのが5時過ぎ、大急ぎで車を走らせて函館の『ホテル・シエナ五稜郭』に到着したのが7時10分前でした。ホテルでチェックインを済ませた三人は、またもや函館の夜の街へと消えて行くのでした。



【タマ&ラッキーとヰク、トリプル調整…!!】

              

 翌8日は、午後1時から八木橋邸での『トリプル調整』が予定されていました。そこでさっさと朝食を済ませ、午前中はレンタカーで『函館山』『船魂神社』を周り、今度は一路『上磯』へ車を走らせたのでした。

                  

 昨日入った『薬師温泉』『二股ラジューム温泉』のお陰なのでしょうか、昨夜はあんなに飲んだのに体調がすこぶるイイのです。
「この調子で、午後はトリプル調整をやっちゃおう―っ!!」と、張り切るオッサン三人組でした…。

 上磯にある八木橋邸に到着したのはちょうど1時くらいでしたが、既に調整が始まっているらしくて、八木橋君の姿は大勢でごった返しているリビングには見つけられませんでした。
「今日は調整の部屋を二つ用意してありますので、空いてる部屋でドンドンやっちゃってくださいと八木橋さんが言ってましたよ」と告げられ、さっそく『タマ&ラッキーとヰク』チームによるトリプル調整が始まるのです。

「がっ!」

 誰が受けるのか、人数が何人いるのかすら分からず、仕方なくヰクちゃんに頼んでリビングに居る人で受けたい人は全員2階の調整部屋に集まって貰って、その大勢の目の前で今日結成したばかりで、まだ湯気がたっていそうな新メンバーによる『トリプル調整』が始まって行くのでした。

 私が主にスキャニングと全身のトリートメントを担当し、前田さんはお得意の骨・筋肉系のトリートメント。
そしてヰクちゃんには全内臓のトリートメントをお願いして始めたのでした。

 まずは大阪から参加していた“コロちゃん”、そして次は“くみちょー”、その間に東京から塚本さんご夫妻が駆け付けて来ましたので、塚本さんご夫妻をそれぞれ調整し、それから函館の女性たち4人という順番で、タバコ休憩を取りながら行っていくことにするのでした。

 最初の2人は緊張していたせいもあってかほとんど黙って行っていたのでした。3人目が始まった辺りから、どうもヰクちゃんがやり難そうにしているのを私は感じていました。私と前田さんは既に札幌で何度も経験済みでしたが、考えてみればヰクちゃんは、このように複数で調整を行うのも初めてだったのですよネ…。ましてや周りには見物人がワンサカと居る状態だし…。

 そこで、
「ヰクちゃん、やり難いなら好きにやってもいいヨ」と一声かけて行いました。その声を待っていたのか、その後のヰクちゃんのエネルギーは堅さが取れて、とても良かったと私は感じたのですが。しかし、その初めて見るパフォーマンスや手付きは如何にもヰクちゃんらしくてカッコ良く…、しかもとっても怪しかったです…。(笑)

             

 その内に我々も受ける方も緊張が取れちゃったのか、後になればなるほどベラベラとよくもまぁ〜あんなに話しながら出来るというくらいに、冗談も交えて笑いながら行って行くのでした。

 何故、あの日はあんなにしゃべりながら出来たのだろうと、私は一人になった時に考えたのですが結局解りませんでした。別に適当なことをしゃべっていた訳でもないのです。気が付いたら口から言葉が自然に出ていた…。そう捉えるのが一番理解し易いのかナ…。これを『直感』と呼ぶのでしょうか???

 終わってみれば3時間足らずで8人の方々を調整していました。しかも笑いと感動の渦の中で、初めてのメンバーによるトリプル調整を行えたことに私は喜びを感じていました。

「やっぱり調整は楽しくやらなくっちゃネ!!」

 トリプル調整後、先に終わったらしい八木橋くんがガレージ前でバーベキューを始めていたのですが、生憎我々はレンタカーを返す時間が迫っていたのと、既に函館で飲み屋さんを予約していたので時間が無くて、結局は箸をつけずに八木橋邸を去ることになるのでした。ヰクちゃんだけは缶ビールとホタテをちゃっかり食べていましたが…。(笑)

 そしてまた函館の夜がやってきました。今晩はキレイどころを2名入れて5名の宴会でした。

 楽しかったニセコの温泉旅行、今日のトリプル調整の話等々、いつまで話しても話が尽きることが無くて、“このままずっと夜が続いてくれればなぁ〜”と想うのでした。

 この素晴らしき仲間たち、そしてこの素晴らしいチャンスを与えてくれた八木橋ファミリー、そして何よりも今日出会い調整を受けてくださった素晴らしき人々…。心から感謝いたしております。

 みなさん本当にありがとうございました。
そして何よりも我々を癒してくれた日本最北の大地、北海道よ…、ありがとう!!

「PH研鑚会バンザァ〜イ!」
「TDE式調整師バンザァ〜イ!」
「北海道よバンザァ〜イ!!」
と私は、アルコールで朦朧とする意識の中で小さく叫んでいたようでした…。


【あとがき…!】

 この翌朝には前田調整師、生田調整師ともホテルの前でお別れをしました。
「タマちゃん、今回は本当に楽しい旅だったヨ、ありがとう…」と言う言葉を残して二人は空港へ、そして私はJR函館駅へと向かう別々の道を歩いて行くのでした。

 これから再び私ひとりの温泉旅行が続いて行くのですが、それはまた機会があれば書くということで…。

 と申しましても、もちろん私も毎日遊んでばかりいた訳ではありません。
 私は『遠隔専門調整師』ですので、旅行前にご依頼をいただき、スケジュールを組んだクライアントさんの『シングル遠トリ』に関しましては、行く先々の宿やホテルで「ちゃぁ〜ん」と行っておりましたので、ご安心下さいませ。

 今回の楽しかった旅を通して私は多くのことを学びました。
青森の十二湖・十三湖、宮城の塩竃神社参拝、出発前に起きたバニラの事件、前田さんとの我が家での『W遠トリ』、そしてエネ・キャンたちのインターンの話等々も、全てここに繋がっているのだと感じています。

 多摩川に現れた“アゴヒゲ・アザラシ”の『タマちゃん』、その後しばらく行方不明後鶴見川、そしてまた今度は帷子(かたびら)川に現れたとTVからのニュースが、再び舞い戻った函館のホテルの一室で帰り支度をしている私の耳に届いています。

 「あぁ〜タマちゃんも、自らの楽しい流れを求めて旅をしているんだ…
と、偶然(?)にも名前が同じせいもあってか、自分のことのように思えてならないのでした…。

 今回の体験を切っ掛けにまた何かが始まろうとしている…。
『北の国からの予感…』を身体全身で感じながら、私も13日にようやく高松への帰路についたのでした。


                             ― 2002・9・14 高松の自宅にて ―

                          もどるつぎへ                                                          


LaLast Update : 2002/10/13st Update:2002/4/24