再々度の妥当な死刑判決

〜 ちゃんと執行されなければ意味はない 〜



これまで、このコーナーでは再三にわたって、死刑問題に関して述べてきた
無責任で自分勝手で頭の悪いマスコミや、金儲けと売名行為にしか関心の無い悪徳弁護士どもは、相変わらずヒステリックに死刑廃止を叫んでいるが、近年のわが国における刑事裁判の動向を見ると、大きな流れとしては妥当な死刑判決が増えてきた例1例2例3例4。これは凶悪犯罪者に対して厳罰を望む国民感情に沿うものだ。

ただし、例えば少年が犯人の場合は、判決は異常に甘くなるし、殺人被害者が1人の場合は、金品目的でなく、また被告に殺人の前歴がないケースでは、死刑選択は極めて少ない。これは、とてもおかしい。なぜ金品目的だと死刑があり得るのに、そうでないと死刑にならないのだ?金品目的は悪いけど、わいせつ目的ならいいのか?おかしいじゃないか。

しかし、現実には、金品目的かどうかが重要視されている。つい先日も、広島市で昨年11月、小学1年の女児を殺害したペルー人のヤギに対して、広島地裁は死刑ではなく無期懲役を言い渡した。「一生かけて償うべきで、仮釈放には慎重な運用を希望する」なんて言っているが、こんな嘘しか言わない非人は生かしておく意味はない。しかも、無期懲役の場合は、絶対にそのうち仮釈放で出てくるもんな。それなのに、ヤギは判決を不服として控訴している。もう信じられない。死刑にならなかっただけで、あり得ないほどラッキーだったのに。同時に、広島地検も量刑不当として控訴しているので、広島高裁の良識に期待したい。

こういう状況だったので、奈良女児殺害事件の犯人の小林薫に対する判決も、ちょっと不安だった。被害者が女児1人という点においてはヤギのケースと同じだからだ。
しかーし!奈良地裁は広島地裁と違って良識ある判断を下した。すなわち、小林薫に対して求刑通り死刑判決を言い渡したのだ。非常に妥当な判決であり、まことに喜ばしい。

小林薫の犯罪は、わいせつ目的で女児を誘拐し、抵抗されたため殺害したものだ。おまけに、殺害した後、遺体の一部を傷つけたうえ、側溝内に放置しているし、さらには遺体の写真をメールで母親に送信している。インターネットの出会いサイトやテレクラなんかで引っかかるバカ女が被害にあったって、それは自業自得というもんだが、何の罪もない小さな女児に対するわいせつ殺人は、まさに極悪非道であり、多くの国民は死刑しかあり得ないと素直に思うことだろう。全く同じ状況のヤギが死刑にならなかっただけに、日本の司法の良心を示したと言えよう。裁判長は「生命をもって罪を償わせるほかない」と述べているが、まことにもっともだ。

当然ながら、悪徳弁護士は「事件の背景、被告人の人格形成について極めて表面的な判断しかしていない。理解が浅いと言わざるを得ない」なんていう苦し紛れの批判をしているが、仮に、家庭環境やいじめが人格形成に影響を与えたからと言って、殺人が許される訳はないだろう?小林薫本人も公判で「死刑にしてほしい」なんてほざいているんだから、さっさと死刑にしればいいだけだ。なんで控訴するんだ?悪徳弁護士の金儲けのためだろう。
被害者の両親は「極刑以上の刑を与えてほしい」などと法廷で述べているが、まさにそうだ。こんな極悪人は、普通の死刑ではダメだ。普通の死刑は、本人が苦しむ間もなく、あっという間に死んでしまう。そんなんじゃ殺された被害者が浮かばれない。火あぶりとか、市中引き回しとか、生きたまま虫や動物に食わせるとか、もっと苦しんで死んでいって欲しい。

ところで、このようにめでたく死刑判決が出ても、それで油断はできない。いくら死刑囚になっても、死刑が執行されなければ、なんの意味もない。懲役の場合は、懲役っていうくらいだから文字通り役務をさせられる。ところが死刑囚は、懲役ではなく、単に死刑執行まで待っているだけだから、仕事もせずにのんきに毎日を過ごしている。そのまま執行されなければ、なんてラッキーな生活なんだ?

死刑が執行されるかどうかは、その時の法務大臣の意向にかかっている。普通は、平均して毎年数人程度の死刑が執行されてきたんだが、つい先日辞めた杉浦前法務大臣は、自分勝手な考えによって、在任の11ヶ月間、死刑を執行しなかった。これは死刑判決をためらう裁判官と同じくらい間違った行為だ。
何度も言うが、刑事訴訟法では死刑判決の確定から6ヶ月以内に法務大臣が執行を命令するように定めている。死刑判決が出た以上は、死刑執行するのが義務なのだ。どんな裁判でも、判決が出たら、それに従うのが義務だ。いかに不服があろうとも、それは仕方ない。そのために地裁、高裁、最高裁、と3回も争えるのだ。それでも不服があるからと言って、永遠に争うことはできない。判決が出たら、仕方なくても従うのが法治国家だ。死刑だって同じであり、判決が出たら執行するのが法務大臣の義務だ。それなのに、杉浦前法務大臣は、いくら法務省の事務局が執行対象となる死刑囚の記録を渡しても、決して死刑執行命令書に署名しなかった。
そもそも、こいつは昨年10月の就任会見で「死刑執行命令書にサインしません。私の心の問題。宗教観というか哲学の問題だ」なんてほざいていた。法務大臣ともあろう者が、堂々と「私は法律を守りません」って宣言しているのだ。こんなん許されるか?こんなアホを法務大臣に任命した小泉首相も悪い。罷免すべきだった。あるいは、法律を守らないのなら、いくら打診されたからって法務大臣に就任するのはおかしい。拒否すれば良かったんだ。法律を守らないくせに大臣にはなりたかったのか?

さて、今度の安部政権だが、新しい長勢新法務大臣は、「死刑執行は大変重い問題だが、法治国家では確定した裁判の執行は厳正に行われるべきだ。法の規定に沿って判断していきたい」と適切な考えを述べている。これで法の秩序が取り戻されるだろう。

ただし、年平均数人の死刑執行では、実はなかなか追いつかない。現在、拘置所に収容されている死刑確定者は60人くらいいる。中には死刑確定から10年以上も経過している死刑囚が10人以上もいる。これを在庫一掃するために、思い切って、全員、即刻、死刑執行してもらいたい。死刑囚を生かしておくのに、どれくらい経費がかかっているか考えれば、税金の無駄遣いの低減にも役立つ。近年、犯罪者が多くて刑務所が満員で困っているんだから、死刑囚くらい中国のようにさっさと執行して欲しい。

(2006.9.28)



〜おしまい〜





独り言のメニューへ